「やあ、アレン。今日はどうしたんだ?」

 ADの新村にそう声を掛けられて、アレンは局内の制作部の廊下で立ち止まった。

「海外ファッションショーの取材の打ち合わせがあって」

「ああ、来月の?語学が堪能だと、仕事の幅も広がって、すっかり人気者だなぁ」

「そんなことないですよ。新村さんこそ、忙しそうじゃないですか。会うの久しぶりだし」

 アレンにそう言われて、新村は陽に焼けた顔で笑った。

「こっちは海外と言っても、世界の果てだ。奥地だよ、奥地」

「楽しそうじゃないですか。でも、気をつけてくださいよ」

「はは、わかってるって」

 気さくに片手をあげると、新村は「また」と言って慌ただしく廊下を去って行った。

 

 打ち合わせするADがいる制作室へ向かったアレンは、見知った顔を見つけて再び足を止めた。200mほど先のドアの前で頭をぺこりと下げ、急いで立ち去った横顔は見間違えようもない。

 続いて同じドアから、ふたりの女性が出てきた。

「じゃあ、そう言うことで。お願いね、夏目さん」

「はい、わかりました。じゃ、試作品ができたらご連絡します」

「うん、よろしく」

 女性を見送って、また制作室に戻ろうとした女性ADにアレンは声を掛けた。

「こんにちは、岸谷さん」

「あら、アレン。今日はどうしたの?」

 その問いにさっきと同じ答えを返し、アレンは続けて訊いた。

「いまの、仕事関係の人ですか?」

「うん、フードコーディネーター」

「フードコーディネーター?岸谷さん、料理番組も持ってましたっけ?」

「違うわよ、ほら例の。アイドルグループの番組の中に、料理コーナーがあるのよ」

「ああ、『彼と一緒につくるラブラブ・メニュー』…でしたっけ?」

 からかい交じりに言うアレンに、岸谷は苦笑しながら答えた。

「しょうがないのよ。ファンの需要に応えるのが番組制作者の務めよ。バカにしてるみたいだけど、視聴率いいのよ?」

「いやいや、バカになんかしてないですよ。凄いドキュメント番組撮ってた岸谷さんが、きゃぴきゃぴのアイドル相手じゃいろいろ大変だろうなって思っただけですよ」

 岸谷は、おどけたようにアレンを軽く睨むといった。

「どんな番組だって撮るわよ、サラリーマンだもの。でもね、これはこれで思った以上に面白いのよ。どうせなら、思い切りハジケた番組にしてやるわ」

「さすが!肝が座ってる人は、違いますね」

 お世辞でなく、アレンは心底そう言った。


「ところで岸谷さん」

「ん?」

「さっきのコーディネーターさんの前に出てった女性、誰ですか?」

「うん?夏目さんの、フードコーディネータ-のアシスタントよ。なんで?」

「いや、もしかしたら知ってる人かもって。横顔見ただけだから、確証はないんですけど」

「そうなの?確か、北川さんて言ったわよ。最近、アシスタントになったらしいけど、よく気がつくいいよ。なによぉ、元カノとか?」

「違いますよ。借金踏み倒されたんですよ」

「まじ?」

「だから、連絡先知ってたら教えてください」

 アレンの表情を疑い深そうに見ていた岸谷は、やがて吹き出した。

「嘘でしょ。でも、いいや。なんか訳ありそうだし、アレンだから教えてあげる。彼女のはないけど、夏目さんの、『夏目クッキング・サロン』の名刺があるから。ちょっと待ってて」


 打ち合わせが終わったアレンは、局から出るとすぐに電話をかけた。

「もしもし、柊?」

「ああ、アレン?ごめん、これから電車に乗るから、かけ直す」

「電車、1本、やり過ごせよ」

「え?」

「それぐらい貴重な情報だぞ」

「いや、でも…」

「Miss幼なじみが…」

「えっ?」

 驚いた柊の声が、電車のドアが閉まる音に重なった。



 ✵ ✵ ✵


 その場所はすぐにわかった。

 『夏目クッキング・サロン』の看板が小さく掲げられたビルを、柊は見上げた。

 アレンから連絡があったその週の土曜日、柊は教えられた住所を訪ねた。

 灯里はいるだろうか。

 緊張からか、手に汗をかいているのを感じて、柊はふぅと深呼吸した。

 エレベーターで2階へ上がり、『夏目クッキング・サロン』と書かれたガラス張りのドアを押した。けれども、ガチッと鈍い音がしただけでドアは開かない。ガラスのドア越しに中を覗くけれど、人の気配はなさそうだった。

 電話をしてから来るべきだったろうか。いや、でも。

 柊は突然、灯里の前に姿を現して、驚く灯里を有無を言わさず捕まえたかった。

 その作戦が裏目に出たか、と柊は苦笑いをする。でも、いい。灯里は此処で働いているのだ、簡単には逃げられない。

 覚悟してきたくせに、どこかほっとする自分もいて、柊は自嘲しながら1階へ降りた。


「おや、キミ」

 ビルを出たところで、独りの老人が眼の前に立っていた。

「え…っと」

 どこかであった気がするけれど思い出せない。でも知り合いでもないその老人の顔を柊はまじまじと見て、やがて「あ」と思い当った。

「ほぉ、覚えていたらしい」

 老人は、ふぉふぉふぉと笑った。

「あの喫茶店で…」

 そう言う柊に、老人はいきなり切り出した。

「キミ、投資に興味はないか?」

「は?投資、ですか?」

 小柄だが眼の前に飄々と仁王立ちする老人は、別に詐欺師や悪い人には見えない。それどころか、不思議なオーラと余裕を感じる。しかしいきなりの質問は、やはり意味がわからない。

「いえ、ないです」

 ふ~む、と老人は顎に手を当てて考え込む。

「では、時間はあるかい?」

「え…いまですか?」

 老人が頷く。

「とくに予定とかは…」

 老人の有無を言わさぬ雰囲気に呑まれて、つい本当のことを言ってしまった柊は即座に後悔した。

「ふうむ。では、キミに投資の面白さを教えてあげよう。特別に」

 そう言うと、老人は柊の腕をぐっと掴むと、ビルの中へ入って行こうとする。

「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ。い、いや、僕は…」

「年を取ると、次のチャンスを待つなんて悠長なことは言っていられなくなるんだ。これも縁だと思って、諦めなさい」

「え、な、何言っているのか…わ、わからな…」


 予想外に強い老人の力に、柊は唖然としながらも引きずられた。

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