「灯里、どうしたのっ?」

 いつものように、いや、いつもより呆然としながらも柊が買ってきた惣菜やおにぎりを食べた灯里が、すぐさまトイレに駆け込んだ。

 気配と音で、柊は灯里が吐いたのだとわかった。

 可哀想に、無理やり食べさせなければよかった。

「大丈夫?」

 やっとトイレから出てきた灯里の顔は、真っ青だった。

 躰も冷たくなっていて、柊は大きなクッションに座った自分の膝に、灯里を抱き寄せた。柊の肩に頭を預け、灯里が眼を閉じる。その睫毛が震えていて、なんだかとても辛そうだ。

「大丈夫?」

 本当は、「何かあった?」と訊きたい。でも、迂闊に訊いてはいけない気がするほど、腕の中の灯里は力なく弱っていた。

 

 ふたりでお風呂に入り、また裸で抱き合う。やがて、灯里は眠ったようだった。

 痩せた体を抱きしめて、柊は灯里が壊れてしまうのではないかと思った。だけど、どうしてやることもできない。自分にできることは、ただこうして、傍にいて抱きしめてやるだけ。

 もし灯里の傷口が見えるのなら、この手で塞いであげるのに。もし苦しみの原因が見えるのなら、どんなことをしても取り去ってあげるのに。病院に連れて行った方がいいのだろうか、不安に駆られて柊がそう思ったとき、灯里がぱっちりと眼を開けた。

「どうしたの?」

 灯里は何も答えず、ただじっと柊を見つめてくる。その眼の中に強い光を認めて、柊は戸惑いながらもほっとした。


「…いて」

「えっ?」

「抱いて。激しく、壊れるくらい」

 それは、突然だった。

「…灯里?」

「ううん、あたしを壊して、お願い、柊ちゃん」

 そう絞り出すように言うと、灯里はいきなり柊に激しく口づけした。

「っま、待って、灯里。どうし、た…」

「お願い、お願い、あたしを…お願い」

 

 灯里が、壊れていく。

 いいよ、灯里のお願いは何でも訊いてあげる。

 いっそ、僕はキミと一緒に壊れてしまおう。


 柊は半身を起すと、灯里の両手首を握ってその頭上に留めた。

 灯里が唇を震えさせながらも、柊に縋るような視線を投げかけてくる。

「いいんだね? 灯里」

 灯里は、はっきりと頷いた。



 嵐のようだ、と灯里は思った。

 激しい暴風雨の中で、難破船のように自分がもう何者なのかわからない。

 だけど、意識を覆う薄い何枚ものベールが剥がされていくのがわかる。

 いまが、現実なんだ。

 このひととき以外は、生きているのか死んでいるのかわからない此岸しがん

 激しい愛撫も、欲望剥き出しの吐息も、痛いくらいの抱擁も、

 これ以上ないくらい繋がりあえる快楽も。

 足りないの、全然、足りないの。

 もっと激しく、もっと傷つけて、あたしを壊して。


 

 ✵ ✵ ✵ 


「うふふ」

 灯里が笑う。

 ねえ、いまは笑う状況じゃないと思うよ、と柊は呆れた。

 灯里の恰好は、酷いものだ。そうしたのは自分だけれど。

 

 今夜は、灯里の両手首と両足首に枷をつけて、そこに繋いだロープをベッドの四方の脚に結んだ。

「ねぇ、なんだかはりつけになった気分だわ」

「ああ、だって灯里は悪いだから」

「じゃあ、これは罰?柊ちゃんがあたしを裁くの?」

「違うよ、僕らは同罪さ、いつだって。だから、これから一緒に地獄に落ちるんだよ」

「一緒に?」

 灯里は眼を輝かせて天井を見ている。

「うふ、素敵」

 なにが、素敵だ。僕はキミが怖いよ、そして自分も。

 そう苦笑しながら、柊は地獄へ落ちる準備を粛々と進める。

 灯里に覆いかぶさるようにして、口づけをする。最初は優しく、上唇と下唇を軽く舐め上げ、優しく噛みながら。やがてその口づけは、すぐに激しく深くなるのだけれど。

 数日前につけた印が、薄い紫になっている。それより濃いのは、昨日つけたものだったろうか。

 縛った跡や、所有の印や、噛み跡が無数についた灯里は、美しくも罪深いミューズだ。傷と痣だらけの二つの丸い丘にはピンク色の頂があって、いまその頂がぷくりと主張しながら愛撫されるのを待っている。

「灯里、どうしてほしい?」

 灯里が眼をつむって嫌々をする。

「言わなきゃだめだよ。だってこれは罰なんだから」

「罰?」

 今度は眼をぱっちり開けて、柊に訊ねる顔が童女のようだ。

「ああ」

「じゃあ、痛いくらいに…」

「痛いくらいに?」

「壊れるほどに」

 今度は罪深いミューズから、愛らしいマリオネットに灯里は変わる。身を捩って、躰をのけぞらせて、手足を緊張させたり弛緩させたりする姿は、まるで柊の操り人形だ。自分の思う通りに悶え、快感に溺れる灯里を、柊は少し悲しい気持ちで眺める。

「さあ、灯里。もっと凄い快楽の世界に落ちよう」

 そう言って灯里の枷をすべて外した柊は、今度は灯里をうつぶせにさせる。

 後ろから灯里に覆いかぶさると、灯里をシーツの海に沈めて両足をまっすぐ伸ばすように揃えさせ、自分の両足で挟む。灯里の小ぶりながらも弾力のあるお尻が、柊の分身を根本から締めつける。

 灯里がひと際、切羽詰った嬌声を上げる。灯里の口を手で塞いで、柊は耳元で囁く。

「隣に、聞えるよ」

「っん、ふぁぁ、だ、って」

「そんなに気持ちいい?」

 躰中に細かな汗を浮かべて、灯里が震える。絶頂の直後と知りながら再び愛しい肢体を思うままに揺さぶると、抱き潰した躰から抗議の声がした。

「っや、まだっ。動かないで」

「動くに決まってる」

 もう抗議の声も出ないだろう小さな背中に、キスを一つ落とすと、柊は激しく突き上げはじめた。

 灯里が訳の分からない叫びを揚げ続けるから、枕の端を噛ませる。


「ああ、灯里…」

 こうして僕は、今夜もキミという果てしない海に溺れていく。

 深く、淫らに、なにもかも、この命すらもささげて。

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