きれいな指。
出席番号3番 安藤なつみ
出席番号7番 江國加奈子
◆◆◆
人の気配を感じて振り返る。
その直前まで私は、大好きな本の匂いに包まれながら、まだ見ぬ物語の入り口を探していた。
それなのに突然、なんだかヌメッとした黒いものに巻きつかれた気がして、現実に引き戻されたのだ。
昔から、勘はいい方だった。
「お! おっきいのにびんかんなんだねぇ、ちゃんかなは! ……って睨み過ぎじゃない!? まだ何もしてないし!」
別ににらんでいるつもりはない。子供の頃からこういう目なのだ。
「……やましいところがあるからそう思うんじゃない?」
あははー、と頭をかくクラスメイト。彼女の名前は安藤なつみ。別に仲が悪くもなく、よくもない人。関心があるかといえば、ない人。
ただ、こんなふうに話しかけられて邪険にする理由が見当たらない程度には関係値が築かれている人。
さっきの感触は何だったのだろう。もっと悪いものに近づかれた気がしたんだけれど。
なんだか釈然としない。勘はいい方なのに。
「ちょっとクラスメイトを驚かせようかなって思っただけじゃ~ん! 怒らない怒らない!」
私は特に怒ってはいない。よく勘違いされるけれど、おそらく表情が乏しいからだろう。自覚はある。
その上、無口だとも言われるから、その二つが揃った結果のことなのだと思う。なれているので、別に嫌だとは思わない。でも嬉しいと思うようなことでもない。
へらへらしたなつみの顔を見ながら、この人はどうしてこうも楽しそうなのだろうと考える。
「え……ちゃんかな、マジで怒った……? 目が恐いんだけど……。」
怒っていない。でも考え事をしながらなつみを見ていたので真顔なのかもしれない。
私は背がそれなりに高い。必然、なつみを見下ろすかたちになる。威圧感があるのかもしれない。
「ごめん、考え事をしてた。ところで何の用?
本当に 驚かせようとしただけ?」
「そうだけど……。用がなきゃクラスメイトに話しかけちゃダメなのかー!!」
たしかに、と納得する。なつみと私は、用がなくても声を掛け合う程度には親しいクラスメイトだ。それは認める。
なので私は素直に謝る。今のは私の言い方に棘があったかもしれない。
「あ、いや……冗談だし、謝られるほどのことでもないって!
あはは……。」
なつみは何故かバツが悪そうにしている。これにもなれている。
私の反応は人とズレているのかもしれない。こうして相手を困らせてしまうことがよくあるのだ。ただ、思うように話して行動しているだけなのだけれど。
「ちゃんかなはいつでもストレートだね。
君の打つスパイクのようだ! シュパッ!」
「ストレート……。」
ストレート、まっすぐ……。これはどう取ればいいのだろうか。単純で裏表がない。歯に衣を着せていない。感情表現に面白みがない……。
考察していると、突然目の前で破裂音がする。少し、驚く。どうやらなつみが、私の目の前で手を叩いたようだ。
「こらちゃんかなー、一人の世界に入らない!
置いてかないでよー。」
私の視界で、手をバタバタさせたり飛んだり跳ねたりしているなつみ。
どこかの部族のダンスのようだ。もしくは動物の求愛行動? とにかく元気がよくていいのではないだろうか。運動部にでも入ればいいのに。
「ごめん。あなたも買い物? 私は今晩読む本を探していたの。」
「ちゃんかな、ほんっとに本好きだよねー。ってあれ。今朝読んでたの、もう終わったの?」
「うん。あれは昨日から読んでるから、もう終わった。」
そう言って私は本棚に目を移す。
これ以上なつみにかまっていたら本が決まらない。読書の時間も減ってしまう。
「バレー部のエースが読書家っていうのも、面白い話だよねー……。」
なつみは私の本選びを邪魔する気はないらしい。
完全に意識が自分から本に移ったことを察してか、隣で独り言を言っている。
そういう私はさっきから、探している作家の名前がどうしても出てこない。
顔も、響きも思い出しているのだけれど、どうしても喉から上に上がってこない。
片っ端から探すしかないと思い始めたタイミングで、なつみに声をかけられたのだった。
なつみはというと、特に棚には興味がないらしく、しかし立ち去る気もないらしい。ぶつぶつと目についた本のタイトルを読み上げているようだ。
私は、そんななつみに構いもせずに、本を探す。
目視だけだとなんだか心もとなくて、作者名の上を指でなぞるようにして一冊一冊確認していく。
「……バレー部の子ってさ、よく指になんか巻いてるじゃない? あれってなんで?」
「テーピングのことかな。」
本探しに集中したかったけれど、クラスメイトの純粋な疑問を無視する訳にはいかない。どうして今、そんな質問をしたがるのかは不思議だったけれど、私は素直に答える。
「単純に故障しているから、というのが理由の一つ。
やっぱり突き指とか、絶えないから。逆に予防のために巻いている場合もある。
正しいテーピングって、とても効果があるの。
一度故障すると、またするんじゃないかって不安になる子も多い。
そういう子は自分を安心させるためにしてる場合もある。
あとこの季節は、寒さで結構指先が裂けたりもするから。
そういう感じかな、大体。」
ふーんなるほどー、となつみがこぼす。少し雑になってしまったけれど、納得してくれたらしい。
解説の役目を終えて再び本探しに意識を集中しようとして。
ぞくりとする。ヌメッとした、感触。見られている。
なつみの視線が、自分に集中している。ただでさえ静かな店内から、完全に物音が消えたような感覚。時間が止まったような錯覚。
それが何かはわからないけれど。私の勘が囁いている。この黒い何かは、なつみのものだ。
「ちゃんかな……指きれいだよね。すっごく。」
本をなぞる私の指。
なつみは、それを一心に見つめているのか。
私は、横を向いてなつみの目を確認することができなかった。
手が、伸びてくる。本の背表紙に置かれた自分の指を直視する私の頬を、なつみの腕がかすめる。
なつみは、本棚から取り出した一冊の本の角で、私の肩を叩いた。
「悩んでるならこれ、オススメするよー。」
その瞬間、私の体の硬直は解かれた。店内に控えめに流れるBGMが、途端に耳に流れ込んでくる。
「……うん、ありがとう。」
なつみは、私に本を手渡すと、にこっと笑って私に背を向けた。そのまま、手のひらだけでバイバイの仕草をしながら、去っていた。
私は、あの一瞬の違和感を思い出さないように、なつみから受け取った本をまじまじと眺める。
「桜庭一樹……。」
それは、なかなか思い出せないでいたお目当ての本だった。
「なつみも、読んだのかな。」
私の勘が言っている。いいえ、多分、なつみは読んでない。この作家を、知りさえもしない。
タイトルをなぞる、自分の人差し指をいつの間にか見つめている。
私の指って、こんなに白かったんだ。
知らなかった。いや、忘れていた? だとしたら、いつから。
記憶を、なぞる。
私のものとは思えないほど白い、私の指で。
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