第8話「地球到着まであと3時間」

「定時連絡。カリロエⅥ、全て問題なし。地球到着まであと3時間。これが最後の定時連絡になる。地球のスタッフには3時間後、一つのサプライズがある。期待していてほしい。それから、出来る限り鍛えてきたつもりだが筋肉はかなり減っている。念のために医療スタッフの待機を頼む。……ゆっくり風呂につかりたい。……うまい飯をたらふく食いたい。……地球の景色をじっくりと眺めたい。……以上だ、定時連絡を終わる」


 計器の電源を落とし、俺は少女に目を向ける。

 数時間後には一生の別れをすることになる赤ん坊……我が子を俺は両腕で抱きしめた。


 この日のために切りそろえた髪が赤ん坊の頬に触れる。

 くすぐったかったのか、赤ん坊はきゃっきゃと声を出して笑った。


 生後4か月弱。


 母乳をものすごく飲む。よく笑いよく泣く。奇声を上げる。よだれを垂らす。なんでも口に入れようとする。夜泣きをする。低重力のせいか、すでにハイハイのようにして動き回る。俺を追いかける。俺に笑いかける。俺にしがみついて眠る。


 本当にかわいい。本当にかわいい……俺の子供。


 涙が流れそうになった顔を引き締め、俺は少女が着ていた旧式の気密服を赤ん坊用に改造したものに、無言で赤ん坊を入れた。


「……! 赤ちゃん……!」


 今まで気丈にも黙っていた少女が俺の腕にしがみつく。

 俺は少女の目を見つめ、黙ったまま気密服のスイッチを入れた。


「やめて! やっぱり私を投棄してください! 赤ちゃんだけは! 赤ちゃんだけは助けて!」


「お前を投棄しても、赤ん坊は助からない。このまま置いておいても、大気圏再突入時の減速Gで死んでしまうだけだ」


「でも!」


「話は終わりだ。時間がない、お前にもやることはある。来い」


「いやっ! 赤ちゃん! わたしの赤ちゃん!」


 半狂乱になる少女の手首をつかみ、俺は計器の前へと歩みを進める。その間、反対の腕で抱いた赤ん坊は気密服の中で泣いていた。

 心が痛むが、ここで弱気になってもだれも得をしない。

 俺は少女の手のひらを無理やり引っ張り、計器にスキャンさせた。


「生体認証登録。今からこの少女をカリロエⅥの第二操縦士パイロットとする」


『登録完了しました。……第二パイロットのバイタルに異常があります』


「鎮静剤投入」


『鎮静剤投入します』


 がくん、と力が抜けた少女をパイロットシートに座らせ、シートベルトで固定する。

 ぼんやりとした目でこちらを見つめ、「赤……ちゃ……ん」とうわ言のように繰り返す少女を無視し、俺は着陸シーケンスの細かな情報を入力した。

 これで、よほどのことがない限り安全に大気圏へ再突入し、その後管制の指示信号に従って空港へ着陸してくれるはずだ。


 あとは、赤ん坊。


 気密服の中で泣き続けている赤ん坊を見つめる。

 俺の子供。

 その顔を脳に刻み付けるようにして、俺は気密服に顔を押し付けて泣いた。


「……さよなら……! ……さよなら俺の子供!」


 水合成装置に近づき、そのタンクのふたを開ける。再突入前に捨てるはずの水は、まだそのタンクの中にたっぷりと残っていた。

 その水の中にゲル化剤をぶち込み、どろりと粘性を帯びた水に気密服をそっと浸す。

 タンクのふたをしっかりと閉じると、俺は自分用の船外活動服を身に着けた。


 ヘルメットをかぶる前に、少女の前へと向かう。

 うつろな目で視線だけ俺の姿を追う少女の前で、俺は計器の中の録音装置のスイッチを入れ、マイクに向かった。

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