「いい加減に止んでくれないかなぁ、この長雨」

 傘を差していても濡れてしまった肩や腕をハンドタオルで拭きながら、カオルが不満げに言った。

「梅雨だからな」

 シンジが、しょうがないよという風に言う。

「わかってるけど。でも、今年は降りすぎ」

 そんなふたりのやりとりを見ながら、確かに今年の梅雨は雨が多いと灯里は思った。

 灯里は雨が嫌いではない、でもそれでも鬱陶うっとうしく思うほど長雨が続いていた。

「で、何にする?」

 そうシンジが訊く。今日も3人は、ダンスのレッスン帰りに例のバーにいた。

「あたし、スプモーニ」

「最近、そればっかだな。馬鹿の一つ覚えみたいに」

「馬鹿とはなによ。失礼だよ」

 最近のお気に入りらしいドリンクを頼んだカオルを、シンジが揶揄からかう。

「だって、アレンに教えてもらったんだもぉ~ん。ねぇ?」

 オーダーを取りにやってきたアレンを上目遣いで見ながら、カオルが言う。それを無視するようにシンジが言った。

「俺はシンガポールスリング。灯里は?」

「う~ん、じゃ、バーボンソーダ」

「バーボンは何?」

 アレンが銘柄を訊ねる。

「え~と、フォ、フォア…」

「フォアローゼス?」

「あ、それ」

 うろ覚えの銘柄を思い出そうとする灯里に、アレンがハーフらしい発音で教えてくれた。

「うゎ、さすがぁ。カッコいい発音」

 カオルが無邪気に褒める。

「俺の発音は、カッコよくないよ。オーストラリアン・イングリッシュだから」

「そうなの?」

 仲良さそうに話すカオルとアレンに割って入るように、シンジが言った。

「灯里、食べ物は?」

「う~ん、カルパッチョがいいな」

「ピザも頼もう」

「うん」

「あと、ホタテとアボカドのオードブル。あれ気に入っちゃったんだ、アレン」

 了解、という風にアレンはカオルに軽くウインクすると去っていった。

「なんか、仲良さげじゃない」

 そう言う灯里に、カオルは済まして答える。

「仲良さげじゃなくて、仲いいの」

「そうかよ」

 とシンジが呆れた感じで言う。

「あれ、シンジ、ジェラった?」

「誰が、ジェラるよ」

「なぁ~んだ、つまんないの」

 そう正直に言うところがカオルらしい、と灯里は微笑ましく思う。


 ドリンクとオードブルが運ばれてきた。

「それはそうと、あの女子大生たち、発表会過ぎた頃から来なくなったね」

 カオルが早速、オードブルをパクつきながら言った。

「なんか、友達関係がビミョーになったからじゃないのか?」

「一人だけ、センターのメンバーに入ったから?」

 そう訊いた灯里に、シンジが頷く。

「ふ~ん。人のこと蹴ってまで、取りたかったセンターなのに?呆気ないね」

 と肩をすくめるカオルにシンジ言う。

「だからだよ」

「どういうこと?」

「3人一緒がいいんだよ。仲間外れが怖い、つまり一人じゃ何もできないってことさ」

「へー、小学生じゃあるまいし。いつまでもお手々繋いてたいんだ。もっと上手くなればいいだけじゃん。そうすれば次は自分がセンター取れるかもしれないんだし」

「結局、井の中の蛙なんだよ。あの3人、大学では上手いと思われてたらしいんだ。それで意気揚々とスタジオに入ってきたはいいけど、自分たちより遥かに上手いヤツらがいた。あの手この手で嫌がらせしたり、媚びたりしてみたけど結局上手くいかなかった」

 ふたりの会話を訊いていた灯里も、思わず言った。

「でも、それってやり方間違ってない?」

「それがわかんないから、余計にダメだな。海外とか行ったら、みんな一匹狼で切磋琢磨してるっていうのに。甘えてんだよ」

 シンジの言葉に、カオルが反応する。

「ねぇ、シンジ。やっぱニューヨークって凄い?」

「スタジオにもよるだろうけど。でも凄いのから、そうでないのまで、いろんな人種がいるよ」

「行ってみたいなぁ」

 カオルがそう眼を輝かす。

「行ってみろよ。いい経験になるし、カオルなら実力的にもついていける」

「シンジは、また行ったりしないの?」

 と灯里が訊く。

「いや、夏にまた行こうと思ってる」

「えっ、ホント?あたしも行きたいっ」

 カオルが食いついた。

「最初は独りで行け」

「え~」

「それくらい度胸なきゃ、やってけないぞ」

「英語、わかんない」

「勉強しろよ」

「いまからじゃ、間に合わない」

「カタコトでも、レッスンは見よう見真似でついていけるよ」

 う~ん、とカオルが考え込む。

「ね、灯里。一緒に行かない?大学の事務って、夏休み結構あるんでしょ?」

「そうだけど。でも、あたしは無理」

「なんで?」

「レッスンについてけないよ」

「灯里も大丈夫だ。俺が保証する」

 ねぇ、行こうよと誘うカオルに、シンジが言った。

「だから、独りでも行きたかったら行けよ。それくらいの気持ちがないと、得るものがないぞ」


 ニューヨークか、と灯里は思う。自分はそこまで、ダンスに傾倒していない。

 じゃあ、あたしの夢って?

 柊ちゃんの傍にいたい、その想いがあるからいまはいい。でもいつか、あたしたちは別々の道を歩き出す。一緒の未来なんて、儚い夢だから。

 でもそうなったとき、独りのあたしが見る夢ってなに?

 そう考えると、急に足元が崩れ出すような不安を感じた。


「だって、カオルは本気でダンサー目指してるわけじゃないだろ?」

 灯里が独りでそんなことを考えている間も、シンジとカオルの会話は続いていた。

「そんなことないよ、迷ってるだけ」

「止めとけ」

「なんで?」

「ダンサーじゃ、食えない。食っていけるのは、ほんのひと握りだ。それに長く続けられないのも、アスリートと同じだ」

「そうなの?」

 カオルがちょっと不安そうに訊く。

「それにカオルには歯科技工士っていう技術があるじゃないか。実家だって歯医者だし、食いっぱぐれなくて羨ましいよ」

「シンジはちゃんと、ダンサーとして成功してるじゃない」

 そう言うカオルに、シンジは自嘲気味に言う。

「全然。俺の年収、知ってるか?スタジオで教えて、デビュー前の子達にレッスンつけて、あまり有名じゃない人達のステージでバックダンサーやって…。独りだからなんとかなるけど、さ」

「そんなことないよ。シンジのダンスは最高だし、才能あるし、これからもっと凄くなるよ」

 懸命にそう言うカオルは可愛い、と灯里は思った。

 そんなカオルの頭をシンジはぽんぽんと叩いて言った。

「ありがとな。カオルくらいだよ、そう言ってくれるの。よーし、今日は俺が少ない稼ぎの中から、バーンとふたりに奢っちゃる!」

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