SとM

校倉馨

 

 

 俺は多分、こいつに生かされているんだと思う。

 

「あれ? 何してんの、匡紀まさのり

 膝を抱え、屋上のフェンスにもたれてカセットを聞いていた俺と、肌を刺すような日差しとの間に唐突に割り込んできたすぐるを見上げる。

 ポケットに突っ込んでいた右手でリモコンの一時停止を押して、口を開いた。

「……見ればわかるでしょ」

「イヤホンしてんのはね。何聴いてんのかはわかんないじゃん」

 この、まるでよく懐いた犬のような男に笑いかけられると途端にどうしていいかわからなくなる俺は、その言葉に、黙ってイヤホンのLを外して差し出す。

 同時に曲を最初の部分まで巻き戻し、もう一度、一時停止を押した。

 流れ出す音楽。

「わ、」

 当たり前のように俺の左隣に腰を下ろし、当たり前のように俺の渡したLを表示の通りに耳に突っ込んだ優の肩がびくりと強張る。

 きっと、思ったよりも音が大きくて驚いたんだろう。小動物じみた反応に、自分の口角が少し上がったのを自覚する。

「え、と。……ロック?」

 しばらく聴いてから、おずおずと声を潜めて尋ねてきた優に、簡潔に答える。

「そう。プログレ」

「ぷろぐれ」

「……、プログレッシヴ・ロック」

「ロック好きなの?」

「でなきゃわざわざ聴かない」

「あっ……、他には?」

「グラムロックとか」

「ロックかあ」

「うん」

 思いつくまま、俺に対してのまっすぐな興味と好奇心を隠さずに訊いてくる素直な声が心地良い。

 ここで、普通なら、お前は? とか訊き返してやるのだろうけど、別に俺はこいつの嗜好にそれほど興味はないからそんなことを問いかけたりはしない。

 それでもこいつは、何故だか金魚のフンみたいに俺のところにやってくるのを止めないのだから、不思議だ。

「……うーん。なんか、耳んとこでじゃんじゃん鳴っててきもちいねえ」

「……。まあね」

 子供か。

 反射的にツッコみそうになったが何も言わずにおいた。……確かに、それも魅力の一つではあるのだけど。

 優は、良くも悪くも嘘を言わない。わからないものはわからないと言うが、それはそれとして押しつけがましくもないところが好ましい。だからこそ、俺はこいつに意識的にこの距離を許しているのだ。……そもそもそんな奴に十分以上ある曲を丸々聴かせた俺も俺だが、大人しく聴かされたこいつもこいつだった。まったく、どうしようもない。

 同じ高校一年生とは思えない感想には呆れたが、けれど、単なる感覚でも――いや、だからこそ、かもしれなかったが。

 ともかく、肯定されて悪い気はしなかった。

「……。ていうか、何しに来たの」

 悪い気がしないついでに、ふと我に返って尋ねる。

 というのも、今は昼の一時過ぎである。つまり本来であれば授業中のはずだ。

 初めからサボるつもりで屋上に上がってきた俺はいいが、こいつはあまり授業を休んだりしたがらない。その割に成績は……いや、そこはいい。別に、どうでも。

「え? なんだろ……匡紀いるかなって思って」

「は?」

「へ?」

 思わず声が出た。優のきょとんとした声と表情に一瞬だけ騙されそうになったけれど、多分俺の反応は間違っていない。

 咄嗟に左を向いた俺の目は、思っていたよりも近距離にあった奴の目に吸い寄せられる。

 黒目がちの、動物じみて丸い眼。

「なにそれ」

「や、うーん。なんだろ……ほら、クラスも違うし。今日金曜だし」

「金曜だったら何なの」

「え、月曜まで話せないじゃん」

 わけがわからない。

 首をかしげながら俺を見つめて不思議そうな顔をするこいつが、いつにも増して理解できない。

「……お前、それくらいのことで授業サボる奴だったっけ」

 つい、そんなことを口にしていた。

 こいつに興味なんか無いのに。

 こんな言葉を吐けるほど、よく知りもしないのに。

「えー? 結構適当だよ僕。もらったプリントとか折る時もはじっこずれずれだし」

 そういうことじゃないんだけど。

「俺がいなかったらどうするつもりだったの」

「え? あ、考えてなかった……、あっほら、ね? 適当でしょ僕」

「それは適当っていうか考えなしでしょ」

「う゛」

 俺の言葉に優はぎくりと肩を強張らせて、ようやく視線が外れる。

 そのことになんとなくほっとして、溜息を吐いた。


 垂れ流していたカセットが、短めのプログレから気怠く陽気なグラムロックに切り替わる。

「ねえ」

 ボーカルの嗄れ声が気持ちのいい高音で歌い出す。

「何もないなら、昼寝でもどう?」

 サックスの音色に釣られた俺の考えなしの発言に、優の表情がぱっと明るくなった。

 

 

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