ラハブの卵。
出席番号1番 朝比奈冬海
出生番号16番 橘愛羽
◆◆◆
闇の中にうごめくものたちがいる。
日頃何もせず、自らの無害さを全力で主張しながら生きているそれらは、夜になると真の姿を現す。
だが私は知っている。なぜなら私も、闇を知るものだから。
仕方がないことなのだ。愛翼の天使たる私は、彼らと対峙しなくてはならない。たとえ分かり合えないとしても、だ。
私は暗澹たる気持ちで空き地へと足を踏み入れた。
……いる。
1、2、3……。おそらくもっといるだろう。姿が見えないだけで、気配を感じる。
私は七刻拾壱式の刻印が刻まれし袋からおもむろに聖贄を取り出す。
「……いでよ、ラハブの卵。」
ラハブの卵を薄く包む、オレンジ色の膜を取り除いていく。やがてあらわになったピンク色の肉塊を、私はちぎって、投げる。
闇の眷属たちは一目散に肉塊に群がった。
「ふ……卑しいな。所詮貴様らは救われない獣……。」
「野良猫に餌あげてるのだーれだ。」
「!!!!!!」
突然の闖入者に私は我を失う。
「あ……意外な展開。愛ちゃんだったんだ。」
立っていたのは、朝比奈冬海。
愛翼の天使ラーフェこと私が仮初の姿で通っている学校のクラスメイトで……。
「とりあえず。野良猫さんに餌あげたらダメだよー。
ご近所さんね、迷惑してるの。」
「う……あ……ご、ごめんな、さい……。」
賢い選択だラーフェ。怒られるかもしれないという恐怖から来る怯えた雰囲気。今にも泣き出しそうな表情。
そして咎められたらまず謝る。うん、完璧。
決して本気で泣きそうになったりしていない。
「ああ! うん……気持ちはわかるんだけどね。
でも……うん、やめてくれると助かるかなー。」
「も、もう……し、しません……。」
仕方のないことだ。これは光と闇の終わりなき戦いの一遍なわけだが、何も知らない一般人の朝比奈さんにわかるはずがない。
それにそんなこと言ったら絶対変な子だと思われるしものすごく怒られるかもしれないから言えない。
というのは決して本音だったりはしないのである。仮初の私の中での設定である。
「にゃぅぅぅ……。」
「し、シロたん……ごめん、もう餌あげられないの……。」
一番お気に入りの、もとい闇の眷属でありながら、光の者である私に最も歩み寄っていた白き聖魔獣が私の足に絡みついてくる。
無理もない、生まれてまだ3ヶ月ぐらいなのだ。生まれたときから知っているのだ。もう懐いちゃってるのだ。
どうしよう、泣きそう。
「はは……その子、すごく懐いてるね。」
「赤ちゃんの時から……知ってるから……。」
「そっか……。」
ああ、ダメだ。私の涙は枯れ果てた大地を緑でいっぱいにすることができるぐらいのすごいやつなんだけど、もう両目からボロボロと、ダメダメ、空き地が森になっちゃうでも止まらないよ、シロたんに餌あげられなくなっちゃったどうしよう。
「愛ちゃん……?」
「ごめんなさい、泣いてないです、全然泣いてないです、悪いの私なんで、
野良猫勝手に餌付けしてた私なんで……。」
気づけば黒子も、ちゃみぞうも、もるもるも、ぺんすけも、アイリーも集まってきてる。
セブンでいっぱい魚肉ソーセージ買ってきたのに。あげられない。もうあげられない。
「わ、私のうち……マンションで……猫、飼えなくて……
せ、責任とれないのに……こんなこと、して……。」
「そっかーー……。」
ああ、朝比奈さん引いてる。高校生にもなって、鼻水垂らして号泣してる私を見て引いてる。
同情作戦とかじゃないんですごめんなさい。だって、だって悲しいんだもん。みんなかわいくて大好きなんだもん。でも、飼えないの。私の家で飼えないの。
「あの……あのぅ……。もうしません、もうしませんから……。
今日だけ……これだけ、あげてもいいですか……?」
鼻水をべろべろにしながら私は、そんなことを言っていた。
いつの間にかすぐ側にいた朝比奈さんが、ティッシュで私の鼻を拭いてくれた。
「愛ちゃん、あのね?
愛ちゃんが餌をあげるのやめても、問題って解決しないと思うのね?
この子たちはずっとここにいるわけだし。
他にも餌をあげてる人はきっといるし……。」
「……ふぁい……。」
「私は、ご近所さんの悩みが解決したらいいなーって思う。
でも、この子たちも幸せになったらいいなって、思うのね?」
……そうなったらどんなにいいか。私がそのために何もできないことがただ悲しい。
「それでね?
私のおばあちゃんが、野良猫の保護団体やってるんだけど…
相談してもいいかな?」
「…………え?」
「里親さんを探してもらうの。
そのためにはまず保護しないといけないんだけど……愛ちゃんがいたら、
この子たちおとなしくついてきてくれるかなーって思ったんだけど……。
すごくなついてるし。」
闇に光が差した気がした。
朝比奈冬海。厳しく冷たい自然の狂気のような名を持ちながら、あなたは天の火を宿した女神だったのか。
「でね、その子なんだけど……。」
シロたん、ではなくて白き聖魔獣を指差して朝比奈さんは言う。
「その子だけは、おばあちゃんの家で飼えないかお願いしてみる。
そしたら…愛ちゃん、会いにいけるでしょ?」
「…………え?」
ごめんなさい朝比奈さん、日本語でお願いします。
「この子だけは……できるだけ愛ちゃんが会えるようにしたいなって、
思ったんだけど。どうかなー?」
つまり、朝比奈さんマジで女神。もう女神にしか見えません女神。本物いたここに。
私はただ、首を立てにぶんぶん振るしかできなかった。
「じゃあ、決まりね! 今から早速おばあちゃんに電話してみるよーー!
……あ。それ、だよね。うん、今日はいいよ、いいと思う。
私もう帰るから……見つからないようにねー……。」
そう言って、大天使朝比奈さんは可愛く手を振って帰っていった。
私は、ラハブの卵いやもう魚肉ソーセージでいいや、をちぎって投げる。
猫が、集まってくる。
黒子に、ちゃみぞう、もるもる、ぺんすけ、アイリーに、いつの間にかファミソとドシラ来てる。
君たちには、これから家族ができるんだよ。よかった。本当に。
私のことは忘れてもいいよ。それがいい。きっと、つらいつらいここでの生活とセットの思い出だから。
シロたんが、私の足にじゃれてくる。かわいい。とても、かわいい。大好きな白い子。
「シロたん、会いに行くからね。私のこと忘れても……会いに行くからね。」
神様って本当にいるんだな。女神に至ってはクラスメイトだったし。これってきっと、希望っていうやつなんだよね。
本当に、ありがとうございます。
私、明日からも天使として、頑張ります。
空き地に、魚肉ソーセージに、愛翼の天使ラーフェは、誓います。
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