ⅱ
「ワンツースリーフォー、ダウン、ダウン、ステップ…」
ハイテンポな曲の合間に、シンジの声が響く。
一番広い第1レッスン室だけど、いつもシンジのクラスは超人気で満杯状態。今日も40人を優に超える男女がひしめき合って踊っている。
その中で、素人とは思えない頭抜けたカッコよさで他を凌駕しているのがカオルだ。
技術的に上手いのはもちろん、自分の世界をきっちり持っていて、それをバツグンの感性と魅力的な容姿で表現できる。
初めてカオルの踊りを見たとき、この
「ねえ。あんた、何かやってた?」
とっても抽象的な問いだけど、何かというのがもちろんクスリとかそんなアブナイものではなくて、
「中高、新体操。そっちは?」
そう答える灯里に、カオルは表情豊かな笑顔を見せて唸った。
「そうきたか。新体操かぁ、だから躰めちゃ柔らかいのに筋力とバネがあるんだぁ。新体操とは予想外。でもナットク納得!」
無邪気に笑顔で頷くカオルに、灯里はもう一度訊いた。
「で、そっちは?」
「あたし?」
「うん」
「あたしは…バレエ」
カオルがぺろ、と舌を出しながら首を竦(すく)めた。
「まじ?」
「うん、よく言われる」
また、ぺろと舌を出す。
「まったく、予測外なのはそっちじゃん」
「だよね」
とカオルが笑った。
基礎にバレエがある娘は、それがわかることが多い。とくにカオルくらい上手ければ尚更で、まず特長的なのは姿勢の良さと訓練からくる視線の取り方、首筋の何とも言えないすらりとした美しさだ。そしてバランスが良く、ピルエットなどのターン系が正確でブレない、体幹の引き上げが完璧。その一方でストリート系ではダウンやブレイク、ロックなどが苦手だったり、体を崩せないのが弱点になることもある。
ところがカオルは。
古典的なジャズもニュースタイルのダンスも、ヒップホップもブレイクダンスも、その天性の勘の良さで見事に踊りこなすのだ。弱点がこれだけ見当たらない娘も、めずらしい。
「バレエ、どれくらいやってたの?」
それに答える代わりに、カオルは非の打ち所がないバレリーナの3回転ピルエットをして見せた。一瞬にしてバレリーナの雰囲気を纏ったカオルに、灯里は眼を見張った。
「なにそれ、完璧バレリーナじゃん」
「で、そっちは?」
と訊くカオルに、灯里はバックブリッジから足を蹴り上げての優雅な回転で答えた。
「お~、凄ぉ~!」
起き上がった灯里に、カオルが屈託のない笑顔でそう言った瞬間、ふたりは親友になっていた。この娘、好きだ。気が合う。同時に抱いた思いは、いまも変わらない。
そんなことを思い出しながら、灯里はカオルの左斜め後ろで踊っていた。
カオルはいつものように圧倒的なオーラを放っていて、同じようにレッスンを受けて踊っている生徒の眼がカオルを追う。追う理由は2通りあって、1つは憧れの眼差し、もう1つは振りつけのカンニングだ。
今日の振りつけの踊りが終盤に近づいて、いっそう激しく複雑なステップになったとき、カオルの右隣で踊っていた
だけど、灯里は見てしまった。
カオルの斜め後ろで踊っていただけに、それはとてもよく見えた。カオルを蹴った
シンジと眼が合った。灯里が眼で訴えると、シンジが頷いたから、彼も見ていたのだろう。
「しっかし、今日も混んでるなぁ。みんな狭くて、思い切り踊れないだろ。よっし、2グループに分けるぞぉ。みんな、広いフロアで思う存分、踊りやがれぇ~!」
そう言うとシンジは、カオルとその娘の間に右手を差し出して、そこから2グループに分けた。
「足、大丈夫?」
レッスンが終わって、灯里はすぐにカオルにそう声をかけた。
「ふん、あれしき」
「てことは、わかってるんだね、ワザとだってこと?」
「当たり前」
「シンジもわかってたよ」
「だろうね」
カオルは表情を変えずにそう言うと、スタジオの隅を見た。
さっきの娘を含めた3人組が、きゃあきゃあ言いながらシンジを取り囲んでいる。
「あの娘たちが来ないうちに、シャワー浴びちゃお」
そう言うカオルと、灯里は急いでシャワールームへ行った。
エレベータの前で、カオルと灯里の携帯が鳴った。
「シンジからメールだ」
ふたり揃ってメールを確認すると、こうメッセージがあった。
『先、行ってて。女子大生たちをまいてから行く』
今日もレッスン後に、あのバーへ行く約束をしていた。
「じゃ、先行きますか。ったく、あいつら」
そう言うカオルと、灯里はエレベータに乗った。
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