第6話 ひとつ多い

 「先輩、グラスが一つ多いです。誰か来ましたか?」「えっ、誰も追加してないよ。」「なんか、数が合わないんですけど。」後輩は座席表とメニューの飲み物を突き合わせている。「そんなことないわよ。ちゃんと人数数えてきたんだから。」

 「もう一回人数数えてくる。」御座敷に戻ってふすまをちょっと開けて中を確認。黒い頭を数える。十一人。それで、私と後輩を入れて十三人。まあ、ちょっと縁起のよくない数字。「十三だった。」と後輩に言う。「じゃあ、片しますね。」と言ってグラスはしまわれた。グラスをお盆に積み、後輩には買ってきたジュースとお酒を持ってもらった。御座敷に戻ってテーブルの上にそれぞれを並べた。幹事が挨拶をして、皆がグラスを持ち上げる。「あっ、そこ、トイレですか?」と誰かが言った。

 座席が一つ空いている。「じゃあ、乾杯は戻ってくるまで待ちましょうか。」「そこ、誰だったっけ。」「誰の知り合い?」「いや、僕じゃないなあ…。」隣に座っていた男子はここに来る前にすでに出来上がっていたらしく、顔はよく覚えていない、と言った。しばらく談笑しながら待ってみる。でも、いっこうに座席にはもどらなかった。人数を間違えたかなと思い、グラスの数を数えてみる。一つ、二つ、三つ…。一つ多い。

 「うーん。予約って、十三人でとったよね。」「はい。あっ、でも、私の分は入れてないんです。バイトはサービスするからって、父が言ってくれて。」「じゃあ、十二人?」「座席は十三人だと思いますけど、金額は十二人分のはずです。」「なんか、間違っちゃったかな。」

 「いいや、勘違いということで。紛らわしいことお願いしたこっちも悪いし。店長さんには言わなくっていいよ。あっ、お父さんか。じゃあ、乾杯しちゃおう。」みんなはグラスを手に持った。「カンパーイ。」

 ちょっと酔ってきたあたりで、失敗失敗と反省をする。髪を指ですきながら、それにしても席、うまらないなあ、と思う。トイレで倒れているんだろうか、と思って確認をした。特に問題はない。黙って帰っちゃったのかな。席に座る前に飲み物の追加をとる。数が多いのでメモをとる。実は全員の名前を覚えていない。仕方がないので時計回りに番号を振った。1、2、3…数え始めて変だと思う。グラスの数が十三個。でも座っている人数は後輩と私を入れて十一人。私、数え間違えたのかな。やっぱり誰かトイレに立ってる?伏せられたグラスを持って厨房に行った。後輩、いるかな。忙しいんなら、手伝おうか。やっぱり頼むのまずかったかな。実家で何かあったって話してたっけ…。

 「先輩、飲み物追加ですか。」後ろから声がしてびっくりする。「あっ、ああ、そう。みんなのどが渇いてて、全員おかわり。私も何か飲もうかな。」後輩はグラスを十一個並べた。「ねえ、誰か帰ったのかな。」と聞く。後輩は聞こえていないのか、とくとくとくという音を立てながら無言でお酒をついだ。日本酒の大きな瓶を抱えて、「ねえ、先輩、夢の中で眠ったら、人ってどうなるんでしょう。」と言った。夢の中。「うーん。起きる夢を見なきゃ、起きにくそうね。」と答える。「逆に、夢の中で眠ったら、現実では起きないでしょうか。」と言う。「ええ?どうだろう。ねえ、それよりさ、今日、合コンみたいなものだよ。なんで今日に限って、上下が黒なのよ。」後輩はいつもはパステルカラーの明るい服装なのに、今日は黒色のツーピースだ。後輩はグラスを一つ取り上げて、流しに捨てた。「ちょっと、もったいないよ。いくら飲み放題だからって。」後輩は食器棚からコーヒーカップを出してきた。見たところ従業員が使っている棚っぽい。後輩はインスタントでコーヒーを入れた。私にソーサーごと差し出して、「飲んでください。」と言った。「なんでよ。まだシメには早いよ。」友人はいきなり涙をこぼした。「飲んでください。お願いです。私のことを好きなら。」「なんでそうなるのよ。」「お願いです、先輩。先輩に責任はないです。からんできたあの人が悪いんです。」シンクに流した日本酒のにおいが漂っている。なんだろう。何かを思いだしそうな…。

 「お酒、まだかな。」ガラス戸の向こうで声がする。シルエットだけで誰なのかわからない。「今持って行きます。」と後輩が返事をした。「じゃあ、頼むよ。」と帰っていく。小さく舌打ちが聞こえたような気がした。ああ、まずい、早く持って行こう。お盆を置いてグラスを乗せていく。後輩が私の手首をつかんだ。「私が持って行きます。先輩はここで、コーヒーを飲んでいてください。」「…どうしてそんなに私にコーヒーを飲ませたがるのかな…ちょっと、痛いよ。」手をのけてもらう。「いいから私も手伝うって。お店だからって時間外なんだし。あんたがみんなやることないって。それに、ほんとは酔っ払いの相手、苦手なんでしょ。無理してお父さんのあと、継いだり手伝ったりする必要なんかないよ。」私は本音を言った。「前から言おうと思ってた。あんたに接客は向いていない。」「そんなことないです。私、父から教えられてきました。死んだ人間より、生きた人間の方が強いって。」

 話がかみ合わない。「コーヒーなら御座敷で飲むよ。他の人も飲みたいかもしれないし。」たぶん従業員用のインスタントコーヒーだ。勝手に持ち出す。「ポットを持ってきてよ。」と後輩に頼む。座敷のふすまをあける。「コーヒー飲みたい人いますか、今一杯だけ入れてきたんですけど…。」座敷を見て言葉につまる。人数が少ない。えっ、黙って帰っちゃうなんて、どうして?何かまたミスをしただろうか。持っているコーヒーを隠したくなる。早じまいを進めているみたいで気が引ける。何よもう、つまらない…。

 「ああ、飲もうかな、コーヒー。」部屋の隅から声がする。こんなおじさん、いたっけ、と思う。合コンなのに年齢層が広い。おじさんは私の淹れたコーヒーをすするように飲んだ。「コーヒー飲むの、久しぶりだなあ。いっつも酒ばっかりあおってたから。」コーヒーの表に写った自分の顔を見ながら言う。「お酒、お好きなんですね。」と御愛想を言う。「はは、死んでから受ける親切は、なんていうか身にしみるねぇ…」。

 畳の上にカップが転がる。おじさんの姿は薄くなり、かき消えた。完全に消える前に、「意地悪してごめんよ。」と聞こえた。

 「先輩、御酌お願いできますか。」後輩が私にお銚子を持たせた。気持ちが悪くなってくる。私は本当はお酒は苦手だ。においも味わいも。後輩より苦手だと思う。あの時振り払った手でよろめいた男が、後輩の父親にぶつかった。バスを運転中の出来事だった。バスは横転。ここは旅館じゃない。後輩の父親が経営するメモリアルホールだ。バイトを後輩から誘われた時、本当は嫌だった。葬祭場とはいえ、お酒の席の仕事なんか。でも、嫌がっているのを知られたくなくて、見栄をはった。

 「あの男の人は亡くなったの。」「そうです。」「他のみんなも?」「父だけ助かりました。さっき意識が戻ったって連絡が。だから父の分のグラスはいらないんです。」後輩は私の手からお銚子を抜き取り、コーヒーカップを持たせた。「先輩も目を覚ましてください。コーヒーを飲んで。」私は目の前の空になったカップを見ながらコーヒーを飲んだ。眠たくなる。宴の喧騒を聞きながら後輩の膝で眠った。

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