◆ 繭里から 柊への手紙


 日ごとに秋色深まる季節。

 柊ちゃん、いかがお過ごしですか?


 突然、東京へお姉ちゃんと柊ちゃんを訪ねてから、ずいぶんと時間が経ってしまいました。勝哉さんとの生活がまた元のように落ち着いたら、お便りしようと思っていましたが、悪阻つわりや初めての妊娠でいろいろ戸惑うことも多く、大変遅くなってしまってごめんなさい。


 1週間前、無事、男の子が産まれました。少し早産で2570gと小さいですが、とても元気です。

 名前は「一哉」、『北賀楼』を継ぐ家に産まれた男子は必ず「一」の字を入れることがしきたりになっていて、長男でも次男でも「それぞれが唯一の存在」という意味と「一番になれる才を磨け」という意味が込められているのです。

 勝哉さんは父親となって、いっそう一家の、そして『北賀楼』の大黒柱としての自覚がましてきたようで、花板としての日々の研鑽に余念がありません。その甲斐あってか、お得様はもとより新規のお客様からの評判も上々です。

 私は母になって、月並みですが、自分の命に代えても守りたいと思える存在を与えていただいた幸せに感謝する日々です。


 そう言えば、私はあの夏の日も、東京でも「私は幸せにならなければならない」と柊ちゃんに言いましたね。

 お姉ちゃんの苦しみ、勝哉さんの苦しみ、それをわかった上で、だからこそその思いは私を支えるよすがだったのではないかと、いまでは思っています。


 いまにして思うのですが、お姉ちゃんは勝哉さんとのことを、柊ちゃんに知られるのが一番怖かったのではないでしょうか。だってお姉ちゃんは、物心ついたときから柊ちゃんが大好きで、いつだったか柊ちゃんに「汚らわしい」と言われたことをずっと気に病んでいたから。許婚がいるだけで汚らわしいと言われたお姉ちゃんにしたら、柊ちゃんにどんな眼で見られるか、それはそれは恐ろしかったと思います。

 だから、お姉ちゃんはいまでも消息を絶ったままなのではないでしょうか。


 そして勝哉さんも、私にお姉ちゃんにしたことを知られるのが恐ろしくてたまらなかったそうです。とくに「繭を愛していると気づいてからは、いっそう恐ろしく苦しかった」と何度も話してくれました。

 私は、結婚前から知っていたのに…。でも、それでも私は勝哉さんが嫌いになれなかった。だから、私は「忘れよう」と決めたんです。どんなに卑怯であっても、忘れることでなかったことにしようと思ったんです。

 でもそれが逆に、勝哉さんの苦しみを深めてしまっていたかもしれません。私は一生懸命、幸せそうに振る舞って、勝哉さんにも「幸せだ」って言っていて。なのに、そんな私の必死の嘘は、お祖母様の葬儀で脆くも崩れてしまいました。

 あのとき、お姉ちゃんを見た勝哉さんは、自分の取り返しのつかない罪を、もう一人で抱えていることができなくなったんです。『北賀楼』を辞めるという手紙と、離婚届を置いて姿を消した勝哉さんを、そこまで追い詰めたのは私の利己的な嘘だったのかもしれません。

 でも、いま私は本当にあのことを「忘却」しようと思っています。勝哉さんのために、一哉のために、お姉ちゃんや柊ちゃんや『北賀楼』のために。

 それはますますエゴだと、柊ちゃんの眼には映るかもしれませんね。でも、私がいまやっと辿り着いた愛の形は「忘却」なのです。


 柊ちゃん、お姉ちゃんを「汚らわしい」と思いますか?私は、いまの柊ちゃんならそんなこと思わないと信じています。

 お祖母様の葬儀のとき、お姉ちゃんを傍でずっと支えていた柊ちゃんの姿を覚えているからです。柊ちゃんはお姉ちゃんしか見ていなくて、全身全霊をお姉ちゃんに捧げていて。そんな柊ちゃんならどんなお姉ちゃんも受け止められると思うのは、私の都合のいい勘違いですか?

 お願いです、柊ちゃん。お姉ちゃんを探してください。そして、柊ちゃんの愛の形を伝えてあげて。それができるのは、柊ちゃんしかいないから。

 それが大人になっても、相変わらず我儘な幼なじみからの一生のお願いです。

 お願い、柊ちゃん。お姉ちゃんを、幸せにしてあげて。

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