劣化のコピー
@wowwowwow
第1話 鎖の聖職者
この世界には最果ての地がある。誰も未だ踏み込んだ事のないその地は、世界を真っ二つに分断する雲よりも高い"高くそびえる壁"によって行き来することがまず不可能であった。
しかし、二百年前に何者かの手で開けられた壁の穴によって、人々は世界の反対側の未開拓地に足を踏み入れることができた。世界の半分に何があるのか、人々の探究心は壁の外側に向けられた。だが、通り抜けたもので、誰一人として裏側の世界を一周したものはいなかった。
"願いの聖職者"ただ一人を除いて。
小鳥のさえずる鳴き声で目を覚ましたミズキは、虚ろな目をこすりながら机の上に突っ伏していた。長時間左腕を枕にしていたため、左腕の痺れる感覚すらもない。体と腕が別離してしまったような奇妙な感覚を味わい気味悪く思いながらも、逆の手で時計を探す。
バサバサと机の上に積み上げられた本が力なく落ちていき、床の清潔さと引き換えに机の上が綺麗になったところで、時計がベッドの上にほっとかれていたことに気づいた。
今日も机の上で寝てしまったと後悔する頭に、さらに冷水を突然ぶっかけられたような衝撃が上乗せされる。
午前十時。三時間の遅刻だ。
「うわああああああああ!!! ひぃえええええ!!!」
時計の指針は、ミズキの起床後の虚脱感を簡単に吹き飛ばした。
「ゴラァ!! ミズキ!! てめえ新米のくせに何堂々と遅刻してやがんだよお!!」
「すみませんすみませんすみませんすみません」
頭に巻いたタオルが似合う筋骨隆々の親方は、朝っぱらからミズキを散々に怒鳴り散らした。ミズキは何度も地に額を擦り付けて土下座を繰り返す。かれこれ数分。とにかく謝って事が過ぎるのを待つしか他に方法はなかった。
ここ、始まりの町ーー"アンファング"で生まれたミズキは、十六歳で土木の職業に就いた。ほんの数年前までは冒険者になることが当たり前だと思っていたが、現実はとても厳しく、地に足をつけた生活を余儀なくされている。
「じゃあ行ってくるよ。父さん母さん」
大仰な門が開かれた国の出口で、夫婦に手を振って森に揚々と向かう青年がいた。
「立派な聖職者になるのよ」
「それまで帰ってくるな」
夫婦は悲しみをぐっと堪えて息子の旅路に立ち会っていた。青年は姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。感動的だ。
突如、頭に鈍痛が響いた。親方のゴツい拳だ。
「なーに、旅人なんか見てんだ。遅刻した分際でよくのうのうとサボってられんな」
「す、すみません」
親方が怒鳴る。ミズキは慌てて青年から目を離し、自分の仕事に打ち込んだ。
今日の仕事は瓦礫撤去。一週間ほど前、聖職者同士で喧嘩があったそうだ。鎖の聖職者と木の実の聖職者らしい。彼らの戦いは荒々しく、重厚なもので壊された木柱に、毒で腐食されたような木柱がそこらかしこに廃材となって命なく転がっている。二十棟の家が原型を保つことなく潰れ、三十四棟の家が一部損壊の被害を被った。聖職者の喧嘩はいつもこんな感じだ。彼らはそれが故に怒らせてはならないのだと、国の暗黙の了解にもなっている程だ。
木の実の聖職者はそのまま町を離れたが、鎖の聖職者は未だに町に残っているらしい。
「全く。聖職者共は人様の迷惑も知らねえで勝手に派手に暴れやがって。何が神の加護だ。何が選ばれた者だ。なんで聖職者はこんなにも問題児ばかり揃いやがる」
親方は愚痴愚痴と毎度のこと文句を言いながら、聖職者に無残にも壊された端材を、ドンリザードに繋がれた荷台に乗せていく。
ドンリザードとは象より一回り小さな気性の荒い肉食獣で、自分の体重の何十倍もの荷物を運ぶことができる。そのため、こういった回収作業にも旅の足にもよく使われて重宝されている。獰猛ではあるものの、ちゃんと躾がされているため土木作業に用いるドンリザードには危険はないが、野生で会うと一般人ならアウトだ。ちなみに、危険な野生生物に会うとどう足掻いてもアウトは"アウトモンスター"と呼ばれている。
「ミズキ! 一旦、廃材捨てに行くぞ!」
「はい!」
ミズキは親方に大きく返事をし、ドンリザードの廃材溢れる荷台に飛び乗った。親方はドンリザードに跨り、手綱を打った。軽快なリズムでドンリザードは気合の入った鳴き声とともに、右脚と左脚をペタペタとテンポよく交互に前に出し歩き、すぐに走り始めた。親方を筆頭に後方のドンリザードは他の強面の先輩達を背に乗せて、後を追いかけてきた。
「旅に出たいのか? お前も」
親方が訊いてきた。ドンリザードの走行速度の風に当てられ、昨日半壊した国の一角以外は何も変わらない国の景色を眺め呆然としていたために、親方からの突然の問いはミズキの肩をビクつかせ揺らした。
「そりゃまあ、出たかったですよ。でも、もうそれは昔のことです」
親方は鼻で笑う。
「まぁ、そうだろうよ。みんな誰しもが抱える悩みだ。何の面白みのないこの国なんて、早く出ることに限る。俺も昔はそうだった」
「やっぱりそうですよね」
「今となっちゃ諦められたことが良かった。家に子供と妻が待ってるからな。これがまた可愛いんだ。妻が」
「お子さんをもっと大事に!」
「とまあ、それより。何事もなく森を抜けられる強運の持ち主以外で、この町から出る方法は大雑把に二つあるだろ。ミズキ、知ってるか?」
ミズキは首肯する。親方は頭に巻いていたタオルを外し、自動的に向かってくる涼しい風を楽しんだ。ミズキも同じ事をした。
「大金払って聖職者の後について森を抜けるか、聖職者かですよね。森には魔獣がうじゃうじゃ潜んでいますから、一般の何の加護も受けてない人が外に出ると、一瞬で食われて人生が終わり、って訊いたことがあります」
「ああそうだ。誰もが知ってる常識だよな。それだから俺は、聖職者が嫌いなんだ。自分の力を過信して慢心してるところがな。他にはできないことが自分にはできるっていう特別な神のご加護の能力が、聖職者をつけあがらせる。その傲慢さが、俺は嫌いだ。間違っても外の世界に行こうなんて考えんなよ。お前は死ぬから。絶対」
「わかってますよ」
「資格しか持ってねえお前は特に、行くべきじゃねーぜ。冒険なんて夢のまた夢だ」
親方の言う通りだが、胸にモヤモヤとしたものが残る。
荷台に乱雑に敷き詰められた廃材の一部を手に持ってみた。まだ新築のものだ。木材の色は薄く、年期の入っていないものばっかりである。つい一ヶ月前、親方らが何ヶ月もかけて建てた家が、聖職者に無残にも簡単に壊されて親方はイライラしているのだろう。親方はその後も愚痴愚痴と聖職者を批評した。
廃材の一部は横からの強い衝撃で無理矢理にへしおられたみたいで、先端が尖っていて危なっかしいものが度々上を向いてる。それを抜き取り先端の向きを変える。荷台の上は暇なのだ。
「だけど、俺はお前みたいな聖職者が好きだぜ」
親方はそう言ってこちらを振り向き、イタズラ小僧みたいにニッと笑った。
「コピーの聖職者なのに、まだ何の能力もコピー出来てないお前が、見てるとスゲー安心する。地に足つけて働いて、怒鳴られて半泣きになって、バカみたいに汗かいてる聖職者はシュールで面白い。それに、なぜか勝った気分になれるからな!」
「めっちゃ馬鹿にするじゃないですか! やめてくださいよ気にしてるんですから!」
「うるせえ! 俺に刃向かうんじゃねえ! 殺すぞ!」
「えええぇぇぇ…………」
理不尽な逆ギレに萎縮しつつも、手に持った廃材を荷台に放り投げた。
「廃材投げんな! 大事にしろ!」
「えええ…………す、すみません」
さっきまでバンバン荷台に廃材を放り投げていたところを、ミズキは覚えている。というか廃材を大事にする意味はない。廃材は全て国の燃料になる。町のいたるところに廃材ストックという場所があり、住民は火を使うときなどにそれを勝手に利用する。廃材は大切なエネルギー源なのだ。
親方のただの嫌がらせにはほとほと肝を冷やす。毎回本気で怒るから心臓に悪い。いつか心臓が落っこちた事に気づかず廃材ストックに置いていってしまいそうだ。
荷台でお尻に突き刺さる廃材の角ばった痛さを耐え揺られながら、ミズキは国の外に視線をやる。
国を覆っているのは果てを知らないのかというほどの永遠と続く森。そこには魔獣やら獣人やらが住んでいる。守護の聖職者に加護を受けたこの町には、魔獣は立ち入ることができない。そもそも、国を囲う高い壁が邪魔して侵入は不可能に近い。しなし、万が一そんなことが起こったとしても、国にはいろいろな聖職者か住んでいるため、侵入してきたとしても彼らに無残に惨殺されるのがオチではあるのだが。
国から出るには森をそのまま抜けるか竜を使って空中を滑空するかの二択であるが、竜に乗る人は相当な金持ちか貴族ぐらいなものだ。
この世界にはアンファングのように、森にぽっかり穴が空いたようなところにある国がいくつも、森の中に点在している。国の一つ一つには独特な政治がある。聖職者が統べる国もあれば貴族や王が統括する国もある。本で読んだ話によると、他の国は戦争が絶えないのだという。資源がどこの国よりもみすぼらしいこの国には領土としても他の国からは眼中外なのだと、学校で学んだ記憶がある。
「おい、ボーッとすんなミズキ。仕事だ」
「はい! ただいま」
廃材を廃材ストックに手作業で乱雑にバンバンと投げ込んでいく。今日はそれを何度も繰り返し、このみすぼらしい国を一周する。廃材を詰めては投げ入れ詰めては投げ入れ。最近夢を諦めてから、こんな毎日も、悪くはないのだと思い始めていた。
「この木屑どうするんですか?」
大小形はいびつで様々な微粉の木屑がパンパンに入った袋を、荷台に乗せた。
「木屑は廃材と違って邪魔にならない上、簡単に燃えるんだ。生活の中で色々と使える。全部、事務所に持っていく。これは、売れるんだ」
「そうなんですか」
廃材同士が擦れ落ちた木屑すらも利用するとは感服するな。そんなことを思いながら、今日一日で出た全ドンリザードの荷台に積もった木屑をパンパンに入れた袋を、慎重に荷台に積み込んだ。親方は嫌な顔一つせず、今日一日を乗り切って見せた。
新人に仕事を覚えさせるためとはいえ、親方自身が最後まで残ってくれるのはとても良心的だ。他のドンリザードたちは従業員を乗せてもうすでに帰ってしまっていた。
気がつけば午後六時。仕事はそろそろ終わりの時間だ。陽も沈み始めてきた。真横からのオレンジ色の陽の光が鬱陶しく感じ始める。
「これで終了っと。よし帰るぞ」
「はあああああ、やっと終わった」
溜息を吐きつつ空になった荷台に飛び乗った。底が深い荷台は風を完璧に遮断していて居心地が良い。その上、舗装されていない道の小刻みな揺れが、ゆりかごの作用のように気持ちよく感じる。さらに、廃材から出た木屑を詰めた袋が底いっぱいに敷き詰めてあり、それはふかふかの毛布を連想させる。
ちょうど良い揺れ。ちょうど良い重労働。ちょうど良い生活。
世界を分断する高くそびえる壁は、雲すらも立ち入ることを禁止するように、今日も世界の裏側を守り続けている。
こんな毎日が、死ぬまで続くのか。
バチーンバチーン。ジャララララ。ジャララララ。
途端、音がした。それに合わせドンリザードを親方は急停止させたた。慣性の法則に従い、ミズキは勢い余って荷台の後ろに思い切り後頭部を激突させた。
「イッッッた…………どうしたんですか急に」
「いるな」
「へっ?」
意味もわからず親方の方を荷台から覗くと、もうすでにドンリザードから降りていた。一応、ミズキもそれに倣って荷台の横の扉から飛び降りた。体中に砂つぶのようについた木屑を払い飛ばしながら、ズンズンと、だけども慎重に進む親方の後をついて行った。
「親方、どうしたんですか急ーーーー」
ジャララララジャララララ。ウォラァ!! バチーン!!
ミズキの言葉は遮られた。先ほどのジャララと金属が擦れる音は大きくなった。金属がぶつかる激しい音が、なぜか痛々しく聞こえた。
気のせいだろうか。男の声に交じって子供の声が聞こえるような気がする。
学校の体育館ほどの大きさの廃墟から、それは反響して聞こえてくる。親方は鋭く耳を澄ませてゆったりと、緩慢な動作で割れた窓から中を覗いた。
「やっぱりあいつか。ここにいやがった」
ジャララララジャララララジャララララジャララララ。
その音は鎖を引きずる音だった。
ゾクッと悪寒が走る。錆び付いた包丁で臀部からうなじにかけて背中をザックリと刺し上げられたような感覚が、ミズキを襲った。脳に直接生ぬるい泥水を注射されたように、一気に頭がぼんやりとした。間違いない。鎖の聖職者だ。
「もう一度言え。お前の夢は、なんだ」
鎖の聖職者は肺に笑いの含みを残したまま、奇妙に低い声色で言った。聞き覚えのある声に、ドクンと心臓が急激に跳ね上がった。
足の震えが止まらない。蘇る。昔の記憶が。
ーーーー聖職者ぁ? お前がぁ? なら、勝負しようぜ……死ぬまで
目が自力でひらけないほどボコボコにやられた。
ーーーー目障りなんだよ! テメェ、なんだその目は。俺に刃向かうってのか? あぁん!?
脚が折れるまで鎖の聖職者の圧倒的な暴力は続いた。
ーーーーこの町にいること自体が気に食わねえ。同じ聖職者ってのがムカつく。コピーするならしてみろ。ハハッ……この鎖貸してやるよ。勝負だ!
一週間気絶したまま目覚めなかった。生死を彷徨っていたと医師は言っていた。
五歳の時、選ばれたものは神からのご加護を受ける。聖職を与えられる。加護を受けた人間は特別に扱われ、神聖なものとして崇められたりしていた。だが、それは昔の話。今の世の中、聖職者はただの暴れ馬としてしか扱われなくなってしまった。神聖なものから害のあるものに。聖職者の能力は圧倒的で、特別な能力というのは傲慢を奮起させ、自身を狂わせる。
その典型的な例が鎖の聖職者ーーーージーンだった。
ミズキは五歳の時からジーンに特別に目の敵にされ、同じ学校を通い十四歳までひどい暴力を受けていた。出会えばすぐバトルを申し込まれ、決まってそれはジーンの圧倒的勝利に終わる。骨は何度だって折れた。心も何度だって折れた。
ーーーーお前みたいなんが、夢なんて大層なもの持ってんじゃねえ! この世界の過酷さも知らねえ奴が……大層な夢を見るな!!
アンファングでの鎖の音は十四歳の時に一度止んだ。ジーンは世界を見て回ろうとした。聖職者なら誰もが憧れる事だ。しかし、ジーンは途中で挫折して一年で戻ってきてしまった。十五歳のジーンは荒れていた。国のものは壊しストレスを発散しまくる超問題児。国を守る警護署の人たちも、聖職者相手じゃ手も出せない状態だった。
学校をなんとか卒業した。国の外れに行けばジーンには会うことはないと思っていた。しかし、それは安易だった。
背中、腹部、太腿、首筋、二の腕、足先、顔面。人体のほとんどが鎖にがんじがらめにされたようにぐっと筋肉が引き締まり、その上から重厚な鎖でぶっ叩かれた感覚が、二年ぶりのジーンとの最悪の再会で体を震わせた。
「ミズキ、ここは危ない。あのイカれた聖職者にばれんうちに逃げるぞ」
「あ、ああ……」
「お、おいミズキ。どうした。おい、叫ぶなよ? ばれたら死ぬから」
「嫌だ……嫌だ…………」
「お前に何があったか知らんが叫ぶな! おい!」
「ごめんなさい………………うわああ」
恐怖にまみれ叫びそうになった口を、親方は必死の形相で止めた。親方はひっそりと廃墟の中のジーンの姿を確認すると、安堵のため息をひとつ吐いて、ミズキの頭を小突いた。
「バカ! 死ぬ気か! 早くこの場を離れるぞ。ここはあいつの住処になったらしい。みんなに伝えてやらねえとな」
「……は、はい」
筋骨隆々で服が破けんばかりの筋肉を保有している土木の親方ですらも、額に汗を滲ませている。そりゃそうだ、とミズキは思った。
おそらく、親方でも太刀打ちできない。聖職者はそれほどに強く、チートじみている。親方を赤子の手をひねるが如く、ジーンは容易に殺すことができるであろう。
畏怖を蘇らせた体に鞭を打ちその場から離れようとした時、廃墟からジャラッと音がした。ミズキは咄嗟に振り返る。しかしそれはジーンが出した音ではなかった。
「早く答えろよぉ~。お前らの体はこんなもんじゃ簡単に壊れないだろぉ~?」
「…………何度だって……言ってやります」
目を疑った。ジーンと話している相手は、人ではなかった。
長い獣の耳が頭部から生えており、耳先からは黒い飾り毛がピンと立ち、フルリとした尻尾に鋭く尖った犬歯は横から浴びる陽の光を不気味に反射している。
獣人。カラカル。しかも子供。
ネコ科のそいつは鎖の痕でいっぱいになった顔で、両手と胴を鎖で巻かれ身動きが取れない状態で廃墟の真ん中でぶら下がっており、瞼はパンパンに腫れて、すでに来ている服はボロボロで傷だらけだ。顔中涙で濡れている。
鎖を振り回し始めたジーンに向かって、獣人は涙声で言い切る。
「ぼくは…………最強に、なるんです!!」
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