第13話 決闘

 病室に広がる沈黙。

 

 語気がきつくなってしまったことに気づき、誠はハッとして自らを落ち着けるように一呼吸する。自分の言ったことは間違いではない。しっかりとこの目で見て、そして得たのだ。初代勇者の姿を、その力を。自らを落ち着けて再び二人に視線を向けて誠は言った。


「ごめん、少し熱くなってしまって……。だけど僕はこの耳で確かに……」


「——デタラメを言うんじゃない!」


 病室を超えて廊下中に響き渡る、そんな怒りをはらんだ声が、誠の言葉を遮る。イーダのあげた大声に誠とテラスは目を丸くし、驚いた様子でイーダを見つめる。イーダは怒気の込めた視線を誠へと向け言った。それはまるで抑え込んでいたものをぶつけるが如く。


「一ノ瀬誠! 悪い冗談はそれぐらいにしろ! 初代勇者様にあっただと? かの御仁はすでにお亡くなりになっているのだ! 第一、貴様のように勇者一族と全く関係のない者にお会いなさるはずがない! これ以上そのような戯言を抜かすのならば…………テラス様を危険な目に合わせるようであれば、私は容赦はしない! 貴様のせいでテラス様は命を失いかけたのだぞ!」


 イーダは牙を剥き出したまま吠える狼のような剣幕で捲し立てた。


 テラスはカーマイン皇国の皇女であり、勇者一族の唯一の生き残りである。その護衛の任を与えられ、幼い頃から実の妹のように接しきたイーダにとって、此度の外界演習で起きた事態は許されるものではない。テラスの死はあってはならないことなのだ。だが、この倭国は、勇者一族でもなんでもないこの男のためにテラスをだしにした。そんなことは許されることではない。

 そして、誠は初代勇者と出会ったなどと馬鹿げたことを言い始め、ついに狂ってしまったのかと思わせる。馬鹿げている。イーダの我慢はとうに限界を超えていた。


 テラスはイーダの激情に、どう接していいのか見当もつかずイーダと誠に視線を向けるだけだった。


 イーダの言葉は誠の心に突き刺さる。顕現するかもわからない『勇者の力』のために、関係のない人を犠牲にし、テラスを巻き込み、命を失いかけさせたの事実だ。それはもう償いきれない罪。


 だが、初代勇者が誠の目の前に現れ、力を託したと言ったことは、誠にとっては変えることはできない真実であった。誠は戸惑いつつも、あくまで冷静を保ちイーダの瞳を真っ直ぐに捉え言った。その言葉は淀みなく、しっかりとイーダに伝わるように――


「そんなことはわかってる。テラスさんにはどれだけ頭を下げて許してもらおうとは思わない。僕にだって『勇者の力』が必要だったんだ。…………守りたい、人がいるんだ。——だから嘘をつこうとは思わない。——だから、初代勇者は言ったんだ。『勇者なんか、いない方が良かった』って」


 何かがブツリと切れるような音がした。その音ともに病室に広がる魔力の渦。イーダを中心に風が収束し始め、カーテンがその風の流れに巻き込まれるように揺れ始める。

 どんなに怒りが頂点に達しようとも、冷静さを失わなかったイーダの瞳は誠を中心に据えていた。


「イーダいけません! 誠先輩は――」 


 誠はテラスの言葉を手を挙げて制する。


 その様子にイーダは眉を顰める。誠が向けるまっすぐな視線とその行いがイーダには不可解に見えた。イーダは感じ取る。誠の瞳に込められたものを。


 ――自信。


 今までの不遇を全く感じさせない、力強さと新たなる決意が誠から伝わってくる。誠はテラスに心配させまいと笑顔を向けて言った。


「いいんだ、テラスさん。僕の代わりに『彼女』が証明してくれるはずだ。――初代勇者と会ったことを」


 身構え、今にも飛び出す構えを見せていたイーダには、少しの隙もなかった。しかし、病室に入ってきた一人の少女が、イーダのむき出しの刃を懐へと戻させてしまった。


「五月蝿い奴だ。だが、威勢がいい者は嫌いではない」


 腰まで伸びた真っ白な髪。青空を写し取ったような澄んだ瞳。初雪のような白い肌が、蕾のような薄紅色の唇を際立てさせる。身にまとう巫女装束姿が似合う彼女はどこか神秘的だった。特徴的な男勝りな口調、凛とした声色。握り締めれば壊れてしまいそうな繊細な姿が可憐さをさらに増し、見るもの全てを虜にしてしまう。


 少女は誠の隣に立ち、イーダを見上げる。向けられた瞳から放たれる眼光の鋭さは、外見から判断した年相応の少女が放つものではない。その視線にたじろぐイーダを見て、ふむ——と、少女は納得したかのように頷く。


「リルクヴィスト家の者か、久しいな」


「――!! 何故私の家名を?」


 少女はイーダの驚きの声を無視して、テラスへと向きなおる。舐めるような視線を向けて怪訝そうな表情を浮かべて言った。


「勇者の末裔か……。感じるぞ、『あやつの魔力』を――悍ましく、醜い魔力を…………ん?」


 テラスとイーダは目を見開き、お互いの顔を見合わせた。全く面識のないこの少女がなぜ、二人の正体を知っているのかが不可思議で仕方がない。それとともに感じる危機感。二人の正体を知るということは、テラスの正体がより公に広がってしまう可能性が増したことを意味する。誠が連れてきたこの少女が何者かというのが気がかりで仕方がない。一体この謎の少女が初代勇者と出会ったことと、何の関係があるかというのが皆目見当もつかない。


 誠はその少女の頭に掌を乗せて、疑いの色が混じる瞳を向ける二人へと紹介した。


「この子は『白雷』。初代勇者が最後に振るっていた剣だ」


 誠の言葉が理解できない、目をパチパチと瞬きさせる。あまりの冗談に苦笑を浮かべつつもテラスは誠に尋ねた。


「ま、誠先輩。冗談ですよね? こんな可愛い女の子が……」


「いや、本当にこの子は剣なんだ。僕も最初はびっくりしたんだよ。まさかこんな可愛い女の子になるなんて思ってもみなかったよ」


 誠は笑顔で白雷の頭を撫でながらそう言った。テラスはその様子を見て少しだけ眉間に皺を寄せて、「むぅ」と唇を尖らせる。


「誠、いつまで頭を撫でている。また子供扱いするのか? それに、か、可愛いなどと軽々しくいうな。お主もだ、勇者の末裔」


「はは、ごめんごめんつい。なんか義妹みたいでさ」


 照れた様子をなるべく表に出さないように冷静さを保ってはいるが、白い頬をほんのりと赤く染めた様子が白雷の気持ちを物語っている。

 先ほどまでの張り詰めていた空気が、この白雷の登場とともに和やかになっていくが、繰り広げられる光景に妙な胸騒ぎを覚えるテラスだった。だが、その隣ではイーダは呆れた顔で誠と白雷を見下しながら言った。


「あの『白雷』だと? 時苦し紛れの冗談も聞き飽きたぞ、一ノ瀬誠! こんな生意気な小娘が『白雷』であるはずがない! それに『白雷』はただの剣で……」


「小娘、だと?」


 イーダの言葉に白雷の自眉をぴくりと動かし、イーダへと体を向けて言った。凍りつく病室内。『白雷』の放つ剃刀のように鋭い眼光を受け、イーダは口を閉ざす。否、口を閉ざされたと言ってもいいかもしれない。その少女の放つ魔力に、イーダは圧倒されていた。そして白雷はイーダへと一歩踏み出しいった。


「我が名は白雷。初代勇者が振るった最後の剣。リルクヴィスト家の者であればすぐに気がつくはずだがな」


 バカにするような物言いに、イーダも負けじと自らを白雷と名乗る少女の目線を合わせるように体を倒して挑発する。


「ならば証明して欲しいものですね。本当にあの『白雷』というならね!」


「ふむ、ならば試してみるか?」


 二人は目で意思疎通できたのか、病室から出ようと扉の方へと歩き出した。


「ちょ、ちょっと二人とも……」


「は、白雷! イーダさん!」


 テラスと誠が制止しようとするも二人は聞く耳持たず。早々と病室から出て行ってしまう。誠も二人を追いかけていく。病室に一人取り残されたテラスは三人が出て行った扉をただ見つめることしかできなかった。体を動かそうにも、体の中に残っている痛みのせいで思うように動くことができない。置いてけぼりとなったテラスはしょんぼりと首を垂れる。


 スライド式のドアがゆっくりと閉まろうとした時、再びその扉が開いた。少し息の弾んだ誠が車椅子を押して現れたのだ。


「誠、先輩?」


「テラスさんも二人が心配だよね? 一緒に行こう」


 誠はテラスが使っているベッドの脇に車椅子を置くと、慣れた手つきでテラスの膝裏と背中に腕を回し、テラスを抱え上げた。あまりにも突然なことテラスは素っ頓狂な声を上げた。


「ふえ? は? キャッ!!」


 ふわりと、まるで羽を持ち上げるかのようにテラスの体を優しく持ち上げたつもりだったが、テラスの声に誠は不思議そうに顔を覗かせる。


「あれ? どこか痛かった?」


 同時に見上げるテラスの顔と誠の顔は、お互いの鼻が触れ合いそうな距離にあった。二人の視線が重なり、二人は徐々に顔を赤く染める。


「ご、ごめん! 突然抱え上げたりして」


「い、いえ、大丈夫です……」


 お互いに明後日の方向に顔をそらす。誠はテラスを抱えたまま突っ立っていたままだった。テラスの体の柔らかさ、ぬくもりが触れ合うところから伝わってくる。密着する体を思わず意識してしまい、手に力がこもってしまう。

 テラスも誠の腕の中で抱えられたまま、まるで借りてきた猫のように体を縮こまらせていた。


「あ、あの……」


「へ? あ? うん、何?」


 長い沈黙の後、顔を真っ赤に染めたテラスがうつむきながら誠へと声をかけた。誠は体を跳ね上げテラスの言葉に顔を背けたまま答えた。テラスは誠の腕の中で少し体をもじもじさせている。不思議そうにテラスへと顔を向けると上目遣いで誠を見るテラスは消え入りそうな声で呟く。


「そ、その。お、重くはありませんか?」


「――! はっ! ごめん!」


 誠はいつまでもテラスを抱えたまま棒立ちしていたことに気づき、慌てた様子で車椅子へとテラスを座らせ、車椅子から離れて扉の方へ体を向けた。「――あ」とテラスの口から不意に言葉が漏れる。密着していた誠の腕と体が離れることで、誠の体の熱が失われていく。流れ込んでくる空気が妙に冷たく感じてしまい、少しばかりの寂しさを感じてしまう。誠は照れた様子で指で頬を掻きながら言った。  


「ごめん、ちょっとぼーっとしちゃてさ! 抱えられたまんまじゃ不快だったよね。テラスさんの体が柔らかいなぁ~とか、そんなやましい気持ちはないんだよ。ホント、ごめん。いや、ちょっとそんなことは思ったり……うん、ごめん! やっぱりごめんなさい!」


「――クスッ。うふふふ」


 誠は腰から直角に体を倒してテラスへと謝る。初めて見せる誠の慌てる姿に。テラスはたまらず笑い出した。突然笑い出すテラスへと顔だけを上げて、誠は不思議そうに首を傾げる。テラスは目尻から溢れた笑い涙を、人差し指で拭うと誠へと笑顔を向けて言った。 


「ふふふ、誠先輩。さっきから謝ってばっかりです」


「え? ご、ごめん…………あ」


「ほら、また! あははは!」


「ふふ、ホントだ! あははは!」


 誠はテラスの指摘に自分も可笑しくなり、笑い出す。病室に広がる二人の笑い声はつい最近までの二人の関係からは想像もできないくらい楽しげな声色だった。やがて二人の笑い声は自然とおさまり、誠はテラスの乗った車椅子の取っ手を握りドアの外へと向かって歩き出す。


「さあ、行こう。二人の喧嘩を止めないと」


***


「テラスさん、ありがとうね」


「え? 急にどうしたんですか」


 病室を出て、廊下を進む二人。誠の唐突な感謝の言葉を受けて、テラスは振り向き尋ねると、誠の表情は少しだけ頬を赤く染めて照れてた様子だった。テラスも誠の今まで見せたことのなかった視線を受けて、ほんのりと頬を染めた。誠は微笑を浮かべ、前を向き車椅子を押し続ける。


「今回の外界演習のこと、本当に感謝してるんだ。ちゃんとお礼しなきゃって思ってたんだ。だけど、こうして二人きりになってやっと伝えられた。テラスさんがいなかったら本当に死んでたかもしれない」


「い、いえ。私は勇者ですから。人々を……誠先輩を守ることは当然のことです。」


 誠の感謝の言葉が嬉しい。初めての龍族との対峙、撃退したリヴァイアサン。初陣としては最高の結果を残すことができ、勇者としての使命の一端を果たせたことにテラスは充足感を感じていた。誠はあの時の戦いを振り返り、少し興奮した様子で続けた。


「それにすごかったな~テラスさんの魔法! まさか極致魔法まで使えるなんて驚いちゃったよ」


 テラスの見せた極致魔法を、子供のようにはしゃいで語る誠の言葉が少しくすぐったく感じる。テラスは手の指を組み合わせ、時折親指で自分の指を撫でていた。誠は興奮冷めやらぬ様子で再び続けた。


「それに、今は外界演習の時のようにはいかないけど、やっと、やっと…………魔法が使えるようになったんだ!」


「そ、それじゃあ! ついに『勇者の力』が!」


 誠はテラスの瞳を見つめて、力強くうなづく。テラスは表情をぱぁっと一気に明るくさせ、「ヤッター!」と万歳するが、残る痛みが再びテラスの体を硬ばらさせた。


「イタタタ……」


「だ、大丈夫? テラスさん!」


「ふふふ……あまりにも嬉しくて、はしゃぎすぎてしまいました」


 舌をぺろりと出しておどけて見せたテラスを見て、誠の心は跳ね上がる。満開の花のような笑顔を浮かべるテラスに見惚れているとテラスが不思議そうに小首を傾げていった。


「誠先輩?」


「へ? あ、いや、なんでもないよ。テラスさん」


 二人は当初の目的であった『勇者の力』の顕現を果たせたことが誇らしく、自然と胸を張っていた。そして、その目的の達成が二人の距離をより近づくきっかけとなり、お互いに高め合える良きパートナーになれればと、そんな思いを抱いていた。そして、今ならば少しわがままを言ってもいいのかもしれないとテラスは誠へと言った。


「テラスです」


「へ? どうしたの?」


「約束、覚えてないんですか? もし生きて帰れたら『テラス』って呼んでくれるって……」


「……え、そんな約束したっけ?」


 テラスは頰をプクゥっと膨らまして、珍しく不機嫌そうな表情を浮かべる。


「ひどいです! 誠先輩! 忘れてるだなんて!」


「いや、冗談だって! でも、なんか恥ずかしいな」


「…………でも、約束しました」


 どうやら皇女様のご機嫌を取るにはご要望を叶えるしかないようだ。誠は照れた様子で頰を指で掻き、少しの間の後、誠は決心したのかテラスの名前を呼んだ。


「じゃあ……改めまして。ありがとう、テラス」


「…………あ」


 テラスは途端にうつむき黙り込む。表情は見えないが美しい赤い髪から覗く耳が真っ赤に染め上げていた。テラスの心は弾み、今までにない高揚感を覚えた。なんと例えたらいいのだろうか? 収まるどころか、さらに激しさを増していく胸の鼓動はうるさいくらいに鳴り響く。せめて、誠には気づかれないようにと両手を胸に当て、その音を押さえ込むこと以外に今は何もできそうになかった。

 誠も恥ずかしいのか、指で頰をかいて明後日の方を向いていた。

 

 途端にテラスの頭の中にいくつかの気がかりがよぎる。だが、今はそれを聞くことは躊躇われてしまう。今この楽しいひと時を、あふれる嬉しさを少しだけ長く味わっていたいから。もっと誠と親しくなりたい、その思いがテラスの気持ちを満たしていた。


 テラスは車椅子を押す誠を感じながらテラスは少しだけ気持ちが浮ついているのを実感し、背中から伝わる息遣いにテラスは身を委ねていた。


 テラスは皇女という立場上、社交の場で異性と交流する場は幾度となくあった。だが、それはどれも上辺だけの付き合い。私欲で自分を見るものたちばかりで、心からのテラスを慕い、接してくるような男はいなかった。


 しかし、誠は違った。皇女であり、勇者であるテラスを真っ向から否定した。そして模擬戦では容赦なく、刃を向け気絶をさせる。挙げ句の果てには無視をする。世間から考えればあってはならないことだ。いわゆる国際問題級の事件に匹敵する。

 だが誠は違う。皇女や、勇者など、どれも彼の目には写ってはいない。誠の背負うものが何であれ、誠を突き動かす強い何かがあるのだと。


 終いには無断でテラスの体に触れた。だが、テラスは感じていた。それは誠が私欲で行なっているということではないということを。心からの親切だということを。誠は優しい人なんだと。


 テラスは思う。自分は誠のことを――


 しかし、途端にテラスの脳内に映し出される光景が先ほどまでの思考を止める。誠の後をつけた時に見た病院での出来事。無理した笑顔を浮かべ、黒髮の少女が乗る車椅子を押す誠を思い出した。胸に広がる妙なざわつきが、不意に言葉を漏らさせた。


「慣れてるんですね」


「ん? 何が?」


「車椅子です。まるでいつも誰かを乗せてあげてるかのようでした」


 少しだけ皮肉めいたように言ってしまったことにテラスは気づき、自分の口を両手で覆った。後悔したが、誠はそんなことは気にもとめず話し始める。


「義妹がさ、近くの病院で入院してるんだ。いつもこうやってベッドから車椅子に乗せて病院の中庭を散歩しててさ。まあ、妹といっても、義理の妹なんだけどね……」


「い、いもうとさんですか?」


 テラスは少しホッとしてしまった自分が情けないと思ってしまう。皮肉めいたことを言ったこと、そしてあの黒髮の少女が誠のいもうとであるということ、ちょっとした自己嫌悪で眉間にシワを寄せて、唇を少しだけ尖らせる。


「澪……」


 先ほどまでの弾んだ声とは裏腹に明らかなトーンダウンを見せた誠の声に、テラスは肩をビクつかせる。テラスは恐る恐る後ろを振り向いて誠を見上げると、何か思い詰めるような表情を浮かべていた。


「せ、先輩、どうしたんですか?」


 テラスが尋ねてもすぐに答えない誠は、左右に首を振り先ほどまで浮かべていた暗い表情を振り払いテラスへと何もないことを伝えた。不思議に思いながらもテラスは再び前を向いて、誠の押す車椅子に静かに座っている事しかできない。だが途端に車椅子が止まり、テラスの体は少し前のめりになるが自分の体を支えた。突然止まったことに不思議に思い、テラスは誠の方へ再び振り向く、何か閃いたような表情を浮かべる誠の姿があった。


「そうだ、そうだよ。テラスなら!」


 落ち込んだ表情から一変。そこには一筋の希望を見出した誠が、瞳を輝かせてテラスを見つめていた。テラスは誠の変わりように理解が追いつかず、小首を傾げた。


「ど、どうしたんですか?」


「テラス、今度義妹に会ってくれないかな? それなら、きっと! きっと!!」


 テラスは誠に両肩を掴まれ凄まれては断るわけもなく、その願いを快諾した。


***

 

「ど、どういことでしょう?」


「――嘘だ、白雷に限ってそんなこと……」


 病室を出ていった二人の姿をやっと見つけた誠とテラスは、目の前に繰り広げられる状況を理解できなかった。地面に膝をつき、悔しそうに握り拳を握る白雷と、それを悠然と見下ろすイーダ。その光景は二人の雌雄を決したことを十二分に物語っていた。


「――くっ、こんなはずでは!」


「私の勝利です。さあ、素直に負けを認めなさい!」


 学園内での私闘は厳禁。魔法の使用は闘技場(アリーナ)のみとなっている。イーダはそのルールを知っているため、わざわざ破るようなことはしないはずだ。だが目の当たりにした勝敗の結果。不可解なことに白雷、イーダ、そしてその周辺は争った形跡が見られない。

 イーダは二人の到着に気がつくと勝ち誇ったかのように誠へと視線を向ける。ふふん、と鼻を鳴らしては人差し指を勢いよく上から誠へ向けて言い放った。


「一ノ瀬誠! この小娘は『白雷』なのではない! ただの小娘だ! さぁ、先ほど戯言を取り消せ! ――お、おい! 一ノ瀬誠、聞いてるのか?」


 誠はイーダの言葉を無視して白雷の元へと駆け寄り、膝をついて心配そうに尋ねた。白雷は

悔しそうに歯ぎしりし、目の前のイーダを睨みつけていた。


「大丈夫か? 白雷!」


「主よ、我の一生の不覚。よもやあのようなものを仕掛けてくるとは」


 見た所白雷には外傷のようなものは見当たらない。誠はイーダが得意とする風の魔法に、外傷を負わせることなくダメージを与える魔法がないか脳内の情報をかき集める。しかしそんな魔法はあるはずもなく、イーダの未知の攻撃に、ただただ疑問を深める。


 テラスも慣れない車椅子を動かして、イーダへと近寄り尋ねた。


「イーダ、いったいどのようにあの子を打ち負かしたのですか? 小さな女の子とはいえ、ものすごい魔力を秘めていましたよ?」


「テラス様、あの少女が持つ魔力はただの飾り物です。大したことありません。私が少し大人の対応をしたまでです」


「大人の対応?」


 テラスが小首を傾げ、イーダの言葉が理解できない様子を見せていると、その場に居合わせた女子生徒たちがテラスへと話しかけてきた。


『テラスさん、私、一部始終見てたよ! イーダさん、とても優しいお姉さんって感じでさ』


『いやいや、どちらかといえばおかあさんって感じ?』


『というか、テラスさん体大丈夫なの?』


 確かにイーダは姉のように慕っている。だが女子生徒の説明によってさらに理解できなくなってしまったテラスは考え込んでしまった。


『ん~、説明すると……』


 女子生徒は考え込むテラスを見兼ねて説明を始めるのだった。

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