第9話 極致魔法 〜テラスの決意〜

「状況を説明して」


 美しい金髪を結い上げた高嶺薫は腕を組み、中央艦橋の探知魔法情報室で、突如信号をロストした誠、テラスたちが乗った高速艇の状況を確認していた。


「巨大な魔原子収束反応ののち、高速艇が探知できなくなりました」


「最後に確認できた位置を重点的に探して。周辺海域の海図を表示してください。」


「了解」


 表示された海図と高速艇の最後の信号があった場所が中央スクリーンに表示される。頭の中に叩き込んだ海図にその場所を刻み込んだ。


 探知魔法情報室では慌ただしく隊員たちが、探知魔法で情報をかき集めている。それらの情報は全て、中央スクリーンにリンク、映し出され、即座に最新のものへと更新される。


「映像はまだなの?」


 イライラした様子で指示を飛ばす葵。その横では艦長の弥六が、通信機を使い、丁寧な口調で話していた。


「はい、はい。承知いたしました」


 弥六は通信機を葵へと渡す。


「女王陛下からだ」


 葵は「はい」と答え、その通信機を受け取り耳へと当てる。


「女王陛下、葵です」


ーーうむ、海龍王だとな?


「はい、魔原子の収束反応の大きさからして間違いありません」


 女王の元にはすでに、リヴァイアサンが再度出現した情報が即座に伝えられていた。


ーーカーマイン国王からは娘を心配する通信が来たぞ。娘の無事を約束しろとのことじゃ。あと、テオフィールの親父からも通信じゃったが、頑張れとのことじゃ。あやつはようわからんやつじゃ


「ふふ、テオフィールの国王様は相変わらずですね」


 通信機で軽い冗談を交わし合ったあと、女王が話を切り替える。


ーーふむ、まあ良い。それで状況は?


「はい、女王陛下御身のところにも届いております通り、二人の消息は不明。しかし、ジェットウェイブが2台射出されたこと見れば、生きながらえている可能性は十分あると思われますが、魔原子のジャミングがとても大きく、探知魔法でも状況を掴みにくい状態であります。最悪の場合は私が……」


ーーうむ、一ノ瀬は決して失ってはならぬ。我が倭国の野望のためにもじゃ。テラスももちろんじゃ。今、失えば、国際問題になるじゃろて。倭国の立場も危ぶまれる。


 通信機から聞こえる女王の声には焦りのようなものが感じられた。薫は女王の焦りを鎮めるかのように言った。


「女王陛下、ご安心を。必ずや二人を回収してまいります」


ーーうむ、良い結果を聞かせるんじゃぞ


「はい、かしこまりました」


 通信が終わると、艦長の弥六が言った。


「ふふふ、久しぶりに『雷姫』の戦いが見れるのか、楽しみだの」


「艦長、遊びじゃありませんので……」


「ふむ、わかっている。さて……報告しろ」


 艦長の弥六が現在の状況を把握するため、隊員の報告を促した。


『すでに学生達の艦内への避難は完了です。魚竜ティブロンの討伐に戦闘員はすでに射出準備を整えております』


「わかった。戦闘準備は整っているのだな?」


「はっ! いつでも射出可能です」


「ふむ、総員戦闘開始、ジェットウェイブを射出せよ!」


「了解。ジェットウェイブ射出開始!」


 移動要塞の強固な壁から射出台が姿を表す。そして次々とジェットウェイブに乗ったドラゴンスレイヤーたちが射出されていき、移動要塞周辺海域にいる魚竜ティブロンの討伐が始まった。


「艦長、それでは」


「うむ、頼んだぞ」


ーーパリッ


 一瞬の放電ののち、薫が探知魔法情報室から姿を消した。


「はっはっは。さすがだ。」


 弥六は豪快に笑い飛ばした。その声は情報管理室中に響く。


 薫の体はいつのまにか中央艦橋の外の頂上にあり、金髪が強い風に煽られて揺れている。


「一雨来そうね……」


 上空は重厚な雲が太陽を塞ぎ、今にも豪雨が降りださんとしていた。空を見上げてポツリと呟く薫の元にインカムを通して連絡が入った。


ーーあ~あ~もしもし~私だよ~。葵だよ~。


「聞こえてるわ、どうしたの?」


ーー久しぶりに『雷姫』の活躍が見れるっていうからさ、艦長に無理言って、ドローン飛ばさせてもらった。


 葵がそう言うと、カメラ付きのドローンが姿を現す。小型ドローンから空間ディスプレイが表示され、葵の顔が映し出される。


 薫はため息をついて頭を抑える。葵とは前線へ出ても緊張感というものを感じたことがなかった。過去の記憶がよみがえるようで、少しばかり呆れてしまう。


「見学は大いに結構よ。だけどおそらくそれはかなわないわ」


ーーなんでだよ? 金でも取ろうってのか? 理事長先生はいっぱいもらってるって話聞いてるぜ?


 薫はおもむろに、あるあろう方向へ指を差す。


ーーん? ……うわ~、あいつら生きてんの?


 ドローンに搭載したビデオに移されたのは、龍族に呼応した魔原子が、巨大な濃霧の壁へと変化したもの。それは空と海の青を白く染めあげ、一度踏み込めば2度と出ることができない魔海を彷彿とさせる。あの周囲一帯は濃厚な魔原子によるジャミングにより、移動要塞から発せられる周波数を増幅した探知魔法さえ機能しない。

 

 そんな中を、探知魔法を使わずして挑む、薫の実力は誰もが信頼を置いているのだった。


 薫は葵の零した言葉に苦言を呈した。


「生きててもらわないと困るわ。我々倭国の未来を左右するのだから」


ーーああ、今までの努力が全て無駄になっちまうよ。もちろん、ぶっ倒すんだよな?


 当然のことのように話す葵に呆れてまたため息をつく薫。


「正気? いくら私でもリヴァイアサンを単独で倒すことなんて不可能よ」


ーーでもよ~、薫が最後にいた前線の事考えるといけるじゃねえか? いや~あれは痛快だったね。地龍王を一人で追い込んだじゃんねえか。


「何言ってるのよ、私もギリギリだったわ」


 少し遡った過去の話が色めくように二人は会話を続けるが、薫が話に一区切りをつけた。


「それじゃあ、行くわ」


ーーおう、頑張れよ!


 インカムから音声がプツリと消える。ふふふっと少しだけ微笑んで、髪留めを外す薫。解かれた絹糸のような金髪は風に煽られては旗のようにたなびいている。


 閉じていた目をゆっくりと開けると、今までの穏やかな表情が一変し、その目つきは鋭さを増していた。


 スーツのブレザーを脱ぎ捨て、袖から二対の千本がスルリと伸び、それを掴み指で器用に回しながら腕を交差させる。

 一つの千本の中心には小さな魔石が埋め込まれ、詠唱印(イディオマ)が刻印されている。そして薫はその魔法を呼び出した。


「召喚魔法:麒麟」


 千本に刻まれた詠唱印(イディオマ)が薫の魔力を受け輝き出す。薫の背後に魔力で形成された球形の殻が現れ、バチバチと音を鳴らしながら空間が歪みだし、開かれた殻から現れたのは『雷姫』の召喚魔法、麒麟。

 

 金色の体毛を生やし、体は美しい鱗に覆われ、その顔は一見、龍のようで一角のツノが天をつくように生えている。馬のような蹄と艶のあるたてがみは、時折光を受けて五色に色を変えていた。鹿の姿に似た神獣はその精悍な体に雷を纏わせていた。


 薫はゆっくりと麒麟の顎を撫でると、麒麟はその手のひらに自らを預けるように目をつぶる。


「麒麟、私を連れて行きなさい」


 薫は麒麟の背に跨ると、麒麟は答えるように嘶く。


 中央艦橋の頂上から麒麟が飛び降りるとその姿が一瞬で消える。


 麒麟が一歩その足を動かせば、また姿が消え、また一度踏み出せば姿が消える。空間に突如現れては消え、まるで突如発生した雷が

瞬間移動のように、空を駆けていく。


 薫と麒麟の姿は、濃霧の中へと雷とともに消えていった。


***


 海面に浮かぶ三人は海の王の前にただ立ち尽くしていた。

存在が放つ圧倒的な質量、そして膨大な魔力によって押しつぶされそうだった。魔原子が吸い寄せられ、だんだんと白い靄が周囲を覆い、リヴァイアサンの神々しさをさらに引き立てていた。


 リヴァイアサンは美しい鳴き声を響かせた後、悠然と三人を見下す。三人は成す術もなく、だんだんと近づいてくるリヴァイアサンの顔を黙って見ているしかなかった。


 テラスは目を見開き、イーダもこの世の終わりのような表情を隠すことができず、呼吸すら忘れ、二人はお互いに身を寄せ合い、手に込める力は自然と強くなっていた。


 隣で誠があげる荒い呼吸にテラスは我に返る。


 誠の体を伝うものは海の水と混じり合い、滝のように誠の体から滴り落ち続けていた。

 瞳は震え、焦点が合わず、腕で自分の体を守るように抱きしめる。


「怖くない、怖くない。大丈夫、大丈夫」


 誠はそう言って、自分の唇に歯を立てる。顎を伝う血。口の中に広がる鉄の味は誠の思考をだんだんと鮮明にしていく。


 誠は不吉の笑みを浮かべ、焦点の合わないその瞳のまま、無謀な決断を下す。そう、それはあまりにも無謀すぎた。


「うわあああああ!」


 誠は子供のような叫び声をあげながらリヴァイアサンへとジェットウェイブを走らせる。

 

 それはまるで自らのトラウマを無理やり振り払うかのように。


 勝てないとわかっていても腕を振り回す子供のように。

 

 自暴自棄の単調な動きは、ティブロンの格好の標的だった。


「誠先輩! いけません!」


「くそ! 変態め!」


 とっさにテラスとイーダは魔法を放ち、誠へと迫るティブロンたちを撃墜する。しかし、迫り来るティブロンの数はテラスたちの魔法の弾幕をくぐり抜けた。


「誠せんぱ……」


「かはっ……!」


 一匹のティブロンがその凶器の口で誠の胴を捕らえた。誠の体からは血飛沫が勢いよく飛び散り、誠は口から血糊を吐き出す。

 誠のジェットウェイブは別のティブロンによって破壊され、そのまま海中へと引きずり込まれていく。誠が姿を消した海面の青は赤い血で染まっていく。


「いやっ! 誠先輩!」


 瞳に涙を携え、一瞬のうちに消えた誠を追いかけるようにテラスは手を伸ばした。しかし、イーダが今にも飛び出さんとするテラスの体を抱きとめた。


「いけません、テラス様! 今はこの状況を抜け出さなければ!」


「でもっ! でもっ! 誠先輩が!」


 テラスの溢れ出した涙は止まらない。テラスはイーダの制止を振り切ろうとするが、イーダの掌はテラスの頬を勢いよく振り抜いた。


 痛みで冷静さを取り戻したテラスは叩かれた左頬を抑えながら、イーダを見つめる。


「暴風障壁(バレーラ・デ・ビエンド)!」


 イーダは魔力を振り絞り、テラスと自分を暴風の壁で覆う。魔法を放ったイーダは、枯渇しかけた魔力を放つことで発した痛みに堪え、顔を歪ませながらもテラスに向き直り言った。


「テラス様、お願いです。逃げてください。私がなんとか時間を稼ぎますから……」


「イーダ! あなたはどうするのですか? まさかあなたまで囮になるなんて言うのですか!」


 テラスの涙は止まらない。テラスにとってイーダは従者ではあるが姉のような存在だ。苦楽を共にし、事あるごとに一緒に乗り越えてきた存在だ。イーダを置いて逃げ出すようなことはテラスにはできない。


 イーダの作り出した暴風の壁が、ティブロンの攻撃によって次第に弱まっていく。


 イーダはテラスを優しくその胸に抱きしめて言った。


「大丈夫ですよ、テラス様。あの一ノ瀬誠は不死身の変態野郎です。きっと海中で暴れまわってますよ。感じませんか? 彼の魔力はビンビン伝わってきますよ」


 テラスはハッとして冷静になる。意識を傾ければ確かに誠の魔力が感じられていた。 


 イーダはテラスへ諭すように言う。


「それに……なんたって私は『そよ風のイーダ』なんですから。そう簡単には死にませんよ」


「……っ! イーダ……」


 テラスはイーダの体に回した腕に力を込めた。ゆっくりと体を放し、二人は目を合わせる。


 イーダは愛おしい妹を慈しむかのように、テラスとじっと目を合わせ言った。


「テラス様、どんな状況になったとしても落ち着いて平静でいてください。それと……あの『極致魔法』だけはまだ使われてはなりません。あれはまだ、未か……」


「イーダ」


 イーダの名を呼び、その先の言葉をテラスは言わせなかった。


「イーダ。あなたも知っている通り、私は『紅蓮華(ニルヴァーナ)です。そう簡単には死にませんよ」


 テラスの力強い言葉に呆気にとられるが、イーダはその顔に安心しきった表情を浮かべて言った。


「ふふっ、そうでしたね。」


「ふふふっ」


 この瞬間二人は主人と従者、姉と妹以上の信頼関係を感じていた。だがテラスは目尻に涙を浮かべるも、その涙をぬぐい決意の意思をその瞳に宿す。


 イーダはテラスの瞳を見て佇まい改めた。そしてテラスはイーダの顔を見つめて言った。


「勇者テラスが従者イーダ・リルクヴィストに命じる! 必ず生きて合流せよ!」


「仰せのままに」


 イーダは片膝を降り胸に右手をあて首を垂れる。イーダは立ち上がると、詠唱印(イディオマ)が刻印されたナイフを構えて魔法を唱える。


「風の衝動(インプルソ・デル・アイレ)!」


 圧縮された空気が全方位へと向かって解き放たれる。飛びかかるティブロンは吹き飛び、海面は半球状に押しやられ、海面下にいたティブロンもその衝撃を受け沈んでいく。


 テラスの体は風を受け、疾る帆船のようにイーダの風に押され、目的地であった孤島の方角へと海面を滑る。そして、ジェットウェイブの動力によるスピードがさらなる加速を生み出し、もう誰も追いつくことはできない。


 テラスは首だけ振り返ると、それに応えるかのようにイーダは微笑み返す。テラスは力強くうなづき、前を向く。そして手で涙をぬぐい、ジェットウェイブの魔導機関の動力をフルスロットルで加速させる。


 ぐんぐんと加速していくジェットウェイブに乗ったテラスの姿はだんだんと小さくなっていくのを確かめたイーダは、安堵の息を漏らしリヴァイアサンの方へと向きなおり、構える。


「さあて、どうしたもんでしょうかねぇ……」


 ティブロンの群れは海面からヒレを出し、海面に小さな波を起こしていた。そして、圧倒的な存在感を放つリヴァイアサンの姿は濃霧の中でただ悠然と佇んでいた。


***


 海面に映し出された光の揺らめきが、だんだんと遠ざかる。差し込む光は影を落として、眩しく瞳の奥へと映り込む。流れ行く赤い血が波に揺られて目の前で広がり、海の青と混ざり合う。


 体に意識を向けても、指先一つ動くことはなかった。沈んでいく体は陽の光が届かない深い闇の中へと飲まれていく。


 本当にこのままただの『役立たず』で終わるのか、義妹一人の笑顔も作ることができない自分が悔しくて仕方がない。唯一の家族を守るため、ドラゴンスレイヤーを目指して努力してきたが、今この一瞬で終わるのか。なんとも不甲斐ない義兄がいたものだ、と悔しさをあらわそうにも、顔の筋肉ひとつ動かすことすらままならない。

 

 このまま終わるのか、と次第に意識は遠のき、誠の体が海の闇に飲まれきった時、プツリと意識は途切れてしまった。


***


 開き始めたばかりの瞼は、眩しそうにその光に瞬きを繰り返していた。まだ焦点の定まらないぼんやりとしたその目に映るのは、二つの人影。そっと差し伸べられたその手に応えるように、小さな手は弱々しくも命の強さを示すかのようにしっかりとその人差し指を掴む。

 二つの人影は、小さな命の輝きを愛おしそうに微笑み姿を消した。


 再び現れた一つの人影。


 その手はじっとりと何かで赤く染まり、小さな命を抱え上げた。


「はっ!」


 いつか見た景色が、瞳を通して映る。白と黒の境界が続いていた。


「起きた?」


 優しく愛おしそうな声が鼓膜へと響く。何処かで聞いたことがあるようなやさしい、やさしい声。いつまでも聞いていたいようなその声は不思議と安心させるような響きをしていた。

 何か柔らかいものが頭を包んでいる。そっと側頭に添えられた掌は暖かくじんわりと熱を与えてくれている。このままもう一度寝てしまおうか、そんな穏やかな気持ちが溢れている。

 ゆっくりと顔を上げるが、まばゆい後光のせいで、その顔は影となってはっきりと見ることができない。


「義母……さん?」


 はっきりと表情は見えないが、その口角がゆっくりと持ち上がる。


「起きて、誠」


「もう少しだけ……」


 誠はまだこの気だるい眠気と、柔らかいその肌に身を預けていたくて、甘えるようにそう言った。


「ダメよ、起きて。ね?」


 その言葉に少しだけ不満そうに口を尖らせて、膝から頭を起こし、ゆっくりと体を起こす。


「大きく、なったわね……」


 優しくか細い両腕が誠の頭をその胸へと抱き寄せる。

 甘い花のような香りが誠をより一層安心させる。つかの間、誠は甘えるようにその身を預けきっていた。


「誠、愛してるわ。たとえどんなに辛くとも、私とおとうさんは、あなたの味方だから……」


 二人はその言葉を皮切りに、一筋の涙が頬を伝う。


 誠は最初で最後の言葉だと言うこと悟る。背中に回した腕には自然と力が込められていた。


「ふふ、大丈夫よ。いつも見ているから」


 誠の頭に再び柔らかな掌が添えられ、ゆっくりと誠の頭を撫でる。心地の良い感触に誠は眼を細めると、次第に瞼が落ちていく。


 まどろみの中、何かが自分を呼ぶ声がする。煩わしそうに顔を上げ、聞いてみると何処かで聞いたことのあるような声だった。

 何度も誠の名前を呼ぶ声は次第に大きくなり始める。


「もう、時間ね」


 そう言って、誠の肩を優しく押して誠の体を起こした。


「手を出して?」

 

 誠は言われた通り手を出した。柔らかな両手は掌を向かい合わせる。すると光の中から一つの鍵が現れる。七色の宝石が埋め込まれた金色の鍵は、まばゆい光を発していた。それを誠の掌へと握らせる。

 誠は不思議そうに首をかしげると、澄んだ声色は誠へその鍵の目的を伝える。


「誠に委ねるわね。使い方は……もう、わかるはずよ?」


「義母さん?」


「さあ行って。そして、未来を紡いで。あの子を死なせてはダメ」

 

 言ってる意味がわからないというふうに誠は首を傾ける。しかし、その手にはしっかりと渡された鍵が握られていた。


 誠の意識はゆっくりと落ちていく。優しい笑顔が意識が消えきるその最後まで見送ってくれていた。

 

***


「先輩! 誠先輩!」


 テラスは浜辺に打ち上げられていた誠の肩をゆすり必死呼びかけるが、全く反応を見せない。


 すぐそばには、放り投げられたウェアリングデバイスとジェットウェイブ。ティブロンの追撃はないが、ここには低級の竜族が存在している孤島。すぐにでも移動しなければ、再び襲撃を受けることになる。


「誠先輩……」


 皇女であり、未婚であり、男を知らないテラスは一つの決意を固める。


「こ、これは誠先輩を助けるためであって、と、特別な思いとかそういうのはないのです……多分」


 最後の言葉が尻すぼみとなる。誰が聞いているわけでもないのに誠の唇を見つめてテラスは言い訳を語る。食い入るようにじっと誠の唇を見つめてだ。

 念のために周囲を見渡し、誰か他の人がいないことを確認する。


「い、行きます!」


 テラスは意気込み、誠の顔へと自分の顔を近づける。しっとりと濡れた髪が誠の顔に被さらないように指で耳にかけ、そして自分の唇を重ねようとする。

 

 胸が高鳴っているのがわかる。これはただの救命措置である、自らをそう正当化する。海水で冷え、震えていたはずの体はいつの間にか別の熱で熱くなっていた。胸の鼓動が、うるさい。

 

 もう重なり合う。触れるか触れないその時だった。


「ゴホッ、ガハッ」


 海水が気道を抜けて口からこぼれだす。吐き出すための咳の反動でわずかばかり頭が動く。そして反射的に横に寝返り、口の中に溢れた海水を吐き出した。


 肺に酸素を一気に取り入れるかのうように大きく深呼吸する。またゆっくりと力なく仰向けになり、うすらぼんやり開いた瞳には、灰色の空。分厚い雲が太陽の日差しを覆っていた。


 テラスはいきなり蘇生した誠に驚き、後ろ向きに後ずさる。少しだけ触れてしまった『何か』の感触がテラスの体を震わせ、うるさいくらいに心臓の鼓動が響いている。


 そっと自分の唇に手を添える。

 

 口づけとは言えない、なんとも言えないじれったさがテラスの心をやきもきさせるが、その表情はどこか惚けたようだった。


「はっ! ま、誠先輩!」


 気道に残った海水を吐き切る咳の音を聞き、我に返ったテラスは誠のそばへと駆け寄る。

 両膝をつき、右手で誠の頭をそっと持ち上げる。


「誠先輩! 大丈夫ですか?」


 まだはっきりとしない視界がテラスの顔をぼんやりと映し出す。

 

 誠は左手をゆっくりとテラスの前へ力なく上げるとぼそりとつぶやいた。


「義母……さん」

 

 テラスはその言葉に少しだけ戸惑った表情を浮かべるが、優しく目を細めてそっと誠の手をとる。まだ意識がはっきりしていないのか、寝ぼけたように口を動かす誠を見て、とりあえず無事な様子に安堵し、胸をなでおろした。テラスはとった誠の手にそっと力を入れて、誠の言葉に優しく答えて言った。


「はい、ここにいますよ」


 すると誠は寝返りを打ち、甘えるようにテラスの膝へと頭を預け、テラスの腰へ腕を回した。ちょうど誠の顔がテラスお腹へと向き、テラスの腰の付け根あたりに、猫のようにぐりぐりと頭をこすりつけた。


「んぁっ……! いっ、いけません……そんなにされたら……わ、わたしっ…………!」


 初めて与えられる感覚がテラスを襲う。次第に頰は紅潮し、色っぽい声をあげていた時だった。


「んっ……あんっ…………! はっ!」


 巨大な魔力が近づくのがわかる。それは大質量を備え、他を圧倒する存在。次第に誠とテラスの周りは白い靄がかかり、肌を伝ってビリビリとその魔力が伝わるようだった。


「起きてください! 誠先輩!」


 誠を起こすため肩を揺らすテラス。うすらと瞼をあげ、体を起こす誠。


「あれ? テラスさん? 義母さんは?」


 寝ぼけた様子であたりを見回す誠を見て、テラスは事の一大事を伝えるため大きな声で叫んだ。


「お母様はこちらにはいらっしゃいません! 先輩、今は一大事です! もう、すぐそこに……!」


 テラスは声を上げることをやめた。

 

 白い靄をかき分けて姿を現した海の王。コバルトブルーの鱗、緋色の縦長の目、天へと生え揃う角。その姿はまぎれもないリヴァイアサンの姿であった。リヴァイアサンは何かを探すようにその瞳をゆっくりと動かしそれに従うように鋭い牙を携えた顎が動いている。


「……っ! 誠先輩?」


 テラスの呼びかけに我にかえる誠は立ち上がろうとした時だった。膝が笑い、かろうじて立ち上がっても足がもつれまともに歩くことができなかった。


 ティブロンに噛み付かれ、その胴を食い破られてしまったが、再生能力のおかげでその体は一命を取り留めていた。しかし、そのせいか、体力か魔力か定かではないが、多くを消費してしまった影響が出ている可能性がある。


 肩を貸そうとするテラスだが、凄まじい殺気がテラス達を襲った。身じろぎ一つを許さない、緋色の長い瞳がテラス達を映し出していた。その瞳からは逃れことは不可能であることを放たれている殺気が物語っている。


 瞬間、テラスは決意する。


 勇者が敵に背を向けて逃げいいいものかと、誰一人守れないものが勇者であっていいのかと。


 今この時、自ら勇者の力を示さんと!


 テラスは歩き出し、その小さな背を誠に向ける。ゆっくりと顔を上げて、瞼を開き、まっすぐにリヴァイアサンをその瞳に映し出す。灼熱の炎を宿した瞳は、今まさにその炎を解き放たんと決意を燃やしていた。


 誠にはその小さな背が大きく見えた。


 今目の前にいる少女は自分が勇者であることを受け入れ、その運命を果たそうとしていることを。その小さな背に背負ってきた思いの重さが誠には伝わってきたのだった。


 覚悟の違いを見せつけられた瞬間でもあった。

 誠は今までの悪態を、恥じるばかりか、尊敬の思いが湧きいずる。悔しさを表すかのように歯を食いしばるが、それは憧れに似た思いが、誠の中に生まれた瞬間だった。


 テラスの赤い髪が炎のように揺らめき出す。


 魔力が溢れ出し、具現化されていく魔装(アルマドゥラ)はその魔力量を物語るかのように膨大に膨れ上がっていく。テラスは腰からレイピアを勢いよく抜き去ると空中に弧を描き出す。


 幾何学模様の魔法陣が何層にも展開していき、やがてそれはテラスの体を覆い始める。そしてテラスの体には揺らめく炎のベールがふわりと纏われ、轟々と燃え上がる炎がテラスの体を守るためその形を変化させる


「炎の花弁(フエゴ・デル・フロル)」


 テラスは詠唱(カント)する。


 変化した炎は、テラスの体を中心に花びらの舞は渦のごとく舞い始める。

 轟々と燃え上がるその魔装の放つ熱量は周囲に生えた木々や草から発火させるほどの熱量だった。


「……こ、これがテラスさんの……勇者の……」 


 綺麗だ。


 誠の心はそう呟き、一身にその炎の熱を受け、自身の体がじりじりと焦げているのも気づかないぐらいに、テラスの放つ魔法に見惚れていた。


「付加魔法(マギア・アディシオン)」


 テラスの持つレイピアは次第に炎を纏い、その美しい真っ白な剣は炎の剣となり、火花は花弁のように舞い上がっている。

 

 テラスは炎を纏うレイピアを肩の高さで構える。


 深呼吸を一つ。テラスは魔力で身体能力を向上させて、最大限の加速とともにリヴァイアサンめがけて走り出した。テラスが通った道は、発せられる膨大な熱量によって、空間が歪んでいるようだった。


 テラスの覚悟を見届けたリヴァイアサンは、迎え入れるかのように天を仰ぎ、響く美しい咆哮は、大気を震わせる。


 リヴァイアサンは、その大きな両顎で魔力を凝縮させる。大きな魔力は臨界点を迎え、解き放たれた。

 超高圧で圧縮された水が、大きな帯のよう放たれた。その水の帯は砂浜を切り裂きながら木々を両断し、テラスの元へと向かっていく。


「ハアァァァァッ!」

 

 テラスはかまわず突き進み、纏う炎をさらに燃え上がらせる。リヴァイアサンのはなった水の帯はテラスに直撃する。


「テラスさん!」


 誠はリヴァイアサンの直撃を受けたテラスの身を案じ、彼女の名を叫ぶ。だが、すぐにその心配は無用のものだと理解する。

 水の帯を破るように突き進むテラスの姿があったのだ。水の帯はテラスの放つ大熱量によって、触れた瞬間に蒸発していき、もくもくと蒸気を立ち上らせていた。


 そしてテラスはリヴァイアサンの顔めがけて跳躍する。

 

 天空へと伸びた炎の剣は分厚い雲を切り裂いて、青い空をその隙間から覗かせる。差し込む光がリヴァイアサンの目へ降り注ぎ、リヴァイアサンは眩しさのあまり、緋色の長い瞳を瞼で覆う。テラスはリヴァイアサンの上あごを右斜め上から今まさに、振り抜き、切り裂かんとしていた。


「焼き尽くせ! 紅蓮華(ニルヴァーナ)!」


 強大な炎の剣が、火花のように花弁の渦を撒き散らしながらリヴァイアサンの上顎を捉える。テラスはその手応えに確信する。テラスの通名と同じ名の最大出力の魔法が今にも焼き尽くさんとさらに業火を燃え上がらせた。


「やった! ……え? キャァッ!」


 大きな影がテラスを打つ。


 龍族との戦闘で最も注意を払わなければならないものは、膨大な魔力から発せられる魔法でも、全てを焼き尽くし、凍らさせてしまうブレスでもない。

 

それは巨大な全身をしならせ、遠心力によって最大限の加重と加速により繰り出される「尾」による攻撃。

 

 そう、テラスの体は、大質量のリヴァイアサンの尾によって吹き飛ばされてしまった。リヴァイアサンはその長い尾を鞭のように振るい、テラスを打ち抜いたのだ。


「がはっ!」


 テラスの体は背中から浜辺へと打ち付けられ、呼吸ができないほどの衝撃が体を突き抜けた。テラスの膨大な魔力による魔装(アルマドゥラ)がなければ、テラスの体は今頃、プレス機によって潰された肉塊へと変わっていただろう。


「っは……っは……っは……」


 呼吸が、できない。


 酸素を今すぐに全身へ送り込み、立ち上がらなければ、ゆっくりと迫り来るリヴァイアサンの追撃を回避することができない。


 海の水をかき分ける音がだんだんと近づいてくるのがわかる。背後から忍び寄る音が焦りを募らせ、テラスを追い詰める。


 リヴァイアサンは再びその尾を大きく振りかぶり、テラスへと放つ。しなりの効いたその尾は常人では捉えきれないほどの速さを備えテラスへと襲いかかる。


 テラスは呼吸もままならないまま、なんとか満身創痍の体を動かそうとした。しかし、まだ体に残るリヴァイアサンの攻撃の衝撃がテラスの回避行動を許さなかった。

 

 迫り来る尾。テラスの目に移るリヴァイアサンの尾は眼前に、まっすぐ飛び込んできた。


 絶望が差し迫る。死を迎えようとするとき、ゆっくりと景色が流れ出す。この瞬間は人に与えられた覚悟のための時間なのだろうか。テラスは襲いくる尾に、成す術もなく目を見開いていた。


「テラス!」


 誠はテラスの名を叫び、辛うじて回復したその体を動かし、テラスの元へと超身体能力の最大出力で駆け出す。


 間に合うのか? 否、間に合わせる! 


 不意に出てくる消極的な気持ちを切り裂いて、誠はテラスに手を伸ばし跳躍する。誠の体はまっすぐにテラスへと向かっていく。


 リヴァイアサンの尾は、鞭を振り抜いた破裂音のような音を響かせる。発せられた衝撃破は、海の水へと伝わり、大きな白波を立たせ、孤島の木々は暴風に煽られたように、その幹を多くしならせていた。


 リヴァイアサンは気づく。テラスを打ち損じてしまったことを。そして、飛び込んできた人のオスが彼女を救い出し、身を隠したことを。


 リヴァイアサンは再び咆哮する。その声色には怒りが込めれらていた。リヴァイアサンは魔力を集め、テラスが切り込んだ上顎へと集中させる。魔力が集まり、パクリと開いた切創を修復していく。ものの数秒もたたないうちにリヴァイアサンの上顎は元どおりとなっていた。


 誠とテラスは大きな岩礁の陰に隠れ、その身を潜めていたが、誠は砂浜に手をついて、テラスに覆いかぶさっていた。テラスは大きく呼吸を乱す誠を仰向けで驚いたように目を見開いていた。


「誠せん……」


「ダメだ!」


「え?」

 

 テラスの言葉を遮り、誠は否定の言葉を漏らす。突然のことにテラスは驚き戸惑う。


 そして誠は泣きそうな声で、声を上げていった。


「君はここで死んではいけない。死んだらいけない! 君は……君は、人類の最後の希望なんだろう? こんなところで死んだらいけない!」


「誠先輩……」


 テラスは誠の言葉に悲痛な思いを感じ取る。その証拠に悔しそうに砂浜を握りしめ、まぶたから絞り出された涙が ポロポロとテラスの顔へと降り注ぐ。


「死んだらいけない……僕のような、勇者に成り損ないの……『役立たず』のためなんかに死んだらいけないんだ……」


 次第に誠はしゃくりあげ、顎を伝う涙が大きな雫となって落ちていく。テラスは誠の弱さを目の当たりにして悟るのだった。


 彼もたくさんの思いを背負ってきたのだということを。

 

 過度な期待が彼に重荷となって降り注ぎ、彼を押しつぶそうとしてきた。彼の過去を知っているわけではない。だが今、彼はその重荷に押しつぶされようとしている。若い彼には、背負いきれない責任が押し寄せ、心が壊れかけてようとしているのかもしれない。


 否、まだ間に合うのかもしれない。彼の背負う重荷を少しだけでも軽くできるのかもしれない。

 

 それは同じ勇者の証を背負うもの同士、許されたものであるということを。様々な思いを背負っても、勇者二人ならば越えていけるのではないかと!


 テラスは誠の頰にそっと手のひらを添える。不意に伝わるぬくもりが誠の強張った表情を緩ませる。


「誠先輩も……私と、一緒なんですね……」


「え?」


 誠は不意な言葉に声を漏らす。

 

 テラスはゆっくりと体を起こし、立ち上がる。歩くたびに痛みが走る体はゆっくりとリヴァイアサンの方へ向き直る。


 不思議そうにテラスを見つめる誠に向けて、テラスは力を込めていった。


「誠先輩」


「え?」


「以前おっしゃっていましたよね。勇者なんて、いない方が良かったって。勇者は人を不幸にするだけなんだって。」


 誠は恥じるように視線を逸らした。


「見ていてください……。勇者の力は決して人を不幸にする力じゃないんだって……」


 誠はテラスの発する言葉に目を見開いて、聞き入っていた。


「私が……勇者が、『命』に変えてでも誠先輩をお守りします!」


「テラス、さん?」


 誠は思った。なぜ命を賭して誠自身を守ろうとするのかと。なぜ諦めてくれないのかと。

 テラスの姿は最後の瞬間まで誠をを信じてくれた義両親の姿と重な理、誠の胸には熱い思いがこみ上げた。


 テラスは一呼吸置いて、その声に照れた様子をのせていった。


「も、もし生きて帰れたら、その時はまた、テ、テラスって呼んでくださいね」


「は?」


 突然の申し入れに誠は困惑の色を隠せなかった。


「や、約束ですよ!」


「……ああ、わかったよ」


 強引な約束もあったものだと、誠は思う。しかし、この些細なやり取りが妙に心地よく感じて、テラスとの約束を取り付ける。

 

 テラスは誠の快諾に驚くも、頰を薄紅色に染めて、うなずき応えた。


 再びリヴァイアサンへと向き直るその瞳には、先ほどまでの浮かれていたような色はなく、決意の色で染め上げられていた。


 ゆっくりと歩き出し、その姿をリヴァイアサンの眼下へと曝け出す。

 リヴァイアサンはテラスの姿を見るや否や、テラスに向けて美しくも憤怒に満ちた声を上げる。


 テラスは右手に掴んだレイピアと、左手でパリーイングダガーを抜刀し、ゆっくりと胸の前で交差する。

 

 テラスの赤い髪がゆらゆらと燃え上がる炎のように揺らめき出す。魔力がその体から溢れ出し、燐光をほとばしらせる。あまりの魔力の力の強さに、シニヨンに結い上げていた髪留めが燃え、その支えを失った美しい真紅の髪は解け、魔力によって逆立ちだす。

 レイピアの柄に連なり合う花の装飾。その中心にある魔石が輝き出し、テラスの魔力に呼応する。


「す、すごい……」


 誠はあまりにも濃密な魔力に驚きの声をあげた。


 テラスの額からは汗が流れ始める。

 その膨大な魔力の量、それをコントロールするための緻密さ、繊細さ、集中力。その全てを今解き放たんとするテラスには相当な負担があるだろとは想像に難くない。


 そしてテラスは詠唱する。


「煉獄より蘇りし不死の炎よ、今我らより死をふり払いたまえ!」


『極致魔法(マギア・ペルフェクシオン)! 不死鳥(フェニックス)!』

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