第2話 もう一人の勇者

 破龍学園にある広大な敷地には、もしもの場合に備えて十全な医療設備が備えられており、優秀な医療魔法を使うスタッフも常時勤務している。ドラゴンスレイヤーの卵といえど、厳しい審査を通過した生徒達は国の財産といっても過言ではない。

 

 ドラゴンスレイヤーになるための座学による魔法講座と実戦訓練とあるが、その比重は後者に傾いている。

 実戦訓練は危険も多く、敷地内にある闘技場(アリーナ)には魔法の力による肉体的ダメージ、外傷等を避けるため、体力、精神力、スタミナが減少するように魔力が制御されるようになっている。


 しかし、誠とテラスが戦った際に、その制御が『偶然にも』起動していなかった。その制御装置は常時作動していることが、指導官、在校生、入学したてのテラスにとっても『常識』であった。

 

 病棟の廊下を少し急ぐような足音が響いていた。炎色の髪を三つ編みにしてシニヨンに結い上げ、髪どめに使っている黄色のリボンが歩くたびに揺れている。どこか焦りを含んだその瞳は髪色よりも赤く見えるのは思いの強さだろうか。制服の左胸にある学園のエンブレムの刺繍は、押し上げられた胸部によって上向きに傾いている。背筋を正し、美しい姿勢で歩く彼女は、本日付でこの破龍学園に入学したテラス・カーマイン皇女である。


*** 


 501号室。


 一ノ瀬誠が運ばれた病室の部屋番号を受付で確認したテラスは、はやる気持ちを抑えて病室へ向かっていた。テラスは病室へと向かいながら、アリーナでの出来事を思い返していた。

 魔法制御が作動しなかったことは事故であることは否定できない。そして、怪我を負わせてしまったことに変わりはない。謝罪したい気持ちでいっぱいだった。


 しかし、罪悪感を感じながらも、テラスにはどうしても聞いておかなければならないことがあった。

 今すぐにでも聞きたいーーその思いは彼女の足どりはだんだんと早めていた。


 戦いの最後に見た『勇者の紋章』。


 あれは誰もが知る『勇者の末裔』を証明するものだ。

 しかし、テラスの頭の中にはある疑問が湧いていた。

 過去歴代の勇者でも、あそこまで色濃く刻まれ、なおかつ魔法を発動していないにもかかわらずーー否、魔力は発動していたがーー紋章が浮かび上がっているのは前代未聞であった。


「まさか、勇者の妾の子……?」


 いけない、いけない。一国の皇女である者がそんなふしだらな考えを持ってはいけないーーというように首を左右に振る。

 

「ここですね」


 501 号室 一ノ瀬 誠


 テラスは目的地である病室へとたどり着く。いざ、病室の前に立つと妙な緊張感が沸き立ち、ノックするのをためらわれる。

 しかし、気を取り直し、コンコンとノックをした。


 「どうぞ」


 中からは品のある女性の声がした。「失礼します」と言って、病室のドアをスライドさせると薬品の匂いに混じり、タバコの匂いがした。

 声の主であろう、長い絹糸のような金髪を結い上げたパンツスーツ姿の女性と、病室にもかかわらずタバコをふかす白衣姿の女性が窓際に足を組んで座っていた。彼女なりのマナーなのか、一応は窓を開け、煙は外に向かって吐き出していた。

 件の一ノ瀬誠であろう人影はカーテン仕切られ、その姿を確認できない。しかし、差し込む光でベッドに横たわる彼の影が見える。一定のリズムを刻む電子音は医療設備の音だろう。


「おや? 噂をすればカーマイン皇女殿下じゃねえか」


「あなた、皇女殿下にその口の聞き方はないでしょ?」


 間髪入れず言葉遣いを注意するスーツ姿の女性に、スマンスマンと片手を立て、タバコを咥えながらニカっと笑う。どこか憎めないような仕草だった。


「皇女殿下申し訳ありません。無礼をお許しください」


 金髪のパンツスーツの女性は姿勢を正し、深々とお辞儀をして謝罪をした。それに続くように、白衣の女性も頭をさげるが、胸元がだらしなく開いた服からはその豊かな膨らみがこぼれ落ちそうだった。


「いえそんな、無礼などとは思っていません。顔をあげてください」

 

 テラスは両腕を胸の高さまであげて、全く気にしていないことを告げる。


 二人は顔をあげる。パンツスーツ姿の高嶺薫はテラスを入り口から病室の奥へと手招きして言った。


「皇女殿下、先ほどのアリーナでの戦い、拝見させていただきました。やはり、紅蓮華(ニルヴァーナ)の通名通り、素晴らしいた戦いでした」


「いえ、まだまだです。人類を守るためにも強くならなければなりません。そ、それと、理事長先生。以前も申し上げましたが、皇女殿下はおやめください。私も先生の下、学ばせていただくわけですから、一生徒として接してください。」


 

 はい、それではーーと一度咳払いをしてからテラスへと薫は向き直った。


「テラスもお見舞いに?」


「はい、怪我をさせてしまったのは事実なので、謝罪に参ったのですが……」


 テラスはベッドで静かに寝息を立てている彼のそばへと向かった。弱々しい息遣いは今にも呼吸が止まってしまうのではないかと錯覚させられる。しかし、彼の寝顔はどこか幼げで、どこか安心しきった子供のような寝顔をしていた。

 彼に謝罪と、紋章の真意を確かめたかった。しかし、彼が寝ていては何もできない。そこでテラスは予てからからの疑問を率直に尋ねた。


「理事長先生。なぜ、制御装置が発動しなかったのですか?」


 テラスは闘技場(アリーナ)での二人の様子を覚えていた。魔法をその生身で受け、重度の火傷を負っているのにもかかわらず、ーーすでに完治しているがーーひとりの生徒を見殺しにするような行動が理解できなかった。この二人は何かを知っている。そう思わさざる得ない姿だったのだから。


「制御装置をの動力を落としたのは私だよ。カーマイン」


 何も悪気がないように言う白衣の女性の言葉に、テラスは苛立ちを覚えた。勢いよく顔を振り向かせ声を抑えながらも、発する言葉には怒気が込められていた。


「な、なぜそのようなことを! 制御装置なしでは身体的ダメージを負ってしまうのはご存知のはずです! 装置の常時作動は義務づけられているのに!」


 テラスは詰め寄る。ベッドの反対側に座る白衣姿の松葉葵は困ったように言った。


「そいつぁ~。なあ? 言っていいのか?」


 助け舟を求めて高嶺薫に尋ねた。やれやれ、と首を左右に振り薫は言った。


「テラス、あなたも見たでしょう? 彼の体中にある紋様を」


「……はい、しかし制御装置の動力を落とすことに何の関係が」


 少しばかりトゲなある言い方でいうテラス。何か特別な理由でもあるのだろうかと思うが、テラスの憤りは収まっていない。


「彼は『勇者』、と言われているわ。いえ、今日それが証明されたということかしら。全身に刻まれた紋様。そして彼がもつ無限に近い魔力、そして力の顕現。目の前にいたあなたは一番わかっているはずよ」


 そうだ、今朝初めて出会った時も、アリーナで対峙した時も感じていたのだ。

 

 一ノ瀬誠が持つ膨大な魔力を。


 100年にひとりの逸材と言われるテラスでさえ、その魔力を前にしては太刀打ちできないような量の魔力を彼から感じていた。


「勇者……」


 その自ら発する言葉に心が揺れる。おとぎ話でしか聞いたことがない伝説的英雄の末裔であろう少年が今、目の前にいるのだから。

 

 テラスは寝息を立てる彼の顔を再び見やる。ふと、心の中に浮かんだ疑問をぶつける。


「なぜ私が彼と戦うことになったのでしょうか」


 テラスの質問に薫は答えた。


「彼は一切魔法が使えないわ」


「は?」

 

 高嶺薫の言葉が理解できず、間の抜けた声がこぼれた。

 いや、それはあり得ないーーという表情を向け、無言で次の言葉を待った。


「『魔力行使不能症』、という言葉をご存知かしら?」


「いえ」


 テラスは首を左右に振り、薫が言う言葉に耳を傾けた。


「多かれ少なかれ人は誰しも魔力を備えているわ。そしてそれを生活や、戦闘に用いることができる。しかし彼、一ノ瀬誠はそれができないの。この症例は過去例を見ない極めて稀な症状よ。初の発症者は他でもない、彼、一ノ瀬誠なのだから」


「そ、そんなことが起こりうるのですか?」


「目の前にいるわけなんだよ、カーマイン」


 松葉葵が戸惑うテラスにいう。テラスの疑問はさらに深まっていく。


「だったら尚更です。なぜ私と戦わせるようなことをされたのですか? 特別講習の相手は彼でなくても良かったはずです」


 テラスの疑問はもっともだ。まだ戦線に赴いてはいないものの、潜在魔力、魔力制御、行使魔法、身体能力。その他にも様々な面において、平均値を大幅に上回る彼女は、ドラゴンスレイヤーになる前からランクAという称号を与えられている。

 そんな彼女に、魔法もろくに使えない「役立たず」を戦わせるのはあり得ないことだった。


 憤りがさらに増していくテラスを見かねて、葵がその理由を告げた。


「特別講習ってのは建前であって、理由があるんだよ。目には目を歯には歯をってね。 あれ、間違ってるか?」


 さぁ? ーーというように高嶺薫は両手を上にむけ、肩をすくませた。松葉葵は「まぁ、いっか」といい続ける。


「『勇者の紋章』がある、膨大な魔力を有する。だけどこいつは魔法が使えない。みんなこいつのこと「偽物」なんじゃねのかと疑位始めた。はたして本当に『勇者』なのか、証明する必要があったのさ」


 テラスは松葉葵の言葉に体を向けなおし、耳を傾けた。


「えげつねぇ実験もやったりしたよ。ま、俺がずっと面倒見てやったんだけどよ」


「実験……」


 テラスは実験という言葉を聞き、体を震わせた。


「いや~あれはひどかったな。さすがの私もビビっちまったよ。なんせ10歳になったばかりのガキをベヒモス級の龍族の群れに放り込むんだからよ」


「な、なんて非情なことを! それはあまりにも非人道的な……」


 テラスは突然言葉を詰まらせた。松葉葵の鬼気迫る眼光の鋭さに思わずたじろいだ。そして、松葉葵はゆっくりと口を開く。


「甘えてんじゃねぇよ。人類の存亡がかかってるんだ。それだけ人間様は切羽詰まってんだ」


 葵の眼光は、ランクAのテラスに言葉を詰まらせるほどの鋭さを放っていた。彼女の進める研究はどれも人類の存亡をかけたものである。その双肩にのし掛かる責任がどれほどのものかを、テラスはその目から感じ取ることができた。


「葵」


 重苦しい空気を察して、高嶺薫は葵の感情の高ぶりを指摘するかのように彼女の名前を呼ぶ。

 

 松葉葵は先ほどまでの様子が嘘のように、あっけらかんとした口調でいった。


「ま、その実験でこいつはめでたく、魔法を行使できたのさ。だがな、それ以降まったく進展なし。今回の結果次第で見切りをつけるって話だったのさ」


 テラスは話の結論が見えていない様子で、首を傾ける。


「そこで、カーマイン。オメェの出番ってことだ」


「私、ですか?」


 テラスは自分をひとさし指でさす。


「言ったろ? 目には目を、歯には歯を。『勇者には勇者を』だ」

 

 松葉は続ける。


「『17年前の事件』に人類がビビっちまったのは言うまでもねぇ。人類の『とっておき』をすべて失ってしまったんだからな。ところが、その生き残りがいるっていうじゃねぇか」


 テラスはその言葉に眉をピクリと動かした。テラスは静かに耳を傾け、二人から見えないように握りこぶしを作る。


「そしたらびっくり、この学園にあろうことか留学するということが決まったそうだ」


「何の話をされているのでしょうか?」


 開け放った窓からテラスの方へ風が吸い寄せられていく。ピリピリとした空気がテラスの周りから発せられていた。葵に続き、薫が話を続けた。


「私たちは簡単な仮説を立てたわ。その仮説を元に得た結果は、予想通りの結果を得ることができたの」


 含みのある言い方をしたのち、ひと呼吸おいて薫は証明の解をテラスへと告げた。


「あなたは『勇者の末裔』、カーマイン皇国第三皇女テラス・カーマイン。改め、テラス・グローリ・アルヴィン」


 刹那、テラスの右拳は炎を纏い、薫の顔面へと振りかざされた。しかし、その拳は薫に届くことはなかった。薫はいつのまにか元いた場所からさらに後ろ側に移動をーーいや瞬間的に姿をけしていた。彼女がいた場所にはバチバチと音を立て放電現象が発生していた。テラスが行使した炎によって、熱風が部屋全体へと広がり、葵は不満そうな顔をした。


「どうしてその名前をしっているのです!」


 テラスの目には焦りと不安とが入り混じり、それでも自分の秘密を知っているのであろう二人を見据える。


「落ち着けよ。この学園にいる間は、身の安全は保証する。誰にも殺させやしないよ『勇者様』」


「その言葉はどう信じろというのです?」


 テラスの体からは燐光がほとばしり、魔力のオーラが彼女のもつ強大な力を示した。病室内を埋めつくさんとするオーラは、室内の温度はどんどんと上昇させていく。葵は暑そうにだらけた服で風を送っていた。


「身元の安全を守ることは、倭国女王のからの指令です。あなたはただいまを持って、国賓以上のVIPとして対応させていただくわ」


 そう言って、薫は胸ポケットから魔石でできた携帯端末を取り出し、倭国女王の玉印が押印された指令書を表示させる。テラスは警戒しつつ、疑心のこもった瞳でその浮かび上がる文字を見つめる。どこにもおかしなところは見つけられなかったのか、納得するように頷いた。テラスの体から放出された魔力は小さな粒となって次第に消えていった。


「どこまで私のことをご存知なのですか?」


 テラスの表情は次第に穏やかさを取り戻していく。


「『17年前の事件』と何か共通して、何者かに狙われているということだけ。その何者かについては知らないけれど、安心してくれていいわ。『勇者の力』は人類の希望。失うようなことはあってはならないわ。そして、あなたが勇者であるという秘密も守るつもりよ。ただ……」


「ただ?」


 テラスは薫の言葉に耳を傾ける。


「あなたに一つだけ協力してほしいことがあるの。いえこれは倭国女王のお望みでもあるわ」


 交換条件であろうことは容易に推測できる。しかし、どんな事情であるにせよ、倭国から身の安全を保障を約束され、女王陛下の望みを叶えないということはない。断ればそれは人として、また一国の姫とし恥ずべき行為である。


「何でしょう? 女王陛下ご自身からのお望みということであるならばお断りすることはできません」


 薫はテラスの快い承諾を確認し、その内容を告げた。


「テラス、あなたに『勇者の力』の顕現を手助けをしてもらいたいの」

 

 テラスはその言葉を一考し、頷き答えた。


「構いません、しかし彼は力を使えていると思うのですが……」


 テラスはアリーナで戦闘で、彼の力を目の当たりにしていた。今の彼には手助けが必要とは感じていなかった。もっと別なこと、魔力の使い方を教えるとかそう言ったことなのだろうかとテラスは手を顎に当てて頭をひねる。


「今まで何をやっても力が顕現しなかった。けれど、勇者であるあなたを前にした時、その力を行使出来た。私たちにとっても人類にとっても、彼の魔力を龍族撃退に使わない手はない。『勇者であるあなたがきっかけとなって、徐々に彼の力が解放されていく』のではないかと思っているの」


 薫のいうことは何の根拠もないもののように感じた。それでも一ノ瀬誠の持つ莫大な魔力、勇者の力を役立てたいのは誰しも思うことだ。

 テラスは人類の存亡を賭けた戦いに、戦闘以外でも役立てることが嬉しく思えた。


「はい、そういうことでしたらお任せください」


「お、こりゃ楽しみだな!」


 今まで静かにしていた葵が、何か企んでいるようなにやけ方をしていた。


 開け放たれていた窓からは春の心地よい風が吹き込み、先ほどまでの緊張感と極度に暖められた空気をさらっていく。倭国からの身の安全の保障とこれから始まる新しい生活への期待感に少しだけ心が軽くなった気がしていた。


 テラスは気持ち良さそうに眠る誠の側へ近寄る。彼の息づかいははじめ見たときより持ち直しているようだ。


「謝罪はまた今度ですね」

 

 テラスは眠る誠にそう告げる。

 勇者の力の顕現。それは簡単ではないことかもしれない。だが、倭国女王きっての望み、そして一ノ瀬誠へ協力することが、すこしでも彼への贖罪になればと思うとすこしだけ気が楽になった。


 テラスはどこ満足した様子で、二人に「失礼します」と言って病室を後にした。


 テラスが病室から出て行き扉が閉まる。

 残された二人はテラスの足音がだんだんと聞こえなくなったのを皮切りに話を始めた。

 

「なぁ」


「ええ」


 二人はお互いが何を言いたいのかわかっているかのように頷きあう。彼女たちが立てた仮説は一つや二つではなかった。そしてその全てをテラスには伝えてはいなかった。しかし、その立てた仮説により得られた結果は、さらなる疑問を残した。


「果たして本物なのかしら?」


 二人の持つ疑問を代弁する薫。


「歴史を見ても勇者はその家系からしか生まれない、それはもう既に歴史が証明してきた揺るがねぇ事実。じゃあ目の前のこいつはなんなのか? 勇者の紋章、膨大な魔力。初代勇者の妾の子の子孫か? なんせこいつの出生には謎が多すぎる」


 未だに目を覚まさない一ノ瀬誠を一瞥し、胸ポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつける。マッチを好んで使うのは彼女のこだわりなのだろう。窓から火の消えたマッチ棒を放り投げ、タバコの煙を吸い込む。その煙を肺に充満させて一気に吐き出した。


「ディオサ教の高官が、やたら学園に顔を出し始めたことも何か理由があるのかしら?」


「さあな。俺の知ったこっちゃじゃねえがディオサの連中だけじゃなく、龍の恩寵(アドラシオン)の連中も最近やたらとちょっかいだしてきてるからな。何かが動き始めてるのは間違いないだろうよ」


 タバコをくわえながら思案する葵。タバコの煙を味わうように目をつぶっていた。そして思い出したように薫に尋ねた。


「そういや例の件、ちゃんと手配できてんだろうな?」


「ええ、もちろんよ。一ノ瀬が他の何かに目覚めなければいいいけれど」


「はは、それはそれで楽しみだな」


 何かの面白いものを見つけた子供のように葵は笑い出した。これから待つ二人の学園生活はきっと面白いものになるだろうと。


「葵、先ほどから気になっていたことがあるのだけど」


「おう、なんだよ」


「ここ、禁煙よ」


 葵は口からタバコをペッと窓の外へと吐き出した。


***


 病室を後にしたテラスは、すっかり暗くなった学園内の歩道を歩いていた。入学式、アリーナでの戦闘、病室でのやり取り。今日一日だけでもたくさんの出来事がありすぎて、少しばかり疲労が溜まり、長い溜息を零していた。

 そんな出来事の中でも特に彼、一ノ瀬誠のことが頭から離れなかった。闘技場(アリーナ)で見せた圧倒的な魔力。その力は人類存亡を賭けた戦いを勝利へと導くだろう。


 しかし、彼の力の解放の手助けをするといっても、何をすればいいのかわからなかった。

 あの二人に具体的に何をすればいいのか聞いておくべきだった。魔力の使い方か? 適正魔法の調整か? 気づけば彼のために何をしてあげられるかばかり考えていた。


 ふと彼の言葉を思い出す。


「負けられないんだ」


 勝利への執念。

 彼が何を背負っているのかわからないが、とても印象に残っている。

 思い出せば思い出すほど、彼への興味が湧いてきた。戦いの最後の言葉だけでなく、今朝彼と過ごしたときの見せてくれた笑顔。模擬戦での戦闘技術の高さ。鍛え抜かれた体。そして……いや、これ以上は見てなかったことにしよう。はっきりと目に焼き付けられた男性のシンボルを忘れようと、テラスは頭を左右にふる。しかし、彼女の顔は夜道を照らす行灯のように発光し赤くなっているようだった。

 しかし、テラスはこれから彼と過ごす時間も増えるだろうと思うと自然と頬が緩んでいた。

 

「姫様」


 柔らかな夜風が吹いたかと思うと、メイド服を着た女性が突然テラスの後ろに立つ

 テラスは一瞬体をビクリとはね上げる。そして、彼女に振り向き溜息混じりに言った。


「イーダ、そうやっていきなり後ろに現れるのはやめてください、びっくりしてしまいます。それと姫様は禁止です」


「はいもうしわけありません」


 メイド服をきた女性、イーダはテラスに深々とお辞儀し、非礼を詫びる。テラスが結構ですーーといったのち、彼女は体を起こした。

 イーダはテラスに心配そうな顔をして、言った。


「あのままでよろしかったのですか? 彼女たちはテラス様のことを知りすぎているように思いますが」


「彼女たちがどれだけ私のことを知っているかわかりません。見せてくださった倭国女王からの指令書。あれに嘘偽りはないと思います。それに誰もが私たちの存在を知っているわけではないのですから。」


 テラスは続けて言った。


「それに、あの理事長先生は元ランクAドラゴンスレイヤーです。ベヒモス級の龍族をたった一人20体も討伐された実績を持っていらっしゃるのですから。あと、葵さんは各国の研究機関に顔が効く方です。あの方のおかげでどの国も潤っているのです。誰も二人には頭が上がらないはずです。何か不穏な動きがあれば、ちゃんと知らせてくれるはずですよ。信頼してもいいんではないでしょうか?」


「その割には思い切り殴りかかっていたような」


「そ、それは……。あの時は他にも色々とあって」


 病室での出来事を思い出したテラスは急に恥ずかしくなってしまい、顔を俯かせる。


 イーダの不安が拭いきれていない様子に、テラスは彼女の心労が増えたことを気遣って優しく語りかけた。


「イーダ、私はそんなに弱くありませんよ。なんたって『紅蓮華(ニルヴァーナ)』なんですから、それに貴女もいます。私たち、共に苦労し、協力し合ってきたではないですか?」


「はい、そうですね。テラス様の言う通りです」


 お互いに微笑み合い、励ましあう二人はどこからどう見ても、仲の良い姉妹のようだった。そして二人はこの学園で過ごす、学生寮へと足を向けた。


***


 二人にあてがわれた学生寮は、寮とは言っても一見すればどこにでもあるような一軒家の家だ。コンクリートで出来た建物で、壁は重厚さと無骨な雰囲気を放っている。しかしとても洗練されたデザインは誰もが憧れるものだった。

 テラスのためにセキュリティー面を強化されているのは言うまでもない。建物の周りは木々で囲まれているように見えるが、人体の発する熱を感知する装置が張り巡らされ、正門以外からの侵入を許さない。そして建物正面玄関は指紋認証装置で本人であるということの確認を求められる。

 一国の皇女が入学するため、万全の体制で受け入れ側は準備をしなければならない。しかし、ここまでの徹底ぶりはほとんどテラスの正体と、置かれている状況をを知られていたということに他ならない。

 この一軒家を少し大きくした学生寮の説明は、入学前にセキュリティーの説明されていたが、あまりの徹底ぶりに二人は驚いていた。


 正面玄関を抜け、指紋認証装置にに手をかざすと独特の電子音が鳴る。そして胸ポケットから渡されたキーカードを取りだし、その装置の横にある小さな隙間に通すと玄関から解錠の音が聞こえた。

 

 テラスとイーダは、新しい新居に少しだけワクワクしながら玄関をくぐる。大きな広間に廊下、二階につながる階段。そのどれもが豪奢なものではなく、必要最低限の機能を備えるものだった。一国の皇女を住まわせるには質素感が漂う。そう、ごく普通の一軒家よりも少しだけ大きい間取りだったのだ。


「なんと失礼な対応でしょう」


 イーダは明らかに不満そうな顔をしていった。

 国賓、そしてそれ以上のVIPとして対応すると言いいながら、割り当てられたこの部屋はかなり庶民的である。テラスが「まあまあ」とイーダをなだめていた。


「しかし……」


 倭国特有の文化である、『家に上がる際は土足厳禁』に準じて、靴を脱ぎながらイーダは言った。


「先ほどから感じるこの『生活感』は何なんでしょう。綺麗にはしてありますが、どこかでお世話になった庶民の家の匂いを感じるのですが」

 

「確かに誰かが住んでいるような形跡がありますね」

 

 テラスはイーダの言葉にうなづきながら言った。テラスも靴を脱ぎ、家の中へと入っていく。


 玄関には黒いサンダル。趣味の悪い無地のカーテン。キッチンには洗われた食器と調理器具。極め付けはゴミ箱にビニール袋、その中には丸められたちり紙の山。まるで男の一人暮らしのを彷彿とさせる。

 

「も、もしかしたらルームメイトでもいるのでしょうか?」


「……っ! この対応は国際問題ものです! すぐにあの理事長に……」


 イーダが憤りを抑えきれず、リビングから出るため扉へ向かおうとした時だった。

 

ーーがちゃり


 扉が開くと同時に濡れた頭をタオルで拭きながら、黒髪の少年がが一糸まとわぬ姿でリビングへと入ってきた。その体には全身に刺青のような紋様が刻まれている。

 フゥ~っと気持ちよさそうにため息をつき、そのままキッチンへと向かう。冷蔵庫からキンキンに冷えた炭酸水のボトルを取り出し、グイッと煽る。


「ああ~生き返るぅ!」と一息つき、彼は視線をリビングへと移すと、目をまん丸と開き、口をあんぐりと開けた二人の綺麗な女性に目が止まる。


「あ」

 

 黒髪黒目の少年が発した声を皮切りに、テラスとイーダの顔は耳まで真っ赤になる。そして、テラスは今まで発したことのない声量で叫んだ。


「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~!!」

 

 耳をつんざくような声に黒髪黒目の少年、一ノ瀬誠は耳を塞ぐ。炭酸水の入ったボトルは床へ落としてしまい、中身が床へ広がっていく。

 テラスは両手で顔を覆い、誠がいる反対側へと勢い良く振り向きしゃがみ込んでしまった。目の前のテレビには裸の誠が映し出され、彼の裸を再び見てしまったテラスは耳は真っ赤にし、頭からは湯気が立ち上っている。


「き、貴様! テラス様に一度だけでなく二度までそ、そそそその、そ、そ、粗末なものを見せびらかしよって! そして不法侵入とはいい度胸だ! 万死に値する! 」


 イーダは手で目を覆い隠してはいるものの、指と指の間から誠の分身をバッチリと捉えていた。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 落ち着いて話を……」


 誠は弁明しようと両手を挙げて近寄るが、イーダは「ヒィッ」という声をあげて後ずさった。


「いやいやいやいやいや、僕はわるくないよ! それにここは僕の部屋だ! 不法侵入はそっちじゃないか!」


「はぁ? 何を言っている! ここはテラス様に割り当てられた部屋だぞ! 何を言って……」


ーーピリリリリッ


 二人の口論にを遮るように電子音が鳴り響く。テラスの持つカバンの中から聞こえてきていた。テラスは、ハッと我に帰り、カバンから携帯端末を取り出す。通話の表示を押し、耳に当てた。テラスの耳は真っ赤のまま。時々誠の方をチラチラと見ては顔を背けた。


 誠は慌ててテレビの電源を落とし、イーダに「この部屋は僕の部屋」と弁明し続けている。イーダも顔を真っ赤にしながら誠の弁明を退けようとしている。


「はい、テラスです!」


ーーああ、カーマインか? 私だ葵だ。寮に着いた頃だろうから連絡したんだが、誠もそこにいるか?


「はい、いらっしゃいますけど……というかどういうことなんでしょうか! ちゃんと説明していただけますか?」

 

 端末に向かって叫ぶテラス、と同時に誠の方を振り返ろうとしたが、彼が裸なのを思い出し、振り返るのをやめる。


ーーあ~そんなに騒ぐなって。ったく、今から説明するからスピーカーモードにしてみんなに聞こえるようにしてくれるか?


 テラスは携帯端末を耳から離し、スピーカーモード設定すると机の上に置いた。顔をあげると誠と誠の分身が目に入り、テラスは自分の髪の色と同じ色に頬を染める。まるで顔から火が出そうだった。


「と、とにかく何かで隠してください!」


「ご、ごめん!」


 誠は先ほどまで頭を吹いていたタオルで前を隠した。

 葵が説明を始めていいか尋ね、皆がそれに耳を傾ける。


ーーそれじゃあ、始めるぞ。お前ら今日から同棲な? あと、イーダの寮は別だ、以上!


 一瞬の間、三人は顔を見合わせ、何を言っているのかわかならいという表情を見せた。その沈黙を破ったのは一ノ瀬誠だ。


「ちょ、ちょちょちょちょちょ~と待ってください! 同棲ってしかもテラスさんと二人ってどういうことですか?」


「そ、そうですよ! 若い男女が二人きりで同じ屋根の下で生活なんて……。~~~~~~っ」


 誠とテラスはこの異常な状況に、端末の向こう側にいる葵に説明を求めた。


ーーどういうことかってそのままの意味だぞ? それにカーマイン、お前は倭国女王からのお願い事、快く快諾したよな? まさか~、今更断ろうなんて思っちゃいなだろうな?


「うっ……そ、それは」


 言葉に詰まるテラス。確かに、彼の『勇者の力の顕現』に協力するとは言ったものの、同棲するとは聞いてない。テラスは頭を抱えて頭を左右に振っている。


 誠は何か自分の知らないところで話がすすでいるということを察し、葵に言った。


「あ、葵さん! 僕は何にも聞いてないんですけど!」


ーーあれ、言ってなかったか?


 とぼけるような声で言う葵に苛立ちを感じつつも抗議する誠。あまりの出来事に頭が回らない。


「聞いてませんよ! それに僕のプライべートはどうなるんですか?」


ーー誠~。お前首がまた繋がったからって調子に乗ってないか? ただでさえお前は特別待遇なんだ。これ以上わがまま言ってると、どうなるかわかってんだろうな? ああん?


「うっ……」


 誠はあらゆる面で倭国から全面的サポートを受けている。そして、見切りをつけられうよとされていた立場で、首の皮一枚つながった彼には国の方針に従うほかない。


ーーとにかくだ、誠とカーマイン。今日から二人仲良く共同生活だ! 必要なものがあればなんでも言え~。 準備してやるから。あ、それとちゃんと『避妊』することだ。 気をつけろよ~。じゃ!


 通話が切れると部屋の中には静寂が訪れた。その静寂の中、それまで黙って話を聞いていたイーダがゆらりと立ち上がる。


「一ノ瀬誠……」


「は、はい」


 ただらぬ雰囲気にたじろぐ誠。目の前のメイド服を着た女性、イーダの目はギラリとひかる。


「……死ね」


 風の魔法で加速したイーダの鉄拳が誠の顔面をとらえ、誠は「へぶっ」という声を上げた。振り抜かれた拳によって誠はキッチンの奥へと吹き飛ばされ、頭を強打して気を失った。


***


 理事長の執務室で白衣の女性はソファーに腰を下ろしてタバコを燻らせながら携帯端末を白衣のポケットにしまう。電話でのやり取りを思い出し、今頃どうなっているかを想像すると自然とにやけてしまう。人差し指と中指でタバコを掴み、口から離して肺に溜めた煙を豪快に天井に向かって吐き出す。

 理事長室の扉が開くとパンツスーツの女性が入ってくるなり、充満した煙に露骨に嫌そうな顔をした。白衣の女性は右手を立てて「よ!」っと挨拶する。それを無視して彼女が座る対面のソファーに座り、注いであった紅茶を啜る。そして、確認しておきたかったことを聞いた。


「あなた、ちゃんと説明したんでしょうね?」


「おう、バッチリよ!」 

 

 子供のようにニカっと笑い親指と人差し指で丸を作った。


 件の二人に同棲の真意が伝わるのは翌日のことだった。

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