第2話 カラカル
「泣き虫が最強なんかになれるかよ!!」
バチーンと鎖同士が激しくぶつかり合う音がけたたましく廃墟に響く。
「ひぃぇ!!」
「あぁん?」
咄嗟に口元を手で覆ったが、思いの外ミズキの悲痛な悲鳴は廃墟に反響してしまった。
「まずい! 逃げるぞ!」
「は、ははははい!!」
ドンリザードに親方はすぐに飛び乗った。その直後、廃墟の扉が重々しくぶっ飛んだ。どうやら鎖で重厚な扉を吹き飛ばしたのだろう。鎖が廃墟から飛び出している。ジーンの鎖は強力だ。あんなもの一撃食らえば終わりだ。ジーンこそがアウトモンスターだ。
「待てゴラァ!!」
ジーンの手のひらに鎖が引き戻っていき、こちらに鬼の形相で向かってくる。眉間のシワがより恐怖を助長させる。
「何してんだ早く乗れ!」
「わかってますよわかってますよ!!」
親方に急かされ荷台に乗るも、ドンリザードの速度が遅く、走って追いかけてくるジーンに追いつかれそうになる。
「初速だ! 初速に時間がかかるんだ! 荷台を離せ!」
「今! やってます!」
命の危険がもうすぐそこまで迫っている。語彙が荒げるのは仕方がない。親方に言われるがままに荷台をドンリザードから離そうとするが、うまく外れない。手元が震えて狂うのだ。
「何やってんだ! 追いつかれちまうぞ!」
ジーンが手のひらから鎖を適度に出し、それを空中でブオンブオンと回し始めた。遠心力を利用し仕留める気だ。
「死ねぇ!!」
「取れた!!」
豪快な音と同時に荷台がドンリザードから離れた。荷台の底に敷き詰められた袋が破け木屑が舞う。
「行かせるかあ!!」
「手ェ! 取れ! 早く!!」
ドンリザードの速度が荷台が取れたことによって徐々に上がっていく。荷台から飛び降りて走り、なんとか親方の差し出す手に追いつこうとするが、だんだん時間が経つにつれて追いつけなくなっていく。
後方で再び空を鈍く切る音が聞こえ始める。次は確実に仕留められる。
「まちやがれ、サンドバックちゃんよぉ!!」
ジーンの鎖が親方に差し出した逆の手に掠る。鎖が地面を抉り地形を変える。
「おらぁ!!」
「捕まりました!!」
間一髪親方の手に捕まることができた。親方の今まで見たことがない焦燥に満ちた形相は、ミズキにさらなる不安を掻き立てる。親方の手腕はそれでも確かなもので、伊達に鍛えてないのか、一瞬でミズキはドンリザードの背に跨った。ジーンの鎖はズルズルと持ち主の元に戻っていく。三撃目の準備をしているが、
「まちやがれぇええええ!!!」
ドンリザードの速度はダチョウ並みに速い。いくら聖職者だからと言って簡単に追いつけるはずもない。後方で雄叫びをあげるジーンの叫びが、世界を分断する高くそびえる壁にぶつかって反響した。
「すみませんでした親方!」
今では瓦礫がすっかりなくなったアンファングの国の入り口付近で、ミズキはドンリザードから降りて早々に頭を下げた。
「俺があそこで叫ばなければ…………。弁償します」
「……………………」
親方は難しい顔をしたまま何も喋らない。ミズキは頭を下げたままだ。
「ドンリザード…………ですよね」
「そうだ」
ミズキは嫌な汗を背中に伝わらせながら、道端で休んでいるドンリザードに視線を向けた。彼の太腿から流れ出た血は痛々しく赤黒く、そして、そこから白い骨が見えてしまっている。ジーンの鎖のたった一撃が、ドンリザードの太腿の肉を穿ち骨を露見させてしまったのだ。
「あいつはもう走れない。あの場でのアドレナリンの作用でいくらか傷の痛みは忘れていたようだが……聞いただろ? 途中のあいつの叫び声」
「……はい」
ミズキは重々しく頷くと、自然と頬に涙が滑った。
ジーンからの逃亡に成功した後、すぐにドンリザードは高い声で鳴き始めた。子犬が虐待をされている時のような畏怖の混ざった鳴き声。聞いてるだけで心が痛くなった。それでも痛みがあっても尚走り続けられたのは、逃走本能によるものでしかない。
親方は事務所から持ってきた救急バッグでドンリザードの応急処置を行い、包帯でグルグル巻きに太腿部分を巻いた。抉れた太腿部分は薄い端材で補強した。
「こいつ一匹買うのに百二十万デーレ。こいつ一匹飼うのに、その十倍以上の金が毎年無くなる。利き腕のなくなった大工は、もしかしたら他の仕事に精を出せるのかもしれないが、それは人間だけの話だ。こいつは走るだけが取り柄なんだ。荷物を運ぶだけが仕事なんだ。歩くことすらももう叶わねえこいつは、うちじゃ背負いきれねえんだ。俺たちだって食っていかなきゃならない。金にシビアなのは恥ずかしいが、仕方がない。うちの商業は金がないんだ。こいつは、日を追って殺処分することになる」
「……すみません」
親方は事務所から持ってきたであろう救急バッグではない封筒をミズキに差し出した。なかなかに分厚い。給料日はまだはるか先のはずなのだが。
「今日をもってお前はクビだ。俺が上乗せしたのが大部分だが、これで勘弁してくれ。俺には子供が四人いるんだ。そいつらを養わねえとな。しょうがねえんだ」
「親方……」
親方は救急バッグを持って事務所に向かっていった。
「じゃあな。俺は、もとより聖職者が嫌いなんだ」
そう言って片手を振ったっきり、親方は戻ってこなかった。満点とは言えない淀んだ夜空に、ミズキをあざ笑うかのような星々がいつもと変わりもなく、光り輝くという唯一無二の仕事を全うしていた。星でさえ仕事があるというのに。
手に持った給料袋には二十万デーレ入っていた。これならば一ヶ月は普通に暮らせる。しかし一ヶ月だけだ。それ以降は節約しても無理だ。早く仕事を探さねば、死んでしまう。
親方のせいではないのはわかっている。自分が悪いのだ。
あの時叫ばなければ。あの時素早く荷台を切り離していれば。
ドンリザードは走り続けられたのだ。
ベッドに無造作に横になり、封筒を天井に透かすように持ち上げて、それを思い切りドアに叩きつけた。ドンっと鈍い音が一瞬だけ部屋に響くが、一瞬だけだった。腕で目元を隠した。けれども、涙はせき止められなかった。
「こんな筈じゃなかったんだ……こんな筈じゃ…………」
聖職者になったあの日、人生が一気に輝いた。なんの根拠もなしに沸沸と腹の奥から湧き上がる精力で漲っていた。自分ならなんでもやれる。自分なら世界を一周できる。最強にもなれる。莫大な富も手に入れられる。願いの聖職者も超えられる。そう思っていた。
だけど現実はどうだ。あの日から人生はめちゃくちゃだ。何度聖職者になってしまったことを呪ったことか。自分は何もできない。この最悪な環境では、卑屈にならざるをえなかった。
何が心地よいだ。何が良い重労働だ。何が良い生活だ。こんなんじゃなかった。描いていたものはもっと違った筈だ。
「動物一匹ですら、足を引っ張っちゃう…………」
止まることない涙はじっくりと布団に侵食していき、布団の色をより濃くする。そのまま、泥のように体は虚脱し意識が遠のいていった。
どんなに絶望しきった男にも、人生の勝ち組にも、朝は同じように平等に訪れる。時計の針は正午から五分先を指している。アホみたいに眠ってしまっていた。
今日から仕事はなくなった。やることがない。
ミズキは頭が起き始めるまで天井を眺め続けた後、辺りを見渡して決心する。とりあえず、汚れた部屋を片付けよう。
杜撰に散らばったプリント。半分腐りかけていたおがくず。ページに不自然な折り目がついた本。それを片付け掃除をした。埃を履いて履いて履いて。咳をした。埃が充満した部屋を換気し、そういえば初めて部屋を掃除したなと気づくと、なんで自分はクズな人間なんだとつながってしまった。
自分はドンリザードの一生を終わらせてしまった。サンドバックにされてた泣いていた子供の獣人を置いてきてしまった。殺処分。一千二百万。請求されなかっただけまだマシか。
そんなことを卑屈に考えていると、頭の隅に何かが引っかかった。
獣人?
ーーーーぼくは…………最強に、なるんです
ミズキが悲痛な叫び声を上げた時、一瞬だけだがカラカルの獣人と目があった。顔中涙で濡れていても、目はまだ死んでいなかった。
一千二百万?
ーーーーうちの商業は金がないんだ
ベッドから飛び起きすぐにゴミ箱の中を探った。埃もティッシュもこぼれ落ちるがそんなもの意にも介さず掘り始める。
「…………あった」
手に取ったのはしわくちゃになった手配書。
悪事を働いたものは"生死問わず"の依頼で顔写真と懸賞金が、警護署の規則でかけられる。世界の安寧を揺るがす悪を、警護署の正義は許しはしない。
首を差し出すか、生きたまま監獄にブチ込めれば懸賞金がもらえるというシステムだ。聖職者が犯罪者のケースは少なくない。むしろ、多い方だ。力を雑多に使い回し傲慢になる聖職者は、ジーンといわずごまんといる。ページをめくっていくうちに、やはり、何十枚目かにジーンの写真もあった。
「セグンダ・ジーン……懸賞金二千万。……二千万!?」
鎖の聖職者は二千万も懸賞金をかけられていた事実に驚愕した。そして、それをどうすれば監獄にぶち込めるのか、案はもうすでに浮かんでいた。
森に棲む魔獣は人を食う。見境なしに獲物だと判断し、守護の聖職者の町の加護から出てきた瞬間を狙ってくる。普通の人間は太刀打ちできないが、聖職者ならば普通に能力で倒せてしまう。聖職者は普通の人間よりは頑丈になっている。しかし、聖職者すらも簡単には倒せない相手がいる。それが、獣人だ。
獣人は魔獣と共に森に棲み、一部の魔獣を従えている。一説によれば野生の竜をも従えている獣人もいるそうだ。魔獣よりも獣人は圧倒的に階級は上だ。魔獣の王族とも言われている。獣人は動物が擬人化したものがほとんどであり、肉体的な強さは聖職者すらも比べ物にならない。物理の限界を超えるものもいれば、聖職者に選ばれ加護を受けた獣人もいる。
「いける……かも知れねえ」
人の聖職者でありながら、人間を極度に嫌う獣人を頼るのはなんだかリスクが高いが、これしか方法がない。
あいつならば。
そこからの行動は極端に早かった。
「獣人……死ぬんじゃねえぞ!」
そう言って、ミズキは市場でバナナを山ほど買い漁りバッグにありったけ詰めた。これから、カラカルの獣人を餌で釣るのだ。
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