崇徳天皇~史上最強の怨霊と守護神~(日本史・平安時代)

 日本三大怨霊にほんさんだいおんりょうと言えば


 平将門たいらのまさかえど

 菅原道真すがわらのみちざね


そしてこの崇徳天皇すとくてんのう崇徳上皇すとくじょうこう崇徳院すとくいん)とされています。


 しかし、将門まさかど首塚くびづか

 道真公みちざねこうは自分を失脚させた藤原氏をはじめとするメンバーへの祟りなどのエピソードが有名ですが、崇徳天皇すとくてんのうはあまり知られていないイメージがあります。

 たぶん、「誰?」というイメージあるいは「保元の乱で負けた人」くらいではないかと思います。


 ですが、そのイメージは本日までです。

 実はこの崇徳天皇すとくてんのう、他の二人をはるかに超える存在なのです。


【崇徳天皇、その経歴】

 そもそもこの天皇。出自からして不遇です。

 祖父は院政いんせいを始めたことで知られている白河天皇しらかわてんのう。あまりにも影響が強く、その子、孫世代にまで権力を及ぼした存在でした。


 崇徳天皇すとくてんのうはこの白河天皇しらかわてんのうの子とされる逸話(真偽不明)があり、父親の鳥羽上皇とばじょうこうからは疎まれていました。

 即位しても兄弟の近衛天皇このえてんのうに譲位を迫られ、近衛天皇このえてんのう死後は有力候補だった自分の息子を即位させようとしましたが、「近衛天皇このえてんのうを呪い殺した」と噂が立ち、激怒した鳥羽上皇とばじょうこうによって弟の雅仁親王まさひとしんのう(のちの後白河天皇ごしらかわてんのう)が即位することとなりました。

 こちらは鳥羽上皇とばじょうこう寵愛ちょうあいする女性の子供と言う事もあり、確実に自分の子供であるという確証があったようです。

 まあ、親子関係云々うんぬん以外にも、当時の政争に巻き込まれて摂関家や院の意向が優先されたと考えることもできます。


 その後、父親の鳥羽法皇とばほうおう(※出家して上皇じょうこうから法皇ほうおうになってます)が崩御。この際も臨終に立ち会うことを拒否され、遺体にも対面することを許されなかったそうです。

 しかも「上皇じょうこう左府さふ同心どうしんして軍を発し、国家をかたむたてまつらんと欲す」とまでうわさが流され、摂関家の邸宅まで軍で制圧されます。

 そんな中、脱出した崇徳上皇すとくじょうこうの元に側近が集まり、戦いが始まります。

 これが保元ほうげんの乱です。


 ここで活躍したのが平清盛たいらのきよもり源頼朝みなもとのよりとも義経よしつねらの父である源義朝みなもとのよしともですね。

 さて、この乱に勝利したのは後白河天皇ごしらかわてんのう

 崇徳上皇すとく上皇讃岐さぬき配流はいるされます。(つまりてんのうでありながら罪人扱い)

 天皇が配流はいるされるのは400年ぶりの事だったそうです。(前回が奈良時代の「恵美押勝えみのおしかつの乱」で廃位はいいされた淳仁天皇じゅんにんてんのう


 『保元物語ほうげんものがたり』によれば配流はいる先では戦死者の供養と反省の証として写経しゃきょうを行い、都に送りました。しかし、これに対して後白河天皇ごしらかわてんのうは「呪いがかかっているのではないか」と奉納ほうほうを拒否され、送り返されてしまいます。(一説によれば「血文字」で書かれていたなんて話もありますが……だったら怖いですよね(汗))


 心を込めて書いた写経が送り返されたことに激怒した崇徳上皇すとくじょうこうは舌を噛み切り、その血で国を呪う事を記し、その後亡くなったとされています。

 「日本国の大魔縁だいまえんとなり、皇を取って民とし民を皇となさん」

 「この経を魔道に回向えこうす」

 と、書いたそうです。

 なお『保元物語ほうげんものがたり』ではそのまま天狗になったと言う話ですが『今鏡いまかがみ』では、逆に恨みを持って亡くなったと言う話は残されていません。


 亡くなった後も、朝廷は喪に服したりも葬儀を行う事もなく、国司によって葬礼が行われただけで、依然として罪人扱いだったようです。

 保元ほうげんの乱で同様に配流されたメンバーが次々と許されて帰京している中、崇徳上皇すとくじょうこうのみがこの扱いでした。


【七百年も続いた祟り】

 さあ、ここからが本領発揮です。

 崇徳上皇すとくじょうこう死後、1176年に後白河法皇ごしらかわほうおうや摂関家の近親者も相次いで亡くなります。

 翌年には延暦寺えんりゃくじの僧兵による強訴ごうそ

 安元あんげん大火たいかで平安京の三分の一が焼失。

 鹿ケししがたに陰謀いんぼうで平氏に反発していた一派が処罰されるなど、立て続けに事件が起きます。

 ここで朝廷も遂に崇徳上皇すとくじょうこうの怨霊を意識し始めます。

 貴族の日記にも頻繁に「崇徳院の怨霊の仕業ではないか」と書かれ始めていたようです。


 精神的に追い詰められた後白河法皇ごしらかわほうおうは、怨霊を鎮めるため、罪人扱いを解き、同時に配流はいるされ、亡くなって怨霊とされた藤原頼長ふじわらのよりなが正一位しょういちい太政大臣だじょうだいじん追贈ついぞうされています。

 崇徳上皇すとくじょうこうへも「讃岐院さぬきいん」とされた呼び名を「崇徳院すとくいん」に改めています。

 1184年、保元ほうげんの乱の古戦場に「崇徳院廟すとくいんびょう」が設置され、その御霊みたまを鎮めようとしていることが伺われます。


 しかしその後は武家が台頭。

 朝廷の権力は落ち、承久じょうきゅうの乱後は幕府によって政治の実権が奪われます。

 そこから鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代と約700年もの長い間、政治は武士によって牛耳られることになります。

 途中、後醍醐天皇ごだいごてんのうによる「建武けんむ新政しんせい」なんてのもありましたが、あれもすぐに潰れてしまいましたね。

 

 さて、ようやく朝廷が実権を取り戻して明治時代に入ります。

 首都も東京へと変わり、明治天皇は即位します。

 この際、讃岐さぬき勅使ちょくしを遣わして崇徳院すとくいん御霊みたまを京都へ帰還させ、白峰神宮しらみねじんぐうを創建しています。

 さらに、昭和天皇は崇徳院すとくいん崩御ほうぎょして八百年目にあたる昭和39年(1964年)に、香川県坂出市かがわけんさかいでし崇徳天皇陵すとくてんのうりょう勅使ちょくしを遣わして式年祭しきねんさいを執り行わせています。

 どれだけ恐れられていたのかがわかりますね。


 崇徳上皇すとくじょうこう=怨霊のイメージは相当定着してしまったようで、中世以降の創作の中(例:『雨月物語うげつものがたり』)でも怨霊のモチーフとして崇徳上皇すとくじょうこうは頻繁に描かれることになります。

 中世以降における怨霊の元はこの方と言う事になりますね。

 つまり、怨霊として恐れられた期間やその規模は平将門たいらのまさかえど菅原道真すがわらのみちざね以上であるということになります。


 余談ですが、京都の安井金比羅宮やすいこんぴらぐう崇徳院すとくいんが祀られているのですが……


 「」として知られています。


 『あいつと別れられますように(ソフトに言って)』と言ったような内容の絵馬が多数あるようです。

 御利益はさて置き、内容がかなり過激なものもあるので、私自身の気持ちで言わせてもらえば正直人間の情念の方が怖いです(汗)


【崇徳院ちょっといい話】

 さて、ここから先は崇徳院すとくいんの良いエピソードも押さえておきましょう。


 実は、怨霊としての知名度の一方で四国の守護神としての伝説もありました。

 承久じょうきゅうの乱で土佐とさに流された土御門上皇つちみかどじょうこう後白河天皇ごしらかわてんのうのひ孫)が、道中ここに立ち寄り、鎮魂の為に琵琶を弾いたところ、夢に崇徳院すとくいんが現れて京都の家族の守護を約束してくれています。

 その後、土御門上皇つちみかどじょうこうの遺児である後嵯峨天皇ごさがてんのうが即位しています。


 他にも、室町時代には細川頼之ほそかわよりゆきが四国の守護となった際、崇徳院すとくいん菩提ぼだいとむらってから四国平定に乗り出したところ、平定に成功。それ以後、細川氏は代々の守護神として崇徳院すとくいんを崇敬したと言われています。

(『金毘羅参詣名所図会こんぴらさんけいめいしょずかい』・『白峰寺縁起しらみねじえんぎ』より)


 つまり、朝廷には厳しかったのですが、自分に対して敬意をもって接してくれた相手には最大限の加護を与えていたと言う事ですね。

 礼儀は大切です。


 また、文化人としても知られており、歌も多く遺されております。

 有名どころは小倉百人一首の『瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ』でしょうか。


 流れる水は岩にぶつかると二つに割れますが、また一つに戻りますので、現世では結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれるでしょうという意味ですね。


それでは、この辺で。

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