第1話 特別課題

「特別課題?」


 渡された書類の表紙の中央には「極秘」と大きく書かれ、その下にそう記されてあった。


「そう、よく目を通しておくように。急だけど、今日早速実施させてもらうわ」


 部屋のサイズに似つかわしい大きな執務机に頬杖つきながら、目の前の女性はそう言った。切れ長の目、絹糸のような長い金髪を結い上げたこの女性は、この破龍学園の全責任を背負う長、高嶺薫だ。


「なんでまたこんなおめでたい日に」

「あなたの言うとおりよ。ま、あなたの立場を考えたら当然の処置ね。ただでさえ特別待遇なんだから」

「ええ、僕はなにも言えませんよ」


 溜め息混じりに言葉が漏れてしまうのは、置かれている状況に彼自身がうんざりしている表れだろう。


「今回の課題をクリアできなければ、国としてはもうこれ以上実験を続行することはしないそうよ。そうなれば……」

「ええ、わかっています」


 彼女の言葉を遮るように、反射的に答える。少なからず焦りを感じているのは否定できない。


「そう、ならいいわ。以上よ、健闘を祈るわ」

「はい、ありがとうございます」


 礼儀正しく一礼し部屋をでる。扉を閉める前にもう一度礼をして音を立てないように静かに閉じた。


「さようなら、『役立たず』君」


 彼が去りポツリつぶやいた。



***



 ここ倭国が管理する対龍迎撃要塞都市(ラ・フォルタレーサ)にある”破龍士養成機関 破龍学園 倭国所属”、人類最大の敵である「龍」を滅する者、人類存亡の要、『ドラゴンスレイヤー』を養成する学園だ。全国から「魔法」の才能に溢れた人財を集め、ドラゴンスレイヤーを養成することを目的として立ち上げられた機関である。集ったものたちはここで三年間学び、軍へと配備される。希望する隊へ入隊するにためには、成績も上位に食い込む必要がある。


 彼、一ノ瀬誠(いちのせまこと)も人類の希望となるべく、この破龍学園に「特別」入学した一人である。黒髮のショートカット、少し甘いフェイス。すらっと伸びた体は一見細身のように見えるが、歩く姿は全くブレがない。武芸に長けたものはその歩き方を見ればどれだけ、鍛錬しているかを見極めることができるというが、彼はまさにそれに当てはまるような綺麗な歩き方をしている。


 一ノ瀬誠は学園長室を出てから考え込んでいた。結果が出ないままもう七年も過ぎていたのは事実だ。期待も大きく自らに課せられた責任を果たそうと努力はしていた。

 もう期待されていないことはもう分かっていたのだが、彼は諦めきれめきれず在籍を望んでいた。

 彼にはこの学園を卒業してドラゴンスレイヤーにならなければならない理由があった。


「今日は入学式か」


 学園は華やかさで彩られていた。今日は新しいドラゴンスレイヤーの卵達が学園へやってくる。厳しい審査をくぐり抜け、優れた能力を持つ彼らは確実に人類の希望へと成長するだろう。

 学園校舎へとつながる大きな道には薄紅色をした綺麗な花が太陽の光を浴びて爛々と咲き誇っていた。「桜」と呼ばれるこの花はこの季節を彩る。その花びらが舞う中を、新入生であろう希望に満ち溢れた男女が歩いてくる。

 一ノ瀬誠はその道を横切り講堂の間をすり抜けると、使われなくなった旧講堂へと行く。日当たりもよく、昼寝をするにもちょうどいい場所だ。その旧講堂の玄関口に座り、壁に寄りかかって資料をめくろうとした時だった。


「んん?」

 

 日の光に反射する艶やかな紅い色が目に留まり、その持ち主の可憐な姿に、誠は思わず釘付けになった。陽光を反射する艶やかな紅い髪は結い束ねられ、何かを見つめるその瞳は綺麗な緋色。困ったように少しだけ眉間にしわを寄せ、色っぽい唇を尖らせていた。胸元にある黄色のリボンがそのたわわな二つの果実に押し上げられ、時々風を受けて揺れていた。体にフィットした制服はその見事なプロポーションを強調し、くびれた腰のその先は、わがままな丸みを覆い隠している。フレアスカートから覗くすらりと伸びたその脚には、黒色のニーハイソックスに包まれていてもその肉付きの良さは妖艶さを醸し出していた。

 

 リボンの色からして新入生だろう。向こうも誠に気づき安心した表情を見せて向かってくる。誠は資料を両手で丸め、乱暴にズボンの後ろポケットに突っ込んで彼女へと駆け寄った。綺麗な顔立ちをしている。近づくとふわり、甘い花の香りが漂うようだった。


「どうしたんだい? こんなところ滅多に人がこないのに」

「えっと、道に迷ってしまいまして」


 ここの学園の敷地は広大で、端から端まで約10kmもある。幾つもの講堂と龍との戦いを想定した模擬戦の施設が多くある。また、『ドラグ・マキナ』の演習場もあり、その格納庫も完備されている。

 全寮制ということもあり、生徒数千人をまかなえる学生寮も充実した部屋を割り当てられている。一棟あたり百人が暮らせる建物が敷地内に10棟もある。

 迷うのも無理はない。特に道が入り組んでいるわけではないが、似たような建物があるのは明らかにデザインミスだ。


「そっか。新入生だよね?」

「はい、そうです。今日入学式なんですけど、第一講堂ってどちらでしょうか?」


 そう言って案内図を両手で差し出す。両腕に挟まれ、悩ましげに押し上げられた胸はどうやら自己主張が激しい、わがまま果実だ。


「あの、先輩?」

「あ、ごめんつい」


 首を傾け不思議そうに見つめてくる。


「せっかくだし、簡単に敷地内を案内してあげるよ。第一講堂はもうちょっと歩いたとこだから」

「はい、ありがとうございます」


 太陽のような眩しい笑顔を向けてくれた。仕草ひとつとっても育ちの良さが伺える。声もハキハキとしており、女性らしさと強い何かを感じさせる。

 しかし、この倭国には見ない髪の色だ。瞳の色も違う。であれば他国からの留学生なのかもしれない。目的地へと歩き出し、敷地の案内をしつつ誠は質問した。


「えっと、君は倭国の人じゃないよね? 留学生かな?」

「はい。あ、申し遅れました。わたくしテラス・カーマインと申します。テラスと呼んでください。」


 カーマイン、カーマイン――誠はどこかで聞いたことがあるかのように頭をひねるが、思い出せない。諦めて誠も自己紹介をした。


「僕は一ノ瀬誠。僕も誠でいいよ」

「だ、だめです! 先輩を呼び捨てするなんてとんでもありません」


 否定を示すように手を胸の前で振り、目を見開いて言った。それに合わせて柔らかそうに揺れるものに誠は目をやるが、慌てて目そらせた。


「いや、気にしないでいいよ、同級生になるのかもしれないし」

「は?」

「だから、同級生に」

「でもネクタイの色、青色ですよね」


 テラスの指摘ももっともだ。各国の養成機関も入学期間は3年で、赤、青、黄色と色分けされている。つまり赤色のネクタイ、リボンをした人が最上級生となる。


「ま、ちょっと色々と事情があってね、ピンチなんだ」

「そ、そうですか。失礼いたしました」

「気にすることないさ。お、ついたね、ここだよ」

「あ、本当です! ありがとうございました!」


  深々とお辞儀をしてお礼を言ってくれるテラスに誠は笑顔で答える。歩く後ろ姿は凛々しく、勇ましさを感じさせるしっかりとした足取りだった。


「テラスか。いい子だったな」


 彼女の後ろ姿を見送り、短い時間の交流を反芻するように目を細めた。


「そうだ!」


 ポケットに突っ込こまれた極秘資料を取り出して開く。表紙をめくり一枚目を確認するとそこには長々と今回の『特別課題』の目的とその内容が記載されていた。長たらしい文章に眉間にシワを寄せるが、書かれた内容を理解するにつれ誠の顔に焦りの色が現れ始める。要約するとこうだ。


『今回の特別課題をクリアしなければ、支援金の停止、退学処分とする。クリア条件は『勇者の力』を顕現させること』と。


 書類を持つ手に思わず力がこもる。支援金の停止、退学処分は避けなければならない。ドラゴンスレイヤーになる夢、そして家族のこと。頭の中をよぎるのはテラスがみつめているであろうものとは正反対ものだった。 


 「やるしかないよな」


 自らを鼓舞するようにつぶやき、『特別課題』が実施される第三闘技場(アリーナ)へと足を向けた。



***



「よう、昨日ぶりだな」


 タバコをくわえた白衣の女性が気だるげに話しかけてきた。眠そうな目は、本人が趣味だという研究の賜物。大きな目の下の『くま』は本来持っている彼女の美貌を台無しにしている。

 第三闘技場(アリーナ)の女人禁制の男性用ロッカールームで、壁に寄りかかり堂々とタバコを吸う女性はこの人ぐらいではないだろうか。


「また徹夜したんですか?」


 特別課題に向け誠は自分の刀の手入れしながら、呆れたように言う。


「そうさ。『役立たず』な誰かさんの実験データを昨日中にまとめる必要があってね。あんな紙っきれ、なんにも役に立ちはしないのに。薫のやつが見せろってうるさくてね」


 大きなため息とタバコの煙を同時に吐き出す様は、女性らしさの欠片すら感じ取れない。「おっさん」という生き物に分類される。

  

「それはお疲れ様です。それで終わったんですか?」

「ああん? 私を誰だと思ってるんだい? 世界最高のマッドサイエンティスト、松葉 葵だぜ? ぜ~んぶカトリーナ・リュッタースちゃんに丸投げさ」


 ああ、カトリーナさん御愁傷ーーきっと壁に追い詰められて凄い目で睨まれたんだろうと、彼女の身を案じるように誠は遠くを見つめた。


「まあ、なんだ。10年以上の付き合いなんだ。お別れぐらい言いにくるさ」

「はは、ありがとうございます」


 乾いた笑いしか出てこない。研究以外興味がなさそうな雰囲気を持つ彼女だが、なんだかんだで人情深い人のようだ。


「でも、僕は諦めていませんから」

「そうかいそうかい。まあ、がんばんなよ」


 そう言いながら控え室を出て行こうとドアノブに手をかけ、思い出したように振り返り彼女は言った。


「あ、そうそう。今日のあんたお相手。あの、《紅蓮華(ニルヴァーナ)》らしいぞ」


 そう言い残した部屋の中に、ドアがパタリと音を立てる閉じる音が響いた。

 


***



 学園敷地内にはドーム型の闘技場(アリーナ)が数カ所点在している。学生が魔法の訓練に使用したり、模擬戦を行い個々の能力を高めるために用いられている。頻繁に学内リーグ戦、トーナメント戦が催され、他の生徒の実力を観戦するために観客席が設けられている。

 ここ第三闘技場(アリーナ)は三千人の観客を収容できる規模であるが、一ノ瀬誠が向かうステージからは歓声が聞えてくることはない。  

 ステージへとつながる廊下を抜けると、天井にある照明から光がさんさんとステージを照らしている。観客席には先ほどまで話していた松葉葵、理事長の高嶺薫が並んで席に座っている。

 そのほかには誰もいなさそうだが……異様な雰囲気を放つ人物が一人、メイドさんがいる。日常では見かけない姿に眉をひそめるが、首を左右に振り、気持ちを切り替える。ステージへと上がり、今回の『特別課題』の内容を思い出す。


『勇者の力』の顕現


 つまり、勇者としてふさわしい魔法を使用してみろ、ということらしい。誠は改めて事の重大性を認識し、生唾を飲みごくりと音を立てる。彼の表情はだんだんと陰りを見せ始めた。

 反対側のゲートの奥から今回の課題の相手をしてくれる人影見えてくる。凛々しく、勇ましさを感じさせるその足取りの主は、今日めでたくもこの破龍学園に入学したテラス・カーマインだった。


「あ、あれ? ……誠、先輩ですか?」

「や、やあ、よろしく頼むよ、テラスさん」


 まさか今朝出会ったばかりの彼女が対戦相手だとは、思ってもみなかったであろう。 


「まさか、入学早々出会った方が、私の特別講習の相手をなさってくださるなんて、運命じみたものを感じてしまいますね」


 何かの引き合わせのように感じたのであろうか、テラスは細く微笑みながら言った。


「今朝は親切にしていただきましたが、勝負は勝負です。本気で行かせてもらいます」


 腰にある鞘からレイピアを右手で掴み、勢いよく引き抜く。胸の前で構えるが、その構えは堂に入っている。並々ならぬ努力をしてきたことがその構えから伝わってくる。

 決意に満ちた瞳と、これからの戦いに期待を込めた微笑。どうやら、見た目に関わらず好戦的な一面があるのだろうか。

 彼女のレイピアは見事な装飾が施されている。柄の部分は特に目を引く。湾曲した鍔には交差するように花の装飾が連なりあい、その花の中心の一つ一つには、彼女の目と同じ色をした石が埋め込まれている。おそらくあれは魔石であろう。美術品とも引けを取らない装飾だが、機能性も十分ありそうだ。

 真っ白な刀身は彼女肌の美しさをそのまま写しとったようで、眩しく光り輝いている。刺突に特化した剣だが、微妙な違和感を抱いた。かなりいい金属を使っているに違いない。右腰にある短剣はパリーイング・ダガーだろう。抜刀しないのは奇策のためだろうか。

 一ノ瀬誠も刀を鞘から抜く。照明に反射して刀身が鈍く光りを放ち、ゆっくりと中段に構えて切っ先をテラスへと向ける。

 学園長がステージ上へ上がってきた。恐らく審判をかってでてくれたのだろう。学園長は一ノ瀬を一瞥するが、その目はーーもう諦めたらどうか? ーーと訴えるようだった。テラスの方にも目配せ、それに頷き答えるテラス。


「では、これより模擬戦を始める。模擬戦ですが通知通り、実戦形式で行います。テラス皇女殿下よろしいかしら?」

「はい!」

「それでは……始め!」


 開始直後、テラスの足が光りだす。

 魔力による身体強化、瞬間加速。

 レイピアの切っ先がすで誠の目の前に差し迫る。


 速い! 

 寸前で身をかがめ躱す。

 頭頂の毛先が切れ、レイピアの切れ味のが伝わってくるようだ。

 はらりと誠の髪の毛が切れ、地面へと落ちていく。

 すぐさま体制を立て直すため、バックステップで距離を取る。

 

 ーーなんて速さだ! 


 身体強化だけではない、剣術のレベルはかなりのものだ。


「私の初撃を躱されるのは久しぶりです。誠先輩も相当な実力者ですね」


 テラスは余裕のある声色で挑発するようには言う。まだまだ実力を隠しているに違いない。しかし、先ほどからビンビン感じる魔力の量。100年に一人の逸材と言われているのもうなづける。だが、通名紅蓮華(ニルヴァーナ)の実力を発揮するのはこれからだろう。


 「行きます!」


 身体強化、瞬間加速からのレイピアによる刺突。

 半身になっている分、正面からは切り込むことは不可能だ。

 一瞬で間合いを詰められる。

 刺突に合わせて、体を右にーーいや、ダメだ。

 さらに後ろへとバックステップ。

 いつの間にか彼女の左手にはパリーイング・ダガーが逆手で握られていた。あのまま右へと避けていたら、半身で隠されていたパリーイング・ダガーが誠を待ち受けていただろう。

 

「用心深いんですね、先輩」


 ニヤリと笑みを浮かべる彼女には今朝見せてくれた女性らしさは感じられない。目の前の対戦相手を確実に仕留めようとする戦士の目をしている。


 テラスはレイピアで綺麗な弧をいくつも描く。

 その軌跡をたどり、光が彼女の周りを衛星のように公転しはじめた。

 彼女は再び胸の前で構え、その魔法を呼び出した。


召喚魔法炎帝の使い(イフリート)


 ステージに亀裂が入ると同時に、真紅の光が漏れ始める。

 その亀裂から鋭い爪をした獣の腕が伸び出す。

 その掌は地面をしっかりと掴み、その亀裂を引き裂きステージをこじ開け、その姿をあらわにした。

 

 有角の魔獣。背中に生えている厳ついツノは尻尾の先まで山脈のように連なっている。激しく燃え盛る炎を身に纏い、呼吸に合わせて口から火が吹き出し、その熱量のため空気が歪んでいる。踏みしめる足元はだんだんと灼熱色へと変わり、柔らかい粘土ようにそ溶け出していく。離れていても伝わってくるその高温に、誠の体は体温を下げる反射反応を示した。

 他を圧倒するような魔力で、惜しげもなく使用した召喚魔法。誰もがこの魔獣を見れば絶望を感じるであろう。

 一ノ瀬誠もその一人ではあるのだが、誠だけに伝えられている戦闘中の条件を彼は思い出し、表情を一気に曇らせる。


「覚悟はよろしいですか?」


 テラスの目は轟々と燃え上がる揺らめきと同じ光をを放ち、まっすぐに誠を見据えていた。


 「イフリート! 《大地焦熱(ケマ・デラ・ティエラ)》」

 

 テラスの号令に、業火を身にまとう魔獣はその両手のひらをステージへと添える。


 誠はすぐに異変に気がつき、右横へとサイドステップ。

 先ほどまで立っていた場所から、極太の火柱が一瞬で立ち上がる。

 しかしすぐに着地したところから立ち退く。

 次々と間欠泉のように吹き上がる火柱が誠を追跡する。

 火柱の陰からテラスが突き出す白刃が飛び出すが、即座に反応し切っ先でその軌道をそらす。

 テラスから距離を取るため後ろへ飛び退くも、火柱と彼女の剣がしつこく付きまとう。


「……っ!」


 彼女の魔力切れを狙っているのではない。誠だけに課せられた特別課題の本質を忘れてはならない。

 

『勇者の力』の顕現


 彼がこの場で『勇者の力』を使わない限り、自らの夢も、背負う家族も守ることができない。彼の表情には焦りが積もり始めていた。 

 

 テラスの追撃がピタリと止む。彼女の眉間にシワがよっていた。その目は何か訴えるように誠を真っ直ぐ睨みつけている。わなわなと肩を震わせ、右手にあるレイピアを強く握りしめていた。


「……馬鹿にしているのですか?」

「は?」


 しばらくの沈黙の後、怒りのこもった声色に彼女の様子が変化した。


「……なぜ魔法を使わないのですか? ……私が女だからでしょうか?」

「いや、精一杯だよ。はっきり言ってギリギリだ」


 彼女の眉がピクリと動いた。目尻には少しばかり涙を浮かべ、キッとした目で誠を睨みつけた。


「ほ、本当なんだ! 僕はちょっと事情があって魔法が……」

「もういいです!」


 テラスは誠の言葉を冷たく遮る。


「女だからと、甘く見ないでください!」


 美しい髪の色をさらに赤く染めるように、深紅の魔力が溢れ出す。燐光がパチパチと音を立て始め、空間がその灼熱の温度で歪み始める。かすかな上昇気流が彼女の髪、制服をゆらゆらと揺らめかせ、一気に屋内の温度が上昇していく。


「イフリート、《転換(コンベルシオン)》」


 そう静かに唱えると、炎の魔獣は小さな火球となりステラの左手の上に静かに舞い降りる。

 太陽ーーそう表現するのが一番正しいだろう。小さな火球の表面はゆっくりと渦を巻き、時折、紅炎(プロミネンス)現象が飛び出している。


 「姫様いけません! それを使われては、お体に障ります!」


 観客席から身を乗り出しそう叫んだのは、メイド服を着た女性だ。

 しかし、その指摘に耳を貸さないテラス。

 彼女は無理をしているのか、片方の頬が引きつり額に汗を浮かべていた。そしてその火球を自分の持つレイピアへと添える。


「《付加魔法(マギア・アディシオン)》」


 テラスの持つ白刃が炎を纏い、美しい刃が灼熱の炎の色へと変わる。

 テラスはレイピアを右後ろ半身に構え、切っ先を標的(誠)に据えると彼女は言った。


「これで終わりです! 《紅蓮華(ニルヴァーナ)》」


 炎の刺突、いやそれは生ぬるい表現だ。彼女のレイピアから繰り出された灼熱は、一点を中心に円錐状の形となり、炎の花弁を撒き散らしながら迫ってくる。通過する周りの空気はその熱で光が歪んでいる。まるで小さく一点に圧縮された太陽が向かってくるようだった。

 

 誠は圧倒的な魔法の前に呆然と立ち尽くす。


「綺麗だ……」


 テラスの魔法を見てポツリと呟くが、彼の夢も、家族もここで終わる……

 炎が誠を貫いた時、誠の姿は炎の渦の中へと消えていった。


 魔法を放ったテラスはよっぽどの負担が大きかったのか肩を上下させていた。

 ゆっくりとステージに膝を付くが、その目は残心、対戦相手のいる方へ向いている。

 ゆっくりと呼吸を整え、煙が消えるのを待つ。煙が消え姿があらわになっていく。

 しかし、目に飛び込んできた光景に、彼女は動揺していた。


「そ、そんなはずじゃ……」


 そこには「一ノ瀬誠だった」ものが横たわっていた。

 真っ黒な炭のように変貌したその姿は、燃えかすにしか見えない。


 テラスは周りの大人達に目を向けた。しかし何一つ動揺してない姿にテラスは戸惑っている。唯一、メイド姿の女性だけはテラスに身を案ずるような言葉をかけている。


「どう思う?」


 学園長の高嶺薫は、松葉葵に尋ねた。


「どうもこうもありゃ人間技じゃないね、龍族のブレスでも最上級に該当するね」

 

 高嶺薫はため息混じりに、首を振る。


「違うわ、彼よ」

「ああ、あいつね~」


 タバコの煙を肺いっぱいにため、吐き出す。鼻から新鮮な空気を吸い、一拍おいて話し始めた。


「まあ、ここまでの状況としては七年前と一緒じゃないか? これでなにもなけりゃ、天に召されちまってるね」

「それじゃ困るわ。テラス皇女の精神的負担になってしまうわ」


 松葉葵は面倒くさそうに言った。


「テラス皇女を今回の特別課題に当てたのは、最終手段だったんだろ?」

「ええ、万策尽きてるわ」


 二人はステージ上の『一ノ瀬誠だった』ものを見つめながら、まるで世間話をするかのように会話を続けていた。まるで何事もなかったかのように。テラスの表情は陰りを見せる。周りの大人たちは誰も助けようと、治癒を施そうともしない。彼女はいてもたってもいられなくなり、焼き焦げた誠のそばへと駆け出した。




***

 



 目が覚めた時、誠は真っ白な空間にいた。仰向けの状態から体だけ起こしてあたりを見回す。

 どこまでもどこまでも真っ白なその場所は、何もない虚無の世界。手を伸ばしても何もつかむことができない。上も下も分からないそんな不思議な世界。

 後ろを振り向けば真っ黒な空間が広がっていた。くっきりと白い空間との境界線が永遠と伸びている。


 白と黒。


 その対極の景色を見比べる。すると黒の空間から誰かが何か叫んでいるように聞こえる。次第にその声は大きくなり、彼の耳にもはっきりと聞こえてくる。


 ーー負けるな、と。

 

 彼は立ち上がり、その「誰か」の方へまだ諦めていないことを告げるように強くうなづくと、安心したような表情を浮かべ、姿がすうっと黒の空間と同化するように消えていった。


 「行け、息子よ」


 白と黒の空間から徐々に誠の意識が遠のき、景色が霞みかけた時、朧げながらにそう聞こえた。


***




 意識が引っ張られるように目覚める。失われた酸素を身体中に送り込むように空気を口から取り入れた。痛みに顔を歪め歯を食いしばる。炭化した皮膚も徐々にだがポロポロ落ちていく。

 

 何かが彼を生かそうとしていたーー立ち上がれ、と。


 一呼吸。自らの体を確かめるように体を動かす。

 腕を動かし、体を起こす。膝を立てゆっくりと立ち上がる。

 テラスはあり得ないものを見て驚嘆するかのように目を見開いていた。


「おお! やりやがった!」


 観客席の最前列へと駆け出し、身を乗り出して若葉葵は好奇心に満ちた目で、立ち上がった誠を見つめていた。


「嘘よ! あり得ないわ!」

 

 高嶺薫は、初めて目の当たりにする現実を拒否するかのように声を荒げた。

 地面を見つめる誠の目はうつろで、ただ佇んでいた。彼の体からーー否、彼の体の中へと青い魔力がゆらゆらと集まっていく。ゆっくりと顔を上げ、再びテラスに目をやると、再び生気が宿る。


 瞬間、その空間は脅威的な殺気に包まれる。ビシビシと伝わるその鋭い殺意はその空間にいる全てを飲み込もうとしているようだ。

 その場にいる皆が急に震えだした。それは紛れもない死への恐怖によるもの。その元凶は他かでもない、一ノ瀬誠である。 誠の目の前にいるテラスはヘナヘナその場へ力なく座り込んでしまい、両腕で震える自分の体を抱きしめた。


「な、なんですか、一体……っ」


 ひたり、ひたりとテラスの方へと向かって足音がする。テラスは音のする方を見上げると、すぐそばに全身裸の一ノ瀬誠が彼女を見下ろしていた。テラスの目は恐怖に包まれていたが、誠の裸体を見てハッと我に返った。


「勇者の……紋章?」


 誠の全身に刻まれた紋様をテラスは食い入るように見つめつぶやく。だが、その紋章はどこか不完全のものであった。


「負けれないん……だ」


 誠は満身創痍の身体を引きづり、よろよろと拳を高く振り上げるものの、その拳は虚しくも宙を漂うだけだった。倒れるその瞬間まであきらめの悪さを証明するかのように、前のめりに倒れていった。

 テラス抱きはそれを優しく抱きとめ、誠の姿を見て昔読んだ絵本を思い返していた。それはまるで、女神の祝福を受けた勇者が、失った命に再び火を灯され立ち上がる姿のようだった。



***



「はは! また首の皮一枚つながりやがった!」

「嬉しそうね、あなた。問題児の面倒を見るこっちの身にもなって欲しいものね」


 二人はいつの間にか観客席の一番前まで来て、ステージの二人を見つめてながら話していた。一人はこれから始まる楽しい時間を、もう一人は厄介ごとを抱えるこれからの苦労を見据えていた。


「はは、しかしよぉ……、この震えは、なんとかなんねぇのか?」

「あら、みっともないわね。怖気ずいてしまったのかしら?」


 二人の身体は小刻みに震えていた。白衣の松葉葵は手すりををしっかりと掴み、かたや黒のパンツスーツ姿の女性は両腕を組み強がっているように見える。

 先ほどまでの誠が放っていた殺気はすでに感じられないものの、残響のようにその体に響いていた。


「勇者ってのは本当にバケモンだったんだろうな」

「ええそうね。なんたって龍族の頂点を打ち倒したと言われてるくらいだから」


 震えがだんだんと収まりかけた松葉葵は、手すりに張り付いた手を引き剥がす。


「ま、松葉博士~」


 どこか気の抜けたような声を出しながら、松葉葵に駆け寄る女性。茶色の髪の毛でショートカット、まな板一歩手前の胸は目を凝らさなければその膨らみを確認できない。小柄で小動物を思わせるその走り方はどこか幼げだった。


「遅いぞカトリーナ! もう終わっちまったぞ」

「はあ、はあ。す、すいません。でも、こちらもすでに終わってますよ……というか、ひどいですよ松葉さん! あんな膨大なデータ一晩で片付けろなんて!」


 肩で息をしながら、膨大なデータ処理の終了を報告する。


「はいはい、悪かった悪かった。それよりもちゃんと記録できたんだろうな」

「は、はい、もちろん戦闘データも取得済みです」

「お、やるじゃねぇか。あとでまた可愛がってやるよ」

 

 労いの言葉とニィッととした笑顔をカトリーナへ向ける。


「え、ええぇと、……はい」


 照れたように顔をうつむかせ、両手をもじもじさせている。その仕草が余計彼女の幼さを感じさせる。


「そ、それとテラス皇女の件ですけど、裏が取れました。彼女も間違いなく……」

「おっと、そこまでだぜ、カトリーナちゃん、聞いちゃいけねえ、悪い奴らがいるかもしれないんだ。おい薫!」


 耳から携帯端末を話し、通話停止のアイコンをタッチする。薫は葵に目を向けて言った。


「手配済みよ。本当にこんなことで、彼の力が目覚めるのかしら?」

「いいじゃねえか、年頃の男女だ。もっと違うことに目覚めるかもしれないぜ?」


 女性が見せてはいけないおじさんのようなにやけ顏をして、楽しそうに松葉葵は言った。胸ポケットから取り出したタバコに火をつけ、肺いっぱいにその煙を吸い込み吐き出した。


「本当、オヤジ臭いわねあなた。それとここ、禁煙よ」


 ステージの上にいた誠は担架で運び出され、観客席を飛び越え駆け寄ったメイド服の女性はその場に座り込んだテラスの元へと寄り添う。


「テラス様! お怪我はございませんか?」


 テラスの身を案じるメイド服姿の女性。だが、テラスは応急処置を受ける誠から目が離せないままでいた。


「イーダ、あなたも見えましたか?」

「……ええ、まさかとは思いますが、彼も……」


 二人は、目の当たりにした一ノ瀬誠の体の全身に『勇者の紋章』が刻まれていることを確認し合う。二人だけにしか聞こえないような声量で話をしながら、一ノ瀬誠が運び出された入り口を、ただずっと見つめていた。

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