大航海時代②~東へ向かった四人の男~(世界史・ポルトガル)
大航海時代の幕が上がり、ポルトガル・スペインも乗り出します。
今回はポルトガルの動きを見てみましょう。
ポルトガルは東回りルートを開拓。アフリカ大陸経由でアジアへと向かっています。
①エンリケ(1394 ~ 1460)
まずは「航海王子」と呼ばれたポルトガルの王族、エンリケです。
「誰?」「ヴァスコ・ダ・ガマはどうした」と思うかもしれませんが、まずはこの方を語らずして始まりません。
そもそも、大航海時代と言えど、何の指標も無しに人類未踏の地域を駆け巡るわけにはいきません。
ただでさえ世界の果ては滝になっているだの、化け物が口を開けて待っているだの、灼熱地獄になっているだの迷信が跋扈しているのですから、少しずつでも先へ進んでデータを残していかなくてはいけません。
アフリカなんて19世紀まで全く内陸についてはわからなくて「暗黒大陸」とまで呼ばれていたくらいですからね。
このエンリケは、当時のヨーロッパの人々が知らなかった地域を開拓したという点で、大航海時代の先駆けになった人物でもあります。
まあ、「航海王子」とは言われていますが、本人はほとんど船に乗っていないそうです(汗)
一説によれば船酔いが激しかったともいわれていますね。
とは言え、この方は王族と言うこともあって航海者のパトロンとして支援を行ったことで知られています。
実際に、自らが支援した人物らが次々と成果を上げ、「この先は煮えたぎる海が先にある」と信じられていたボジャドール岬(アフリカ大陸西岸の出っ張った部分より少し北の部分)を1434年に遂に越え、迷信を打破。
1444年には後述のバルトロメウ・ディアスの父ディニス・ディアスがサハラ砂漠の南端に到達。サハラ砂漠を越えるキャラバンを利用せずに直接アフリカ南部の黄金を手に入れることができるようになりました。
このエンリケの功績の後押しになったのが、15世紀中盤頃に、小型帆船のキャラベル船がポルトガルによって開発されたことでしょう。
これまでが、かなり大型の船が多かったため、乗組員の負担も多きく、未知の地域に行けば、海図もなかったので座礁の危険もありました。
キャラベル船の登場によって、それまでは座礁の危険が高く困難だった沿岸の浅瀬や河川を探検することが可能となりました。
操舵性も優れ、当時の冒険家が求めた経済性、速度、操舵性、汎用性といった要素を満たしており、後にコロンブスも自分の航海に用いています。
②バルトロメウ・ディアス(1450年頃 ~ 1500)
続いたのがバルトロメウ・ディアスです。
父と祖父はエンリケ航海王子に仕え、自身もポルトガル王家の騎士として仕えていました。
彼は王命を受け、アジア交易路確立の為、アフリカ周回航路の遠征隊長として派遣されることになります。
目的の一つには、アフリカにある伝説のキリスト教徒の王「プレスター・ジョン」の国を探し出してポルトガルと友好関係を樹立することも含まれていたそうです。
さて、1487年にリスボンを出港。
1488年、南緯29度付近に到達した時、嵐に遭い13日間漂流することになります。
ディアスは陸地に近づくため、東に進みます。予定ならアフリカ大陸の海岸に到達するはずだったのですが、いつまでたっても陸地が見えません。
そこで、ディアスは北へ進路を変えると、なんと西側に陸地が見えてきます。
つまり、気づかないうちにディアスはアフリカ南端を越えていたのです。
その後、調査の結果、このまま行けばインドまで到達できる確証を得たディアスはポルトガルに引き返します。
実は、乗組員の不安が限界に達したため、これ以上進めなくなったとも言われています。
まあ、未知の領域に行くのは誰だって怖いですよね。
そして、その帰りに喜望峰(アフリカ大陸南端)を発見します。
年末にリスボンに帰ったディアスは王に成果を報告しました。
ディアスの報告では、その苦難の道のりから『嵐の岬』と名付けたそうなのですが、この時の王様ジョアン2世は「東方への道が開けた!」と言う理由から『喜望峰』に変えてしまったそうです。(汗)
③ヴァスコ・ダ・ガマ(1460年頃 ~ 1524)
さあ、遂にインド航路が開拓されます。
ヨーロッパ→アフリカ南端→インドの航路をヨーロッパ人で初めて発見した人物とされています。
この航路の開拓によって、ポルトガルは東回りインド航路を確保し、勢力を増すことになります。
実は、ヴァスコ・ダ・ガマについての記録はかなり少ないです。
航海記録もあまり残されていないどころか、何故艦隊の司令官に任命されたのかもわかっていないそうです。
まだディアスも健在だっただけに謎です(汗)
さて、当時のポルトガルですが、厳しい財政事情だったようです。
そのため、香辛料や黄金の豊富なインディアス(当時のヨーロッパにおける東アジアの総称。ただし、アメリカ大陸が未発見だったため、誤解で当地はアジアだと思われている)との交易が求められており、東方のキリスト教国「プレスター・ジョン」の国と連携する構想が立っていました。
ディアスの時に登場したジョアン2世ですが、陸路ではエチオピア(キリスト教国家)との接触に成功。海路でもディアスが喜望峰を発見するなど、着々と成果を上げていました。
しかし、ここで衝撃が走ります。
1492年。クリストファー・コロンブスが西回り航路でインディアスに到達します(実際はアメリカ)。
さらに、その成果を受けて当時の教皇が教皇子午線を設定します。
これは、コロンブスの「アジア到達」を受けて、スペイン・ポルトガルの勢力圏を教皇が規定したものです。
これによって、西側はスペインの勢力圏となり、ポルトガルは手が出せなくなります。つまり、現時点でポルトガルはアフリカ沿岸までしか勢力圏がない状態になります。
そしてジョアン2世が亡くなり、後を継いだマヌエル1世はインド航路発見のため動き出します。
1497年7月、ヴァスコ・ダ・ガマ一行は出港。
アフリカ西端のヴェルデ岬までディアスが水先案内人として同行し、12月には喜望峰に到達します。
この頃から乗組員の中には壊血病による死者が出始めます。
更に、イスラム勢力圏に入るため、つい先日までレコンキスタでイスラム勢力と戦争をしていたポルトガル勢は警戒を強めることになります。
道中では武力の行使や人質を取るなどして水を奪い、先に進んでいきます。
自分たちがキリスト教徒だとばれないために船を沖に停泊させるなど、この辺りは徹底していたようです。
ですが、この警戒心がイスラム系商人との軋轢を生みます。
艦隊を沖に残し、乗組員を全員上陸させないと言うこの行動は当時のインド洋貿易における慣習に反しており、多くの場で疑心暗鬼を生み出してしまいます。
インドに到着しても、関係構築に失敗し、使者を人質に取られるなどされております。逆に、ヴァスコも人質を取るなどして対抗。
人質奪回を図る追手を振り切りながら帰国の途に就きます。
しかし、貿易風が満足に吹かず、壊血病も蔓延して兄も失います。
1499年、リスボンに到着したヴァスコはインド地域の情報を持ち帰り、航路を開拓した功績から王族や貴族の身に許される「ドン」の称号を与えられ、年金も手にします。
その後もヴァスコは艦隊を率いてイスラム系商人との争いを繰り返します。
イスラム教徒にとってヴァスコの名前は畏怖の対象になっていました。
そして、敵対国を降伏させ、交易で様々な品を得ることに成功し、その収入もどんどん上がり、ポルトガル上位陣に名を連ねるほどになります。
④ペドロ・アルヴァレス・カブラル(1468年頃 ~ 1520)
「誰だお前」と言う声が聞こえてきそうです(汗)
彼は、第一回インド遠征(ヴァスコ一行)に続き編成された第二回インド遠征の司令官です。
カブラルの任務は永続的な貿易関係の確立とキリスト教の布教でした。
1500年に艦隊を率いてリスボンを出港。インドへ向かう予定の彼らでしたが、予定外の場所に到着します。
それが「ブラジル」です。
艦隊に同行していた商人たちが「これ、ブラジルの木だ!(赤色染料の原料)」と言っていたことから「そうか、ここはブラジルの地か」と呼ぶようになり、現在のブラジルの名称の語源になったそうです。
航海を再開し、インドへ向かったカブラルですが、喜望峰付近で嵐に遭遇。
同行していたバルトロメウ・ディアスの船が沈み、帰らぬ人になります。
インドに何とか到達したカブラルですが、こちらも交渉がうまくいかず、船を撃沈する、殺し合いに発展するなど、とにかく関係は悪かったようです。
帰国した後は、ヴァスコ・ダ・ガマが引き継ぎ、第二回、三回目の彼の航海に繋がっていきます。
・終わりに
彼らの航海の結果、アジア・アフリカの拠点(マラッカ・ゴア・ホルムズ等)を抑えたため、東回り航路はポルトガルが独占します。
ちなみにアジア外交に乗り出したポルトガルの圧力外交は、その後の方針になります。
基本的な態度として、相手の文化尊重ではなく、自己の流儀を持ち込み、軍事力を背景に勧めていくものとなります。
後世、これはヨーロッパがアジア進出を強める時代に海軍の派遣による貿易の支配、植民地支配へと繋がっていきます。
今回はこの辺で。
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