第3話 砂場のジジイ

 びしょ濡れになった体を早く乾かそうと、私は必死だった。濡れたままで帰ったら、少なからず両親に疑われるにきまっている。このまま帰る訳にはいかなかった。幸いにも、今日は日差しが強かった。日差しに照らされてれば、すぐに乾くと考えた私は公園に向かった。


 途中、例の商店街を通った。周りには、ジジイしかいなかった。まさか飛ぶんじゃないかと期待していたが、そんなことは無かった。


 公園につくと、比較的綺麗で、隣に誰も座ってないベンチを選んで座った。ここは、私が昔よく来ていた公園だった。家から少し歩いたところにあり、どちらかといえば小さい公園だったけど、居心地は悪くなかった。辺りをざっと見回してみる。数人の小学生が、公園全域を使って鬼ごっこをし、向かいのベンチでは、二人のお婆ちゃんが、どこか遠い目をしながら、何かを語っていた。水道では、二人の小さな子供が熱心に泥団子を固めていた。


 そして、その近くの砂場には、大人でも作るのは難しいと思われる、立派な砂の城が築かれていた。一瞬、あの小さい子供が作ったのかと思ったが、そんなわけ無かった。あまりにもクオリティが高すぎたからだ。「誰が作ったんだろう」と考えながら、私は体が乾くのを待った。そして、そのまま寝てしまった。


 はっと目を覚ますと、日は既に傾きかけていた。周りは二人の小さい子供を除いて、皆帰ってしまったようだった。彼らは大量の泥団子を量産していた。体はすっかり乾いており、思い切り伸びをし、私も帰ろうと、ベンチから腰を上げた、その時だった。


 突然、どこから来たかもわからぬカラスが、何をしたわけでもない泥団子少年を襲い始めた。カラスは少年達を睨みながら、鳴き声を荒げていた。少年達の方は、お互いに服を引っ張り合いながら、怯えた様子で立ちすくんでいた。


 助けねば、と私は思い立ったが、なかなか足が言うことを聞かなかった。どうしていいか分からず、軽くパニックになっていた。鞄を投げようか。闇雲に突っ込んでみるか。そんな中、いっそ帰ってしまおうかという考えが、私の頭の中をよぎった。一瞬、私の思考はフリーズした。


 すると、私の背後から、誰かが猛烈なスピードで走ってきた。


 それは、あのジジイだった。


 あの時、飛んだジジイだった。ジジイはそのまま私を追い越すと、カラスに飛びかかっていった。カラスは素早く反応し、軽く飛んで、それをかわした。ジジイは勢い余って、地面に手をつき倒れたが、すぐに起き上がると空を飛び、カラスに挑んでいった。


 少年達は、何が起きてるのか分かってない様子だったが、助けてくれたのだと理解すると、


「頑張れ!ジジイ~!!」


 と、声を上げ応援を始めた。私はその様を見ることしかできなかった。ジジイは、カラスがくちばしで頭をつつくのを必死に耐え、何とかその体を捕まえようと奮闘している。空中で。戦況はカラスが優勢に思えた。それを察した少年達は、泥団子を拾い上げ、カラスめがけて投げ始めた。そして、見事にそれはヒットした。ジジイに。ジジイの顔面に。


 ジジイは体勢を崩すと、カラスに頭を思い切り踏みつけられ、そのまま砂場の城に落下した。城は跡形もなく崩れ落ちた。カラスは、それを見届けると、馬鹿にするように鳴きながら、遠くへ飛んでいった。少年達はジジイの元へ駆け寄った。無事を確認すると、抱き起し、申し訳なさそうな声で言った。


「ご、ごめんなさい。僕たち…助けようと…」


 まだ少年達は何か言おうとしていたが、ジジイは彼らの頭を優しく撫でると、ゆっくり立ち上がった。


「美味い泥団子だった…」


 そう言って、側に落ちていた泥団子を一つ手に取ると、振り返ることも無く、そのまま私の方へと歩いてきた。ジジイは私に何か言うこともなく、顔を見ることもなく、素通りしていった。


「あ、あの…!」


 思わず声をかけてしまった。それを聞くとジジイは立ち止った。何を言うか全く決めてなかった私は言葉に詰まった。何か言わねば、と焦れば焦るほど、何を言っていいか分からなくなった。しばらく沈黙が続いた。


「世の中には…」


 振り返ることも無く、ジジイはポツリと呟いた。


「世の中には…避けちゃならねえ闘いってのがあんだ…」


 私にとって、ジジイの背中はあまりにも大きかった。ジジイはそのままゆっくりと歩いていった。助けられた少年達は私を追い越して、ジジイの元へ駆け寄った。そして再びお礼を言うと、走り去っていった。


 公園には私一人が取り残された。


「避けちゃならない闘い…」


 小さく口に出してみた。


 私の身体は燃えるように熱くなった。

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