第4話 避けちゃならねえ闘い

 やっと学校が終わった。周りと違って喋る人がいない私は、黙々と帰る準備をする。それをしながら、私は以前の公園での事を思い出す。「いっそ帰ってしまおうか」確かに私は、そう考えた。そんな私にジジイは言った。


「世の中には…避けちゃならねえ闘いってのがあんだ…」


 何度も頭の中で繰り返す。次第に、顔が熱くなっていく。自己嫌悪に陥る。悪いのは自分だ。


 更に繰り返す。思い出すだけで息苦しくなってくる。二度とこんな気分になりたくなかった。




 帰りのホームルームが終わると、水原達が私の元へやってきた。男には可愛いと認識されるであろう不敵な笑みを浮かべながら。


「ミーちゃん!この後ヒマ~?」


「いや…今日は、その…」


 いつものように言葉を濁した。私は俯いたまま、言葉にならない事を口にしていた。何を言おうとしたのか自分でも分からなかった。


「暇だろ?付き合えよ」


 水原の後ろにいた、ちょっと太った奴が荒々しい口調で言った。その威圧に押され、私は思わず頷いてしまった。水原はそれを確認すると、「じゃあ、後で校舎裏ね」と言い残して教室を出ていった。


「その靴、似合ってるよ!」


 前髪を上げた奴が、去り際に振り返って言った。間もなく、がさつな笑い声が聞こえてきたのは言うまでもない。


 クロックスを馬鹿にされたのは、これが最初ではない。履いて登校した初日から、それは始まった。水原達だけでなく、名前も知らないクラスメイトからも、嘲笑されてるのが分かった。流石に親にも心配されたが、適当なことを言って誤魔化した。「しばらくは、このままで良い」とも言った。馬鹿にされるのは当然嫌なのだが、私は進んでクロックスを履いていた。これを履くと、何故か気持ちが楽になったのだ。


 重い足取りで校舎裏に向かう。行かずに逃げれば、翌日もっと悲惨な仕打ちを受けることが分かってた以上、私には行く以外の選択肢が無かった。着くと、既に水原達は待ち構えていた。


「遅いんだけど」


 前髪を上げた奴が野太い声で言った。私が彼女の目を見ることは無かった。


「まあまあ、落ち着いて」


 水原は彼女をなだめると、笑顔で私に近寄ってきた。


「私達これからさぁ~、服買いに行きたいんだけどね?ちょっと、お金が足りなくてさぁ~…貸してほしいんだよね」


 またか。予想通りだった。親の以上な愛もあって、お金には余り困ってなかった。でも、流石に限界だった。親に申し訳なかった。一度クロックスに目をやった後、私は抵抗を試みた。


「今日は、ちょっと…お金は」


「え、何?」


 水原は言葉を被せてきた。私が一瞬怯んだ隙に、水原の後ろにいた歯並びの悪い女が私の鞄をひったくった。彼女は鞄の中を漁ると、得意げな顔で財布を抜き取った。


「…あるじゃん」


 水原の表情が、人前では決して見せないようなものに変わった。私は慌てて鞄を取り返そうとして、歯並び女に駆け寄った。そして、クロックスにつまずき、派手に転んだ。しばらく沈黙が起きた後、ドッと笑いが起きた。私は体を起き上がらすことが出来なかった。ひっきりなしに笑いは続いた。


「こんなの履いてるからだよぉ~」


 前髪を上げた女はクロックスを拾い上げた。それを聞き私が即座に顔を上げ、振り返ると彼女と目が合った。そして、ニッコリと笑ってから言った。


「捨てといてあげるね」


「それはダメッ!!」


 思わず叫んだ。


 それからは早かった。私は体を起こすと、取り返そうと彼女に飛びかかった。片足だけ革靴を履いていた私は、バランスを崩して、再び転びそうになった。しかし今度は違った。勢いも相まって、私は彼女に頭から飛び込んでいく形になったのだ。私の頭は、見事に彼女の顔面にめり込んだった。


「ブボゥファッ…!!!???」


 彼女の野太すぎる声が聞こえた。それは力士を彷彿とさせた。どす黒い鼻血で綺麗な放物線を描きながら、彼女は仰向けに倒れた。ピクリとも動かない。私は、すかさずクロックスを取り返すと、胸に抱きしめた。それから大きく安堵の溜め息をついた。


 しばらくの間、水原達は目を丸くして、その光景を見ていた。我に返った水原は「お前、何してんだよ!」と声を荒げて私に掴みかかってきた。吹っ切れた私は必死に抵抗をした。威勢の割には水原の力は弱く、私は彼女を圧倒した。他の二人も水原に加勢をしたが、それでも私は抵抗を止めなかった。校舎裏で女子の醜い泥試合が行われた。奇声が普段は静かな校舎裏を騒がしくした。


 やがて皆一様に疲れ始め、声を出す気力もなくなってきた時だった。


「って…!」


 空から石が降ってきた。


 それは水原の頭の上で一度バウンドすると地面に落ちた。私達は闘いを忘れ、空を見上げた。


 そしてジジイはそこにいた。


 水原達が呆然とジジイの姿を見続けていたのに対し、私は笑みをこぼした。ジジイは薄汚い袋を片手に持ち、黙って宙に浮いていた。しばらくの間、静寂が校舎裏を包んだ。


 次の瞬間、ジジイは動いた。

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