シベリア出兵~誰が為の戦い~(日本史・大正時代)

 1914年。第一次世界大戦が勃発いたします。

 三国協商さんごくきょうしょう側(イギリス・フランス・ロシア)と三国同盟さんごくどうめい側(ドイツ・オーストリア・イタリア)の勢力それぞれを巻き込み、世界中に影響を及ぼした史上初の世界大戦です。


 当時の大隈重信おおくましげのぶ内閣は日英同盟の立場からドイツに宣戦を布告。

 中華民国ちゅうかみんこく政府へは二十一箇条にじゅういっかじょうの要求を突き付け、ドイツの持っていた中国権益を全て日本に譲り渡すよう要求します。

 この日、5月9日は中国では国恥こくち記念日となっていますね。


 さて、とりあえず細かい所は置いておきまして、本題へ移りたいと思います。



【ロシア革命とシベリア出兵】

 戦況の悪化に伴い、ロシアでは生活が悪化。その結果、国民の怒りが爆発。

 1917年、遂に革命が発生して、皇帝が倒されます。世に言う「ロシア革命」です。

 成立した新政府(ソヴィエト政権)は講和(ブレスト・リトフスク条約)を結び、世界大戦から離脱しました。

 ドイツとしては交戦国が減り、ロシアと交戦していた東部戦線の軍隊をイギリス軍・フランス軍と交戦していた西部戦線へと送り込むことができるので、戦略上、ロシアの離脱は非常に助かる事でした。


 ですが、他の国々にとっては違います。

 新政府(ソヴィエト政権)は社会主義。

 列強は資本主義を否定するこの国家を認めるわけにはいきません。


 社会主義政府打倒へ、各国が出兵をします。

(……と、言いつつも、実の所はロシアの持っている外資狙いの部分もあったのですが。)

 しかし、「気に食わないから攻撃する」と言えませんので、大義名分を用意。

「極東にいるチェコ兵の保護」という名目でロシアへ攻め込みます。これがシベリア出兵です。


 さて、各国の兵力数です。

 アメリカ…7950人

 イギリス…1500人

 カナダ……4192人

 イタリア…1400人


 まあ、あまり多くありません。

 欧州で戦闘中ですのであまり大規模に兵員を割けない事情がありました。

 さて、これに対して日本はどうだったかと言いますと……


 日本…7万3000人


 圧倒的人数です。

 実は日本にとって、ソヴィエト政権の成立は避けたいことでした。

 社会主義は労働者中心の政治。つまり、身分制を否定しています。

 日本においては天皇制の否定に繋がります。

 実際、社会主義者は日本では取り締まりの対象となっていますね。


 1910年(明治43年)5月25日には、信州の社会主義者宮下太吉みやしたたきちら4名が明治天皇暗殺計画を企て、逮捕された「信州明科爆裂弾事件」と言うものも発生しています。

 その後、社会主義者はアナキスト(無政府主義者)の取り締まりが行われ、6月には幸徳秋水こうとくしゅうすいが捕らえられ、翌年処刑されています。『大逆事件たいぎゃくじけん』という名称は聞いたことがあるのではないでしょうか?


 日本は日清・日露戦争によって朝鮮・中国・満州における権益を確保。

 大陸にその勢力を拡大していたため、ロシアとは勢力エリアが接する関係でした。


 さて、そう言う事から近隣国が社会主義になれば、があると考えました。

 故に、他の国家よりも危険性を感じ取っていたのです。


【誰がための戦い】

 さて、実際にシベリアに出向き、戦いが始まるわけですが、日本軍を悩ませたのは「パルチザン」と呼ばれる農民・労働者で組織された非正規軍。

 いわゆるゲリラ戦が展開されます。

 正規軍と違い、民間人であるため、敵の軍隊との区別がつきづらいのです。


 民間人かと思って武器を下ろしたら、あちらが銃撃してくるなんてのは日常。

 結果、日本軍はパルチザンの拠点とされる村落を掃討する必要になります。

 当然、その中には無関係な村もあるわけで……


 パルチザンのゲリラ戦→日本軍の掃討作戦→村を焼かれた農民がパルチザン化


 と言う不毛な連鎖が続きます。

 逆に、日本居留民がパルチザンや赤軍によって虐殺される『尼港事件』と言うものも発生しています。


 泥沼化する中で、日本兵の状況も最悪でした。

 何せ、「」のですから。


 社会主義の危険性を十分理解できている人はそれほどいません。

 戦争目的が曖昧なために士気は低く、軍の中では酒宴に耽るもの。裸踊りを楽しむもの。略奪や理不尽な命令や叱責などで雰囲気は最悪だったようです。


 さらに、1918年11月にはドイツで革命が起きて停戦。

 連合軍はシベリア出兵の意味を失い、相次いで撤退してしまいます。


 日本は単独で駐留しますが、シベリア出兵を決定した寺内正毅てらうちまさたけ内閣が米騒動こめそうどうで総辞職。

 結局1921年のワシントン会議で加藤友三郎かとうともさぶろう海軍大臣が撤兵を約束。この方が後に首相となり、予定通り撤兵しました。



【シベリア出兵ちょっといい話】

 最後に、唯一日本にとって良い方向に起きた影響について、触れておきましょう。

 ポーランド孤児の救済です。


 ロシア帝国はポーランド人の政治犯などをシベリア流刑にしていました。

 その結果、シベリアには多くのポーランド人がおり、ロシア革命の混乱とポーランドの独立によって、多数のポーランド孤児がシベリアに取り残されたのです。

 しかし、その保護のために力を貸す国はありませんでした。


 ですが、日本政府が唯一、ポーランド孤児の救済に手を上げます。

 日本赤十字社と連携し、シベリア出兵中にポーランド孤児を救出。

 栄養状態も悪かったポーランド孤児たちは、日本での滞在で健康を取り戻し、およそ800人ものポーランド孤児が祖国へと帰ることができました。


 現在、ポーランドはこの件もあって親日国となっています。

 加藤友三郎かとうともさぶろう首相は、「なに一つ国家に利益をもたらすことのなかった外交上まれにみる失政の歴史である」と述べていますが、この件のみは未来の日本にプラスになっていたようですね。


 それでは、今回はこの辺で。

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