第3話 最善の一手


昨日、ジーンがいた国の外れは特別遠い場所でもなかった。鉄の鎖で穿たれた家々は酷く痛ましくどんよりと佇んでいる。あの後、ジーンは派手に暴れ散らしたのだろう。至る建造物が無残にも破壊され、瓦礫がそこらかしこに散らばっている。


「静かだ」


昨日は気づかなかった。ここはつい最近まで住宅街のはずだった。人通りはさほど多くはないものの、近隣の人たちの仲は非常によろしくここら一帯は団結力が湧き上がっているという印象があったはずだ。きっと、ジーンがこの場所に居座りつき暴れたことで、住民は強制的な退去を余儀なくされたのであろう。聖職者は時に残酷だ。


「ここも、ここも。全部ジーンがやったんだ」


支柱が不自然に穿たれて、建っているのもやっとの家はミズキが少し触れただけで、重力に従い目の前でミシミシと音を立てて崩れ落ちてしまった。土埃が舞いちる。

腰を抜かしたのは人生で何度目なのだろうか。もう数え切れない。殆どがジーンによる恐怖でのものなのだが。


「ジーンは、人を殺すことにためらいを持たない…………。無理だ…………でも、」


竦む足を何度か拳でぶっ叩き、強制的に震えを止めさせた。ジーンの一撃は遥かに重い。十四の時最後に食らった鎖の一撃は、木柱を抉るほどの威力は当然なかった。手加減していたならそれまでではあるが、挫折して帰ってきたものの一年の旅で確実に力をつけているのは明瞭だ。

ジーンほどになると簡単に人が手に負えるものではなくなるため、懸賞金がかけられた今でも誰も捕まえようとはこない。アンファングの警護署の人たちは犯罪を犯した聖職者一人すら捕まえられないというのが悲しい現状だ。アンファングは他の国との接触は国との距離があまりにも特別に遠すぎるため、ほとんどないと言っても過言ではない。派遣の聖職者もなかなか経済的にも雇えない。

だからこそ、この国の子供たちや大人は国からの脱出をほとんど諦めてしまっている。子供は夢を持つが、大人になれば現実を嫌でも知らされる。この国は、子供一人夢を語れないのだ。


「それでも、やるしかない」


ミズキは走った。ジーンに見つかれば死ぬのは確実だ。あの横暴さはアンファング随一だ。しかしそれでもミズキは走った。家屋が崩れた音に反応しないということは、今の時間帯いないということだ。きっとどこかで飯でも食っているのであろう。

今しかないのだ。


「今が、チャンスだから」


廃墟になった建物に着くと、小石が地面を転がり高い音を出して反響した。


「だれ……ですか…………」


弱々しい声が小さく廃墟の真ん中で吊るされたカラカルから聞こえた。カラカルの足元にはおびただしいほどの血が飛沫している。無事だとは簡単に言えはしないが、生きていたことに大きく安堵する。


「よかった。まだ生きてたんだな。今、助けるぞ」


グルグルに引き締められた鎖はカラカルの体と一体化しているように、全く離れようとはしない。


「なに、してやがんです。……早く逃げてください」


カバンからナイフを取り出した。鉄の鎖がナイフで切れるはずもないが、やってみなければ気が済まなかった。


「ふざけんな。ボロボロになったお前をほっとけるわけないだろ」

「昨日は、置いて逃げたのに、ですか」

「…………」


ギクッと肩が揺れた。どうやら目が合ったことに気づいていたらしい。

鉄の鎖とナイフでは何度やっても火花が散るだけだ。削れている気がしない。


「お前、獣人なんだから強いんだろ。ジーンくらいわけないんじゃないのか」

「ジーン…………?」


か細い声を出すカラカルは首を傾げた。


「ちょっとした知り合いなんだ」

「あの、ボンバーヘッドジャラジャラ男のことですか?」


確かにジーンはボンバーヘッドだ。しかし、ボンバーヘッドのくせに髪型のことを指摘すると本気でキレる。前に一度、旅に行く前のジーンに国の外れのジーンを知らない奴がそのことを馬鹿にしたことがあった。そいつは全部の歯を全て砕かれて病院送りになった、という事件が今でもアンファングの伝説として語り継がれている。

ジーンの伝説はいくつもある。そのほとんどが暴力系ではあるのだが。


「お前、意外と元気だな」

「そうでもないですよ…………そろそろ、やばいです…………。空腹が」

「空腹かよっ! ちょっと待ってろ、ほれ。バナナだ。食え」


ミズキはカバンの中を漁った。一房市場で買ってきたバナナを剥いて、カラカルに差し出した。カラカルはスンスンと鼻をひくつかせてバナナの匂いを嗅ぐ。


「毒、じゃないですよね。限りなく美味しい匂いがします」

「なら、食え。騙されたと思って」


カラカルは全身を揺らした。キーコキーコと金属の嫌な音を立てながら鎖に全身を巻かれたカラカルが、前後に小さく動いた。その勢いを利用してパクッと一口食べた。口の中は真っ赤で痛々しかった。獣人と人間の痛覚は全くの別なのかと思えるほど、カラカルは口内の痛みを無視して咀嚼を続けて吟味する。


「もっとです! もっともっとください!」


キーコキーコとカラカルは揺れ始めた。どうやらお気に召したようだ。揺れはだんだんと勢いがつき大きくなる。


「おう、じゃんじゃん食え。お前のために買ってきたんだ。馬鹿みたいに食って体力を回復してくれ」


ムシャムシャと行儀悪くバナナをこぼしながらも、カラカルは買ってきた全てのバナナを平らげてしまった。最後に水を浴びるように飲ませると、カラカルは盛大にゲップをした。


「フゥ~、満足です。実は五日くらい飲まず食わずでいたものですから、死ぬかと思いました」

「お前のその状態は死に直結してるけどな」


バナナの皮はもしジーンが帰ってきたときにばれないようにバックにしまった。鎖を解くことを再度挑戦する。しかし、鎖は思っていた以上に頑丈で、簡単には解けない仕様になっている。


「名前は、なんていうんですか」

「ミズキだ」

「そうですか。ぼくはナシチです。……ミズキは、なんでぼくを助けようとしてるんです?」


訊かれ、一瞬手が止まった。だが、すぐに鎖を解くことに手を集中させた。


「ナシチ、この鎖とったらジーンを倒せるか?」

「間違いないです!」威張るようにナシチは言う。

獣人であろうとこんな子供に何を期待しているのだ、とミズキは思った。聖職者の力は絶大だ。しかもあのジーンだ。だけども、これしか方法がないのは確かであった。

「じゃあ、そういうことだよ」


ミズキはナイフでガシガシと鎖を削る事にした。いくらやっても粉末状に削れていくのはナイフの歯の方だった。


「お前、本気で最強なんて目指してんのか」

「本気も本気、超本気です! ぼくは世界を一周して最果ての地まで行くんです」

「最果ての地……ね」


少年の無垢な輝きを残したナシチの瞳を、何度もそれに心が折れたミズキは直視できなかった。

最果ての地は未だかつて願いの聖職者しか行ったことがないとされている。あまりにも到達したものがおらず、本当にそんな場所が存在するかも不鮮明だった時に、願いの聖職者は世界を一周して見せた。当時、願いの聖職者は最強だった。願うだけで全てを可能にする能力はどんな聖職者であれ足元にも及ばなかった。それが故に、世界を一周したものは願いの聖職者と同等とみなされて、最強の称号を得られる事になるというのが常識となった。ナシチは、その常識を今も信じ続けている。

願いの聖職者が世界を一周してからニ百年。我先にと聖職者は裏側の世界に血眼になって突っ走った。しかし、それから誰も一周を果たせたものはいなかったことから、最果ての地は伝説とされたのだ。高くそびえる壁を通り抜ける事ができない。その現実とともに最果ての地の伝説は広く世界に広まり、常識は成り下がっていた。

それでも冒険をするものは後を絶たない。


「最強目指してんなら、こんなとこで捕まってんじゃねーよ」


ミズキは言い切った。

鎖は一向に弱まらない。一旦鎖を外すことを止め、バッグから救急箱を取り出し先にナシチの傷を治す事にした。消毒液を布につけ、ペタペタと傷口に当てた。ナシチは痛そうに顔を歪める。


「そんなお前が、なんで捕まったんだ?」


兼ねてからの疑問を訊いた。ナシチの耳が前のめりに垂れ下がった。俯いているようだ。


「人質に取られてたんです」


それを機に、悄然としたナシチは事の顛末を話した。

聖職者がわんさかといる一つ一つの国で、その国の最強の聖職者を倒せば自分が最強になれると考えたナシチは、冒険の始まりにふさわしい町、始まりの町のアンファングに着いた。ナシチの目的は最強を目指す事。アンファングの住人達に最強は誰かを聞いて回っていると、鎖の聖職者だと聞いた。ナシチは即座にジーンの元に駆けつけ勝負を挑んだが、不運にもジーンは機嫌が悪かった。サンドバッグとなる人間を探し青年を捕まえた時、ナシチはジーンと出会ってしまった。ナシチはジーンの行いに激昂するも、ジーンは意外と冷静である取引を持ち掛けた。


「簡単な友情ゲームをしよう。こいつの代わりに化け物のお前が三日三晩俺のサンドバッグになってくれんなら、逃がしてやってもいい。獣人は簡単には壊れねえから、ちょうどいい」


そう言われたが、ナシチは承諾しなかった。なぜ自分が人間のためにサンドバッグにならなければならないのか、意味がわからなかったからだ。鎖で繋がれた青年を一時解放し、ジーンは続けた。


「三日以内に、お前が俺の元に二百万デーレもってこい。そしたら化け物を解放してやる。どうだ、簡単なゲームだろ! 獣人と人間の友情を! 確かめようぜ!」


ナシチはジーンの気味の悪い提案に肝を冷やした。しかし、提案に乗る事はない。ジーンとの距離くらいならば、ナシチは一歩踏み込めば簡単に間合いを縮められる事ができる。

脚に力を入れた時、ジーンの鎖は青年の首に回ってきつく締まった。青年は顔を真っ赤にして涙と失禁と汗で全身を濡らし、土下座をし始めた


「お願いだ……二日で……二百万デーレ、必ず抱えて持ってくるから!! お願いします…………二日で、十分ですから…………」


青年は地面の砂を掴み泣きながら命乞いをしだした。そもそも人間があまり好きではないナシチは迷った挙句、青年の情に流されてしまったままーーーー。


「最ッッッ高な友情だあ!! 心底震えるぜえ!!」


鎖の音は五日間鳴り続けた。


「今思えばぼくが馬鹿でした……。人間はそういう生き物だって事を、ぼくは知っていたはずなのに。何を信用していたんでしょう。人間なんかみんなクズばっかりです。だけどまだ、ぼくは諦めません…………あいつが飽きるのをやめるまで、もう少しの辛抱ですから…………」


ナシチは言い淀み、そこでカラカラに乾いた咳をした。血反吐が真っ赤な口内から吐き出された。その血反吐はまさに次の日がない事を表しているようだった。


「……諦めろよ。お前はもう十分頑張った」

「嫌です」

「なんでだよ。ジーンはああ見えても慈悲深いやつだ。俺は昔あいつに虐められてた。だから俺はあいつから逃れる手段を知ってる。土下座だ。あいつは自分から負けを認めるやつを見ると、興が冷めるんだ。だから、ジーンが来たときもしかしたら」

「嫌です!!」

「なんでだよ!! 命は大切だろ!!」


ミズキの叫び声がナシチのそれを上回り飲み込んだが、圧倒されたのはミズキの方だった。ナシチの目はまだ死んでいない。腫れた瞼で隠れていても、その瞳はまだ生気に満ちていた。


「諦めた人生なんて、死んだほうがマシです。そんな命に価値なんてありません。ぼくは……最強になるんです。諦めるくらいなら裏切られる方がマシです…………最強になることを諦めた時がッ!! ぼくの死ぬ時ですッ!!」


ーーーー今日を持ってお前はクビだ


途端、親方の言葉が蘇った。

何でもかんでも受け入れてしまう。自分の不甲斐なさが嫌いだ。


「…………だったら」


諦めることがどれほど楽な道なのかを勘違いしたあの日を、ミズキは呪った。同じような毎日。それが一番だと思ってた。


「だったら」


ーーーーしょうがねえんだ


親方の言葉通りにはなりたくない。

理不尽な状況にすら逆らえない自分の弱さに腹がたつ。

諦めることは万死に値するナシチの生き方に、ミズキは大きく心揺れた。


「だったら、俺が必ずお前を助けてやる! だから、お前は俺を信用してくれ……ッ!!」


カツンカツンと、空っぽの廃墟に靴の音がテンポよく鳴り響く。悠々と間隔のあいたそれは、まるで予期せぬ事態に焦りを感じていないような歩き方だった。

ジャララララ。

まずい、と思い振り返った。そこには不敵に笑うジーンが鎖を手にしていた。


「#鎖の捕縛__チェーンロック__#ッ!」


途端、ミズキに意志を持ったように鎖が飛んできた。

知っている。この技は。

ミズキは咄嗟に横に飛び回避する。鎖はあっけなく後ろを通過した。

何度も何度も何度も何度もくらい続けていた技だ。当たるわけねえ。当たったら最後。ナシチのように鎖でロックされる。


「惜しかったなぁ、ミズキ……この一年俺も成長したんだ」

「なッ!」


交わしたはずの鎖がガッチリと右腕にがんじがらめに巻きついていた。鉄の鎖は解こうとしても固結びされたみたいにビクともしない。


「加重ッ!!」

「ウッ……重ッ!!」


右腕に巻きつく鉄の重さが増大したように感じた。いや、明らかに倍増している。


「その鎖は一分毎に重さが増幅していく。長い付き合いだ。一歩先くらい読んでんぜ。逃がしゃしねえよ。サンドバッグよぉ~」

「くっ!」


完全にやられた。ジーンを侮っていた。

カツンカツンと悠長に歩くジーンの速度が徐々に早まっていく。


「ミズキは関係ねえだろ!! サンドバッグは、ぼくのは……ゴホッゴホッ…………」


吊るされたナシチは咳き込み口から血を垂れ流す。


「関係ないわけじゃあない。こいつはもとより俺のサンドバッグ。お前は現サンドバッグってだけだ。手持ちが一個増えたことに、いちいち騒ぐんじゃねえや」


ジーンはナシチとミズキのすぐ目の前で止まり、ミズキの悔しそうな顔をニタニタと気色の悪い笑みを浮かべて覗き込んだ。


「昨日ぶりだなぁ……最弱の聖職者さんよぉ!!」

「グフッ!」


ジーンの蹴りがみぞうちにはいった。右腕の鎖の重さも相まって重みは段違いだった。一時の間をおいてじわじわと、まるで熱のこもったウイルスのように内部から痛みが増幅する。肺に空気をためることすら困難に近い。

ジーンの支配が戻ってくる。痛みと恐怖が津波となってミズキを襲う。ガクガクと体が震え始める。ズルズルと体は反射的に丸まった。

もういいんじゃないか。自分はもう頑張った。二千万の賞金首に勝てるはずがなかったんだ。十分やった。よくやった。仕事はクビになったりしたけど、また仕事を探せばいいだけの話だ。命乞いをしよう。賢明だ。


ーーーーちょうど良い揺れ。ちょうど良い重労働。ちょうど良い生活。

ーーーーこんな毎日が、死ぬまで続くのか。


痛みに耐えながら歯をくいしばった。


ーーーー諦めるくらいなら死んだほうがマシです


ナシチの言葉が脳をかすめたその時を機に、ミズキは頭をフル回転させた。状況を打破できる方法をちっぽけな脳で考える。

探せッ!! …………最善の一手をッ!!

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