「お義母さん、これもう入れてもいいですか?」

「いいわよ、咲さん。こっち、ちょっと味見してみて」

 母と義姉の咲が、台所で並んで夕食をつくっている。その後ろ姿を、気にしないように見せかけながら気にしている兄の奏が微笑ましいと柊は思った。

 夏休みに入って、ちょうどお盆に当たるこの時期、柊は1週間だけの予定で帰省していた。この後は東京へいったん戻り、すぐに筑波研究所での泊まり込み実験がはじまる。

「兄さん、ビール飲む?」

 父と2人の息子、男ばかり揃ってテレビを見ていながら、台所の方を時折気にしている兄に、柊はそう訊ねた。

「俺が持ってくるよ」

 兄はそう言うと、母と妻が一緒に料理している台所へ行って、ふたりに何か声を掛けている。兄を見る義姉の横顔が、嬉しそうな笑顔だ。その義姉の背中をぽんぽんと叩くと、兄は冷蔵庫を自分で開けて缶ビールを3缶出した。兄に、母が枝豆の入った小鉢を乗せたお盆を差し出している。

 まったく、めずらしいこともあるものだ。兄が自らお盆に3人分のビールと枝豆を乗せてくる姿を見る日が来るなんてびっくりだと思いながら父を見ると、どうやら父も同じ心境だったらしくニヤニヤ笑いを浮かべている。

「はい、父さん。柊、ほら」

 ニヤニヤ笑いの男2人に、兄は少し不機嫌に缶ビールを差し出す。父が頭を掻きながら、ニヤニヤ笑いを無理やりしかめ面で隠し、缶ビールをプシュと開けた。

 同じように缶ビールを開けて一口飲み、それから鞘つきの枝豆を齧ると兄が言った。

「ま、あれだ。お前もいずれ、わかる」

 柊は思わず飲みかけたビールを軽く吹き出してしまい、兄に睨まれた。父はテレビを見ながら、また頭を掻く。

 これを平和な光景というのだろう、そして男どもは何もできず、頭を掻いたり苦笑いでごまかすだけなのだ。


「はぁ~い、お待たせ」

 母が台所から出てきて、ダイニングテーブルに出来上がった料理を並べはじめた。義姉の咲もそれに従うように、それぞれの取り皿や箸などを並べている。

「おお、旨そうだな」

 と言う兄に、義姉が微笑んでいった。

「奏さんの好きな、さつま芋のコロッケよ。お義母さんに教えてもらっちゃった」

 義姉の気遣いに母がにこやかに頷き、父がまた頭を掻く。

「揚げたて、旨いんだよな」

 柊もそう言って、平和な光景の仲間入りを果たす。

「お義父さんには、冬瓜の煮物です。お好きだって、お義母さんが」

 息子ばかり2人で娘のいない父は、できた嫁の咲に照れつつも嬉しそうだ。

「これは、後で冷酒だな」

「やだ、だからって飲みすぎないでよ」

「せっかく、奏と咲さんが来てくれてるんだからいいだろ、たまには飲みすぎたって。それに柊だって今年の夏休みは一週間しか居れないらしいし」

 母に釘を刺されたのに、めずらしく父がそう主張する。

「帰ったら今度は、筑波の研究所か?」

 と訊く兄に、義姉も続けて訊ねてくる。

「柊さんは、将来は研究者になるの?」

「いや、まだ決めてないんですけど…」

 そう言い淀む柊に、父が言う。

「大学に残りたいのなら、それでもいいぞ」

 めずらしくはっきりした物言いをする父に、柊は迷っている気持ちを伝えた。

「でも博士課程に進んでそれから助手になってって考えると、独り立ちできるのはずいぶん先になりそうだし、それよりだったら就職した方が経済的にも早く自立できるから…」

 灯里のこともあるし…いまの柊は早く一人前の大人になりたい気持ちが強くなっていた。


「ま、取りあえず食べましょ?」

 母がそう言って、皆に新しい缶ビールを回す。

「お義母さんと私は半分コしましょうか?」

 あまり酒の飲めない咲が、同じくあまり飲めない母にそう言う。

「あ、そうね」

 母と義姉が仲良くグラスに1缶のビールを分け合ったところで、あらためて乾杯をした。

 野々村家の男どもが皆、大好物のさつま芋のコロッケは揚げたてでおいしかった。さっくりと揚がったそれを頬張りながら、奏が言う。

「まあ、俺がこっちで就職して、なんとか身を固めることができたわけだし、柊は自分のやりたいこと追求したっていいんだぞ」

 県庁勤めの兄と保育所勤めの義姉が暮らすマンションは、スープが冷めない距離とまではいかないけれど、父母の家から車で15分ほどの距離だ。着かず離れずの距離と関係は長い目で見れば理想的で、柊にとってもありがたい。これで子供でもできれば、両親にとっては孫を可愛がる楽しみもふえるはずだ。

「もちろん柊がこっちへ帰ってきて就職してくれれば嬉しいけど、地方じゃなかなかないでしょ?」

 という母に、父も頷く。

「就職するんでも、研究するんでも、やはり東京ということになるだろうなぁ」

「でも東京だと、孫が生まれても面倒見てあげられないわよ」

 いきなり母が、ずいぶん飛躍したことを言うので、思わず柊は義姉に驚いた目を向けてしまった。

「や、やだ。まだよ」

 咲が頬を赤らめて言う。

「あ、いや、そんなつもりじゃ」

 バツが悪くなって下を向いた柊の頭に、兄がこつんと拳を当てる。

「こら、子供のくせに」

「もう大学院生なんだもの、子供じゃないわよ。いくら柊が勉強ばかりで奥手だからって」

 そう笑った母に、柊はさらに居心地の悪い思いをした。


 家族から見れば、年の離れた末っ子で高校まで彼女がいたことすらない自分はまだまだ子供に見えるのかと不思議な気がした。いま灯里との関係を知ったら、きっと驚くだろう。いや、灯里と東京で再開したことすら、柊は誰にも、家族はおろか繭里や『北賀楼』の人たちにも話していないのだ。

 突然、東京で独り夏休みを過ごしている灯里のことが恋しくなった。

 いま頃、何をしているだろう。結局、同僚との旅行も行くことに決めたらしいし。


「でも、咲さんは子供が生まれても仕事を続けたいんでしょ?」

「ええ、まぁ」

 そう言葉を濁す義姉に、母が言った。

「任せなさい、孫の面倒くらい、喜んで見るわよ」

 期待に満ちた表情でそう宣言する母に、兄が慌てて言う。

「いや、それはありがたいけど。まだ、気が早いよ」

 そういえば義姉の実家も同じ県内ではあるが、少し遠い。子供が生まれたら生まれたで、兄夫婦はまた両親に気遣うんだろうな、と柊は思った。

「でも、そうなったら甘えちゃおうかなっ」

 そう言う義姉の賢さに感謝しながら、柊は缶ビールを取りに台所へ向かった。

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