夏の墓標。

 出席番号24番 武藤紗季

 出席番号25番 八坂悠理


 ◆◆◆


 八坂神社の鎮守の森から響く虫の音は、涼やかにそして色濃く夜を奏でています。

 墨を垂らしたように真っ暗な境内は、お世辞にも気味のよい場所とは言えないでしょう。

 でもうちにとっては、お勤めの場であり、時に生活する場所でもあり、慣れ親しんだ闇なのです。

 そうは言っても、こんな夜には邪気も集まりやすいもの。神社は神域とは言え、夜は神様もお休みですから。

 人の願が溜まりに溜まって凝り固まって、よくないものになるなんて言う人もいますし。

 ……まぁ、この八坂神社に限ってそんな難儀なもんはないはずです。

 お父様がよう祓うてくれているはずですし、いたらいたで調伏してくれるわけですから。


「ほんま、同級生でなかったら調伏しているところですよ、武藤さん。」


 境内で一番大きな御神木の下にうずくまる影。

 年頃の女の子なら、悲鳴の一つもあげるでしょう。まったく、うちったらほんま可愛げがない。

 提灯の火で浮かび上がるのは……。同級生の武藤紗季。


「生きてます? 足はあるみたいですけど。」


 表情はよく見えません。泣いているようにも見えるし、薄ら笑いを浮かべているようにも見える。

 つまり、やっぱりよく見えないわけですけども、もしかしたらのっぺら坊なのかもしれません。


「なんとか言ったらどうなんです、武藤さん。

 もう八坂の神様はお休みで、今頃酒盛りでもしてる頃です。

 営業終了なんです。」

「……京都弁?」


 なんや学校でもふわふわしてて、いわゆる不思議ちゃんやとは思ってましたけど、第一声がそれですか。

 確かに、学校ではなるべく使わんようにしてますから、珍しいとは思います。

 武藤さんとは、それほど接点がありませんし。と、気を遣ってみましたけど、本当のところをいうと全然ありません。

 いつも、三浦さんと一緒ですし。三浦さん、他の子を牽制するような目をしてますし、常に。


「うちも営業終了なんです。地でしゃべると、こうなんです。」

「へー……。」


 武藤さんは、そう返事したっきり、私の顔を呆けたように見つめたまま。

 お人形さんが、夜に動き出して勝手にお散歩してる……そんな様子と言えばいいんでしょうか。

 要するに、心ここにあらず。なんだか空っぽみたい。

 何してるんです、なんて聞いたところできっとまともな返事はないでしょう。

 それに、大体の見当はついていたりします。一応、裏を取るためにうちは、提灯を少し動かして、ご神木の根本を照らします。


「これ……誰かと思ってましたけど、武藤さんの仕業やったんですね。」

「うん、私。」


 武藤さんはあっさり認めました。悪びれもせず、謝りもせず。ただ、事実を述べたのみ。

 むしろ……口元は笑っているようにさえ見えました。

 手は、予想に反して汚れてはいませんでした。提灯に照らされて、きれいに真っ白。

 さて、でも見つけたからには聞かなくてはいけません。この神社の娘として、巫女として。


「……一体、なんのつもりです? イタズラにしては、ちょっとやりすぎですね。」

「イタズラじゃないよ? それに、もうしない。」

「ええ、これ以上してもらっても困りますから、それは当然です。

 で、もうしないから答えなくていい、なんてことはないですからね?」


 何をした、ではなく、何故したか。うちが聞きたいのはそれでした。

ええ、だって武藤さんが何をしていたかは……掘り起こしてみて大体わかりましたから。中を暴かなくても、用意に連想できるものではありましたけど。


「夏がね、終わったの。」


 秋の夜風が頬をひとなでしました。

 その拍子で、地面に突き刺さっていたアイスの棒が、ぽとりと倒れて。

 武藤さんは、それをじっと見つめていました。


「夏の、お墓を作ってたの。」


 何の悪気もない声でした。ただ、事実を述べるのみ。

 からっぽ。そういえばさっきもそんなことを思いましたっけ。

 ああ、武藤さんは、そんな意味のない、でも意味のあるようにみえることを、あの夏ひたすら繰り返していたんですね。

 ……意味がない、というのは、少し失礼だったかもしれません。そうですね、していることはとても思いやりのあることなのかも。

 そんなことをするのは、飼っていたカブトムシが死んでしまった小学生くらいのものでしょう。


「それはそれは……大層なことで。でもね、武藤さん。うちのは神社、お寺やないんですよ。」


 武藤さんは、倒れたアイスの棒をそっと立て直しています。うちの声が聞こえているのやら、いないのやら。


「勝手に境内で供養されても困るんです。人はもっての外……虫かて同じです。」

「もうしないよ、夏は終わったから。」


 すっと、武藤さんは立ち上がってうちの顔を見ました。泣いているような、笑っているような、不思議な顔でした。


「帰るね。月が呼んでるから。」

 

 今日は、それはもう大きな月が浮かんでます。

 武藤さんはその月を指差して、笑いました。ええ、それはもうはっきりと。


「もーーさよーーなーーらーーだーーよーー…。

 きみーーのーーことはわーーすーーれーーなーーいーー……。」


 歌いながら、くるくると両手を広げて踊るように、武藤さんは境内の闇に消えていきました。

 うちは声をかけもせず、追いかけもせず、提灯でもう一度ご神木の根本を照らします。

 地面に突き刺さった、無数のアイスの棒。夏の墓標。


「夏の歌唄いの…墓やったんですね。」

 

 闇の向こうから、武藤さんの歌声が、あるいは物の怪の嬌声が聞こえてきます。


「あんたの歌は、いつまで続くんやろね、武藤さん。」


 秋の風がひときわ強く通り過ぎました。

 提灯の日が、ふっと消えて。

 境内は、月明かりすら飲み込む、真っ暗闇へと包まれるのでした。

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