第14話 女騎士は働かない

 王都にもスラム街は存在する。


 娼婦たちが闊歩する花街を越えて王都の横を流れる川沿い。

 川から流れ着く漂着物と、壊れた家屋で雑然としたそここそ、職や家を失くした者達が集まる吹き溜まりである。


 スラム街に唯一かかる橋の上。

 高欄に腰掛けた少年達が、帽子、長靴、鍋と、様々なものを持って虚空を見つめて並んでいた。


 そのうち、燕尾服を着た貴人が、その橋を通りがかる。

 従者も連れていない無用心なその男は、おもむろに胸から財布を取り出すと、そこから紙幣を取り出して、少年達の持つ帽子や長靴の中へと詰めていく。


 施しである。

 しかし、いささか邪な思惑が、貴人の中にはあった。


「……うむ?」


 ふと、その足が、列の一番端に居る少年の前で止まる。

 彼は少年たちの中で一番小柄でみなりのみすぼらしい――しかしながら整った顔をした彼を見ると、頬を微かに紅潮させた。


 貴人の手が少年に伸びる。


「新入りかね? 見ない顔だ」


「は、はい」


 帽子も何も持たず、自分の手を差し出していた少年は、気恥ずかしそうに俯く。

 そんな少年の態度にますます心を引かれたのか、燕尾服の紳士は微笑んだ。


 その脂ぎった手が少年の顎先に触れる。

 びくりと、少年は肩を震わせた。


 浮浪者にしては健康的な体つき。

 そして、放っておくには惜しい美貌。


「ここに立っている子達は、何も物乞いだけをしている訳じゃない。私のような寂しい男を慰めるようなことも時にはするんだが。知っていたかな?」


「――はい」


 美少年が目を泳がせたのを、男は見逃さなかった。

 そんな少年の仕草を楽しんでいるように、彼は唇をなめずる。


「なに、私も無粋なことはしないさ。まだ君は、ここの空気に馴染んでいないようだ。君に相手をしてもらうのはまた今度にしよう」


 そういって、男は二枚、紙幣を少年の手に握らせる。

 他の少年達への施しより多いそれは、手付けの意味を持っていた。


 少年がその意味を介する様を楽しんだ男は再び橋を歩き出す。


 しかし、彼はすぐおかしなことに気がついた。

 先ほどまで少年の隣にはなかったはずの者が、そこには現れていたのだ。


 鉄の兜を手に持ち。

 長い髪を風にそよがせ。

 鍛えられた肉体を鋼の鎧に身を包んだ――騎士。


 それは、彼の顔を見るなり、その悪行を咎めるでもなく、悪癖を非難するでもなく、静かに膝をその場に折った。


「くっ、殺せ!!」


「何がだっ!?」


 困惑した男は叫ぶなりその場に尻餅をついた。

 すぐさま女はそんな男の胸倉に掴みかかる。


「聞いてくれるか御大尽!! 実は不肖この女騎士アレイン、三日前に財布を落としてしまって、それ以来何も食べていないのだ!! 実家に金を無心しようにも、父上も母上も、隣国の式典に出向いていて取り次げない!! 親友のミカーナは、親衛隊への昇任試験で忙しく頼れない!! 寮の後輩たちに恵んでもらうのは、先輩の沽券にかかわる!! と、まぁ、そういう次第で、こうして優しき人にお恵みをちょうだいしようとしている訳なのだ!!」


 さぁ恵め。


 女はまるでそれが当たり前という顔をして男に兜を差し出した。


 男は目を疑った。

 誇り高き騎士がはたしてこんな恥知らずな行為をするのかと。

 これはまさか自分は何か試されているのではないのかと。


 没落貴族の身の上にあぐらをかいての借金生活。

 貴族相手には首も回らず、寸借詐欺で一般市民から金をまきあげる。

 挙句、その金で、行き場のない浮浪者の少年相手にえばっては、その身体を買う、という放蕩ぶりをしてきた男。


 まさしく人間のクズ。

 クズの中のクズ。

 言い逃れ用のないクズ。

 そんな自分に、ついに王都の騎士団が目を付けたのでは。


 脂ぎった汗が一筋、男の顎先から橋へと落ちた。


「ひっ、ひいいいっ!! 命だけは、命だけはお助けぇっ!!」


「なにを言っているんだ、助けて欲しいのはこっちの方だ!!」


「これからは、これからは真面目に働きますので、どうかご容赦を!!」


「あっ、ちょっと、逃げるな!! こらっ!! 御大尽!!」


 追いすがる女騎士に対して、男は目もくれず走り去った。

 男が去ってしまったのを見て、蜘蛛の子を散らすように橋から姿を消す少年達。


 一人、ぽつりと、女の隣に立っていた少年だけが、なんだか世界に置いてけぼりにされたような顔つきでその場に残っていた。


「まったく、人がここまでへりくだっているというのに、なんという態度だ。姿が醜い人間は、性根まで醜いという証拠だなアレは」


 しかし、どうしたものか。これでは夕飯が、と、女騎士。

 その視線が彼の隣に突っ立っている少年――彼が握り締めている紙幣に向かうのに、そう時間はかからなかった。


 ぎゅむり。


 女が少年の紙幣を握り締める。

 あ、と、驚きの声を上げた少年に、女は、先ほどのやりとりが嘘っぱちのような、優しい笑顔を向けたのだった。


「少年、いいものをもっているじゃないか。お姉さんにこの金を預けてみないか」


「えっ、あっ、あの?」


「名前は?」


「えっ、トット、です、けど」


「いい名前だ。トット。西のエルフ族の言葉で、『太陽に向かって勇敢に尻を振るにわとり』、という意味だな」


「いや、知りませんけど」


 知るわけがない。

 エルフ語なぞまともに勉強してない――この女のでまかせなのだから。


 けれども、なんだか、その妙なやり取りがどうにもおかしく感じられて。

 少年はまるでつき物が取れたように、声を出して笑い出した。

 それまでの暗い表情が嘘のように――明るく、そして爛爛と。


 そんな少年の表情に、女の顔が笑顔から微笑みに代わる。


「トット、私についてこい。この金で腹いっぱい、明日の朝まで飢えの心配をしなくてすむくらい、ご飯が食べれる店に連れて行ってやる!! 泊まるところがないのなら私の寮に泊まれ。なに、ウチは女所帯だが安心しろ。私はなんといっても寮のお局さまだからな、多少の無理は通せる」


 飯屋はともかく、豪語してみせた多少の無理が通せずに、この後トットは苦労することになるのだが――それはまた別の話。


 これはそう、女騎士とその従者の出会いの話。


「あの、お姉さん、いえ、貴方さまはいったい」


「私、私か。そうだな、実は私は、今こんな格好をしているが、由緒正しき――」


 この女騎士、今はともかく、昔はちょっとはいいところもあったのだった。

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