十  恋は過ち

一度気になると一つ一つの行動全てが目について、あれも真似、これも真似、真似ばっかりだと気がついてくる。

折らずに履いてるスカート。ユニクロのセーター。ワンポイントも何もないハイソックス。方眼ノート。

私と同じく、汚されたり破られたりしても大丈夫なように適当なものを使っているんだと思ってた。

でもよく考えたら、梨緒は無視されるだけで、危害を加えられることはない。内面までは同じではないのかもしれない。

内面と言えば、私の真似ばかりしているはずなのに、テストの点数が平均くらいしか取れないのは梨緒の変なところ。真似できるのは、上っ面ばっかり。

私が好きだといったミッフィーも、本当に梨緒は好きなんだろうか。


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 気がついたらもう昼だった。体はしゃっきりしているのに、頭はぼうっとしてふらふらする。

 昨日のことはほとんど何も覚えていなくて、どうやってパジャマを着たのかも、どうやってベッドに寝たのかもわからない。気がついたらいつも通り、仕事人間の母は仕事に出かけていて、しかし珍しく起きてこなかった娘を気遣ってか、枕元にはウィダーインゼリーと風邪薬、水が置いてあった。

 しかし残念ながら風邪ではないので、水だけ飲み、風邪薬は薬箱にしまった。

 ゼリーくらいは口にしようかと思ったけれど、それすらもできないほど元気がなかったので、冷蔵庫に入れておくことにした。

 ゼリーを戻すために冷蔵庫を開けると、器に移しておいた肉じゃが以外に大したものは入っていなかった。野菜室もほとんど空で、気が進まないとはいえ、買い物に行かなければいけないことは明らかだった。

 服を選ぶ気が起きず、適当にヒートテックとワンピースを着て、分厚いタイツを履いた。

いつもならもう少し気合を入れて選ぶのだけれど、もう何もかもがどうでもよかった。

 鏡の中の全身真っ黒で化粧気のない自分を見て、いつもなら化粧をするなりタイツを変えるなりしておしゃれに気を遣うのに、真っ黒だな、と思うだけで特に何もすることはなく、財布とミッフィーのエコバッグ、携帯をコートのポケットに突っ込んで家を出た。


 寝ている間にどれだけ降ったのか、世界はふんわりとした冷たさに覆われていた。積雪はほんのわずかな陽光をこれでもかと照り返し、無感動な私の目を散々に傷めつける。

 大きなため息をついて視線を足元に下ろすと、路面には土の混ざったような汚らしい足跡が点々とついていて、昨日ここで残酷に踏みにじられた初恋を思い出してしまった。


 気が進まなくても足は進むもので、気がつけば何事もなくスーパーに辿り着いていた。

 献立も値段も考えず、無心でカゴに野菜や肉を放り込む。まるで買い物でストレスを発散しているかのようだと他人事のように思った。

 しかし買っている物があまりに所帯じみていて、放り込むたびに別のストレスが蓄積する。その積もり方は歪で、雪のように丸い塊を作るでもなく、異なる大きさの石を積み上げるように、ごろごろと私の中で重量級の存在感を主張する。

 誰とも顔を合わせたくないのでセルフレジでさっさと会計を済ませて、帰路についた。

 左肩にかかる重さで、買いすぎてしまったことをやっと自覚した。これから買いすぎた分を冷凍する作業をしなければならないと思うと、既に滅入っている気が更に滅入る。

 いいお嫁さんになりたい。そう思って私は家事に精を出してきた。

 しかし、現実は厳しく、無残に失恋。それも二回目。

 幼い頃から抱き続けたこの思いはもう叶わないのかもしれない。

 残酷に照り返す白い光に辟易しながら足を動かしていると、今一番会いたくなかった人が、真正面からやってきた。

「鈴?」

 そしてあろうことか声をかけ、目の前に立ち塞がる。

 昨日まではどんなときでもとにかく会いたくて仕方がなかった人なのに、今となっては微塵も会いたいと思わなかった。

「めちゃくちゃ顔色悪いじゃん」

「別に」

 自分のせいで顔色が悪くなっているなんて絶対思い至らないのだろう。心配してくれるその優しさが、ひどく不快でたまらない。

「荷物家まで持つから」

 そう言って、私からエコバッグを取り上げる。

「いいよ別に」

「うわ、めっちゃ重いじゃん」

「だからいいってば」

「そんな真っ青な顔してる女の子にこんなの持たせてられるか」

 真っ向から「女の子」と言われて、不覚にもときめいた。

 そして同時に、結ばれることはないということを思い、絶望した。

 舞い上がった分だけ余計に惨めになる。ときめき損。

「女の子って初めて言われた」

「事実じゃん」

 事実。

 女の子として、異性として私を見てくれることがなかったのもまた事実。

 女の子として認められたユウの彼女が憎らしい。

「今の彼女もそうやって落としたの?」

「何だよ藪から棒に」

 何だよと言いつつもユウの声は柔らかく綻んでいて、少しの間をおいて、

「案外そうかもな」

と笑った。

「バイトのヘルプで行った店舗で会ったんだけどさ、めちゃくちゃ重い一斗缶持とうとしてて、持ってあげたことあるんだよね」

 それがきっかけだったりして、と懐かしそうに、嬉しそうに言うユウに、私はそっか、としか返すことができなかった。

 いつもと比べたら随分そっけない返事だったけれど、ユウはあまり気にしていないようだった。

「それがさ、あとになって実は俺より握力とかめっちゃ強いことがわかってさ、一斗缶なんかあいつにはなんてことなかったんだよね」

 へえ、すごいね、といかにも感心した風に相槌を打つ。

 私とは対極にいそうな彼女。何もかもが不快。そんなの、女の子なもんか。

「一昨日なんか駅前の、びっくりサンダーパフェだっけ、あれ二人で食べに行ってさ、あいつ一人で三分の二くらい食ってんの」

 すっごいだろ、俺より逞しいんだ、とユウは笑う。

 私は、何も言えなかった。

 白く発光する雪景色のように、頭が真っ白になった。

 悪い冗談だと思った。

 あんなに大きなパフェをデートで食べに行く女子なんて、他にいるだろうか。

 相手の男の子よりたくさん食べるような女子が、紗友里の他に。

「その彼女って、もしかして」

 聞いたら戻れない、と思いはした。

「紗友里って子だったりする?」

 しかし、聞かずにはいられなかった。

 そうであってくれるな、そんなはずはないと、祈るような思いでユウを見つめる。

 ユウは立ち止まると、きょとんとした顔をして、

「え、何、知り合い?」

と言った。その声色は嬉しそうだった。

 頭から冷水をかけられたような衝撃が走り、体全体がぴきぴきと凍りつくのを感じた。

「うん、一緒に授業受けてる」

「そっか、そういや学部同じだ」

 私の思いなど露ほども知らず、途端にユウは饒舌になった。

「あいつ再履ばっかだろ、ダメなんだよな朝弱くて」

 ユウの話を完全にシャットアウトして、私は紗友里の話していた「紗友里の彼氏」を思い出してみる。

 紗友里より少し背が低い。ファッションセンスがない。紗友里と同じリュックを使っている。おそろい、と言っていた気がするけれど、色違いの間違いだったのかもしれない。

 特徴は完全にユウと合致していた。

 紗友里がユウの本名を知らないはずはない。付き合ってるんだから、知っていたと考えるのが自然で、当然。

 そうだとしたら、昨日の告白の後、紗友里が何も聞いてこなかった理由も頷けた。フラれるとわかっていて、私をけしかけて、窓から見ていたんだ。見ていただけじゃない。それまでにしてきた話も全部、優越感に浸りながら、心の中で嘲笑って。

 あの優しさは、嘲りだったんだ。

 腸が煮えくり返る思いがしてきた。

 全身に力が入り、こわばり、小刻みに震えるのがわかる。

「鈴?」

「ごめん、ここまででいいや、ありがと」

 完全に八つ当たりだった。私はユウからエコバッグをひったくり、ショートブーツに雪が入るのも構わず、逃げるように走った。


 家に逃げ込んだ私は、何かを壊したい衝動に駆られて、なんとなくキッチンに向かった。

 エコバッグごとドスンとすかすかの野菜室に放り込んで、そのままの勢いで食器棚の中身をひっくり返してみる。

 ガラガラと大きな音を立てて足元に木やプラスチックの器が転がり、そんなに広くないキッチンの床は一気に食器で埋め尽くされた。

 食器の海を見下すように眺めていると、木の器に亀裂が入っていることに気づいて、はっと我に返った。

 故意に物を粗末に扱うのは初めてで、壊してしまったのも初めてだった。

 心臓が早鐘を打って、自分に対する憤りと惨めな気持ちが心の中に広がっていく。

 感情に任せた行為を激しく後悔しながら、私は食器を棚に戻した。

 ユウさえいてくれたら、こんなことにはならなかった。

 ユウが私のものにさえなっていれば。


 私は半ば衝動的にLINEを起動し、ユウの彼女に電話をかけた。

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