ニセモノ勇者の救世譚

ChanMan

第一章 勇者再来

プロローグ 1

 千年戦争。


 終わりの見えないその戦いを人類はそう呼ぶ。圧倒的な龍の力の前に人類は世界の幾億の同胞を失った。名工の剣も、その硬い鱗の前には棒切れにすぎず、どんなに高い障壁を築こうとも、巨体から繰り出される破壊力に打ち破られ、人類の文明は太刀打ちできなかった。唯一の対抗手段として「魔法」の存在があったが、戦闘に特化した魔法を使える者は一握りだった。

 戦線の後退は日常と化し、食料、物資不足により飢餓や疫病の蔓延が人類の衰退に拍車をかけ絶滅の危機に瀕していた。


 しかし人類はついに、勝機の光を見出す――『勇者』の登場である。

 

 その剣に自らの魔力を宿し、龍を貫き、放つ魔法はその肉を焼き焦がす。勇者の登場は人と龍の戦況を大きく転換し、撤退の日々は勇者を先頭に、その戦線を押し上げていった。そして勇者はついに、龍族の長『龍皇』の喉元に自らの剣を突きつけようとしていた。



***


 

 幾重にも連なる小高い丘のように見えるものは龍の骸。果敢に立ち向かった戦士の亡骸が無数に転がっている。煙が立ち込め視界を埋め尽くすように、肉の焼ける匂いがその地一帯に広がっていた。吐き気をもよおすような匂いと、血と雨が混じり合った大地はぬかるみへと姿を変え、そのぬかるみに足を取られながらも、『勇者』がゆっくりとその足取りを確かに前へ前へと進める。身にまとう白銀の鎧は真っ赤な血に染まり、右手に握られた剣からはその血が滴り落ちる。返り血によって染まってしまった髪の色は真っ赤に染まり、元の色は果たして何色だったのか。顔にも血糊が張り付き、精悍で整った顔つきはもはや原型を留めていなかった。彼の足取りは一つの意思を貫かんと、迷いなく目の前の城へと向かっていた。


 ――あと少し。


 目的の達成の予感と、もうすぐ得られるであろう解放感に期待するように、右手にもつ剣の柄を握りしめる。


 10メートルはあろう荘厳さを放つその巨大な城の正門を押し広げ、城の中を突き進む。勇者は城の中を歩いていく。様々な罠や刺客、強敵がいるかと思われたが、すんなりとその城の主人の待つ部屋の前へとたどり着く。豪奢な王の間の扉を開くと目の前には神々しさすら感じられる重厚感あふれる支柱がその吹き抜けの天井を支えていた。支柱に埋め込まれた魔石から発せられる光が、煌びやかにその広間を照らしす。金の刺繍が施された赤い絨毯が王の間の中央に敷かれ、この城の主人の座る玉座へと伸びている。


 黄金色の玉座に座るは龍族の頂点、『龍皇』の姿。


 紫色のマントには黄金色に輝く刺繍が施され、その威厳をさらに高めていた。右手に握る杖は黄金に輝き、その頂点には龍の頭部が飾されている。その口にはこの世のものとは思えない美しい光玉を咥え、膨大な魔力を放っている。マントから覗く右腰に携えられた剣はその全貌を把握できないが、右手に握るその杖と同じく魔力を放つ。柄の部分には帯状の柄糸を丁寧に菱形に重ね編みこまれた装飾が施されている。その柄からは職人の剣への思いが伝わってくるようだった。

 

 勇者は『龍皇』の姿を見て驚いていた。龍族の頂点というからには、禍々しい魔力を放出し、その巨大な体躯で他を威圧し、戦意を失わせるような姿を思い浮かべていたのだが、目の前にいる龍族の長は、人と全く同じ姿をし、感じる魔力はどこか神々しかった。龍皇は玉座の肘掛に左腕を立て頬杖をついていた。全く人のそれと同じ行動は、より龍皇の存在を『人』たらしめていた。


 勇者は言った。「姫を返せ」と。

 龍皇は言った。「姫はもうじき死ぬ」と。


 勇者はぎりりと歯をを食いしばり感情を抑え込む。姫の救出、人類の救世こそ、勇者の使命だ。しかし、そのひとつは断たれようとしていた。


 勇者は問うた。「なぜ人を襲うのか?」と。

 龍皇は答える。「我らの戦いは無駄である」と。

 勇者は問うた。「なぜ戦う必要がある?」と。

 龍皇は答えた。「憎しみの連鎖は止められぬ。誰かが気づき始めなければ」と。

 勇者は問うた。「何を言っている?」と。


 龍皇は右手の杖を放すと、その杖はひとりでにふわふわと空を漂いはじめる。そして立ち上がり、抜剣したその刀身は湾曲した片刃、美しい紋様を携えていた。挑発するかのように右手で手招きする。


 龍皇は答えた。「お前に人と龍の未来を託す」と。



***



 激戦の末、勇者はついに龍皇を打ち取った。勇者の戦神のごとく戦う姿はついぞ誰も目撃者はいなかったが、繰り出す魔法による光と轟音は、遥か後方で戦う兵たちのところまで届いたという。その光と音が止む頃、龍たちは空へと飛び立ち四方へ逃げ去るように、その姿を見せなくなった。

 

 数日間、燻る戦火を消すように雨が降る中、後方で待つ兵たちの前に勇者が再び姿を現した。兵たちは勇者の凱旋に歓喜の声で出迎えるも、その声はゆっくりと静まり返っていく。勇者の両腕に命の灯火が消えた姫の骸を見たからだ。

 

勇者は王都へ凱旋するも、両腕に抱えられた姫の姿を見た人々は泣き崩れたという。そして姫の死は人々にある決意を与えた。

 

 人は龍族殲滅作戦を決行する。消耗に次ぐ消耗に人はその勢いを無くしていき、いくつもの戦いが、いくつもの国を崩壊させる。そして戦いの中、勇者はある奇妙な『掟』をその血族へと託し、忽然と姿を消した。しかし、人々は勇者の救世譚を後代へと語り継いでいった。


 ある人は言った。太陽を覆う暗雲を切り裂く雷鳴を轟かせたと。

 またある人は言った。一振りの剣は海と大地を切り裂いたと。

 そして、人々は言った。龍の首に手綱をかけ、天空を駆けたと。


 勇者が姿を消したのちも、人と龍の争いは続き、何のための戦いなのかわからなくなった時、その不毛な争いは次第に収束を迎えていった。


 そして今再び、人と龍の戦いが始まりを迎えようとしていた。





***





 轟々と燃え上がる炎と、立ち上るススとが赤黒く空を塗りつぶしていく。崩れゆき、瓦礫の山が積み重なり、その陰には押しつぶされ、肉片と化した人の体から血が流れる。一色の絵画のように、露出した地面に、鮮血が黒く彩っている。


 そこにあるのは、人であったはずの肉片だけではない。


 脈動する肉塊。一目見ればそれは人のものではないとことは明らかであった。

 

 それは人の世を脅かす、諸悪の根源。


 人はそれを『龍』と呼ぶ。


 広がる地獄絵図の中に一つ、小さな命が地面を這い、生きようともがいていた。流れ出る血はとめどなく、体温が失われていく。その目は悲痛の色へと染め上げられていても、僅かな希望を携えていた。


 少年がまとっていた衣服は破れ、血に染まっている。破れたその隙間から垣間見る紋章。伸ばすその腕にも色濃く刻まれた紋章は、誰もが渇望する希望の光。

 

 だが、その腕さえも、一筋の光を掴もうと必死に伸ばす。


 掴もうとするその先にあるのは、もう一つの命。だがそれはもうすでに、消え入るのも時間の問題であった。だが、その命は少年へと最後の言葉を紡いだ。


『…………………』

『……………』

『……』



***



 まだ肌寒い季節。朝は一段と冷え込んでいる。


 夢から覚めた彼の頬を汗が伝い、ポタリポタリと落ちてベッドのシーツへとシミを作り出していた。久々に見た悪夢は、目覚めの悪い朝を届けてくれた。


 今日は何か変な予感がする。


 頭によぎる予兆に、彼は呟いた。


「……勇者なんて、いない方が良かった」

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