ⅸ
「クリスマスは、何か予定があるんですか?」
海へのドライブ以来、仲良く話すようになった星奈に、由紀子は訊ねた。
ぱっと、星奈の頬に赤みが差す。
「あのね、アレンと…」
それだけで由紀子にはわかった、自分でなんとかするしかないと。
「いいですねぇ、恋人と一緒のクリスマス」
「そ、そんなこと…ある、かな?」
どこまでも正直で飾らない星奈は、本当にいい人だと由紀子は思う。
「じゃあ、野々村さんは独り?」
由紀子は少しカマをかけてみた。
「柊は…どうかな?」
いつもははっきり言う星奈が、めずらしく言い淀む。
「そう…ですか」
やはり恋人がいるのだろうか、と思うのに、それを確かめるのはやはり由紀子は怖い。
いくら鈍い星奈でも、由紀子の気持ちには薄々気づいている。でもアレンから訊いたところによると、柊とMiss幼なじみの関係はもの凄くビミョーらしい。
「ビミョーって、どういうこと?」
「俺にもよくわかんないんだよ、もう」
「つきあってないの?あのふたりは」
「柊は120%本気だ。だけど、Miss幼なじみの方はどうだか…」
「それって…」
曖昧な情報を、一途に思っているらしい由紀子に伝えられないと星奈は思うのだ。
「誘ってみたら?思い切って」
「でも…」
星奈に背中を押されても、由紀子にはそんな勇気はない。断られたら恥ずかしくて、もう顔を合わせられないと思う。
うじうじと悩んだ由紀子が結局出した答えは、クリスマスが終わった週末、プレゼントを持って柊のアパートを訪ねるという、消極的なのか大胆なのかわからないものだった。
「お友達として、プレゼントをあげたかったって言えばいいわ。クリスマス当日じゃなきゃ、そんなに重くもないだろうし。優しいから、きっと受け取ってくれる」
そう自分に言い訳しながら、柊がイブだけでなくクリスマスの夜も、実験研究室に比較的遅くまで残っていたことを確認していた。同じように残っている院生の一人が、男同志みんなで食べるケーキを買いに行ったのも目撃していた。
その日の柊は、服装もいつもと変わらずだった。その後でデートの予定があるなら、男の人でも多少はおしゃれをするんじゃないかと由紀子は思った。だから、きっと、特定の彼女はいない…。
ちょうど大学が冬休みに入る27日の土曜日、由紀子は柊のアパートがある駅に降り立った。住所は、学生名簿でこっそり調べた。それをメモした地図を手に、由紀子は夕方の商店街を通り抜けた。
あまり遅い時間では失礼だし、でもうまくいけば夕食でもと誘ってもらえるかもしれない時間…。淡い期待に、知らず知らずのうちに頬が緩む。
「ここだわ」
地図と見比べながら、2階建てのアパートを由紀子は見上げた。階段を上がると、一番奥の柊の部屋の前に立った。
深呼吸をした。胸の鼓動が早くなっているのがわかった。インターホンを押そうと伸ばした手を、一度引っ込める。
ずうずうしい女だって、思われないだろうか。今更、いきなり訪ねてきたことを後悔する。
でも、と由紀子は思う。
「優しい人だもの、大丈夫」
自分にそう言い聞かせるように小さく呟くと、今度は思い切ってインターホンを押した。
数秒待っても、何も起こらない。もう一度インターホンを押して、ドアに耳をつけ物音がしないかを待つ。しかし、人の気配を感じさせる音は、何も聞えてこなかった。
「留守…」
近くへ買い物にでも行ったのだろうか、それとも週末だからデート?イブもクリスマスも大学に遅くまで残っていて、院生の男子とケーキを食べていたのに?
「ちょっとだけ、待ってみようかな」
由紀子はそう一人ごちて、階段を降りるとあたりを見回した。少し周辺を歩いてみる。また戻って、アパートの前まで行こうとしたそのときだった。
「ああ、よかった、乾いてるよ、シーツ」
聞き覚えのある声が、ふいに予想もしなかった場所から聞えてきた。
由紀子は慌てて近くにあった自動販売機の陰に隠れると、声のする方を見上げた。
隣のマンションのベランダに、柊がいた。そして、シーツや洗濯物を取り込んでいる。その洗濯物が女物であることに、由紀子は気づいた。
「え…」
柊は何の頓着もなく、女性用の下着すら取り込んでいる。そして次に聞いた言葉に、由紀子は自分の耳を疑った。
「いいよ、灯里、僕がやるから。キミは、休んでて」
灯里…灯里? まさか…
由紀子は、さっと踵を返すと早足で駅に向かった。
うそ、うそ、うそ、うそ、うそ。
向かった先は、大学だった。
「あれ?どうしたの、仁科さん」
今日の日直の中田が、怪訝そうに声をかけた。
「あ、ちょっと忘れ物があって」
そう言うと、由紀子は自分の机に座るとコンピュータを起動させた。学生課の方を窺うと、中田はもう由紀子を気にすることなく、自分も何やらコンピュータを覗き込んでいる。
コンピュータが起動した。由紀子は震える手でマウスを動かす。
職員名簿が出てきた。目的の名前を探し当てると、住所欄を確かめた。さらに震えが増す手で、くしゃくしゃになってしまった地図をバッグから取り出す。そこにメモした住所と、コンピュータの画面を食い入るように見比べた。
「そんなっ…」
北川灯里と野々村柊の住所は、最期の番地と建物名以外は、ぴたりと一緒だったのだ。
✵ ✵ ✵
「灯里、見てごらん。雪だ」
柊に言われて窓辺へ行った灯里は、今年初めての雪を見た。
注意深く眼を凝らさないとわからないほどの微かな雪が、暗い空から舞い降りてくる。
「寒いわけだよ」
柊は傍に来た灯里の肩を抱いた。
「綺麗…」
「うん、静かで清らかな夜だ」
「清らか?」
灯里が柊の顔を、不思議そうに窺う。
「うん、灯里には雪が似合うね」
頭を自分の肩に預けさせるように抱くと、柊は言った。
「灯里には、清らかな雪がとてもよく似合う」
どんなに激しく傷つけても、淫らに抱き合っても、快楽を貪り合っても。
僕にとって、キミは何があっても穢すことのできない清らかな存在なんだ。
あの可憐に新体操の演技をしていた頃と同じように。
灯里、僕の中のキミは、いっだって真っ白だ。
自分を温かな眼で見つめる柊に、灯里はふわりと微笑んだ。
そしてつかの間の安寧を確かめるように、しんと凍えた夜空をふたりはいつまでも眺め続けた。
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