第1章 最悪の再会

「お疲れ、柊。ハンバーガーでも食ってく?」

 ボクシングジムをともに出ながら、そう言って肩を叩いてきたのは同じ大学に通う谷川アレンだ。オーストラリア人の父親と日本人の母親を持つハーフ、バイリンガルで金髪、碧眼。188cmもある長身に外国人の血を引く骨格のしっかりした体型、181㎝あってもどちらかといえば細身な柊と並ぶと一周り大きく感じるほどだ。

「うん、今日はだいぶ遅くなったし、腹も減った」


 アレンと連れ立って駅に続く道に出る。あたりはすっかり暗くなり、3月初めとはいえ今夜は少し肌寒い。

「近道していこうぜ」

 アレンはそう言って、古い喫茶店や閉店後の本屋が並ぶ道から細い路地に入った。人通りが少なく、薄暗い街灯がぽつんと暗闇を照らす空き地の横を通ったとき、なにか言い合う男女の声が聞えてきた。

「ん?なんだろ、痴話喧嘩?」

「カップルの揉め事だろ、首突っ込むなよ」

 暗闇の先に2つの影がくっついたり離れたりしていて、どうやら男の方が抵抗する女の腕を掴み、強引に引っ張っているようだった。

「大丈夫かな?」

「痴漢には見えないし、知り合い同士みたいだから放っとけよ」

 立ち止まるアレンに、柊がそう忠告したときだった。

 

 女の声が切羽詰ったように、大きくなった。

「や、いい加減にしてっ。離して」

「いいじゃないか、灯里。俺の気持ち、わかってるだろ?」

 その瞬間、柊の足がぴたりと止まった。

 あかり? …灯里?

「?どうした、柊」

 怪訝そうにアレンが訊くのと、柊がそのふたりへときびすを返すのがほぼ同時だった。

 すぐに追ってきたアレンの眼の前で、柊は男の腕を掴んで捩じり上げていた。


「痛ってぇ。なんだよ、お前!」

 いきなり腕を捩じ上げられて、男が吠えた。

 柊はゆっくりと女の顔を確認すると、男の腕をあっさり離した。

「邪魔すんなよ」

 いきり立つ男に、アレンが言う。

「彼女、嫌がってるよ」

「うるせえ、関係ないだろっ」

 男が再び、女の腕を取ろうとした瞬間、柊が彼女を背にふたりの間に入った。

「てめ、やる気か?」

 柊がトレーニングウエアやグローブが入ったバッグを、静かに地面に置いた。そして腰を低くすると、両手を体の前に構えてスパークリングの体勢を取った。一瞬、男は呆然としたが、すぐに応戦の構えを取る。

「やめとけよ。こいつ、こう見えてもプロボクサーだから。しかも大人しそうに見えて、キレたらやばい危険なやつだ」

 アレンが面白そうに、楽しんでいるかのような口調で、そう嘘をついた。

 男が、まさか、という表情をした瞬間、柊の右手が前へ突き出された。そして、ピタ、と男の眼の前で止まった。


「あと、3㎝だ」

 柊が低く、冷静な声で呟いた。それは激昂するより、遥かに有効に男を縮み上がらせた。

「わ、わかったよ」

 男が応戦の構えを解いて、狼狽えながら言う。

 柊は男を見据えたまま、後ろの女に訊く。

「この男は、キミのなに?」

「ストーカーよ」

 ひでぇな、と男が呻く。

「2度と彼女の前に現れないって誓え」

 そう言う柊に、舌打ちしながら男は言った。

「女の前だからって、カッコつけやがって。だけどこの女は、お前らが助けたつもりのこの女は、アバズレだっ。男を手玉に取るビッチなんだよ」

 捨て台詞を吐いて走り去っていく男を、アレンは手を振って見送った。

「キミを手玉に取ったアバズレさんは、確かに預かったよー。帰り、気をつけてー」

 さて、とアレンが後ろを振り向くと、残された彼女が呆然として柊を見つめていた。


「柊ちゃん…」

「…灯里」

「えええぇ~、お前ら、知り合いだったの!?」

 幼い頃からずっと大切に想い続けてきた灯里との6年ぶりの再会、それは柊にとって最悪のものだった。



 ✵ ✵ ✵


 送らなくていいから、と言い張る灯里を半ば強引に送りながら、柊はアレンと別れて駅と反対方向へ歩いていた。


 いったい、何から訊いたらいいのだろう?

 どうして突然、姿を消したのか。キミの許婚だった勝哉かつやと、なぜ異母姉妹の繭里まゆりが結婚することになったんだ。あれから6年間、一度も故郷に帰ってこなくなったのはそれが理由なのか?いままで、キミは何をしていたんだ。そしていま何故、アバズレなんて呼ばれることになってるんだ。あんなに清純で妖精のように美しいと噂されていたキミが。


 混乱する思考を整理できないほどに、灯里との再会は突然だった。

 しかもこの駅に住んでいたのなら、よくいままで会わなかったものだと柊は思う。ボクシングジムがあるこの駅には、大学院生になるいままで4年間も通い続けていたというのに。

 訊きたいことを何一つ訊けないまま、10分ほどで灯里が住んでいるというマンションの前まで来てしまった。

 柊は周辺の環境をざっと観察する。駅からは商店街を通るが夜遅いと閉店したあとだし、周りは住宅街で人通りが多いとは言えない。隣にアパートらしきものが建設中で、灯里のマンションは入口がオートロックではなく管理人も常駐しておらず、セキュリティが甘い。エレベーターにも、外部からの進入が自由だ。

 エレベーターの前で、灯里は言った。

「送ってくれてありがとう」

「ちょっと、待って」

 柊はそう言うと、灯里が乗ったエレベーターの扉が閉まるのを止める。

「言うことは、それだけ?」

 灯里が、小首を傾げる。

「なに?あがってお茶でも飲んでく?って言うべきかしら。それとも、お礼にあたしと寝てく?とでも」

 柊は絶句した。そんな柊に灯里はさらに、ひどい言葉を投げつけた。

「そんな驚いた顔しなくても。あの男が言ったでしょ?あたしはア・バ・ズ・レだって、男を平気で手玉に取るビッチだって」

 唖然とする柊の眼の前で、エレベーターが閉まった。

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