「クリスマスは、何か予定があるんですか?」

 海へのドライブ以来、仲良く話すようになった星奈に、由紀子は訊ねた。

 ぱっと、星奈の頬に赤みが差す。

「あのね、アレンと…」

 それだけで由紀子にはわかった、自分でなんとかするしかないと。

「いいですねぇ、恋人と一緒のクリスマス」

「そ、そんなこと…ある、かな?」

 どこまでも正直で飾らない星奈は、本当にいい人だと由紀子は思う。

「じゃあ、野々村さんは独り?」

 由紀子は少しカマをかけてみた。

「柊は…どうかな?」

 いつもははっきり言う星奈が、めずらしく言い淀む。

「そう…ですか」

 やはり恋人がいるのだろうか、と思うのに、それを確かめるのはやはり由紀子は怖い。


 いくら鈍い星奈でも、由紀子の気持ちには薄々気づいている。でもアレンから訊いたところによると、柊とMiss幼なじみの関係はもの凄くビミョーらしい。

「ビミョーって、どういうこと?」

「俺にもよくわかんないんだよ、もう」

「つきあってないの?あのふたりは」

「柊は120%本気だ。だけど、Miss幼なじみの方はどうだか…」

「それって…」

 

 曖昧な情報を、一途に思っているらしい由紀子に伝えられないと星奈は思うのだ。

「誘ってみたら?思い切って」

「でも…」

 星奈に背中を押されても、由紀子にはそんな勇気はない。断られたら恥ずかしくて、もう顔を合わせられないと思う。


 うじうじと悩んだ由紀子が結局出した答えは、クリスマスが終わった週末、プレゼントを持って柊のアパートを訪ねるという、消極的なのか大胆なのかわからないものだった。

「お友達として、プレゼントをあげたかったって言えばいいわ。クリスマス当日じゃなきゃ、そんなに重くもないだろうし。優しいから、きっと受け取ってくれる」

 そう自分に言い訳しながら、柊がイブだけでなくクリスマスの夜も、実験研究室に比較的遅くまで残っていたことを確認していた。同じように残っている院生の一人が、男同志みんなで食べるケーキを買いに行ったのも目撃していた。

 その日の柊は、服装もいつもと変わらずだった。その後でデートの予定があるなら、男の人でも多少はおしゃれをするんじゃないかと由紀子は思った。だから、きっと、特定の彼女はいない…。


 ちょうど大学が冬休みに入る27日の土曜日、由紀子は柊のアパートがある駅に降り立った。住所は、学生名簿でこっそり調べた。それをメモした地図を手に、由紀子は夕方の商店街を通り抜けた。

 あまり遅い時間では失礼だし、でもうまくいけば夕食でもと誘ってもらえるかもしれない時間…。淡い期待に、知らず知らずのうちに頬が緩む。

「ここだわ」

 地図と見比べながら、2階建てのアパートを由紀子は見上げた。階段を上がると、一番奥の柊の部屋の前に立った。

 深呼吸をした。胸の鼓動が早くなっているのがわかった。インターホンを押そうと伸ばした手を、一度引っ込める。

 ずうずうしい女だって、思われないだろうか。今更、いきなり訪ねてきたことを後悔する。

 でも、と由紀子は思う。

「優しい人だもの、大丈夫」

 自分にそう言い聞かせるように小さく呟くと、今度は思い切ってインターホンを押した。 

 数秒待っても、何も起こらない。もう一度インターホンを押して、ドアに耳をつけ物音がしないかを待つ。しかし、人の気配を感じさせる音は、何も聞えてこなかった。

「留守…」

 近くへ買い物にでも行ったのだろうか、それとも週末だからデート?イブもクリスマスも大学に遅くまで残っていて、院生の男子とケーキを食べていたのに?

「ちょっとだけ、待ってみようかな」

 由紀子はそう一人ごちて、階段を降りるとあたりを見回した。少し周辺を歩いてみる。また戻って、アパートの前まで行こうとしたそのときだった。

「ああ、よかった、乾いてるよ、シーツ」

 聞き覚えのある声が、ふいに予想もしなかった場所から聞えてきた。

 由紀子は慌てて近くにあった自動販売機の陰に隠れると、声のする方を見上げた。

 隣のマンションのベランダに、柊がいた。そして、シーツや洗濯物を取り込んでいる。その洗濯物が女物であることに、由紀子は気づいた。

「え…」

 柊は何の頓着もなく、女性用の下着すら取り込んでいる。そして次に聞いた言葉に、由紀子は自分の耳を疑った。

「いいよ、灯里、僕がやるから。キミは、休んでて」

 灯里…灯里? まさか…


 由紀子は、さっと踵を返すと早足で駅に向かった。

 うそ、うそ、うそ、うそ、うそ。

 向かった先は、大学だった。

「あれ?どうしたの、仁科さん」

 今日の日直の中田が、怪訝そうに声をかけた。

「あ、ちょっと忘れ物があって」

 そう言うと、由紀子は自分の机に座るとコンピュータを起動させた。学生課の方を窺うと、中田はもう由紀子を気にすることなく、自分も何やらコンピュータを覗き込んでいる。

 コンピュータが起動した。由紀子は震える手でマウスを動かす。

 職員名簿が出てきた。目的の名前を探し当てると、住所欄を確かめた。さらに震えが増す手で、くしゃくしゃになってしまった地図をバッグから取り出す。そこにメモした住所と、コンピュータの画面を食い入るように見比べた。

「そんなっ…」

 北川灯里と野々村柊の住所は、最期の番地と建物名以外は、ぴたりと一緒だったのだ。



 ✵ ✵ ✵


「灯里、見てごらん。雪だ」

 柊に言われて窓辺へ行った灯里は、今年初めての雪を見た。

 注意深く眼を凝らさないとわからないほどの微かな雪が、暗い空から舞い降りてくる。

「寒いわけだよ」

 柊は傍に来た灯里の肩を抱いた。

「綺麗…」

「うん、静かで清らかな夜だ」

「清らか?」

 灯里が柊の顔を、不思議そうに窺う。

「うん、灯里には雪が似合うね」

 頭を自分の肩に預けさせるように抱くと、柊は言った。

「灯里には、清らかな雪がとてもよく似合う」


 どんなに激しく傷つけても、淫らに抱き合っても、快楽を貪り合っても。

 僕にとって、キミは何があっても穢すことのできない清らかな存在なんだ。

 あの可憐に新体操の演技をしていた頃と同じように。

 灯里、僕の中のキミは、いっだって真っ白だ。


 自分を温かな眼で見つめる柊に、灯里はふわりと微笑んだ。

 そしてつかの間の安寧を確かめるように、しんと凍えた夜空をふたりはいつまでも眺め続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る