ⅳ
「柊、教授宛の実験用キッドが届いたらしいんだけど、一緒に教務課行ってくれる?ダンボール2個だっていうから」
内線電話を切った星奈が、そう言って振り返った。
「いいよ。僕、台車持って行ってくるから、星奈は実験続けてていいよ」
「ホント?ありがと」
実験研究室の書庫兼倉庫から台車を引っ張り出して、柊は教務課へ向かった。
最近、実験データー記録やもうすぐはじまる夏休みの産学協同プロジェクトの準備で、毎日遅かったり研究室に泊まったりしている柊は、思うように灯里に会えていなかった。
灯里いるかな?と考えながら行った教務課で、柊は目的の姿を見つけた。だけど灯里は男性事務員と話をしていて、やってきた柊に気づかない。
「何か?」
別の女子事務員が、柊の姿を認めて声をかけてきた。
「篠井教授宛に、実験用キッドが届いてるって電話もらったんですけど。院生の野々村です」
「あ、あそこのダンボールです」
ありがとうございますと言って、柊は教務課入口の横に置かれたダンボールを取りに行った。台車に積んでいると、灯里がちらりとこっちを見たが、またすぐ視線を男性事務員に戻して話を続けている。
ちぇ、灯里のやつ、と柊は面白くない。高橋と言ったっけ、あの男性事務員…柊は思わず、灯里に馴れ馴れしい視線を送るその男を憮然と睨みつけた。
柊の視線を背中に感じながら、灯里は高橋の言葉を戸惑いつつ訊いていた。
最初は、もうすぐ実施される共通英語試験TOEICの役割分担の話だった。それが済むと高橋は急に声を潜め、こう訊いてきたのだった。
「ねぇ、北川さん。夏休みって何か予定ある?」
「え?」
「実は学生課と教務課の仲いい連中で毎年、旅行に行ってるんだけど、今年ドタキャンがいてね」
そう言って高橋は周りを気にするように見回すと、さらに声を潜めた。
「詳しいことは、昼休みにでも学生課の須藤さんに訊いて」
そう言って須藤という女子事務員に視線を送るので、灯里もつられてそちらを見ると、彼女はふたりに大きく頷いてみせた。
✵ ✵ ✵
須藤とふたり、カフェテリアで灯里はお弁当を広げていた。
「毎年ね、学生課の近藤さんと中田さんと私、教務課の高橋さんと島津さんの5人で旅行へ行ってたの。それがほら、島津さんが春にデキ婚したでしょ?最初は、夏休みの頃はちょうど5ヶ月位で安定期に入るから大丈夫、なんて言ってたんだけど…」
と言いながら、須藤はおにぎりをパクッと齧るとお茶を飲んだ。
「旦那さんの転勤が決まって、春学期で退職することになったでしょ?引越しの準備もあるし、体調も考えてやっぱりキャンセルしたいって言ってるのよ」
「はぁ」
と灯里は曖昧に答えて、胡麻和えを口に運んだ。
「でも、キャンセルするのはもったいないんだなぁ。だって学校の共済組合が契約している保養所って、安いし食事はそこそこおいしいし、人気の観光地にあるでしょ?家族連れなんかにはとくに人気で、予約がなかなか取れないのよ。今回だって、半年前から予約して楽しみにしてたの。それが、ドタキャンでしょ?」
須藤は、本当に残念そうに熱弁する。
「でも、事情が事情だし…。それに島津さん以外はキャンセルしないんですよね?」
灯里がそう言うと、須藤は両手を合わせて拝み倒すように言う。
「そうだけど。でも北川さんが行ってくれないと、女子は私一人になるのぉ。夜だって一緒に温泉入ったり、部屋で女子トークする相手もいなくて一人淋しく寝ることになるのよ」
まぁ、男性3人、女子1人の旅行はいくら仲が良いからといって、ちょっと気が引けるのはわかる気がした。
「どこ、行くんですか?」
ついそう訊いてしまった灯里に、パッと須藤の表情が明るくなる。
「浜名湖!温泉もあるし、夕陽の絶景スポットがあるのよ。ね、行こ!北川さん、お願い!」
こうして灯里は半ば強引に、さほど仲良くない人たちの旅行仲間にされてしまった。
✵ ✵ ✵
「準備は忙しいけど、凄く楽しみにしてるんだ、あたし。筑波研究所での産学協同プロジェクト」
今日はBランチをおいしそうに食べながら、星奈がそう期待に満ちた眼を向ける。
「3週間泊まり込みの実験は厳しいけど、頑張ろうな」
星奈と同じBランチの鯵フライを齧りながら、柊が言う。
「もちろん。ちゃんと仮眠室だってあるんだし、泊まり込みは全然心配してない。心配なのは食事。近くにはコンビニくらいしかないって情報」
不満げにそう言う星奈を見て、柊は思わず吹き出しそうになった。
「しょうがないだろ。行くまでに、好きなものいっぱい食べとけよ」
「うん。ところで最近、アレンを見かけないんだけど。会ってる?」
「ああ、ジムでは会うよ。なんか、新しいバイトはじめたらしいよ」
「バーだけじゃなくて?」
「うん。どんなバイトかは教えてくれなかったけど」
柊のその言葉を訊いて、星奈が眉間に皺を寄せた。
「やばいバイトとかじゃないよね?」
「と、思うけど…」
「アイツ、生き方、本当にテキトーだから大丈夫かなぁ」
めずらしくアレンを気にする星奈に、柊は面白そうな視線を向けた。
「なに?」
「いや、星奈がアレンを心配するなんてって思ってさ」
意外なことに、さっと星奈の顔が赤くなった。
「だ、だって。大学1年の時からのつき合いじゃない。つ、つき合いってのは、そういう意味じゃなくて。つまり悪友って意味で。で、アイツのテキトーさは、嫌になるくらいわかってるし…」
慌てて言う星奈を見ながら、柊はあれ?と思った。もしかして…でも、それならそれで応援したい、と柊は星奈を見ながら微笑んだ。
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