第2話 酒を飲む壺

 体におかしいところなんてありません。貧血でもないです。ただ、怖いものを見てしまって、それで具合が悪くなったんです。

 飲み物をありがとうございました。ここって、自販機の場所、分かりにくいですよね。私、入院するのは初めてなんです。それで、余計眠れないのかも…。


 祖母の代理で仕事をしに行ったんです。仕事って言っても家事手伝いみたいなもので。私、ちょっと前まで会社勤めだったんです。でも、そこはやめてしまって…。やめた理由ですか?上司が飲むんです。しかも昼間っから。変わってるでしょう。私、人を見る目がないんです。悪いところがあるんだとしたら、目が悪いんだと思いますよ。


 私の祖母の仕事というのが、お酒を収める仕事でした。でも、酒屋じゃないんです。人が飲むお酒じゃなくって、お供え物のお酒です。そういうお酒って、普通のお店では扱えないようで、出回らないみたいなんですよ。こだわらない人は、普通のお店で買ってるみたいなんですけど、本当は初物でなくてはいけないそうです。それで、人が飲むんなら、必ずお下がりものじゃないとだめだって。お下がりものって言うのは、供えた後のお酒のことです。アルコールが飛んでおいしくないと思いますよ。飲んだことは無いんですけど、母は毎日ご飯に入れて、一緒に炊いていました。

 

 私、最初に勤めた会社を辞めて、家でぶらぶらしていました。まったく仕事を探さなかったわけじゃないんですけど、なかなか見つからなくて…。だって、氷河期だし、仕方がないですよ。しばらくのんびりして、ゆっくり探そうって思ってたんです。

 

 そんな折、祖母が腰を痛めてしまったんです。祖母が子供のころからあった仕事なんですけど、最近はそんなことをしている人も、必要な人も少なくなってしまって、自分の代で終わりだろうって言っていました。でも、自分が生きているうちは、お世話をしたいって言うんです。それで私が呼ばれました。

 

 変ですよね。私、適当にOLの仕事をやろうと学校に行ったのに、お酒の配達なんて。でも、居候みたいなものだから、手伝いはしなくっちゃ。それに、祖母にはお金を出してもらっているんです。学校へ行くのに。それまであまり話をしたことがなかったんですけど、御礼をするにはいい機会だなとも思ったんです。

 

 母からは配達って聞いていたから、車の運転を思い出さなきゃって焦りましたけど、車は使わないんです。運ぶのも一本ずつで、汽車で運びました。地図を見ると遠回りになるんで、バスの方がいいんじゃないのって聞いたら、道がよくないって言うんです。理屈はわかりません。汽車の方が安全だけれど、用心するように言われました。祖母が言うには、それは一つの車両につき、一つはいるらしいんです。汽車に乗って気をつけるって言ったら、痴漢の類でしょう。でも、私の住んでいるところは田舎なので、朝のラッシュでもガラガラです。変な人がいたら、かえって目立つくらいです。その人もそうでした。

 

 出入り口のそばに座っていました。初めて行く土地なんで、降り過ごさないようにって。外の景色を眺めていました。すると、いつの間にか、その人が目の前に立っていたんです。上下の服が黒色の男の人でした。色が白くって、洋服のせいで、余計そう思えるようでした。私、いつの間にか目の前に立たれていたので、びっくりしました。うっかりして、かかえていたお酒を落としそうになったくらいです。

 

 男の人は私の目を見て、「一口いただけませんか。」と言いました。袋から瓶の口が見えていたんだと思います。これの事を言っているのだろうか、と思ったら、「薬を飲みたいんです。」と言われました。私は汽車の中で服薬のための水が無くて、困っているんだろうと思いました。それでペットボトルの水を差しだしました。すると、静かに首を振られました。水って、胃腸の弱い人は硬水はだめだとか聞いたことがありますけど、いくらなんでも、お酒でお薬を飲むなんて。私、困ってしまったんですけど、妙なことに気がついたんです。さっきから、変だなって思って。男の人の体が、揺れていないんです。足下を見たら、わずかに浮き上がっているようなんです。そんなことって、あるんでしょうか。

 

 汽車がとまって外を見たら、降りる駅です。降りようと腰を浮かせたら、相手に邪魔をされました。立ち上がるとぶつかるだろうというぐらい、身を寄せてくるんです。怖くって足がすくんでしまいました。困っていたら、右側から、ちょうど榊をたくさんかかえた人がきて、間に入ってくれました。その隙に降りることができました。

 

 私みたいに配達をされている方が何人か降りられて、私はその人たちと祖母がお酒を届けていた場所へ行きました。行ってすぐに帰ってこられるつもりでいました。でも、配達だけでは終わらなくって、お供えのお手伝いまですることになったんです。子供のころに何度か来ただけで、親戚って言っても、他人の家です。お勝手なんか分かりません。料理の手伝いだってできないし。やだなって思っていたら、お銚子を運ぶだけでいいって言われました。時間が来るまで待っていればいいって。ほんとにそれだけ頼まれたんです。もしかしたら、祖母の届けるお酒はすごくいいもので、私のバイト代より高いのかもって思いました。気が引けて、仕事を頼みにくいのかなって思いました。

 私は時間がくるまでほうっておかれました。時間と言うのがいつくるのか分かりません。お風呂を御先にどうぞって言われて、泊まりになるなんて面倒くさいなって思いました。でも周りは忙しくしているし、私はすることがなくって、お風呂に入りました。

 部屋に戻ると、お膳とその上にお銚子がありました。誰かが運んでくれたようです。時間がきて呼ばれるまでくつろいでいればいいやって思って、頬杖をついて待っていました。いつの間にか眠ってしまって。何かの気配を感じて、目が覚めたようです。それから先の事は、夢の中の出来事の様で、はっきりとしません。最初に視界に入ってきたのは、白い壺です。いつからそこにあったのか分からないんですけど、白い壺がありました。それから私の手です。確かに私のものなんですけど、まるで自分のものじゃないみたいで、勝手に動いていくんです。私の手はお銚子をとりました。体は壺に向けられました。しばらくじっとしていたんです。

 壺の先から白い五本の指が出てきました。そのうち手首が出てきて、まるで百合の花が揺れるように、くるりくるりと動きました。それからひゅるりとした肘が続きました。つるりと白くて、まるでうろこのない魚のようです。指は花弁のように広げられて、壺が置かれている台座まで伸びました。そこに猪口があったのです。

 白い指は猪口を取り、それは水平に保たれました。私の酌を待っています。私は夢の中で、恐怖のあまりに昏倒しました。


 気が付いたら、病院だったんです。祖母の仕事というのは、あれのことだったんでしょうか。それともあれは夢だったんでしょうか。どちらにしても、続けたくはありません。あんな恐ろしいもの、もう見たくはありませんもの。

 お話を聞いてくださってありがとうございます。長く話したので、またのどが渇きました。今度は私が買ってきますよ。何を飲まれているんです…まあ、お酒じゃありませんか。いけない人。こんなところで召し上がるなんて。

 えっ、私は差し上げた覚えはありませんよ。第一、今日が初対面じゃありませんか。

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