第5話 芋仙人

 カレーのルーは中辛と甘辛のどちらを入れようかと思案する。俺が作ってやっているんだから、甘辛でいいだろう、とルーを砕いて全部入れた。規定量より一つ余分に入れるのが好きだ。こってりとしたルーの方が食が進む。空になった箱を捨てる。野菜もさらえてしまった。人参が一本と玉ねぎが半分、ジャガイモが一個。どの野菜もしなびかけていた。友人は家でできる仕事をやっているが、家のことはかまわないタチで、食料品の買い出しなどはしない。ひょっとして俺の仕事になるのか?と不満が湧いた。

 携帯が鳴ったので出る。友人からで、「連絡はあったか?」と聞かれる。「いいや、まだだ。」と答える。「約束の返事を聞かせてくれ。」と言われて、ちょっとムカついた。「分かった分かった。」と言いながらルーを混ぜる。「何か作ってるのか?」と聞かれて「カレーだ。」と答えた。「カレー?」「ああ、カレーだ。悪いが甘くしたぞ。」「それはいいんだけど、野菜は何を使ったんだ?」「えっ、あるものをさらえたけど…。」「芋も使ったか?「芋?ああ、使ったけど。一個しかなかったの使ったけど、まずかったか?」

 友人は無言になった。「どうしたんだよ。あっ、ひょっとして、育てるつもりだったのか?」と聞く。前につるの生えたサツマイモをそのままにしていて、捨てたら育てていたと文句を言われたのを思いだした。観葉植物の代わりだったらしい。「うー、明日買ってきてやるよ。芽が出そうな値引き商品を。」

 「いや、いいんだ。芋は使ってくれて構わない。帰ったら話すよ。」友人は電話を切った。なんなんだろうな。今日は一日電話待機なので気がそぞろだ。連絡がつかなかったら落とされる手はずだ。トイレにも子機を持って入る。そんな気が置けない会社に受かるとは思えず、なんでよりによって最後の会社がそんななんだろうな、と気がめいってきた。しかし不合格通知をもらって喜ぶ人間がいる。俺の友人だ。

 カレーができたころにコンビニの袋を提げて帰ってきた。野菜を買っている。「コンビニで野菜を買うなよ、スーパーにしろよ。」と文句を言う。友人は反論しないで無言で上着を脱いだ。洗面所で長いこと手を洗っている。心配になって、「どうしたんだよ、何かあったのか?」と聞くと、「え、何?」と振り向いた。聞いてなかったみたいだ。「野菜あるんなら、サラダでも作ろうか?」と聞く。「うん、頼むよ。」と言ってネクタイを外した。

 サラダを作りながら、どんな事情のある芋だったんだろうと想像する。まさかGが乗ってたから捨てようと思ってたとか、そういうのじゃないだろうな…。だったら言いにくいはずだ。芋は洗ったけど、念入りというわけじゃなかったし…。芋はよけて食おうと思う。

 野菜が少なかったので盛り切りにした。芋は友人の皿に行くようにした。これでいい。「できたぞー。」と言うと、また無言で風呂から出てきてカーペットの上に座った。「ほら、芋、多くしてやったから、食えよ。」友人はまぶしいものでも見るように目を細めて、「ああ、ありがとう。」と礼を言った。

 「で、何だよ、話って。」「うん、その前に連絡は?」「いまだなし。ひょっとして、忘れられてるのかな。」スプーンを手にして芋を乗せた。友人は鼻をすすった後に一口食べた。「うまくないな。」と言う。「なんだよー。」と怒ると、「ああ、違うんだ。お前のせいじゃない。何か、もっと特別な味がすると思ったんだよ。」と言った。「するわけないだろ、いつものPB商品だよ。」ムカついたのでカレーを犬食いする。芋が見つかると友人の皿に移した。二人とも無言で食べた。カレーは無くなった。「洗い物は俺がやるよ。」と言ったので任せた。作るのは自分で片付けは友人なんて役割分担ができあがったら、これも嫌だな、と思う。珈琲を入れて持ってきてくれる。くつろぎたいが電話がまだだ。これが終わらないことには風呂にも入れない。友人は、「じゃあ、芋の話をするよ。」と言った。「あの芋はばあちゃんの形見なんだ。」

 「芋が形見?」「うん。」「芋が?」「うん。と言っても、あの芋そのものじゃないけど。」「どういうことなのかわからないな。お前のばあさん、死んだのは二年前だよな。」「うん。」「しなびちゃうだろ、芋なら。」「うん。だから、補充するんだ。仙人が移るように。」

 「はあ?仙人?」いきなり何を言うのだろう。「作物の神様とか?」「うーん、どういうものなのか、よくわからないんだ。ちゃんと聞く暇なしに、ばあちゃん亡くなっちまったから。俺もいろいろ調べてみたんだけど、箱も古くて分からないし…。」何かを思い出すように目を伏せた。ばあさんが亡くなった時のことを思い出してんのかな。

 「箱って芋が入ってた箱だよな。」俺は腰を上げて台所に行った。電気をつけて芋が入っていた箱を観察する。実は家に来た時から違和感があった。段ボールじゃなくて木枠なのが変わってるなと思った。ワインの箱とも違って升のような形をしている。側面にマークのようなものがあったが、かすれていて分からなかった。傾けると角に砂が集まった。

 「なんか、年代ものって感じがするよな。」手の塵を払って座り直す。「ばあちゃんが亡くなる直前、俺にくれたんだ。現金で二百万もらったほかは、あの芋箱だけ。」珈琲をすする。二百万もらうだけでもうらやましい。友人の家はかなりの資産がある。ばあさんが亡くなる直前はそのことでもめたらしい。お金のことでギラついたところは見たことがない。執着が少ないのだと思う。それよりばあさんが亡くなることで落ち込んでいた。

 「枕元に呼ばれて行ったんだ。最後の言葉は俺が聞いた。」友人は俺の向こうにある暗がりの台所に目を向けた。「他の物はくれてやれ。お前は芋をお取り、って。」

 怖いのか愉快なのかわからない。後ろが寒々しくなる。俺は背後を気にしながら、「芋になんの効果があるんだ?」と聞いた。「不老長寿の芋、とか?」「ばあちゃんは長生きした方だけど、残念ながらそうじゃないよ。ありきたりさ。願いごとをかなえる芋なんだ。」ちょっと笑って答えた。「それなら、どうしてさっさと食っちまわないんだよ。」「まあ、普通はそうなるよな。でも、ばあちゃんに気をつけろって言われたんだ。」「気をつけろって?」「うん。本当の願い事かどうかは、自分にも分らないのだからって。それなら、毎日のささやかな望みごとをかなえていく方がいいって。」

 「つまり…?」「芋の補充。芋仙人は芋にうつって生きるんだ。箱の中に最後の芋があったら、そこに仙人がいる。だから、たいらげちゃいけない。芋は切らさないで、補充しながら使うんだ。」

 ああ、なるほど…。「つまり御供え物みたいなものだな。」「それもあるけど、御供え物を切らすと仙人はいなくなるわけだから、そこが他と違うよな。」俺は頭を掻いた。「なんか怖いよ。神様を食っちまうなんて。なんでそんな大事な芋のこと、話してくれないんだよ。」俺は芋を食ってはいないが、神様のようなものを煮込んでしまった。「どうなるだよ、これ。」胃のあたりを押さえる。「ばあちゃんの話では、ここ一番という時に、最後の芋を食べろって言ってたんだ。」「食べてもいいの?」「いいって言ってた。でも、その願い事が本当の願い事かわからないから、大事にとっておくんだよって。」

 「願い事って、心の底から願っていたら、そりゃ、願い事のうちになるんじゃないの?」疑問を口にする。「神様が本心を分かってくれると思うか?」「何もかも見透かすのが神様ってものじゃないの?」「そうだよな。普通はそう思う。でもこの芋仙人は違っていて、そこまでの心情をくんではくれないんだ。」「つまり?」「だからさ、よく、もう死にたい、とか、仕事やめたい、とか口にしたりするだろ。」「ああ、俺のモトカノなんかしょっちゅう言ってたな。」「それが危ないんだ。芋仙人は本音と冗談の区別がつかない。冗談をかなえられたら危ないんだよ。」

 カララ、とベランダの窓を開ける音がする。隣の家の住人が外に出たらしい。何か独り言が聞こえる。すぐにまた、カララ、と音がして中に入る気配があった。「手を合わせてたんだろう。」と言う。「彼女がああしてるのは、俺のせいなんだ。」と言った。「どういうことだよ。」「ハムスターが死んだんだ。」「寿命だろ?」「そうかもしれない。でも、回し車の音がうるさくて、俺、うるさいな、ってつぶやいたんだ。そうしたら、翌日から静かになった。ベランダに植木鉢が出て、アイスのバーが立ててあった。マジックでハムの名前が書いてあるよ。」

 友人は肘をつき、組んだ指で顔を隠した。「黙ってて悪かった。俺は芋の存在が重荷になって、今日の日にかけたんだよ。お前が芋を処理してくれるかもしれないって。」

 「俺のことは心配にならなかったのか?」「うん。心配した。でも、お前はにぶいだろ。仙人が見えていないみたいだし、現にさっきも座布団の上にいたのに、座ってたし。」尻が変な気がして座布団を降りる。「俺は仙人を尻にひいちまったのか?気持ちわるいだろ。やっぱり話してくれたらよかったのに。」「見えないなら、見えないまま、やっていこうと思ったんだよ。知らなかったら、怖くないし、間違いも起きない。お前にまで、俺みたいな不自由をさせるのは気が進まなかったんだ…。」

 「お前、ばあちゃんが死んでからやたら無口になったけど、そういうことだったのか。ばあちゃんが亡くなって悲しんでるのもあるだろうけど、そういうわけだったんだな。」「心配してたか?」「そりゃ、してたさ。俺のことも気遣ってくれて…気持ち悪いって言って、悪かったよ。」しんみりする。「あ、でも、無口になった分、お前、寝言が増えたよな。」ハハって笑ってやる。

 「寝言?」「ああ。」「何を言ってた?」「えっ、覚えてないよ。」「何を言ってたか自覚がない。」「そりゃないだろ。寝言なんだから。」「まずいな。聞かれてるだろうか。」「仙人って、寝ないの?」

 「寝ていないかもしれない。」と言う。「夜に見るんだ。こないだは蛇口の上に乗ってた。」俺は勇気を出して台所を見た。明りが無いから余計怖い。「夜中に目が覚めて、水を飲もうとして蛇口に手を伸ばしたんだ。そうしたら小さくて白っぽいものが乗ってて…。」

 ザザーと血の気が引く音がする。「寝ようかな、と思って電気を消すだろ。そうすると枕の上に、やっぱり小さくて白っぽいものが乗ってるのが一瞬見えたりするんだ。こないだはトイレの便座の上に乗ってたな…。」

 「なんでそういうこと早く言わないんだよ。」やっぱり腹が立ってくる。「俺は昨日お前のベッドで寝たし、トイレも使ったんだぞ。」「安心しろ。仙人はもういない。胃の中だ。」

 携帯が鳴る。口から音の無い悲鳴が出たのが分かった。食べ物が戻りそうになるのをこらえて電話に出る。母親からだった。「まだ連絡ないんだ。」と言ってすぐに切る。そうだよ。別のことを考えよう。「そうだな。炊事洗濯の相談をしよう。炊事はおもにおれがやるから、洗濯をお前がやれよ。」「洗濯だな。分かった。」会話が切れる。「洗濯と言えば、中国の洗濯機は衣類洗いコースと芋洗いコースの二種類があって…。」「芋の話はやめてくれ。」

 また携帯がなる。早く楽になりたい。結果は不採用だった。またの御縁がありますように。古めかしい常套区で切られた。「ダメだったのか?」「ああ。」気の抜けた気分になる。「約束だったよな。」友人は立ち上がって冷蔵庫からビールを持ってきた。「就職祝いだ。」と言う。缶の口を開けて底をコツンとぶつけた。乾杯する気分にはなれない。でも約束は約束だ。軒並み全滅だったんだから。たった今より友人の部下となった。

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