◆ リツから 灯里への手紙


 灯里、二十歳の誕生日おめでとう。

 あなたと勝哉の許婚の件を、公式に発表した今日、この手紙を書いています。


 この手紙をあなたが読む頃、私はあなたの傍で相変わらず、怖くて厳しいお祖母様としていられるでしょうか?こんな気弱なことを書くのも、近頃少し体調が悪くてね。でも憎まれる存在ほど長生きするというから、まあ、大丈夫でしょう。


 灯里、あなたは私が本心から認めて、そうあってほしいと願う『北賀楼』の後継者です。そのために幼い頃から厳しく手塩にかけてあなたを育ててきたつもりです。

 実の母の手から乳飲み子のあなたを奪い、その母の行方を知らそうともしない。母を恋しがりはじめている子供のあなたに、もう別の家庭を持っているから、その幸せを邪魔するなとまで言いましたね。冷酷な、鬼のようなお祖母様だと思ったことでしょう。


 でも、私はあなたに強くしなやかに覚悟を持って、その人生を生きてほしいと思ってきました。『北賀楼』を継ぐにしても、継がないにしてもです。どんな人生を選ぶにしても、最期は自分次第なのです。だからあなたを育てるのに、容赦はしませんでした。いまでも、それが間違っていたとは思っていませんよ。


 二十歳になったあなたに、言いたいことがあります。

『北賀楼』を継ぐ覚悟がありますか?もし一瞬たりとも迷いがあるなら、お辞めなさい。迷いのある人間に継げるほど、甘い世界ではないのでね。

 でも、もしその覚悟が持てるのなら、私が生きている間は全身全霊であなたを支えます。勝哉は才能のある板前です。いますぐに愛せなくても、あなたにとって最良の伴侶になると私は信じています。

 でも万が一、あなたがどうしても受け入れることができないのなら、『北賀楼』と私を思い切ってお捨てなさい。中途半端な未練や甘えを捨てて、あなたが非情になれるのなら、私はあなたの選択を尊重します。


 もう一通の、手紙が入っているでしょう?

 あなたが『北賀楼』を勝哉と継ぐのなら、それは開封せずに焼いてください。そして継ぐ気がないのなら、読んでご覧なさい。

 決めるのは、あなたですよ。人生のどんな場面でも。

 灯里、二十歳になったあなたを、私は一人の大人として尊重します。


 ◆ リツから 灯里へのもう一通の手紙


 灯里、開封したのですね。実は、そうするのではないかと、思っていました。


 あなたの母親と、その家族のことについて書きましょう。

 まず、あなたの母方のお祖父様ですが、夏目邦広と言って某出版社の取締役まで務めた方です。主に政治経済誌の記者や編集長の仕事をこなす側ら、趣味ではじめた株や投資等でも類まれなセンスと才能を発揮して、現在はかなりの財をなし成功していると訊いています。

 またあなたのお祖母様は、夏目美江と言って当時数少ない女性料理研究家でした。お祖父様とお祖母様の出会いは、お祖母様の料理本の編集に携わったご縁だと訊いています。

 あなたはそんなお祖母様の血を引いていたからか、幼い頃から味覚が鋭くて、私が料理に使われている出汁や隠し味の試験をしても驚くほど敏感だった。お弁当作りをはじめるようになってからは、さらにその天賦の才能を感じさせて「血は争えない」と思ったものです。

 あなたが男に産まれていたら、私はあなたを何が何でも『北賀楼』の板前にしていたでしょう。ええ、間違いなく。

 お祖父様とお祖母様は『北賀楼』の味も愛してくださって、折々に訪れては季節の味覚を愉しみ、知り合いにも紹介してくださいました。そんなご縁で、私はあなたの母親になる織江とも出会ったのでした。

 織江を一目見て、私はその芯の強さと茶道や華道などのたしなみ、料理への勘の良さを大変気に入ってしまい、半ば強引に一史の嫁として夏目家から貰い受けたのです。

 けれども、上手くいきませんでしたね。男女の機微というのは、正直、私にはいまもよくわかりません。なぜ、あの凛と何事にもよく出来た織江ではなく、おっとりと頼りない万祐子がいいのか…。まあ、これは言っても仕方ない愚痴なので、これ以上は止めておきますが。まったく一史ときたら、煮え切らないだけでなく、夏目家に対する私のメンツも手酷く潰してくれましたよ。


 それはさておき、灯里。あなたのお祖父様、お祖母様はいまも東京でご健在です。また織江が結婚して幸せな家庭を築いているというのは、まだ子供だったあなたを迷わせないための私の嘘です。ごめんなさい、お祖母様は謝ります。

 私の知る限り、いまも独り身で料理に関する仕事をしているそうです。会いたいですか?それなら、会いにお行きなさい。

 母親に会うのも、お祖父様やお祖母様に孫として対面するのも、もう、あなたの自由です。住所を記しておきますから、いつでも会いに行ったらいいでしょう。

 二十歳になったあなたに伝える言葉。

 私はそれをずっと考えながら、あなたを育ててきたような気がします。

 厳しく温かみのないお祖母様だったかもしれませんが、私なりの愛情は注いできたつもりです。そして、あなたは充分に応えてくれましたよ。


 そうね、この言葉にしましょう。

 私はあなたを、一人の人間として誇りに思い、いつもどんなときも信じています。幸せにおなりなさい、私の大切な灯里。


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