「うわぁ、いた!」

 バーの扉が開くと、カオルは嬉しそうな第一声を上げた。その声に顔を上げた金髪のバーテンダーが、にっこり微笑む。

「いらっしゃませ」

 カオルの後ろから続いて店内に入った灯里は、思わず「あ」と小さく言って固まった。

「ん?どしたの、灯里」

 そう言ったカオルの眼に、灯里と同じように眼を見開いているバーテンダーの顔が映った。

「もしかして…ふたり、知り合い?」

「知り合いって言うか…」

 言葉に詰まった灯里に替わって、青い眼のバーテンダーが言う。

「俺、彼女の幼なじみの友達。で、そいつと同じ大学に通う、大学5年生」

「大学って、もしかして…」

 そう訊く勘のいいカオルに、灯里は答えた。

「う、うん。あたしの新しい就職先」

「なに、なに、それ。聞いてないぃ~!幼なじみって、それもしかして彼氏?だから転職したのぉ?」

「か、彼氏じゃないよ。偶然、再会したの、6年ぶりに」

 興奮するカオルに、灯里はそうおずおずと説明した。

「えー、偶然て、なんかドラマチックぅ~。ねぇ、アレン…さん?」

 カオルがバーテンダーに同意を求める。

「あれ?俺の名前、知ってたの?」

「うん!こないだ来たとき、今日いないバーテンダーの人に訊いた。こないだ、いなかったでしょ~。めちゃ、残念だったぁ。あ、アレンて呼んでいいよね?あれ?大学5年生て、もしかして留年?」

 話がころころ変わる屈託ないカオルに、アレンは陽気に笑うと言った。

「あはは、キミ面白いね。名前は?」

「芦名カオル。こっちは北川灯里。あ、知ってるか…」

 アレンは、ふさふさの金髪を揺らしながら頭を振った。

「いや、フルネームは知らなかったよ。俺は谷川アレン、オーストラリアと日本のハーフ。卒業できなかった、出来の悪い留年組」

「やっぱ、ハーフかぁ。どおりで日本語上手いと思った。それから卒業なんてしないほうがいいよぉ、社会なんて面白くないことばっか」

 カオルはもう、幼なじみの一件は忘れてくれたようで、灯里は正直ほっとした。


「あはは、キミは十分楽しそうに生きてるように見えるけどね。ところで、何飲む?」

「あ」

 アレンに訊かれて、カオルはまだなにも注文していないことに気づいたらしい。

「え~と、甘いカクテルは怖いから。なんだっけ?灯里、こないだ頼んだやつ」

「ジントニック?」

「うん、それ。灯里もそれでいい?」

 頷くとアレンが言った。

「じゃ、ジントニック2つね」

「あ、後で友達ひとり来る。そしたらテーブルに移動していい?」

「いいよ。つまみは?」

「う~ん、取りあえずぅ、ごぼうスティック!こないだ、おいしかったし」

「了解」

 カオルはアレンと、すぐに打ち解けてまるで常連客のような親しさだ。その奔放な明るさが羨ましい、と灯里は思う。

 ジントニックで乾杯したところで、カオルの携帯がマナーモードで着信を知らせた。

「あ。ごめん、ちょっと出るね」

 ジントニックを一口飲んで、カオルはバーの入口から外へ出た。自由に見えて、ちゃんとマナーは守るところもカオルらしい。

 歯科医の父親と、自宅でピアノを教えているという母親は躾に厳しかったらしい。医大の歯学部に通っている弟がいて、カオルによると

「弟が優秀でよかったよぉ~。子供がふたりとも医者継がないんじゃ、親が可哀想だもんね」

 だそうだが、そう言うカオルだって歯科技工士という資格と技術を持っているのだから、親孝行だ。


 カオルが店外に出て行って、独りになった灯里に、ごぼうスティックを出しながらアレンが言った。

「柊は、遊び相手には向かないぜ」

「え?」

「幼なじみならわかってると思うけど。真面目で、めずらしいくらいピュアな男だ」

「なんで、そんなこと言うの?」

「だって、Missアバスレなんでしょ?もっともそう言ったら、柊は怒ったけど」

 アレンの碧眼が、探るような色を帯びている。

「心配しないで。ただの幼なじみだから」

「俺が心配してるのは、キミじゃない。柊の方だ」


 事実、あの夜のように冷然とキレた柊は、これまで見たことがないとアレンは思っていた。このが教務課にいると告げたときの、あんなに余裕がない柊も。このままだと、この娘に翻弄されかねない。そんな危惧を抱くほど、この娘に関して柊は柊らしくない。

 しかも、この娘は清純そうに見えて、なにかとんでもない蠱惑的こわくてきな光彩を放っている。明と暗、冷たさと熱が表裏一体となっているようなこの雰囲気は、いったいどこからくるのか。もし本当にアバズレなら、女に免疫が少ない柊が傷つくのは火を見るより明らかだとアレンは思っていた。



 誤解されているみたいだ。でも、その誤解はむしろ訂正しない方がいいのかもしれない、と灯里は思った。

 柊ちゃんはあたしの本心を知ったら、決してこんな関係を続けてはくれない。

 あのとき、何かを振り切るみたいにキスしてくれた。よほど、あたしが情けなく見えたんだろうな。同情?優しいから、最後まで拒めなかった?

 でも嬉しかった、信じられなかった。愛しい人のぬくもりがこんなに温かな想いを与えてくれるなんて、たとえそこに心がなくてもあの瞬間、あたしは確かに幸せだった。

 あの夢のような事実の前に、柊ちゃんの優しさの訳なんて考えても仕方のないこと。だって柊ちゃんは、一緒の未来を望んではいけない相手。望んだって、かなわない未来だ。

 わかってる、あたしは忘れてない、忘れられない。あの日、中学生だった柊ちゃんに「汚らわしい」って言われたこと。ショックだった。許婚がいるというだけで「汚らわしい」と言った柊ちゃんにとって、いまのあたしは気まぐれで一度くらいなら抱いてやってもいい女くらいの価値しかない。

 不相応な希望なんか、いだかない。だけど、あと、もう少しだけ、ただ幼なじみとして昔のように傍にいられるだけでいいから。1年、ううん、半年でも3ヶ月でもいい。そうしたら今度こそ、私は消えるから。柊ちゃんの前から永遠に。

 だから、神様、どうかその勇気をください。

 あと少しでいいから、柊ちゃんとの想い出をください。


 灯里は揶揄からかい挑むような視線をアレンに向けて、言った。

「友達思いなのね。じゃあ、あたしのただの幼なじみに、ちゃんと報告しておいて。これからあたしの男ト・モ・ダ・チが来るから、ダンサーのね」

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