第10章 別 離

 あと数日で今年も終わろうとする頃、灯里はカオルを見送るために、空港へ来ていた。

「カオルったら。なんで、こんな暮れも押し迫った時期に…」

「だって、アレンが…」

「?」

 そう、カオルの背中を押したのはアレンだった。

 


 ✵ ✵ ✵


 約2か月前。

「元気ないな」

「そ?」

「今夜も独りなんだろ?飲みすぎないように」

「そ、今夜も独り」

「相棒はどうしたんだよ?」

「どっちの?」

「どっちのって…」

 相棒の一人、ダンサーの方はいまニューヨークだろ。ってことは、彼女の方に決まってるだろ。アレンはそう思ったが、あえて言葉にはせずに首を竦めただけだった。

 そんなアレンの言いたいことがわかったみたいに、カオルはちょっと拗ねた表情でシンガポールスリングを啜る。

「灯里も、いろいろあるから。最近レッスンも休みがちだし、元気ないし」

 つまらなそうしているカオルに、きのこのコキールを出しながらアレンは言った。

「俺さ、今年いっぱいでここ、辞めるから」

「え~っ」

 眼を真ん丸にして「なんで」と訊くカオルに、アレンは微笑みながら言った。

「もう一つの仕事の方が、忙しくなっちゃってさ」

「あ¨~」

 そう小さく叫ぶなり、カオルはカウンターに突っ伏した。

「おいおい」

「もうっ…」

 両腕に顔を埋めたままで、カオルがぶつぶつ言っている。

 アレンがそんなカオルを呆れ笑いで眺めていると、今度はいきなりガバ、と顔を上げる。

「おっ」

 驚いたアレンに、カオルは盛大に口を尖らせている。

「もう、もう、もうっ。なんで、みんないなくなるの?なんか、あたし悪いことした?これ、なんの罰?」

「キミは、なんにも悪くないよ」

「淋しいよっ」

「しょうがないだろ」

 まだ納得できない様子で、カオルは見る見る落ち込みはじめる。

「そんな時期なんだよ。それぞれ、旅立ちの時期?」

「あたしだけ、いつも置いてきぼり」


「な、俺も飲んでいいか?」

 そう言うとアレンは、自分用につくったドリンクを持ってくると、カオルのグラスにかちりと合わせた。

「なんで、思い切って追っかけないんだよ」

「だって、シンジが…」

「来るなって言われて、素直に従ってるなんてキミらしくない」

「だって、邪魔だって言われた。迷惑だって」

 ふ~ん、とアレンは考え込む様子を見せた。

「キミ自身はどうなの?」

「どうって?」

「ニューヨークに、ダンスの本場でのレッスンに興味ないのか?」

 そう訊かれて、カオルの眼が輝きだした。

「そんなことないよぉ。憧れだよ、ダンスが大好きな人種なら、誰だって憧れる。行ってみたいよ、世界のレベルがどんなんか知りたい。ハイレベルの人たちの中で、思いっきり揉まれて踊ってみたい」

 顔を上気させて一気に夢を語ったカオルに、アレンは言った。

「じゃあ、問題ないじゃん。行けよ」

「え、だって」

「キミ自身の夢のために行けよ」

 カオルが少し、躊躇ためらっている。その表情を注意深く見ながら、アレンはカオルの本心からの答えを待った。

「でも、ホントは怖いんだ」

「うん」

「シンジみたいに圧倒的な才能なんて、自分にはない気がするし」

 それからカオルは、アレンが今まで見たこともないような真剣な眼をして言った。

「あたしね、実は一度挫折してるの。バレエで、クラシックバレエで。あたしは器用なだけだって、実は自分が一番よくわかってるの。才能ある人間て、わかるの。知ってる?アレン、ホントの才能って光みたいに見えるものなんだよ」

「キミに、その光はないって言うのか?」

「わからない、自分自身のは見えないもの」


 わからないか。だからこそ賭けてみろと言うこともできるし、安易に背中を押すのもためらわれる。やっかいだからな、才能ってやつは。

 アレンは正直、かける言葉がここでなくなった。

 そんなアレンに、カオルは言う。

「だからシンジには、思いっきり自分の才能を開花させてほしい。邪魔したくないんだ」

「あいつは、才能あると思うのか?」

「うんっ。でもダンスの才能だけじゃ、成功しない世界でもあるんだよね」

「そうなのか?」

「うん、振り付けのセンスとか、自己プロデュース力とか、売り込みの上手さとか…。あと、運」

 ふ~ん、とアレンは考え込んだ。そして、ふと顔を上げると言った。

「だけどさ、そうしたらどんな夢だって同じじゃないのか?俺の仕事だって、いまはなんとなく上手くいってるけど、この先はわからない。極端なこと言えば、一流会社に入ったって、潰れないとは限らない。いい大学出てて、そこそこの会社は入ったって、人間関係のストレスでハゲた先輩だって俺知ってるぞ」

「マジ?」

「ああ、マジだ」

 カオルが、おかわりと言ってクラスを差し出す。「OK!」とアレンは言って、またシンガポールスリングをつくって、カオルの前に置いた。


「ねぇ、アレンはモデルの仕事、ずっと続けてくつもりなの?」

「いや、時期が来たら辞めるつもりだ」

「そうなの?」

「ああ、漠然とだけど、やりたいことのシッポみたいなのが見えてきた」

「へぇ」

「だから、そのためにいまは資金を稼げるだけ稼ぐよ」

 カオルがちょっと意外そうな顔をしてアレンを見る。

「俺、20代はいくらでもやり直しがきくと思ってるんだ。だから、やりたいこととか、できることをまずやってみる。本当に自分がやりたいことを見つけるためにさ」

「ふうん」

 カオルがシンガポールスリングを啜って、ちょっと考え込む。

「ねぇ、もしダンサーの夢が破れたとしても、あたし、やり直し聞くかな?」

 アレンはにっこりして言った。

「大丈夫だよ。だってキミの場合、歯科技工士って資格があるんだろ?この資格、ダンサーの夢追っかけたら、消滅しちゃうものなのか?」


 そっか、とカオルは思った。ダメもとでやってみたらいい、ダメならまた歯科技工士に戻ればいい。戻れるものも場所も、あたしにはあるんだ。怖がることはない。

 退路を断って頑張ってるシンジには申し訳ないけど、あたしまで退路を断つことはないんだ。それに戻れる場所がある方が、いざとなったときシンジを応援できる。

 カオルはアレンを見て、言った。

「なんかさ、考え方次第だね。うじうじ悩んでるなんて、やっぱ、あたしらしくないや」

「そうだな、一番大事なのは自分の気持ちに嘘つかないこと。周りの眼とかどうでもいいじゃん、自分の人生なんだからさ。あとはシンプルに考えればいんじゃないの?俺はそう思ってるよ」




 ✵ ✵ ✵


「だから、それはわかったけど。でも、なんでこの時期なのよ」

 アレンとのやり取りを訊いた灯里が、カオルに訊く。

「だって。賑やかなクリスマスが過ぎたら、年末年始は急に淋しく感じるだろってアレンが言うんだもの。とくに日本人は正月独りって、こたえないかって」

 まったくあの金髪は。いいこと言うじゃんと見直した途端に、ろくでもない入れ知恵つけるんだから、と灯里は思った。

「なるほどね。で、あのろくでなしの金髪のアドバイスに従って、淋しいシンジを籠絡しに行くわけだ」

「うふ。そーだよぉ。見てて、絶対チャンスをものにして見せるから」

 まったくカオルまで、と思ったけれど、灯里は久しぶりに明るい気分になった。

「じゃ、頑張ってきて。カオルがいなくなったら、今度はあたしが淋しいけど」

「うん。灯里、愛してるよ、シンジと同じくらい。あたしの大切な相棒!」

 そう言って、ふたりは笑顔で別れのハグをした。

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