浄土教~皆が求めた異世界転生(?)~(日本史・平安時代~)

 仏教関係は幅が広く専門用語が多いので、できるだけ簡潔に参りたいと思います。

 まず、仏教と一口に言っても大きく分けて二つあります。

 上座部じょうざぶ仏教と大乗だいじょう仏教です。

 上座部仏教はタイなどで主流となっている、修行によって悟りを開くところまで己を高める仏教。

 大乗仏教は仏教の力によって万人の救済を行う仏教です。

 細かい点は違うかもしれませんが、大まかにそういう物だととらえてください。


 さて、日本の仏教は大乗仏教の方です。

 仏教はインドから中国へ伝わり、日本へ伝来しますが、その過程で仏教による救済を行う教義に解釈が変わっていったようです。

 奈良時代の聖武天皇が仏教の力で国を守ろうとしたのは有名ですね。(鎮護国家思想)

 大仏はこれを象徴する物とも言えます。


 さて本題です。

 日本の歴史上、様々な仏教の宗派が主流となっております。

 奈良時代の南都六宗。

 平安時代初期の真言宗・天台宗。

 そして、中期頃から貴族・民衆の間で広く求められたのがこの浄土教と言う考え方です。

 後に鎌倉時代に登場する「浄土宗」はこの浄土教の一派です。


 そもそも「浄土」とは何かという話ですが、こちらは仏教における清浄で清涼な世界の事を差し、こういった清浄なる世界は等しく仏の国であると言う考え方があります。

 浄土では死もなく永遠であり、死別した愛する者とも再会できるとされています。

 ただ、浄土と言う概念自体、仏ごとにそれぞれの浄土が説かれています。

 今回は浄土教における「西方極楽浄土」について差すことにします。


 極楽浄土はこの世界ではなく、別の世界において設立されたものですので人々はこの世界(現世)で命を終えてから浄土へ向かうことになります。これを「往生おうじょう」と言います。

 浄土教では阿弥陀仏あみだぶつの住む場所である極楽浄土に向かい、穢れのない浄土で悟りを開こうと言うのが目的です。

 しかし、これが実際難しいのです。

 仏教の世界では『輪廻転生』と言う考え方があり、人が死ねばその因果に応じて別の世界へ生まれ変わることになります。この時に向かうのは極楽浄土ではなく、穣土(天道、人道、修羅道 、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道)と呼ばれる場所です。

 仏教では悟りを開くことによってこの輪廻から抜け出し(解脱げだつ)、仏になるのが到達点とも言えます。

 ですが、悟りを開くことは相当難しいことです。

 救いを求める全員が悟れるわけでもありません。

 そのため、もう一つの方法がとられました。

 それが、阿弥陀仏(阿弥陀如来)の力を借りることです。


 阿弥陀如来は悟りを開いたとき、「自分が悟れた時には、自分にすがれば輪廻から脱する力を私が持てるように」と願をかけたとのことです。

 そのため阿弥陀如来に帰依し、輪廻を脱して極楽往生を目指す浄土教が当時、空前のブームとなったのです。


 ブームの背景にはまず、末法まっぽうの世の中であったことが挙げられます。

 末法とは、仏教の開祖の釈迦しゃかが亡くなってから2000年が経ち、教えが廃れて世の中が乱れるとされた歴史観の事です。

 日本では1052年がその元年とされており、平安時代初期には天台宗の開祖の最澄などが末法の世が近づいている事を述べています。

 実際、1052年は武士の台頭、摂関政治の衰え、院政が近づくなど世の中が確かに乱れていた時代であり、仏教界でも僧兵の登場など仏僧の腐敗が起こっており、人々も危機感を抱いていたことが伺えます。


 最早この世の中では救われない。

 そうなれば人々は生まれ変わった次の世界で救われたいと考えます。

 ですが浄土教の僧、源信(942 ~ 1017)がその著書『往生要集おうじょうようしゅう』によって輪廻転生は苦であると述べております。

『往生要集』は言ってしまえば極楽往生のマニュアルみたいなものです。これは人々の輪廻や地獄に対するイメージに影響を与えています。

 生まれ変わっても六道で苦しむよりは阿弥陀様の下で悟り開きたい。そのために極楽浄土への往生を願ったのです。


 今風に言えばこの世に嫌気が差したので異世界転生を願ったと言えばいいのでしょうか(笑)


 つまり、今の世の中は乱れて救いも見込めないそんな時、救われるための方法を説いてくれる存在が現れれば皆そこに飛びつくわけです。

 とは言え、仏教の世界は複雑。

 一般民衆は文字も読めない人が多い。

 そんな時に人々を救済するために仏僧が活躍する訳です。


 先に挙げた源信は『往生要集』という極楽往生の為のマニュアルを作成しました。

 他にも有名どころとしては空也(903 ~ 972)が挙げられます。

 空也は平安京の市場で教えを広めていたので『市聖いちのひじり』と呼ばれました。

ひじり』と言うのは特定の寺に所属せず庶民に浄土教信仰を普及させた僧を差します。


 また、文化にも影響が出ています。

 末法思想の影響であちこちから仏像の需要があったために仏像を彫る仏師はこれまでの一木造いちぼくづくり(一本の木を彫って作る手法)から寄木造よせぎづくり(パーツごとに作り、組み合わせる手法)を確立し、効率的に大量生産できるようにしています。

 特に仏師の中でも定朝じょうちょうは当時もっとも有名な人物でした。

 今風なら超売れっ子の彫刻家と言えます。

 定朝の彫った阿弥陀仏は当時の貴族階級ならだれもが欲しがる仏像だったようですね。


 他にも、実際に往生を遂げたと信じられた人々の伝記を集めた『日本往生極楽記』などの往生記おうじょうきが数多く作られたり、絵画の世界では阿弥陀様が迎えに来る姿を描いた『来迎図らいごうず』が描かれたり、経典を書写して容器(経筒)に入れて地中に埋める経塚が作られたりと言った具合に、様々な手段で人々は極楽往生を求めていたようです。


 財力のある貴族などはこぞって阿弥陀仏を本尊とする寺や阿弥陀堂を建設しています。

 藤原道長が建立した法成寺ほうじょうじ、藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂あたりは特に有名な物ですね。

 都だけではなく、大分は富貴寺ふきじ大堂、奥州平泉は中尊寺金色堂などが阿弥陀堂建築ですので、日本全国に浄土信仰は広まっていたようです。


 この様に建築、芸術など様々な分野にまで影響が出ています。

 極楽浄土と言う異世界への憧憬がどれだけ大きかったのかわかる時代ですね。


 では、今回はこの辺で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る