第3話 拒絶

 誠とテラスが生活する寮の台所からは、いい匂いが立ち込める。

 テラスは朝食を支度をしていた。テラスはこの国に来たら挑戦したいことがあった。


 倭国料理

 

 倭国は海に囲まれており、海産物が大変豊富で肉よりも魚が好んで食べられる。テラス自身も幼い時、倭国へ訪問した際に食べた倭国料理の美味しさに心打たれていた。大変ヘルシーで美容にもいいことも知っている。


 朝から美味しい魚が食べられるのは、テラスの一つの楽しみになっていた。 

 魚焼きグリルからは魚の脂が焼けるいい香りと、皮がすこし焦げ、立ち上る香りに、香ばしさをプラスする。

 

 『味噌』と呼ばれる倭国特有の調味料は、水で引き延ばすことでスープにすることができる。様々な野菜、海藻を入れたり、時には肉や魚を入れることで、その味に深みを出すことができる万能調味料だ。

 

 ピーという電子音が鳴り響く。音の主人からは白い湯気が立ち上っている。その湯気の放つ独特な香りはほんのり甘く、鼻腔の奥を優しく擽るようだ。テラスはこの匂いを嗅ぐのも大好きだ。

 この食材も今や倭国だけでなく様々な国で食べられるようになった。龍の侵攻が収まり、五つの国がそれぞれの文化を定着させ始めた頃、倭国はこの芳しい香りを放つ食材を中心に、その素晴らしい食文化を発達させてきた。これは『米』と呼ばれるものだ。

 『倭酒』と呼ばれる独特な香りを放つお酒の原材料や発酵食品等、様々な食品に利用さている。食材だけにとどまらず、美容化粧水等、美容やその他の分野にも多く利用されている。倭国にとって『米』が文化の要の一つであることは言うまでもない。


「はぁ~。いい匂い」


 テラスは作った料理の匂いを楽しんでいた。魚、味噌、米。それらが織りなす香りの祭典は、テラスをすっかりを虜にしていた。


 しかし、朝食を配膳するテラスの顔は少しばかり暗い。


「はぁ……、今日は、召し上がってくれるでしょうか」


 テラスの準備した食事は3人分。テラス、イーダ、そして誠の分だ。しかし、誠はテラスが準備した食事、朝食のみならず夕食も食べることはなかった。


 テラスは勇者としてふさわしい実力をつけるため、青春のすべてを捧げてきた。さらにドラゴンスレイヤーとしての実力さらにをつけるため、倭国にきたのだ。

 『勇者の力の顕現』に協力するため、誠とルームメイトになり、初めて女の子らしいことができるのはテラスにとっても喜びの一つとなっていた。

 しかしこうも連日、せっかく準備した食事を食べてもらえないのは、女の子としての自信が失われていくような気がしてならない。


 すると、階段を降りる音が聞こえてきた。テラスはなるだけ平素に振る舞い、笑顔で彼に朝の挨拶をしようとリビングを出た。


「あ! 誠先輩、おはよ……」


ーーバタン。

 

 無情にも音を立てて玄関が閉められる。


 誠はテラスの姿を見ることもなく、玄関から出て行ってしまった。テラスの上げた手は手首からへなりと下がり、シュンと顔をうつむかせた。

 すると、玄関が再び開き朝の光が差し込んでくる。期待を込めて再び顔を上げて玄関先を見ると、そこにはイーダがいた。


「おはようございます、テラス様」


「おはようございます。イーダ」

 

 テラスは少しだけ残念そうに挨拶をした。テラスの表情にイーダは察しがついていた。イーダは、靴を脱ぎテラスのいる側へ向かいテラスに声をかける。


「まったく、一ノ瀬誠はどうしようもないやつですね」


「ううん、気にしてないから。彼は何も悪くないですよ。それよりご飯食べましょう? 今日は鮭という魚を焼いてみたんです」


 テラスは両手の平を胸の前で合わせ、努めて明るくそういった。二人はリビングへ向かい、テーブルへと座る。


 テーブルの上にある三人分の配膳を見てイーダは、つい舌打ちをしてしまった。


 テラスはイーダの舌打ちを気にせず、食器へ米、味噌のスープ、魚をよそい、テーブルへと運んだ。食堂のおばさんから教えてもらった大根の漬物も忘れずに食卓へと並べた。


 二人は向かいに座り、手を合わせていただきますと言って食事を始めた。テラスは心のつっかえをイーダに告げた。


「ねぇ、イーダ。どうしたらいいでしょうか、このままだと誠先輩は『勇者の力』を顕現できない気がするのですが」


「ほっておけばいいのです! そのうち自分から頭を下げておしえてくれ~と言ってくるはずですよ。姫様は堂々と、この学園で実力をつけて、勇者としての潜在能力を高めていればいいと思います」


 ムシャムシャと食べるイーダをよそに、食事が進まないテラス。見かねたイーダはテラスに言った。


「テラス様はカーマインの皇女として、国民にも、クラスメイトにも分け隔てなく接しておられます。あの無礼な一ノ瀬誠を特別扱いする必要はありません。それに私はあの男が勇者として器があるとはまったく思っておりません。庶民風情がいい気になりやがって」


「あ、あはははは」

 

 イーダはテラス以外には極端に口が悪くなる癖がある。特にあの一ノ瀬誠に対してはそれは顕著に表れる。

 テラスはイーダの言葉にたじたじとなり、乾いた笑いしか出ない。そんなテラスにイーダはとどめを刺した。


「しかし、テラス様。お料理、上達しませんねぇ」


「はい、すいません」


 テラスはがくりと肩を落とした。


***


 入学式から一週間が過ぎた。

 一ノ瀬誠とテラス・カーマインのルームメイト生活は結果から言えばうまくいっておらず、誠がテラスを『一方的に無視をする』という状況が続いていた。

 

 テラスは『勇者の力の顕現』のため、誠に協力をすることに前向きな姿勢で取り組もうとしている。しかし、誠はそれを頑なに拒んでいる。

 いや、誠が拒んでいるのは『勇者』なのかもしれない。


 ことの発端は、松葉葵の適当すぎる説明に三人で抗議したときだ。

 高嶺薫は大きく溜息をつき、改めて説明してくれた。


「というわけで、一ノ瀬。あなたは勇者の力の顕現のために、彼女テラス・カーマインとルームメイトになってもらうわ。いいかしら?」


 誠の返事を促すように高嶺薫は聞いた。年頃の男子ならば、一つ屋根の下、とびきり美少女のしかも一国のお姫様とルームメイト生活するとなれば飛び上がって喜ぶだろう。


 しかし、この時の誠は違った。いつまでも返事をしない誠に少し苛立ちを感じつつも薫は彼の言葉を待った。


「……けんなよ」


「は?」


 誠のぼそりと呟く言葉がうまく聞こえなかった。テラスとイーダも彼の方を不思議そうに見つめた。


「ふざけんなって言ってんだよ!」


 突然大きな声で叫ぶ誠の豹変ぶりに、一同は驚いていた。誠は肩をワナワナと震わせ、両手は握りこぶしを握り、じわりと血が滲んでいた。

 誠はテラスの方へ体を向け、心の中に溜まっていた鬱憤を晴らすかのように叫んだ。


「お前、勇者のくせして隠れてたのかよ! 今までどこにいたんだ! お前がさっさと現れてりゃ、僕は……僕は……っ」


 誠の目には涙が滲んでいた。歯を食いしばりその先の言葉を無理やり飲み込んだ。テラスは彼の言葉と勢いに驚き、目を見開いて聞くことしかできなかった。

 誠は涙を制服の袖で拭い、薫の方へゆっくりと体を向けると静かに口を開いた。


「すいません、取り乱しました。ルームメイトの件は問題ありません。僕も『勇者の力』を操れるように努力します。もう失礼してよろしいでしょうか?」


 高嶺薫は無言でうなづき、許可を出した。誠は理事長室の扉から静かに出て行く。残された三人はしばらく何も話さず、立ち尽くしていたが、薫は言った。


「初めてね、彼があんなに感情的になるのって」


「一体彼に何があったのですか?」


 テラスはここ数日の誠の様子からは想像できない姿に戸惑いつつも薫に尋ねた。

 高嶺薫は垂れた髪の毛を耳にかけ直し、顎に手を添えて考えていた。


「彼は勇者に対して何か特別な思いを持っていることは知っていたけど、どうやら根が深そうね」


「特別な思い……」


 テラスは誠の出て行った扉を見ながら、これからどう彼と接すればいいのか思案したがどうやら答えは簡単にでそうにない。


***


 理事長室を後にしたテラスとイーダは教室へ向かうため廊下を歩いていた。教室へと到着し、二人は教室へ入りクラスメイトの皆に挨拶をする。そしてテラスが自分の席に座るなり、テラスの席を中心に人だかりができ始めた。


 テラスはカーマイン皇国の姫であり、とびっきりの美少女だ。そんな彼女をクラスメイトの男女が放っておくことわけがない。登校初日から注目の的になるのは当たり前のことである。イーダはそんな中でも警戒を決して怠らず、テラスの横にぴったりくっついていた。ちなみにイーダはテラスよりも二歳年上だが、彼女を護衛する必要があるため、理事長の特別措置で同じクラスに在籍している。


 テラスは悪い気分ではなかった。今まではただひたすら勇者たらんと、これまでの時間のほとんどを魔法や剣技の向上に費やしてきた。こうして同い年の人たちと普通の会話ができることはテラスの憧れであり、心から楽しいと思えるひと時であった。


 クラス中が注目する中、教壇から見た一番右の最前列。教室の中央に座するテラスの席からは左斜め最前列に、一人の男子生徒がポツンと座っていた。


 先ほど理事長室で涙を浮かべ、声を荒げた一ノ瀬誠だ。窓から外をぼんやりと見つめる彼の顔は整っており、少し甘いフェイス。女子から人気がありそうな顔立ちをしている。

 誠を見つめる視線に気がついた生徒達がテラスに言った。


『あ~テラスさんあの人に興味あるの? やめといたほうがいいよ。去年だけでなく、その前の年もダブりだったらしいから』


『よっぽど才能がないんだろうね。早くやめたらいいのに』


『本当、本当~、少し年上だからって、いい気になってるんじゃない?』


『それに知ってる? あの人、全く魔法が使えないらしいよ?』


『え、なにそれ? ここにいる意味あるのかよ?』


『そんな奴が龍族を討伐できるわけねえよ』


 彼女たちの言葉は明らかに誠に聞こえる声量だった。心配したテラスは彼を見たがどこ吹く風、さっきと変わらない表情を浮かべていた。


 教室に流れる気まずい雰囲気を打ち破るかのように、担当教官が入室し、朝のホームルームが始まった。淡々と進められる出席の確認と今日行われる戦力測定の説明に耳を傾けながら、テラスは心の中にあるモヤモヤを吐き出そうと溜息をつく。


 テラスはまだ彼に謝罪できずにいた。理事長室での一件以来、まともに会話すらできない状態が続き、どうすればいいのかわからなくなってしまっていた。


***


 破龍学園は入学後、各生徒の実力を測るために戦力測定が実施される。実施後、各生徒のランクが設定される。倭国をはじめとする5カ国は共通したランクの設定を行っており、最高ランクのAから始まり、最低ランクのFまでの五段階だ。


 ほとんどの上位ランクはドラゴンスレイヤーとして、如何に有望視されているかを示している。ランクAのテラスは過去に、現役ドラゴンスレイヤーとのハンディキャップをつけた模擬戦で、互角に渡り合うほどの実力を有していた。

 戦力測定の内容は魔力量、魔力制御など、魔法に関する基本的なステータスと剣術、武術等の戦闘スキルだ。測定の方法は一対一の模擬戦で実施され、勝ち負けの結果はランクの設定に大きく影響される。模擬戦で勝つことは、戦力として有益であることを証明する一つの方法でもあるのだ。今、人類が求めているのは高い戦闘能力を持った人財である。

 対戦相手のカードは入学試験の際に出た結果をもとに割り振られる。実力がなるべく近い者同士の組み合わせが設定されるのだが、奇しくも誠とテラスは再び模擬戦で相見えることになった。


 この対戦カードももちろん誠の『勇者の力』の顕現のためである。発表された対戦カードを見て、クラスの生徒たちは呆れ顏でテラスの勝利を皮肉を込めた声色で誠に聞こえるように言った。


『え~、テラスさん楽勝でしょ? 教官もひどいことするわ~』


『ははっ、ボコられ確定っしょ! かわいそうなやつ』


『テラスさ~ん、お願い手加減してあげて~』


『いや~さっさと負けて、学園やめてくれねぇかな?』


 聞こえる嘲りには耳を貸さず、アリーナ中央のバトルステージへと向かう誠。逆にテラスはクラスメイトからエールを送られながら誠の待つステージへと向かう。一応はその声援に応えるものの、テラスの表情は苦いものを含んでいる。


 立ち位置に立つ誠は目を閉じて静かに呼吸を整えている。

 一方のテラスは迷っていた。他の生徒の目があるため、模擬戦のための制御装置が作動しているはずだ。しかし、魔法が使えるか定かではない誠に対して、どのように戦うべきか思案していた。この一週間、誠が自主トレーニングしている様子をこっそり覗き見をしていたが、一切魔法を使うところを見かけなかった。庭でひたすら木刀を素振りし、必死に汗を流している姿しか思い浮かばない。魔法の訓練は制御の効くアリーナでのみと学則で義務付けられており、テラスがアリーナで誠の姿を見ることはなかった。

 

***


 アリーナの一番頂上席には、極上の絹糸のような金髪のパンツスーツ姿の高嶺薫と栗色の髪で小動物を思わせるような小柄な女性が白衣をまとった、カトリーナ・リュッタースの二人がいた。カトリーナの手には、魔石を動力としたタブレット型のデバイスを両手で抱きしめ、時折首をこくりこくりと動かしては目を眠そうに擦っている。


「カトリーナ、寝不足かしら?」


「はい~、昨日中にまとめなきゃいけないデータがありましてぇ……」


 と、話している途中で会話が途切れる。薫は呆れながらため息をつき、彼女の耳元で囁いた。


「葵が来たわよ?」


「エ! 大丈夫です! 寝てません! 寝てませんよ~! 仕事ならつい先ほど終わりました~……あれ?」


 カトリーナは目をぱちくりさせ声が裏返り早口で言ったが、葵の姿が見えないことに胸をなでおろした。


「もうびっくりさせないでください~! びっくりしちゃったじゃないですか~」


「あなたも大変ね、同じこと二回言ったの気づいてるかしら?」


 葵がカトリーナに対してどういう仕事をさせているのか気になるところだが、ろくな仕事を回されていないことは容易に想像できる。再びカトリーナはうつらうつらとし始めた。本当に寝てしまう前に、薫は彼女に気になっていた誠の魔力解析の結果について話を聞いた。


「あ、それについては~、もう少しで……まりょ、くこうし……ぐぅ」


 今度、葵にカトリーナの仕事について厳しく言っておかねばなるまい。葵が置いていった代役がこうでは話にならない。彼女が過労死しないようにお節介を焼く仕事が増えたことに頭を押さえてため息をついた。

 葵は気持ちを切り替えるように頭を左右に振り、本来ここに来た目的を思い出す。


 魔力の解析。


 誠のように特異な存在は、統計的な情報を取得しなければ、彼の本質を見極めることは出来ない。

 7年前の事件の際、彼の情報は全て失われてしまった。それ以降、非人道的な実験による情報の取得は取り止められ、魔力の検出はおろか彼の膨大な魔力は微弱な反応を示すだけだった。

 しかし、勇者の血族であるテラスを前にした時、彼の膨大な魔力はその力を示さんと、再び轟々と音を立てて燃え上がり始めた。

 

 勇者と勇者。


 一人の勇者が、もう一人の勇者の力を目覚めさせる。なんとロマンチックな話だろうかと誰もが思うに違いない。

 果たしてどういった結果を得られるのか定かではないが、再びこのカードを切ることで新たな進展を迎えることになるのかもしれない。


「さぁ、見せてちょうだい。一ノ瀬誠」


 高嶺薫のその視線はステージに立つ二人へと注がれた。


***


 ステージに立つ誠は自分の体の隅々に意識を向けていた。

 誠は幼い頃から膨大な魔力を最大限に活かすことができるように、国から英才教育を施された。魔法の知識、武術は飛躍的に向上していくが、魔法が使えないことには変わりはなかった。しかし、腐る誠ではなかった。魔法が使えないかわりに自らの身体能力の向上に努め、意識を向ければ細胞の一つ一つを認識するほどの集中力と人並み外れた五感を手に入れていた。そして、磨き抜かれた体は鹿のようなしなやかさと瞬発力をその皮膚の下に隠している。


 誠は今までの自分とは何かが違うとはっきりと感じていた。それはテラスと初めてその刃を合わせた時から、自らの体に起こった変化に違和感を感じていた。まるで自分の体が借り物のようで、馴染むものではなかった。 

 跳べば月まで簡単に行けてしまいそうなほど軽く感じ、いつものように木刀を振れば折れてしまっていた。五感はさらに研ぎ澄まされ、目は千里眼のように、耳は埃が落ちる音さえも聞くことができるようだった。始めは悩まされていたが、次第にそれを自由に操ることで、さらに遠くを見ることも、音を聞き分けることもできるようになっていた。何も意識をしなければ、すべてが『無』になる、そんな境地に至っていた。

 

 誠はテラスとの戦闘後、自分の体は新しく生まれ変わったと考え方を変える。自らの勇者の力が目覚め始めているのではないか? そう考えざるを得ないような変化なのだから。


 偶然なのかもしれない。しかし、この変化を与えてくれたであろうテラスには感謝を持って、この力をぶつけようと心に決めた。そして、誠は静かに目を開いた。


 テラスの灼熱の炎を思わせる緋色の髪は、アリーナ天井の光を受けて艶やかな光を反射している。三つ編みシニヨンの髪型は彼女の美しい顔ををさらに際立てさせる。太陽が燃え上がるような二つの瞳はいつもの決意に満ちたものではなく、どこか戸惑いを隠せないでいた。


 勝てるーー誠の頭に根拠のない確信が生まれた。彼女の目には迷いが見える。今この時、勝たなければならない気がしていた。否、負けるなと心がざわついていた。第三アリーナで戦った時もそうだった。もしかしたらこのざわつきは、『勇者の力』の顕現の予兆なのかもしれない。誠は不確定の要素が入り混じる今、さらに自らを飛躍させることができるのではないかと感じた。そして得られるであろう『初勝利』に心が躍るようだった。


 もう一度、テラスを見つめる。

 彼女が右手に持つ剣は模擬戦用に生徒にあてがわれた剣、通称『模擬刀』だ。破龍学園入学の際、任意の形状の武器を申請し、それを用いて訓練を行うようになる。テラスの持つものは最初に戦った時と同じレイピアの形状で、その形は非常にシンプルなものである。

 かたや、誠の持つ模擬刀は刀型。第三アリーナでの最初の戦いを彷彿とさせる。


 担当教官がステージ上の誠とテラスに目配せし、お互いが準備できたことを確認した。


『お互い準備はよろしいか?』


「「はい!」」


『それでは……始め!』


 開始直後、テラスの目の前から誠の姿が消える。テラスは一瞬何が起こったのか理解できず、いつのまにか目の前で刀を振り下ろそうとする誠に目を疑う。

 テラスは寸前で誠の上段を自らの剣で受け止める。しかし、打ち下ろされたその刀の重さに手が、足が崩れ落ちそうになる。


 第三アリーナで戦った時の彼からは想像できない速さ、そして剛の剣。隠されていたものではない。明らかな飛躍的進歩。まるで別人のようだった。

 テラスは誠の剣を受けて交わし、距離を取る。手には受けた衝撃でビリビリと痺れが続いている。テラスの額からは汗が流れていた。体温を冷やすものではない。これは警告だ。本能で体が危険を感じていた。


 強いーー魔力を利用した身体強化ではない、『単純な身体能力』。誠からは魔力を使用した様子を一切、感じることができなかった。


 しかし、『身体能力強化の魔法』を使わなければ追いつけないほどのスピードとは一体どういうことなのだろうか? ただの身体能力の向上ではない。テラスは誠の初撃に動揺を隠せないでいた。


 そして、観客席で二人の戦いを見つめていた生徒達はざわついていた。


『えっと……いつ、動いたの?』


『おい、ダブりのやつ。なにしやがった?』


『お前、見えたか?』


『わ、わからねぇ。いつの間にかテラスさんの眼の前にいたから』


『なぁ、さっきのまるで……瞬間移動?』


 ざわつく外野の喧騒をよそに、テラスは迷うことをやめた。今彼に全力を傾けることが彼のためにも、そしてテラス本人の成長へとつながることを予感した。彼の剣を受けた時、苦痛に顔を歪めるテラスに対し、誠はあろうことか笑っていたのだ。ーーまるで子供が新しい玩具を手に入れたかのように。

 

テラスは少しだけ誠が羨ましく思えた。


 テラスが距離をとって誠の次の行動に警戒する一方、誠は自分の振るった模擬刀を見つめていた。誠の持つ模擬刀にはヒビが、そして柄の部分は握りつぶされたようにへしゃげている。誠は自分の力に驚くと同時に、恐ろしさを感じていた。刀を握る手がわなわなと震え、柄からその手を放そうとも思うようにいかない。これ以上握りしめれば柄を砕いてしまいそうだった。

 引きつるように口角を上げていた。勇者の力を顕現させ始めた彼には喜ばしい進歩であるはずなのだが、その力に心がついて来ない。心臓が跳ねまわるように脈動しているのがわかる。明らかに動揺していることを誠自らも自覚していた。


 テラスは誠がいつまでも自分の模擬刀を見つめる姿を見て不思議に思った。ふと、テラス自身の模擬刀を見ると鍔からその上の刃の部分がなくなっていた。その刃はテラスが元いた場所に突き刺さっていた。その身を預ける剣が折れてしまうことは、剣士としては命を失ったことも同然である。


「う、そ……」


 戸惑うテラスは担当教官を見るが、どうやら模擬戦は続行するらしい。いや、こうなることを予想でもしていたかのように担当教官からは試合停止の指示は出されなかった。あくまで、勇者の力を引き出すことがこの試合の最大の目的のようだ。


 ならばと、テラスは立ち上がり、折れた模擬刀を胸の前に掲げ、幾つもの弧を描く。弧の軌跡をたどるように光が舞い、魔力がテラスを中心に収束し始める。テラスはその魔法を呼び出す。


「召喚魔法:炎帝の使い(イフリート)!」


 第三アリーナでテラスが見せた、炎を纏いし魔獣が姿を表す。その強靭な姿に会場がどよめく。イフリートの纏う炎により、アリーナ内の温度は上昇し、鋼鉄をバターのように溶かしてしまう熱量を発していた。

 テラスは標的を定め、イフリートに命令する。


「イフリート、一ノ瀬誠を攻撃せよ!」


 命令に反応し、イフリートは誠へ一直線に跳躍する。そして、腕を大きく振りかぶり、鋼鉄をも引き裂くような爪で誠にダメージを与えようとしたが、誠の姿はそこにはなかった。イフリートは誠の姿を探すように首を左右に振るが、その姿を見つけることができない。

 しかし、テラスにはその姿がはっきりと見えていた。誠はイフリートの真後ろで魔獣の背中を貫かんと模擬刀の切っ先を向けていた。テラスはイフリートに警告しようと叫ぼうとした。


「イフリ……」


 ずぶりーーと音を立て、誠の模擬刀はイフリートの背中、正確には右肩甲骨の下の部分を貫いていた。イフリートは喚くように吠えると光の粒となって消えていく。イフリートの姿がすべて消えさる刹那、誠の模擬刀には赤い結晶が突き刺さっていた。その結晶はやがてイフリートの体と同様に光の粒となって消えていった。

 一瞬の出来事だった。その出来事にテラスは呆気にとられて口と目を見開くばかりだった。


「あ、ありえない……」


 銀色の短い髪を携え、綺麗な黄色の瞳をした女性、イーダは言った。


『ど、どういうことですか、イーダさん?』


 一人の女生徒がイーダの言葉に反応し質問した。イーダはその女生徒に応えて言った。


「召喚魔法は高度な魔力制御と、多くの魔力を必要とします。そして、魔核の形成、イメージの固定、魔法現象の発生という魔法行使のプロセスを経ます。『魔核』と呼ばれるものによって召喚魔法は維持、固定されるのですが……」


 『魔核……?』


「はい、『魔核』は召喚魔法の唯一の弱点です。それは召喚魔法行使者によって、大きさや位置を自在に設定できるのですが、行使者以外にはその大きさ、正確な位置が『わかるわけがない』のです! それをいとも簡単に『魔核』のど真ん中を捉えるなんて……」


 イーダの心は警鐘を鳴らしていた。テラスの魔法を打ち破るものが存在していたとは夢にも思わなかったのだ。テラスの正体を知るものが増え過ぎた今、テラスの魔法をものともしない存在は彼女の命が失われるリスクでしかない。イーダはステージ上のテラスから目が離せず、今にも飛び出したい思いだった。


 テラスは誠の背中を見つめながら思いを巡らせる。彼は一切の魔法を使用せず、一振りの剣で召喚魔法を打ち破った。人類史上、それを成したものはゆびおり数える程しかないだろう。それをいとも簡単にやってのけた彼はまさしく『勇者の力』を顕現させたという以外に他ならない。と、同時にテラスは喜びも感じていた。彼が『勇者の力』を顕現させることは、戦い以外でも役に立ている証拠なのだから。

 

 瞬間、誠の姿が消えたと同時に、テラスの意識も遠のいていった。


***

 

 戦いの一部始終をアリーナ頂上席で見守っていた高峰薫は器用に立ったまま寝ているカトリーナに言った。


「ねぇ、終わったのだけれど?」


「むふぅ~、だっめでっすよ~葵さ~ん。そんなところにデータは入力できません~」


 寝言なのはわかるが何を言っているのかさっぱりわからない。薫はカトリーナの耳元でつぶやく。


「葵がお仕置きだって言ってるわよ?」


「ふへぇええ! 私寝てませんよ! ええ、寝てませんよ! ちゃんとデータ入力は完了したです……あれ?」


 何かデジャブを感じてしまう薫は再びため息をつく。キョトンとするカトリーナの目はどうやら覚めたようだ。


「あ、あれ~、ひょっとして寝ましたか?」


「ええ、ぐっすりと。葵に報告しておくわね」


「ええ~? それは困ります~! そしたら葵さんが私にお仕置き……、グフフ……それもいいかもしれません」


 薫は何か背中にぞくりとしたものを感じた。一度葵とカトリーナの関係については改めなければならないだろう。


「それはそうと、彼の戦闘データは取れてるでしょうね?」


「はい~もちろんです~! バッチリと……あ、あれ?」


 明らかに挙動不審な動きをするカトリーナは手に持っているタブレット型端末の画面と薫の顔を交互に見る。行動から察するにデータが全く取れていないということだろうか。カトリーナは何か思い出したようにその場を後にしようとするが、薫がそれを許さなかなった。薫の体からはバチバチと放電現象が発生し、じりじりとカトリーナを壁へと追い詰める。カトリーナは「はわわわわ~」と言いながらその顔には冷や汗が流れ始める。


「か、かかかかかかかか」


「何かしら? カラスでもいるのかしら。仕事中に気持ちよさそうに寝ているのは構わないわ。ただし、肝心な戦闘データが取れていないのは見過ごせないわね」


「か、薫さ~ん、勘違いなんです~! 戦闘データはバッチリなんです~」


「では、どうして逃げようとするのかしら? 説明を求めるわ。ええ、簡潔な説明をね?」


 薫のポーカーフェイスが余計恐怖を助長させ、カトリーナは縮みあがりながらも薫に言った。


「じ、実は一ノ瀬くんの魔力が一切検出できてないんです」


「どういうことかしら? それはつまり、仕事をしていないと見ていいのかしら?」


「ち、違いますぅ~! カーマインさんの魔力は検出できているのです!」


「え?」


「検出してるので一ノ瀬くんの魔力の数値を検出できていないのは一ノ瀬くんから魔力が発生していない、つまり魔法を使っていないということです~」


 薫はステージに視線を戻した。ステージの上では初勝利に小さなガッツポーズを行う誠の姿があった。どういう結果にしろ、これは望まれた結果ではない。全くの未収穫なのだ。


「だめよ、一ノ瀬誠。そんなところで満足してもらっては困るわ」


 薫は今後の方針について、一つの案件を実施しようと決定した。

 

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