第7話 金霊

 「金霊という妖怪を御存知でしょうか。なんでもそれが見えると恐ろしく金持になれるという言い伝えがあるそうです。あれがそうだったかどうかは分かりませんが、私の身の上に起きた出来事をお話しすると、ひょっとしてあれがそうだったのかな、という気もいたします。よく妖精などは心のきれいなものしか見ることができない、といいますが、金霊はそんなことはないようで、心がきれいなものも、心が汚いものも、同じように見ることができます。ただ、運がいいかどうかの話なのだと思います。

 わかりやすいように、ここに絵を描いてきました。私が見た金霊です。絵が下手ですみません。これでも練習したんですけど。暖簾のようですね。ちょうど、五円玉で作った暖簾のようでした。シャララ、シャララ、というきれいな金のなる音がしたと思ったら、お庭でそよぐようにそれが下がっていたんです。太陽の光に包まれ、とてもまばゆく、日の光に隠れて、よく見ないと見失ってしまいそうでした。その時は金霊のことは、私は存じませんでした。ああ、何かきれいなものがある。小さいオーロラみたいだ、と思ったのです。子どもの頃に、兄がホースの水を使って、庭によく虹を作って見せてくれました。そんなもののように思ったのです。」


 舞台の上で、美人だが思い込みの強そうな顔つきをした女性がマイクに向かってしゃべっている。金霊の目撃談らしい。金霊というのは妖怪で、それを見た者は金持ちになれる。

 会の主催者と大学の時に付き合いがあった。どんなやつだったかは知っている。ひょうひょうとしていて、決して不機嫌な顔を見せない。そいつが怒っているのを見たことがない。一人でいることは少なく、いつも誰かを連れていた。相談者だ。相談者はちょっとした悩み事や、生死にかかわる重大ごとを持ちかける。やつは食事をしながらアドバイスする。相談者はお礼を持ちかけるが、やつは決して受け取らなかった。お礼なら、この食事をおごってくれないかな、という。もちろんそのつもりで誘ったので、ランチ代で人生相談ができると好評だった。いい解決策が欲しければ、それなりの食事を用意する。お金のない奴には気を利かせているのか、ファストフードの新メニューをリクエストしていた。「食ってばっかりだな。」と言うと、「趣向の合う人を探しているんだ。お見合いみたいなものかな。」と言った。

 「お飲物をどうぞ。」ポニーテールの給仕の女性がカクテルグラスを差し出してきた。「いや、いい。」と断る。給仕の女性は困った顔をした。「もうすぐ、乾杯ですので。」と言う。会の行程は知らない。合わせるつもりもない。無視しようとしたら、「お茶をお出ししてくれたらいいよ。」と声がした。

 笑いすぎて目が細くなっている。多少老けてはいるがすぐに分かった。「やあ、来てくれてありがとう。」給仕の女性に「いいお茶があったらそれをお願い。」と言う。ポニーテールの給仕はおじぎをすると急ぎ足で厨房へ行った。「良い子だろう。今、あしながおじさんをしているんだ。」と言った。「あしながおじさんってのは正体を明かさないんじゃないのか。結婚でもするのか。」と鼻で笑ってやった。「あしながおじさんは、そういう結末なのかい?」と逆に質問された。本当に知らないのか、知っていて聞いてきているのか分からない。やつの太い糸のような笑った目を見ながら、木像と話しているようだ、と思う。

 「お寺には行ったかい?」「いや、まだだ。」「ちょっとわかりにくいところにあるんだ。後で一緒に行こうよ。花でも買って。君、海外だったから、大変だったね。つらかったろう、一人で。」独身であることを馬鹿にされたような気もする。墓参りに行くことを承諾したわけでもないのに、すっかり行く気になっている。「お供えのお花は何がいいだろうね。」花の名前を言っているが、それは彼女が嫌いだと言った花だ。嫌いだと言った花の方を好きな花だと記憶している。本当に夫婦だったのか?やつの一人で動く口を見ながら改めて思った。俺はこいつが嫌いだ。彼女を盗られた。

 

「金霊が選ぶ人には、頭に金の糸が下がっております。蜘蛛の糸のようなものが天井から下って、その人を指差しているんです。ですから、糸が下がっている人を選んでいれば、間違いありません。私はこの間、スーパーのレジ打ちの女性の頭の上に、その糸を見ました。もちろん、会計はその人のレジですませました。」

 金霊の目撃談が続いている。金霊の実態が思い思いに語られている。金色に光っているという共通項以外は、当人の想像によるものが強い。大学時代の知人が新興宗教をやっているとはさすがに思っておらず、案内状にあった封筒のNPO法人の名前をそのまま信じた。この男は俺との関係を友人だと思い込んでいる。俺は仲人だと紹介された。式には出席していないのに、そういうことになっている。俺を呼び寄せたこの男の長々とした手紙には、彼女の遺品を渡したいとあった。

 「砂鉄がくっつくようにして、勢いよくひっつくのです。まるで伴侶を探すように空中を飛び、見つけるや否や、めがけて飛んでゆきます。よほど相性がいいとそのままいつくのですが、相性が悪いとしるやいなや、すぐに離れていきます。女房子どもには出て行かれましたが、金霊とは相性がいいのか、お金の縁だけは切れないでおります。」

 大しておかしな話でもないのに、そこかしこで笑いが起きている。不気味だと思う。ここにいる連中はある一つのことを介してしか、通じ合うことができない。遺品というのを早く受け取って帰りたい。

 「父を火葬に出すと不思議なものが残りました。金の玉です。パチンコ玉でも飲んでいたのかと思いましたが、どうも輝きが違うような気がして、その手の人に見ていただきました。金でした。父は金霊を飲んでいたのだと思います。私も同じように飲めば、父の偉業を成し遂げられると思いますが、父のような死は迎えたくありません。私は平凡に生きたいのです。」

 ポニーテールの子が日本茶を運んできた。悪目立ちするのが嫌で飲むのを断る「。悪かったよ。みんなと同じものをいただけるかな。」と言うと、安心した顔つきをしてグラスを運んできた。酔いたくないので飲むふりだけをする。

 「僕はねぇ、相変わらずお酒だけは飲めないんだよ。僕の分は友達に飲んでもらってた。でも、タバコは吸うんだよ。君は学生のころから吸ってたね。いつだったか、僕がお酒を飲んで目を回していたところを快方してくれたことがあったっけなあ。」そんなことはなかったはずだ、と思う。でも彼女がそれをしているのを見た。俺はそれに嫉妬した。彼の背をさすりながらタクシーに乗り込む彼女を思い出す。こちらを向いて「また、明日。」言った。暗くて顔は見えなかった。その時の声色を何度も頭の中で反芻させた。翌日からだ。彼女がよそよそしくなったのは。あの晩、何かが変わったのだ。

 「今日は飲んでも大丈夫かな。君がいるし。」俺に向かってウインクをした。この男は記憶違いが多い。「よくそれで生きていけるな。」思わず口に出す。「そうなんだ。周りにも心配されるよ。」顔を見るのが嫌で足元ばかりを見る。靴下をはいていない。真冬だというのに相変わらず薄着だ。いつもコートを着ない奴だった。「よくそんな薄着でいられるな。」と言うと、「いつも温かいところにいるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」と言われた。おれの嫌味は親切にすりかえられていた。彼女がどうして俺を捨て彼を選んだのか、いまだに分からない。とてつもなく惹かれる、と彼女は言った。好きだ、とか、愛してる、ではない。恋愛感情以外の何か、他の理由があるような気がした。金に目がくらんだとは思えない。そのころのやつは金持ちではなかった。金は持っていなかったが、周りの人間が支払った。やつは金を持ち歩く必要がなかった。今思うと金霊みたいなやつだ。本当の金持ちは、金を持ち歩かない。金さえも人に持たせる。

 奴は壇上に上がり、抽選の説明を始めた。空くじなしで全員にあたるらしい。「一つだけ大当たりを仕込んでいます。グラスの底を見てください。」グラスをひっくり返した参加者は、まばらに歩いて引き換え場所のカウンターへ向かった。やつが経営しているオーガニックファストフードのクーポン券が配られている。

 ここにいるやつらは馬鹿だろうと思う。金霊なんかいない。金なんかチケットみたいなものだ。チケットがなくても、コネのあるやつや関係者なら金を払わず楽しめるし、金がなくても金持らしく暮らしている人間はいくらでもいる。金ありき、だから、いつまでも自由になれないんだ。金があっても無くてもどうにもならないことだってあるんだ。

 うっかりとグラスに口をつけてしまう。強いアルコールが喉を下った。咳こんでしまう。変わった酒だ。なんなんだ。喉が傷んで手をやる。水をもらおうと給仕の女の子を探した。人ごみにまぎれて懐かしい顔が見える。彼女だ。まさか。どうして。

 彼女は背中を丸めた男の背をさすり、快方している。彼女の名を呼ぶ。声が出ない。でもこちらに気付いて振り返ってくれた。俺に何かしゃべっている。口の奥に光るもの。何を含んでいるんだ?

 「楽しんでいるかい?」やつが来て俺の背を叩いた。俺は手ぶりで彼女を示した。彼女はいない。「のどをどうかしたのかな。これを飲むといいよ。」水だと思って受け取る。またアルコールだ。口の中が焼けるように痛い。「ちょうど乾杯だよ。」皆が一斉に俺の方を向いた。奴は俺の手からグラスを抜き、それを高々と掲げた。「みなさん、当りが出ました。彼が後継者です。」

 何の話をしているんだ。口の奥に何かつまっている。「金気が無いっていうだろう。あれは金がないっていう意味もあるけど、金霊がつけいる隙があるともいえるんだ。つまり器が深い。容量があるっていう意味さ。」迷信だろう、そんなもの。俺は頭の中で思った。「うん。言いたいことはわかるよ。お金の霊っていうだけで、どうしていいもののように思うんだろうね。物事には、いいこともあれば悪いこともあるのさ。妻の代役を探している。彼女よりもっと長持ちして、僕のことをよくわかってくれる、金に興味の無い奴を。」

 シャララ、シャララ、と天井から音がする。ああ、金霊だ。人々が次々と口にした。誰の頭の上にも、たなびく光る鎖が見える。俺の息に合わせて、静かに震えるのだった。

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