第7話 外界演習前日

 天を衝くような山の麓。そこには大きく口を開けた先のが見えない真っ暗な道が続いている。入るものを拒むかのようにその岩肌は刺々しく尖り、まるで鋭い牙を携えた獣が口を開いているようだった。

 その穴倉を囲むように、魔力を帯びた剣や槍を持ったドラゴンスレイヤー。そして体には魔力の鎧を身にまとい、視覚化できるほどの魔力を放出している。いかなる時でも、全力で戦うことができる万全の体制であった。

 

「進め」


 一人の男が、小さな少年に告げる。その顔立ちからはまだ十代にも満たない。その目には恐怖と涙をあふれ返させ、胸の前で自分をかばうように両手を重ねていた。簡素な不織布でできた服を着せられた少年の足元はおぼつかない足取りで時々、振り返っては震えながらその獣の口へと歩を進めていく。


 改めてその大きな口を見上げれば、誰でも恐怖感に襲われる。その恐怖心は最高潮に達してしまった。


「い、いやだ! 入りたくない! 入りたくないよ!!」


 振り向き溢れ出した涙はとどまることなく流れ続け、懇願する少年の声は誰にも聞き止められなかった。


「行くんだ……」


「いやだよ! 無理だよ! 怖いよ!」


「行けと言っている!!」


「ひっ!」


「義両親を困らせたくなかったら行くんだ」


 少年の願いは無残にも打ち消される。そして少年はおどおどと自ら獣の食道へと飲まれて行く。


 ゆっくりとゆっくりとその一歩は進められて行く。その足取りは重く、引きずられるように前へと進んで行く。

 

 どれだけ歩いたかはわかない。空気が奥へと流れ、そして外へと流れて行く。次第に大きくなる一定の空気の動きはその存在の大きさをものがたる。


 少年がたどり着いた先は、吹き抜けと錯覚するかのようでその高さを確認できない。そして少年の足音の残響が奥へ奥へと広がりその空間の広さが音を通じて確認できる。その空間を埋め尽くすかのように、規則正しく上下するその巨体は小さな存在に気づき、その眼に少年の姿を捉えていた。

 その巨体はゆっくりと上体を起こす。吹き抜けのような高さには天井があったようだ。少年が顎をめいいっぱい上げた時、初めてその天井を確認することができた。鋭い牙は岩をも噛み砕くような鋭さを携え、全身を覆う鱗はどんな刃も通すことがないような丈夫さを感じさせる。赤い眼は少年を見下ろし、そのか弱い存在を確かめるようにその首を少年に視線を合わせ、その少年の匂い確かめた。

 少年は恐怖のあまり動けず、足元にはぬるい水たまり湯気を立てていた。

 この洞窟の主人はゆっくりと体を支える逞しい前足を振りかぶり、鋼鉄を切り裂くような爪で少年を貫いた。


***

 

 「……っは!」


 寝台から勢いよく体を跳ね起こし、肩で息をする誠は右手で頭を抱える。

 身体中から汗が吹き出し、その体を濡らし、大きな粒となって、筋肉の溝を滑り落ちて行く。額から顎を伝ってしたたる汗の量は尋常ではなかった。

 誠は震える自分の体を両手で抱え、自分を落ち着かさせるように言った。


「大丈夫、大丈夫。怖くない、怖くない」


 外界演習が決まってから、毎夜初めて龍族と対峙した時の夢を見るようなっていた。龍族への恐怖心は克服したと思っていたが、日に日にうなされるたび、じわじわと心をかき乱されていく。

 荒れた呼吸を整えると、扉からコンコンとノック音が聞こえる。その音のする方へ誠は顔を向ける。


「……誠先輩。大丈夫ですか? あの、その、お水とタオル、扉のすぐ隣に置いておくので……よかったら使ってくださいね」


 声の主はそう言って、スリッパので床を擦る音を立てながら早足で扉の前から立ち去り、静寂の中に扉の閉まる音を響かせる。


 誠は寝台から立ち上がり、扉を少し開ける。扉から顔を出し廊下の様子を見る。開けた扉のすぐ下を見下ろすと、水が入ったボトルと、綺麗にたたまれたタオルが長方形のトレーに置いてある。お節介焼きの扉を見るものの沈黙を保ったままだった。


 ここ数日、同居人のテラスは誠がうなされていることに気づいていた。そして毎夜このように水とタオルを準備してくれていた。それはまるで……


「義母さんみたいだ」


 思っていたことが口に出てしまう。ふと、義母の温もりを思い出し、微笑を浮かべる。養子にも関わらず誠のことを愛してくれていた義両親との記憶を振り返ると、こみ上げて来た熱い想いが胸いっぱいに広がるのを感じていた。

 トレーを持ち上げ机の上に置き、ボトルの水を口に含ませる。乾ききった喉を潤し、喉を流れる水は、先ほどまで抱いていた恐怖心を一緒に流してくれるようだった。

 汗を拭きとろうと、タオルを手に取るとひらりと何かが落ちる。床に落ちた正方形型のメモ書きには


ーー「何かあればいつでもおっしゃってください。テラス」


と、一言書かれていた。

 

「はあ、毎日毎日……」


 誠はテラスのこのような配慮に鬱陶しさを感じていたものの、ありがたくは思っていた。

 彼女の行動を振り返ると、彼女自身何も悪いことはない。自らが抱いている嫌悪の思いはテラス本人に向けられているのではなく、『勇者』という存在に対してなんだということは薄々感じてはいた。彼女は真摯に誠の『勇者の力』の顕現に協力してくれているだけで、彼女自身には何にも悪いところはないのだった。


「もう少し考えればよかったのかもな」


 誠はボトルの水を空にするとトレーの上に置き、筆をとる。テラスの書いたメモに一言だけ書き添えた。扉を開けてそのトレーを再び、廊下へと置き、寝台へと横になる。天井を見上げて、自分の先ほどの行いに少しだけ気恥ずさを感じ、微笑を浮かべる。少しだけ安心して眠れそうだと思いながら、再び誠は瞼を閉じた。


***


 テラスは逃げるように自室に戻った後、扉に寄りかかり一つ大きなため息をつく。何も進展しない誠との関係を何とかしようと頑張ってきたつもりではあるが、こうも相手からの反応がないというのは心がくじけそうになる。真面目すぎるテラスはだんだんと自分のやっていることがわからなくなり始めていた。

 

「どうしちゃったんだろう、私」


 ズルズルと背中を擦りながら床へと座り、その膝を抱え込む。勇者だからもっとしっかりしなければ、人類の希望たるべく強くあらねばと思いながらも、今の姿は何なのだろう。まるで生娘のように心を患っているような気がしてならい。


「もっとしっかりしなきゃ」


 そう呟き、立ちあがるものの、落ち込んだ気持ちを取り戻すには少しだけ時間がかかりそうだった。


***


 少しだけ寝坊をしたが、別に急ぐ必要はない。昨夜は考えることが多くて眠ることができなかった。明日から『外界演習』が始まるため、全校生徒は調整のため休日を与えられていた。


 ゆっくりと体を起こし上半身を背のばしする。長い艶のある赤色の髪の毛は寝乱れほつれることなくその美しさは変わらない。鏡台の前へと座りヘアブラシでその髪の毛を梳きながら、今日1日何をしようかと考えていた。いつものように魔法の訓練を行うか? それともイーダと買い物へと行こうかと考えていた。


 ふと、昨晩のことを思い出す。いつものように誠のために準備した水の入ったボトルとタオルを載せたトレーを回収しなければ、と。


 慌てる必要もないが、服を着替えて扉を開ける。そしてこっそりと誠の部屋の方を覗き見る。自分の寮だからこそこそする必要はないのだが、誠と顔をあわせることがどうにも気不味く思ってしまう。

 いつものようにトレーの上のボトルとタオルはいつもの位置にある。まあ、いつものことだしーーとため息をつくが、少しだけ残念に思っていた。それらを片付けようと部屋を出て、誠の部屋へと近づく。いつもなら、ボトルの底の周りには水たまりができていたのだが、今日はその水たまりがない。そしてボトルは空になっていた。


 テラスは誠のために準備した水を飲んでくれたことが嬉しくてつい顔が緩み出す。タオルも雑に畳まれいるため、使った形跡があるようだ。

 テラスはトレーを持ち上げて、誠がまだいるであろう扉の方へと顔を向ける。

 ふふふっと笑いがこぼれそうになるが、我慢しつつ階段を降りていく。


「よかった」


 キッチンでボトルを洗いながら鼻歌を歌う。朝からこのようにしてご機嫌なスタートを切るのはいつぶりだろうかとテラスは思った。洗い終わってもまだ鼻歌を続けるテラスはトレーに載ったタオルを取り上げると、静電気で張り付いていたメモが床へと落ちる。

 ああ、私が書いたメモかーーと思い取り上げると、そこには自分のものとは違う字で「ありがとう」と記されていた。


 テラスは見間違えたのではないかと思い、何度も確認するのだが、間違いなくそこに記されている。

 心の中に広がる熱を感じながら誠の書いた字をもう一度見つめる。あかりのない状態で書いたのか、少しだけ字がよれてしまっている。走り書きで書かれたその字からでもテラスは誠の感謝の気持ちが込められているように感じていた。


 そっとそのメモを胸に当てる。今までの苦労が少しだけ報われた気がして今までの胸のつっかえが取れるようだった。じんわりと広がる熱はテラスの身体を温めるようっだった。


 しばらく胸中広がる熱の余韻に浸っていると、階段を降りる音が聞こえ、誠がリビングの扉を開けて入ってきた。テラスは慌てて、誠の方へ向き、メモを後ろへ回して隠した。


 視線があい、先に目を逸らしたのは誠だった。少し照れたように頰を人差し指で掻きながら、キッチンへ向かい、冷蔵庫から取り出した冷えた水を取り出し水を飲む。

 テラスの視線はなぜか、誠に釘付けとなっていた。今までは、一人は避け続け、一人は近づこうとしていた。そんな二人が、いまは同じ空間で無言で佇む、なんとも言い難い雰囲気が漂っていた。


 テラスは今なら少しだけでも近づくことができる、そんな想いを込めて誠へ朝の挨拶を伝える。


「お、おはようございます、誠しぇんぱい!」


 精一杯、気持ちを込めたはずだが、肝心のところで彼女の口は言うことを聞かないらしい。みるみるテラスは顔を赤らめ、口をあわあわとさせた。


「え、えっと……」


 なんとか、先ほどの失態を取り戻そうとするのだが、あまりの恥ずかしさに思考が止まり、次の言葉がでてこない。

 焦るテラスを見て、誠は堪え切れず小さく笑いだす。


「ぷっ、ふふふ。ああ、おはよう。テラスさん」


 いつもならば無視されて終わり、と身構えていたテラスであったが、誠の急な変わりようにきょとんとした目を向ける。

 そこには皇女の威厳も勇者の強かさも感じられない。意表を突かれたテラスの表情は『女の子』だった。

 次第に朝もやの中に登る太陽のような笑顔と、若葉に降りた朝露のような小さな雫が目尻に浮かび、光を反射していた。人差し指でその涙をすくい、えへへーーと笑うテラスからは普段とは違う、か弱さが感じられた。

 誠はその姿を見て少しだけ自分の心が揺れる。そしてその言葉は自然とこぼれ落ちた。


「……いつも、ありがとう、それと……今まで、ごめん」


 へ?ーーという間抜けな表情を浮かべ、テラスは自分の耳を疑った。聞こえたきたのは、感謝と謝罪の言葉。嬉しいことは立て続けに起こるということはこういうことを言うのだろう。

 テラスは初めらか分かっていたような気がしていた。誠が、本当は心が綺麗な青年なのだということを。

 テラスは誠が毎日遅く帰ってくる理由を知っている。不躾ながら後をつけた時見た、誠の優しそうな笑顔と心からの愛情を。それを一身に受ける車椅子の少女を思い出すとチクリと胸が痛むが、テラスにはその痛みがなんなのかわからなかった。

 あの時見ることができた誠の姿は本当の姿なんだと信じていたのかもしれない。それがあったからこそ、テラスはくじけず誠を信じ続けてこられたのかもしれないと。


 それだけではない。『魔力行使不能症』と言う、一切自らの魔力を行使できない症状に苛まれながらも、『勇者の紋章』とそして、膨大な魔力を使いこなすため、人目のつかぬところで、修練に励んでいたことも。どこまでも自分を諦めず、努力し続ける彼の姿はどこか、勇者たらんと努力してきた自分と重なる。

 テラスは誠の言葉を聞き、その赤い瞳から一雫、頬を伝った。


「て、テラスさん?」


「そんな……謝らないでください。私も誠先輩に失礼をしていたのではないかと……」


「それは僕のセリフだよ……、テラスさんが勇者だからと言う理由で八つ当たりしていただけだと思う。テラスさんは何も悪くないのに」


 テラスは思う。そこまで誠を追い詰めていたものはなんなのか、知りたいと思う気持ち前からあったのだがそれがより一層強くなるのを感じていた。意を決して、誠に尋ねようとした時だった。


「おはようございます! テラス様……」


 扉を勢いよく開けて入ってきたのは真紅の皇女のメイドであるイーダだ。イーダは目の前で繰り広げられている。テラスのしおらしい姿とイーダのフィルターには淫魔にしか見えない誠が今まさに、我が主人を襲おうとしている姿が目に見えた。


「一ノ瀬誠……キサ」


「おはようございます、イーダさん」


「お、おはようございます?」


 今までの雰囲気とは明らかに違う誠の姿に思わず疑問形で挨拶を返してしまった。不思議そうに首をかしげるイーダを見てテラスは、ふふふと笑いをこぼした。

 

 テラスの様子がいつもと違う。

 一ノ瀬誠と出会ってから、明るく振舞おうとするテラスの姿からは気持ちが落ちている様子を感じ取っていたイーダだが、今のテラスは以前と、いや、それ以上の明るさを取り戻し、誠を見つめるテラスの真紅の瞳は何か輝いて見えた。

 イーダはテラスに並び、静かに耳打ちした。


「テラス様、ついにこの変態に心を奪われたのですか?」


「へ? な、何を言っているのです! 私はただ、誠先輩と少しだけ仲良くなれて嬉しいだけです! そんなことではありません!」


「本当ですか? どこかどう見ても恋焦がれる少女の目をしていたいましたよ」


 コソコソと話す二人を見ていた誠は思い出したように、表情を変え、二人へとつげた。


「えっと、それじゃあ、僕はこの後用事があるから」


 ぱたりとリビングの扉が閉まると二人は話をやめた。テラスは少し残念そうに「あ……」と溜息を零し、扉を見つめる。

 まだ聞きたいことがあったのにーーと思いつつも、専属のメイドであるイーダを放っておいておくわけにはいかなかった。ちょうどその時、ピーっという独特の電子音がリビングに響く。


「イーダ、朝食にしましょうか」


「はい、テラス様。本日も辛口で審査させていただきます」


「お、お手柔らかに」


 いつもと違う朝にテラスは心が弾み、明日から始まる外界演習はきっとうまくいく。そんな気がしていた。


***

 

 テラスと別れたのち、誠は義妹の澪の見舞いに行っていた。相変わらず澪は無口であったが、テラスの話をすると顔をこちらに向けて話を聞いていた。今日のテラスとの出来事を話すと、澪の目は少しだけその瞳に色を鮮やかさを取り戻したようだった。

 

 相変わらず、誠の話になると興味がなさそうに視線をそらしてしまった。今となってはもう慣れてしまったことなのだが、テラスの話だけに反応を示すことに少しだけ嫉妬心を抱いてしまうのは否定できない。


 澪に外界演習のことを告げて病院を後にした誠は明日の外界演習に向けて自らの力に向き合う。彼の目は再び焦りの色を帯び始める。


 夕日が沈み始めようとしていた頃、要塞都市を一望できる学園の丘で必死に剣を振るい、ひたすら汗を流す誠の姿があった。木々の間を縫うように左へ右へ。手に入れた超身体能力を最大限まで引き伸ばすため、全速力で駆けていく。どんなに早く動こうとも、見える景色はゆっくりと流れ、自分以外のものは全て置いていくかのようだった。

 誠は敵と見立てた太い木に踏み込み、手に持つ刀を振り切る。当てるつもりはなかったのだが、振り切る速さが早いため、真空波が発生する。袈裟型に切り裂かれたはずの木は倒れていくことはなかった。まるで木がその幹を断ち切られたことに気づかないかのように、悠然と立ったままだった。

 彼の太刀筋はブレない、ただの素振りではあるのだが、見る人に、今まさに敵と対峙し、戦いの最中であると錯覚させるような動き、鬼気迫る姿がそこにはあった。

 

 見舞い後、ひたすら自分を追い込見続けた。一日中動き続けやっと息を切らし、呼吸で大きく体が動く。改めて自分のうちに秘めた勇者の力に意識を向けれるために、目を閉じる。やはり魔力はピクリとも反応してくれなかった。


「はあ……ダメか」


 龍族との戦いは必ず魔力をその体に帯びなければ、対峙することはできない、してはいけない。その理由を誠は十二分に理解していた。

 

ーーそう、誰よりもだ。


 集中、集中ーーそう心の中で念じ続けるのだが、誠は一つの思いに心を縛られていた。


 次第に誠の体は指先から、腕、肩と小刻み震えだす。カタカタと震えだし、つい刀を手から離してしまった。


「おっと……ハハ、手が滑ってしまったな」


 そう言って刀を取ろうと右手を伸ばした誠は震える自らの手を見ると反対側の手でその震えを止めようと握りしめる。


「なんで……もう大丈夫だと思ったのに」


 幼い時の記憶が誠を縛り付けていた。誠は震える自分の体を抱きしめ、義母そうしてくれたように自分に言い聞かせた。


「大丈夫、大丈夫。怖くない、怖くない」


 抱きしめた両腕で自分の体をさすり続けるが、ついぞその震えは収まることはなかった。


***


「以上が外界演習の説明だ、何か質問があるものはいるか?」


 倭国軍の特有の白の軍服を着た担当教官が外界演習の説明を終えた。事前に内容を聞いていた学生たちは緊張した面持ちでその説明を聞いていたのだが、安堵感が見られる。


 初の試みである外界演習は、倭国軍の完全なるバックアップのもと実施される。移動要塞に龍族の襲撃があったという想定のもと、実際に下等な龍族を討伐するという内容である。


 倭国は海に囲まれた島国であり、海上戦闘に長けたドラゴンスレイヤーの養成がどうしても必要である。

 倭国軍は海上戦闘において、他国を圧倒する戦力を誇る。テオフィール国とのドラグ・マキナ共同開発によって、その戦力は増強されている。倭国の軍事費もまた他国をはるかに超える。その一部は『役立たず』によりその多くを浪費しているのはいうまでもなかった。


 どんなに龍族を討伐する兵器や武器を製造しようと、ドラゴンスレイヤー個人が持つ膨大な魔力があってこそ、初めてその真価が発揮される。魔導機関を搭載した兵器が大型のものが多いのは、大量の魔石を搭載し、魔石に内包される魔力を使用するためである。魔石は一度のその内包する魔力を失うと、ただの水晶となってしまう。そうなってしまうと、動力源としてもドラゴンスレイヤーの持つ魔力が必要となる


 既存の兵器機動は龍族の亜音速の飛行能力や海中の遊泳能力には劣る。以前ドラゴン・スレイヤーの力に頼らざるを得ない状況は続いていた。


 今回の演習前には、あらかじめ倭国軍による中級以上の龍族は討伐済みであり、常に、戦艦による周囲警戒は厳重に行われる。


 「質問よろしいでしょうか?」


 一人の生徒が手をあげ、担当教官の許可を受け立ち上がり続けた。


 「周辺海域の中級以上の龍族は討伐済みということでしょうが、先日出現したリヴァイアサンへの対策はどのようになされているのでしょうか?」


 その質問に学生たちがざわつき始め、先ほどまであった安堵感は一気に消え失せていく。そのざわつきをなだめるかのように担当教官は言った。


「静粛に。リヴァイアサンについては何の問題はない、すでに海中機雷を無数に張り巡らせている。倭国本土周辺海域はもちろん、この周囲一帯は常に探知に長けたドラゴンスレイヤーがいつも待機している。万が一現れたとしても、リヴァイアサンはかなりの重傷を負っているため、我々の戦力ならば撃退も可能である」


 生徒たちの中にはその言葉を聞いて、安堵の色を見せるもの、まだ不安の表情を浮かべるものがいた。


「説明では、要塞の警護と任務の割り振りはどのように……」


「それは私から発表するわ」


 一人の生徒が質問をした時だった。ブリーフィングルームに美しい金髪を結い上げたパンツスーツ姿の破龍学園の一切の責任を背負う高嶺薫が入室して来た。

 コツコツとハイヒールが床を叩く音を響かせ、演習の説明に使われたスクリーンの中央まで歩いていく。担当教官をはじめ、その他の軍人は薫の登場に表情が一気に引き締まる。ブリーフィングルームには緊張した空気が張り詰め、生徒たちも自然と姿勢が正される。


 薫は部屋全体にいる一人一人を一瞥し、目的の二人を探し出す。

問題児は目を閉じて集中しているように見える。かたや特徴的な赤色の髪の主人は少し、顔をさげていた。


 薫の顔色は難色を示し、これから起こる外界演習という名ばかりの『勇者の力』顕現のための実験の実施に幾ばくかの不安が頭の中をよぎる。


「模擬戦の結果をもとに適当なメンバーを選出させてもらったわ。大半の生徒は要塞内の警護にあたります。まずは……」


 そして、薫の四人で一つのチームとなり、生徒同士の組み合わせが発表されていく。誠は当然のようにテラスとのツーマンセルだった。生徒たちは誠とテラスだけが二人組ということに少し疑問を抱いたようだが、普段の二人の実力を見れば、納得いったような表情をしていた。

 イーダは抗議をしたが、薫は最後まで説明を聞くようにたしなめられてしまった。

 

「以上ね? 演習開始時間は明朝6時。今日はよく休むといいわ。それと皆、知っている通り、最近の龍族の強襲が頻繁に起きているわ。特に五カ国の守護を任されて来た倭国。そして、アラム国の被害状況は増加傾向にあり、ドラゴンスレイヤーの養成が急務となっています。この演習であなたたちの今後の適性を見たいと思っているわ。ぜひ全力で取り組んで。以上よ、解散」


 生徒たちはブリーフィングルームを出て各自に割り当てられた部屋へと向かっていく。生徒たちを見送る薫は目的の二人を呼び止めた。他の生徒たちが出て行ったのを確認したのち薫は口を開いた。

 イーダは断固として教室から出て行かず、テラスの後ろで本来の任務を果たしていた。


「二人共どうしたのかしら。ブリーフィングの内容はしっかり聞いてもらえたのかしら?」


 薫の質問にテラスは小さな声で「はい」と答えるものの、その声にいつものような鈴の音のような美しい声を響かせることはなかった。そして誠は首を縦に振るだけだった。


「はあ、二人ともいいわね。もうすでにあなたたちは普通の生徒たちとは違うことを自覚してほしいわ。テラスは一ノ瀬の力の顕現を助ける。そしてあなたは……」


「ええ、わかっていますよ、それを顕現させる、そういうことですね」


「わかっているならしっかりと返事をしてほしいわ。今回は二人だけ特別に龍族が住み着いてしまった島に行ってもらうことになります。事前調査で中級以上の龍族はいないことは確認できているからそこで実際に二人には龍族との戦闘を経験してもらうわ。そういえば一ノ瀬は初めてではなかったわね」


「ええ、昔は散々な目にあわされましたよ」


 テラスは誠の言葉に反応し、彼の横顔を見つめる。テラスは以前葵が言った言葉を思い出す。彼はその時どのようなことを経験したのかが気になっていた。

 昨夜帰宅してきた時の誠の思いつめたような表情、声をかけても反応しなかった誠に何か関連しているような気がしていた。

 そして今も彼の体は小刻みに震えており、何かに耐えるそんな様子だった。


 視線に気づいた誠はテラスを見るが、テラスは誠と目があうと視線をそらした。


 薫は誠の異変に気付いていた。小刻みに震える体を無理やり押さえ込もうとする彼の姿から今彼が抱いているその思いを指摘した。


「一ノ瀬。あなた、怖いのね?」


「……っ!」


 肩をビクつかせる誠はその問いに答えたようなものだった。

今回の演習で初めて龍族と対峙する生徒たちが大半であるが、ここまで怯えているのは誠だけであった。


 事前に海に住む龍族の特性をあらかじめ座学で履修し、特性や弱点、対処方法をしっかりと叩き込まれており、学園で対処方法を反復してきているためあまり緊張の色は見られない。

 テラスも同様に、その反復を繰り返し自信をつけていた。そもそもテラスはそのような訓練をする必要もないほどの実力を備えているのだが。


 見かねたイーダが薫へと再び抗議した。


「薫理事長! テラス様は勇者一族の唯一の生き残り。ただのビビリの一ノ瀬と二人だけというのは、テラス様の身に何かあればどう責任を取られるおつもりですか?」


 イーダは片時もテラスから離れることはなかった。しかし、この学園に来てからはテラスからはなば無理やり引き離されたような状況であり、しかも未婚の皇女を何処の馬の骨ともわからない男とひつ屋根の下に住まわせるという始末。そして今回の演習の奔放ぶりに我慢の限界に達していた。


 怒りで眉が釣り上がるイーダの表情を見て、薫は冷静に受け答えた。


「あなたは一ノ瀬の持つ魔力の価値を知っているのかしら? 彼が力を使いこなすことができるようになれば、龍族からの脅威から開放される可能性が一気に広がるの。まだ『手綱』を握ることすらままならない勇者様だけでは不安なのよ」


 テラスは薫の言葉を理解していた。勇者の持つ本来の力は膨大な魔力とその魔法の才能だけではない。その力は依然解放されているわけではなかった。


 イーダは薫の言葉を聞き一気に冷めたような表情見せて言った。


「倭国は一国の皇女をどのように思っていらっしゃるのか、今回はっきりわかりました。私はテラス様の護衛任務を実行させていただきます」


 そう言って、イーダは薫から距離を取り、魔力を一気に解放させようとした時だった。


 薫の姿はすでにイーダの目の前から姿を消し、背後から彼女の首の付け根に人差し指を当てていた。


「おやすみなさい、『そよ風のイーダ』さん」


 薫はそう言ってほんの小さな雷撃がイーダの体を駆け巡る。イーダは声を上げることもなく、意識を失いその場に倒れてしまった。


「イーダ!」


 テラスは倒れたイーダに駆け寄りその体を抱き起す。テラスは薫を睨みつけて声を荒げて言った。


「薫理事長! ここまでする必要があるのですか1? もう少し話していただければ、イーダだって……」


 ため息をついて薫はテラスの言葉に答えた。


「強引なことだってわかっているわ。だけど、人類の存亡をかけていることを考えた時、イーダの主張を受け入れるわけにはいかないのよ」


 薫の表情は冷静さを保ったままだった。薫の置かれている立場は倭国が進める最重要プロジェクトの責任を一身に背負い、さらには学園理事を務める彼女の背負うものは計り知れないものだ。結果に対して貪欲になるのは致し方のないことであった。


 誠は悔しそうに下唇を噛み締め、血が顎を伝う。一連の出来事は全て誠自身がが引き起こしていることは十二分に理解していた。誰かの命を危機に晒すことも、人に不安を抱かせることも。より自分が役立たずかを思い知らされるのだった。


 薫は二人へと告げる。


「さあ、明日に向けて準備しなさい。以上で解散よ」

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