ⅶ
「たまには、飲みに行かないか?」
ジム帰りに、柊はそうアレンに声をかけられた。
「引越ししたから、あまり金ないけど」
「じゃあ、なんか買って、ウチで飲む?」
アレンの自宅へは、何度か行ったことがある。
家族がまだ一緒だった頃、父親が買ったという3LDKのマンションに、アレンはいまでも独り暮らしをしている。アレンの母は、心身の状態があまり良くないとかで、実家で両親つまりアレンの祖父母と暮らしている。
広めのリビングにはグランドピアノが置いてあって、音楽家の家庭という雰囲気を醸し出していた。大学時代、星奈や他の仲間と夜通し飲んで、結局泊まったこともある。
そのときにアレンは、酔ってはいても、見事なピアノ演奏を聴かせてくれた。
「なぜ、アレンは音楽の道に進まないの?」
訊いたのは星奈だったと思う。
「父親の希望は、エレンが叶えるさ」
アレンの妹のエレンは、海外の音楽院でフルートを選択し学んでいるそうだ。そのとき両親の希望と言わず、父親の希望といったのが、一瞬だけど気になったのを覚えている。
アレンの家の近くのコンビニで、ビールや焼酎、氷やつまみになりそうなものを買った。
「なんか久しぶりだな」
そう言いながら、柊はアレンの家のリビングに入った。部屋は意外にこざっぱりと片づいていた。
ローテーブルに買ってきたサンドイッチや唐揚げ、スナックやピーナツの袋を無造作において、缶ビールを開ける。
「じゃ、乾杯」
苦味のある炭酸の刺激が、乾いた喉に心地良い。
「お母さんの様子はどうなんだ」
一度も会ったことはないが、アレンが母親のために日本国籍を選んだことは知っている。
「相変わらずだよ。心の問題が身体に影響を及ぼして、弱った身体がさらに気を弱くするという悪循環だ」
「でも、もう入院はしていないんだろう?」
「ああ。生まれ育った環境の方が、落ち着くみたいだ。爺ちゃんと婆ちゃんは、大変だろうけど」
アレンがピーナツの袋を開けて、大きな片手で掴んだ中身を無造作に口に放り込む。
「それより、お前の方はどうなんだ」
「なにが?」
薄々、アレンの言いたいことはわかっていたが、そうしらばっくれる。
「Miss幼なじみだよ」
缶ビールをひと口飲んで、柊は答えた。
「傍にいてやりたい」
「どういう意味で?」
「どういうって、そのままの意味だよ」
柊にはそれが一番、正確な答えのような気がした。
灯里はそれを望んでいる、でも僕を好きなわけではない。それでもいいんだ、それでも僕が傍にいたい。
「つき合ってるんだろ?」
アレンがさらっと訊く。でもそれは柊には、答えにくい質問だ。
「どうなんだろうね?」
「どうなんだろうねって、好きなんだろう?」
「ああ、好きだよ」
今度は、柊は迷わず答えた。
好きだ、いや、ずっと好きだった、幼い頃から。気がついたら、もう僕の心は灯里でいっぱいなのに、ずっと手が届かなかった。灯里の背中を、ずっと追いかけてきたんだ。
でもいまは、灯里は手を伸ばせばそこにいる。触れることもできる。だから触れる、抱きしめる、泣かせる、傷つける。だってそれが、灯里の望むことなのだから。
「Miss幼なじみの方は、どうなんだ?」
アレンが何気ない風を装って、核心に触れる。
「さぁ」
「さぁって、それじゃつき合ってることにならないだろう」
そう言って、アレンは気づいた。そうか、だから「どうなんだろうね?」なのかと。
「焼酎にするか?」
缶ビールを飲み終えたアレンが、柊に訊ねた。
アレンがミネラルウォーターのペットボトルと、氷を入れたグラスを2つ持ってくる。2つのグラスに焼酎を半分ほど入れると、ミネラルウォーターを注いだ。
「濃いかな?」
「大丈夫だろ?」
「じゃ、改めて乾杯」
ふたりはしばらく無言で飲んでいたけれど、口を開いたのはやはりアレンだった。
「なぁ、柊。お前、この間見ただろ?」
それは突然だったが、何を見たかと訊いているのか、柊には不思議に確信できた。
「あぁ、見た」
そうか、とアレンは言って、焼酎をまた飲む。
「あれがなんの跡かわかるか?」
一拍間を置いてしまったが、それでも柊は努めてさらりと答えた。
「煙草?」
アレンが、ふっと笑って頷いた。
「俺の話をしていいか?いままで誰にも話したことはないし、結構悲惨な話だけど」
柊が無言で頷くと、アレンは自分の家族のことを話しはじめた。
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