第9話 黒山羊の胎動(1)


『主計曹長ヴァニェクの手記』


 作戦実行の日が来たので、殊勝にも手記などを書いてみることにする。

 さしあたってはまずバロウンのことだが、あいつは結局いまも健在だ。その理由についてはシュヴェイクとこんな会話をしたことからわかってもらえるだろう。

「ときに主計曹長殿、司祭殿の命令どおりにバロウンを送還してきたのかね?」

「しゃらくさいことを言うじゃないか。何事をするにも時間の余裕は十分あるのだよ。それに司祭殿は今にバロウンに慣れるとおれはにらんでいるのさ、彼女からは実に中尉殿と同じ空気を感じるからな。それにおれがバロウンは今のままにしておこう、と言えば、どうしようもないのさ。送還はおれの能力の領分なのだから、司祭殿も口出しはできないのだよ。何もあわてることはないね」

 そう言っておれは自分のベッドに横になった。なにしろわれらがライヒ・パステルツェ司祭殿は性格的に激情しやすい面がある。落ち着いた頃にのらりくらりと理由をつければ気も変わるというわけだ。

「シュヴェイク、何かおれにおまえがこの現実に召喚されてからの一口話をしてくれよ」

「してもいいがね、また司祭殿から電話がかかって来やしないか、気がかりだよ」

「それじゃシュヴェイク、電話がかからぬようにしておけよ。電源を切っておくことだな。もし後で司祭殿から何か言われても、電波の調子が悪かったとでもごまかしておけばいい」

「よし来た」

 と口にして、携帯の電源を切ってから、シュヴェイクは、いい退屈しのぎになる小話を語り始めた。そのあとで誰かに電話をかけたらしく、ライヒ司祭のために一肌脱ぐかどうかとか、そんな会話が途切れ途切れに耳に入ってくる。声を聞く限り若い男のようだが、まあおれの知ったこっちゃない。そんなこんなで、おれのとりなしのおかげでバロウンは送還の難を逃れて、作戦実行までの日々は穏やかに過ぎていったのさ。


 そうして作戦決行当日がやってきた。我々は、アメリカはマサチューセッツ州エセックス郡の頽廃した港町、インスマスに到着した。この町の住民は俗に「インスマス面」と呼ばれる特異な顔立ちの人間ばかりで、その容貌ときたら、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場した蛙人間めいた印象が強く、まばたきをしない眼とひらべったい口、不気味な両生類を思わせる雰囲気が特徴的だ。おれも戦時下において劣悪な環境や様々な畸形の人種を見てきたものだが、この連中からはそれとは似て非なる、いわば人間以外のものに対する強烈な生理的嫌悪といったものを感じるわけである。

 ライヒ司祭は『ダゴン秘密教団』会館で、教団の指導者にしてマーシュ海運の会長でもあるマーシュ家当主と会話している。『ダゴン秘密教団』は海底の神ダゴンとハイドラ、そして大いなるクトゥルーを崇める邪教宗派であり、ライヒ司祭の属する『星の智慧派』とは協力関係にあるらしい。

 さて、マーシュ家当主――帽子をかぶりサングラスをかけたその男は背が高く、妙に背を丸めていた。足が悪いのかはわからんが、実に非人間的な、足をひきずるような動作が顕著だ。顔はインスマス住民特有のものだが、彼にはそれ以上に魚類を連想させる容貌が突出しており、真夏だというのに真深にかぶった帽子、両手に黒い手袋をはめていることからも奇異性が見てとれる。普通の人間じゃないのは間違いないだろう。

 そしてマーシュ海運だが、現在はオーストラリアのシドニーを本拠とする世界的な海運業社のことであり、かつてはインスマスで栄えた海洋貿易だという。その創始者オーベッド・マーシュは、ある独特のやり方で大いに発展を遂げたが、1900年初頭、アメリカ海軍とFBIの極秘共同作戦により一斉手入れが行われ、インスマス沖合いに存在するという悪魔の暗礁に魚雷攻撃まで放たれた一件により、インスマスは頽廃の一途を辿るようになったらしい。

 だが『ダゴン秘密教団』は廃れることなく、その後マーシュ海運はオーストラリアに本拠を移し、未曾有の発展期を迎えたようだ。抹消された某国の当時の記録によると、1940年代におけるマーシュ海運の業績は、今後いかなる巨大な商業資本によっても破られることはないほどのもので、いかなる角度より検討しても正規の方法では不可能な数字と、異常な隆盛を誇ったという。

 また、第二次世界大戦直前に、かのアドルフ・ヒトラーがひそかにマーシュ海運へ軍事的協力を要請したが、当時のマーシュ家当主はそれをあっさりと拒否したという。驚くべきことにその理由が、「自分は愚かな人間の誰とも商取引以上の関係を持つ気はない」といったものだから、なかなか笑える話じゃないか。当然ながらこの無礼な態度に激怒したヒトラーは、開戦と同時にマーシュ海運の船舶を優先的に撃沈するよう命令を下したのだが、その復讐劇は無残な失敗に終わったとある。何やら人智を超えたとしか形容のしようがない、不気味で不可解な幸運が常にマーシュ海運に味方し、ドイツ海軍のUボート全艦は、怪異的な妨害や海難に遭い、その殆どが悲惨な結果をこうむったとか。

 以上がマーシュ海運にまつわる話だが、さて、ライヒ司祭がマーシュ家当主と話している事柄は、司祭殿とおれたち五人が乗船する指揮官用船艇に関することだった。ぶっちゃけた話、今回の作戦でおれたちと行動を共にするインスマス人どもは、妙な生理的嫌悪をおぼえる面構えだけじゃなく、おまけにどうにも魚臭いときている。要するにライヒ司祭はそんな連中と一緒の船には乗り合わせたくないわけだ。

 その要望は叶えられた。というより、ライヒ司祭用の特別な船が最初から用意されていたらしい。そしておれたちはその船へと移動することになった。


 マーシュ海運の誇る最新鋭の船団のなか、数百年は時代がさかのぼったような、血のような赤い帆と、黒いマストの中世風オランダ船におれたちは乗り込んでいた。これがライヒ司祭とおれたちのために用意された特別船らしい。何の嫌がらせかと一瞬思ったが、どうやら司祭殿はこの船の素性を知っているらしく、感嘆の意をあらわにして船長に挨拶していた。深い黒の顎鬚を生やし、青ざめた不気味な顔をした、ヴァン・デル・ヴェッケンという名のこの男は、遙かな幽霊船伝説に名高い「さまよえるオランダ人」の異名をもつ人物だそうだ。その隣には、救済の乙女と呼ばれる美しい娘が寄り添っている。

「お会いできて光栄です、ヴァン・デル・ヴェッケン船長。よもや大いなるクトゥルーに仕える身となっているとは驚きですが、此度の作戦において、貴方の伝説の船で航海できること、素直に喜びの情を以って就かせてもらいます」

 ライヒ司祭が他人にここまでかしこまった態度をとるのは珍しい。「さまよえるオランダ人」とやらは、それだけ畏敬をもって接するに値する人物のようだ。まあおれにしてみれば、船が超年代物なことを除けば、魚臭い連中と船内を共にすることはないわけだからとりたてて文句はないね。

 汽笛が鳴った。かくして、ライヒ・パステルツェ司祭殿とおれたちを乗せたオランダ船をしんがりに、マーシュ海運の誇る船団が紺碧の大海原へと出航したのだ。


 船出してから数時間。驚いたことに、おれたちの乗る不気味な中世オランダ船は、動力などを含めて機械的な要素が一切ないというのに、速度において現代の最新鋭の船舶にまったく遅れをとらなかった。それどころか、もっとスピードを上げれば、矢のような速さで船団を追い抜くことさえできそうではないか。なるほど、こいつはたしかに特別船だ。

 さて、この作戦による『ダゴン秘密教団』の目的は、ある敵対組織の殲滅である。かなりの力をつけてきたので、目ざわりな程度のうちに潰してしまおうというわけだ。そこでさっきの逸話を思い出してもらいたい。第二次世界大戦においてドイツ海軍の攻撃を寄せつけなかったマーシュ海運の船団が、なぜ一敵対組織に対抗するために『星の智慧派』の協力を仰ぐのか?

 答えはこうだ。その敵対組織も邪教宗派であり、シュブ=ニグラスという神を崇めているらしい。つまりナチスの攻撃を退けたクトゥルー神の加護も、シュブ=ニグラス神の加護で相殺されてしまう可能性が高く、その効果を期待できないことになる。そしてインスマス人は肉体的にタフだが知能が低いゆえに、加護が受けられない以上は、彼らを指揮する人材が必要不可欠につき、それでライヒ司祭が抜擢されたってことさ。

 そういったわけで船団は敵対組織の本拠地へと向かっている。それは某国領土内の海域に浮かぶ小さな孤島らしいが、『星の智慧派』と繋がっているその国の有力者がうまく取り計らってくれたおかげで暗黙の了解を得ているので、国家間に発展する侵犯的な問題はない。もっとも、さすがに船団の武装までは許可されなかったようだが。


 航海を始めてから数日が経過した。これまでのところ不測の事態は発生せず、船団は順調に進行している。おれたちのほうに面倒なことがあるとすれば、食事時になるたびに、ユライダの炊事場をバロウンから死守することくらいだろう。今のところおれたちの食事は守られ、被害といえば、お腹をすかせたバロウンが、ライヒ司祭の食事やお菓子をこっそり失敬してしまったくらいだ。そんなバロウンのやつに、おれとシュヴェイクとマレクはねちねちと非難の言葉を浴びせたおすのだが、やつときたら口だけは反省と後悔の言葉を吐き出すくせに、その間にも、部屋にあった司祭殿のおやつをつまんでいる始末だった。

 そこでシュヴェイクは副官としてバロウンをライヒ司祭の前に引っ立てたが、バロウンにとって幸いなことに、司祭殿は何かほかの事が気になっているらしく、やつの行為については、「従卒が主人の食べ物を盗み食いするようじゃおしまいね……」と、かるく溜息をついただけに留まった。

 シュヴェイクがバロウンを連れてライヒ司祭の部屋を退出したあと、おれは司祭殿から気になっていることの内容を教えてもらった。――お目付け役がまだ来ない。と、そういうことらしい。ライヒ司祭が今回の作戦指揮を最後までちゃんと遂行できるかを見届ける、お目付け役が来ることになっているのだが、未だに連絡すらないとのことだ。そのお目付け役というのは、マグヌス・オプス司祭の新しい副官だとか。

 だからおれは言ってやったね。

「そんなことは気にする必要はありませんね。まだ何もかもたっぷり時間があるのですから。私としたところで、悠々とブドウ酒を飲んで、いい気持ちになって腰を下ろし、何もかも成り行きにまかせているのであります。一番いいのは、何もかも成り行きにまかせることなのです。お目付け役が来ないのなら、日本に『鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス』という戦国大名の名言があるように、ばたばたする必要は全然ないのですよ。何もかも時がくればはっきりするのですから、何も気にすることはないのです」

 するとライヒ司祭は力なくふるふると首を振って、嘆息した。

「手勢が必要と思って召喚した人材が、必ずしも役に立つとはかぎらないわけね」

 おれたちのことを言っているのだとしたら、それは正解だ。この世に起こること、存在するものには必ず何らかの意味がある、この世に偶然はない、あるのは必然のみ――などというのは単なるたわ言にすぎない。本当に無意味なもの、本物の偶然というのはちゃんとあるのだから。だがそれでも問題はないのだ。余計な心配をしなくとも、実際うまく行くときはいくものなのだよ。


 やがて、ついに目的の孤島の影が遙か前方にうっすらと見えてきた。おれとシュヴェイクとライヒ司祭は指揮管制室におり、おれたちの前では司祭殿が展開させた魔術による全方位ホログラフィ・モニターが周囲の光景を映し出している。さらにライヒ司祭の眼前には魔法球が浮かんでいて、マーシュ海運全船舶と通信可能な管制システムの役割を果たすようだ。

 そのとき、先行する船艇から魔法球へ緊急連絡が入った。孤島から五基のミサイルがこちらに向けて飛んでくるという。レーダーの識別によると、発射されたのは米軍払い下げの巡航ミサイル、トマホークとのことだ。当然ながら非武装たるこちらの船団にミサイルを迎撃する手段などない。

「おいおい、この事態をどう見るよ、シュヴェイク」

「主計曹長殿、われわれはコテンパンにやられるのであります。向こうはわれわれを木っ端微塵にするつもりでいる、と思うのであります」

 落ち着いた様子でそう答えながら、シュヴェイクのやつは、懐から取り出したチョコレートを口いっぱいにほおばって大胆にも顔をにこにこさせた。どうせ死地におもむくのなら、これくらいの楽しみはさせてもらわなくちゃ、といったところだろう。

 そしてわれらがライヒ・パステルツェ司祭殿はというと、余裕に満ちた不敵な表情を満面に浮かべて、自信たっぷりに魔法球に声を張り上げ、各船舶に細かい移動を命じた。するとどうだ、移動を終えた頃に船団へと飛来してきたミサイルは、一発も命中することなくすべて海中へ沈んだのである。魔術を駆使してミサイルの軌道と実際の着弾地点をほぼ精確に分析、解析した司祭殿の実力というわけだ。そして海中は『ダゴン秘密教団』側の神の領域であり、向こう側が奉じる神の加護は届かないため、海面に没した時点でミサイルは無力化され、爆発せずに沈んで行き、海底の藻屑と化すのだそうだ。

 このあと、二度にわたってトマホークが飛んできたが、いずれもライヒ司祭の完璧な解析と指示により、すべて事なきを得た。それで攻撃は沈黙した。撃っても無駄と理解したのか、ミサイルが尽きたのか、その両方か。とにかくもうミサイルが飛んでくる気配はなく、われわれは進行を再開した。そして、直後、またしても緊急連絡が入った。

『大変だ! 今度は五機の戦闘機が島から飛んできた!』

 これにはライヒ司祭も表情を険しくした。レーダーによると、戦闘機の正体はF-14トムキャット戦闘爆撃機。これも米軍払い下げのものらしく、まったく、軍事大国さんもたいした横流し処分ぶりときたものだ。

「申しあげます、今度こそ、われわれはいよいよ木っ端微塵になるのであります」

 チョコレートをパリパリやりながらシュヴェイクがのん気なことをつぶやいている間に、五機のトムキャットから一斉にフェニックス・ミサイルが発射された。長距離空対空ミサイルを海上の船艇に向かって発射するなどかなりの無茶だが、それゆえに司祭殿の解析も時間的に間に合わず、指示を出した一分後、二隻の船舶が回避しそこなって爆炎をあげた。

「仕方ない、私が何とかするわ」

 そう口にして果敢にもライヒ司祭が指揮管制室を出ようとしたとき、船団の遥か後方から何かが高速で飛来した。それらはレーダー識別できない未知のミサイル六発で、相当に高度なホーミング性能とかく乱機能を備えているのか、回避に移行したF-14トムキャット五機のうち二機を撃墜してのけた。

 そして、後方から急速に接近してきて船団の上空に到着した正体不明の一機の戦闘機が、眼前のホログラフィ・モニターに映ったのだ。それは見たこともない戦闘機だった。おれの知る限りどこの国のものにもあらず、例えるならば、日本のロボットアニメに出てきそうな近未来的外観の代物だ。

 直後、管制室内にミニサイズのホログラフィ・モニターが展開された。そこに映ったのは十代半ばと思しき小娘。アッシュブロンド風の薄い灰色の髪に、濃い灰色の瞳をしており、オレンジ色の衣服を着て、首からは不気味な三本足の意匠が施されたペンダントをかけている。どうやらこいつが戦闘機のパイロットのようだ。

『マグヌス・オプス司祭の副官メサイア、遅ればせながら只今到着しました』

 清々しいクイーンズ・イングリッシュでそう語りかけてきた小娘に対し、ライヒ司祭は眉根を寄せて普通の英語で切りかえした。

「メサイア、作戦決行から何日経過したと思っているの! それにその機体は?」

『ああライヒ司祭、怒った顔もとてもキュートです。この戦闘機はパパに頼んで極秘に開発してもらった私の専用機、イイーキルス!』

「イイーキルス……確か、エイボンの書に記されていた氷の山?」

『それでは、到着が遅れたお詫びといたしまして、敵の前線を殲滅して敷地内へ突入できるようにしてご覧にいれましょう』

「ちょっとメサイア、勝手な行動は――」

 司祭殿の制止など聞く耳持たぬといった具合に、態勢を立て直した敵機へ攻撃を開始するイイーなんとか。たちまち全方位ホログラフィ・モニターに激しい空中戦が映し出された。

 戦闘が展開されてすぐにわかったことだが、小娘の乗る戦闘機は、尋常ではない運動性と戦闘機動を誇っていた。高性能過ぎる、というか、明らかに普通の戦闘機ではありえない動きをしている。戦況は一対三だが、劣勢なのは敵側のほうで、ひたすら翻弄されるばかりときたものだ。あっという間にうち一機が撃墜された。

 しばらく眺めていたライヒ司祭は、するうち信じられないといった表情を見せた。

「……未知の機体構造?」

『さすがにライヒ司祭の魔術分析をもってしても解析不可能ですか。無理もありませんよ、このイイーキルスは「イスの偉大なる種族」の科学力を用いて製造されているのですから――おや?』

 二機のトムキャットが、連携を強めて小娘の機体へと距離を狭めていく。まともに戦ったのでは不利と悟ったのか、いちかばちかのドッグファイトに持ち込む気なのだろう。しかしミニホログラフィに映る小娘は、歪に口端をにやつかせた。

『外宇宙から到来した巨大氷山の名を冠する私の機体に接近戦を挑もうなんて』

 そして、不思議なことが起きた。イイーなんとかに一定距離まで近づいた敵戦闘機が、見る間に速度を落として、不安定な動きでふらふらとその場で旋回を始めたのだ。

「あなたの機体から強烈な冷気を感じるわ。成程、イイーキルスの名に相応しい仕様ね」

 納得したふうなライヒ司祭の呟きからすると、小娘の機体の周囲にはすさまじい冷気が漂っており、接近してきた敵機のコックピットに浸透したってところだろう。言い知れぬ寒気で肉体に支障をきたした敵パイロットの操るF-14トムキャットの動作は不安定きわまりなく、二機まとめてミサイルの直撃を受けて空中に爆炎の華を咲かせたのである。

『ではでは岸辺に集まっている薄汚い歩哨の皆さんを蹂躙してきましょうかねえ』

 岸辺にて機関銃を構える、西方の民族衣装を着た歩哨たちに向かって飛翔する小娘の機体だったが、そこで予想外のことが起きた。孤島のそばまで接近した瞬間、見えない何かにひっかかったかのように戦闘機が空中に停止し、身動き取れなくなってしまったのだ。

『――っ! なによこれ! わー、不可解な力場に絡めとられました、って、全身に激痛がががが、痛い、痛いですライヒ司祭ッ!』

「この馬鹿! 慢心と詰めの甘さは相変わらずね。……分析終了。わかったわ、シュブ=ニグラスの加護を用いた攻性防壁よ、早く対処しないとあなたの機体でも危ないわ」

 歩哨たちが空中の的に向かって機関銃を撃ちまくり始めた。しかし小娘の機体は殆ど損傷していない。未知の装甲の厚さか、それともバリアーでも張ってあるのか。

『この、思考停止した時代遅れの黴臭い民族の分際で……っ! イア! イア! ゾタクァ! ンカイの黒き湾の最高の王にして主よ、聖なる怠惰にまどろみし饗宴者よ、御身の暗黒の加護をわれ汝の忠実なる僕メサイアに与え給え。イア! イア! ゾタクァ!』

 何がしかの祈祷めいた言葉が発せられると、小娘の機体が瞬く間に自由を取り戻した。

「メサイア、防壁を発生させているのは島の後方海上に浮かぶ航空母艦よ」

『承知。ただちに殲滅に移ります。……私になめた真似をしてくれたお礼はきっちり返さないといけませんからね』

 上品な英語とは裏腹に、口もとを盛大に歪めて不敵な笑みを形作る小娘。ライヒ司祭は溜息ひとつ吐いたのみだ。もう何を言っても無駄だと判断したのだろう。

 敵空母から迎撃のバルカン・ファランクスが掃射されるが、驚異的な機動性を誇るイイーなんとかは、すいすいと弾丸の横雨を避け、逆に八発のミサイルを一斉発射した。ミサイルは対象の主要箇所に全弾命中し、空母はたちまち戦闘不能に陥った。とどめとばかりに、小娘の機体のビームキャノンから高出力と思しき光線が放たれ、貫通、直撃を受けた航空母艦は大破して撃沈するのだった。そして、その光景をあ然と見ていた岸辺の歩哨たちの上空に、空母を沈めた戦闘機の影が降りた。


 おれたちの乗るオランダ船に隣接して滞空する戦闘機。周囲に放出されているという冷気はおさまっているようだ。コックピットが開くと、ミニホログラフィに映っていた小娘が姿を現し、軽く飛び降りて甲板に着地した。下半身は黒のミニスカートと黒のニーソックスという格好だ。小娘が、首から提げたペンダントを掲げると、戦闘機がまばゆく発光し、まるで魔法のようにペンダントの三本足に吸い込まれて消えた。ぶっちゃけ魔法だな。

 小娘はおれたちには眼もくれず、一目散にライヒ司祭のもとに駆け寄り、抱きつこうとした。しかし司祭殿はその熱い抱擁をさっとかわして素っ気ない態度をとった。

「気持ち悪いから抱きつこうとしないでくれる?」

「えー、せっかく船団の危機を救ったのに、その言い方はあんまりです」

「それには礼を言うけど、私のお目付け役のくせにどうしてこんなに遅れたのか説明して」

「大いなるゾタクァへの生贄を捧げていたら遅れちゃいました。しょうがないですよね。でも私、任務遂行の見届け対象がライヒ司祭じゃなかったら、こんな仕事引き受けませんでしたよ? 吐き気をもよおす魚臭い醜悪な男どもだらけで、正直見ているだけで眼が腐りそうだわ」

 唾棄すべき口調で嫌悪と嘲りをあらわにした邪笑を浮かべる小娘。どうやらこれがこいつの本性のようだ。ライヒ司祭の説明によると、小娘の名前はメサイア・メイスンといい、失われた古代大陸ハイパーボリアの偉大な魔道士エイボンの弟子の末裔らしい。首に提げたペンダントはエイボンの印を模った護符だという。さらにツァトゥグァ(ゾタクァ)という神の帰依者でもあり、定期的に人間の生贄と貢物を捧げる儀式を行っているのだとか。あと、通常は隠しているが真性のレズビアンだそうだ。それでいて父親はかなりの権力を持つイギリスの中央官僚(しかも『星の智慧派』の協力者)だというのだから驚きだ。確かに見た目や表向きの態度は上品な英国淑女といって差し支えないだけにたちが悪い。

 男にはまったく興味がないそうだが、それでもヴァン・デル・ヴェッケン船長に対しては、ライヒ司祭同様に畏敬の念をあらわにして会釈していた。「さまよえるオランダ人」とはかくも一部の界隈の人間には人気者らしい。まあ、救済の乙女を見て、眼を輝かせて嬉々とするあたりは同性愛者の面目躍如といったところか。

 そうこうしているうちに、船団が孤島の岸辺に到着した。周辺を守っていた歩哨たちは小娘――メサイアの戦闘機によるバルカンで一掃されていたので、われわれは抵抗を受けることなく上陸できた。散乱する血溜まりと肉片に目をひそめつつ、ライヒ司祭は朗々とした声で命令を下した。

「それじゃあ、いくわよ」

 眼前には敵教団の本部らしき洞窟の開口部が見える。インスマス人どもが耳障りな奇声をとどろかせて戦闘意欲をあらわにした。そんな彼らに侮蔑の一瞥をくれてから、メサイアはライヒ司祭に爽やかな微笑を向けた。

「いよいよ本番ですね。あ、もし作戦失敗と判断したら、私はライヒ司祭を連れて離脱しますからそのつもりで」

「……そうならない結果を見せてあげるわ」

 拳銃やライフルを手に、次々と洞窟内へ突入していくインスマス人ども。最後にライヒ司祭とメサイア、おれとシュヴェイクが突入を開始する。居残り組のユライダ、マレク、バロウンらが船上から手を振ってくれた。

 さて、悠長に紙にペンを走らせることができなくなったので、おれの手記はこれで終わりにする。

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