第26話 袋の中に潜んでいたもの

 朔間緑子と仲間たちは、篠原美香を中心にカンガルーを追跡した。

 篠原はかつて東京オリンピックでも使用された、陸上競技場に向かっていた。


「さっきのカンガルーがただの動物なら、袋から顔を出したあのおじさんが変異したってことなの?」

「うん……たぶん……カンガルーじゃない」


 篠原の言葉に、波野が眼鏡を上げながら声を上げた。


「まあっ! 自分の子どもでもないのに、袋の中に入れたりしますの?」

「無理やり入り込んだんだろう」


 早房華麗は、相変わらずタバコを口にしていた。


「そんなことできるか? かなりの運動神経だったぜ。ああ……カンガルーの方な」

「わかっていますわ。あのおじさんの反射神経なんて、測りようがありませんもの」


 直接拳をまじえた飯塚京子としては、カンガルーの袋の中に強引に入り込むことが信じられないのだろう。


「……本当の子どもをなくしちゃったとか……」

「そうかもしれない……純粋な獣の意識までは……読み取れないけど……」


 篠原は、人間やケダモノに変化した相手の意識を読み取れる。だが、本物の動物に対しては力が及ばないらしい。


「本当の子どもか……そう言えば朔間、どうして急に独り暮らしを始めたんだ? お前も……家族とは折り合いが悪いのか?」

「お前もって……誰と誰のことだ?」

「あたしと篠原……飯塚もか?」

「オレはそうでもねぇ」


 篠原を除く3人の視線が緑子に集まった。

 いつまでも誤魔化しは利かないだろう。緑子は腹をくくった。あまり言いたくはなかった。せっかくできた仲間だ。普通の家の子でいたかった。


「私……親の顔知らないの。元のアパートは……里親なんだ。いい人だよ。でも……やっぱり気を遣うし……弟は、二人の本当の子どもだし……」

「朔間さん。家の子になりなさい」


 波野が緑子を抱き締めた。


「波野さん……潰れる……」

「はっ……つい。ごめんなさい。でも、朔間さんなら無事でしょう?」

「オレなら潰れているところだな。早房なら、背骨がねぇから平気だろうが」

「誰も、あなたたちを抱き締めたりいたしませんわ」

「いや……今の問題はそこじゃねぇ。朔間……気楽でいいな」


 飯塚が、むしろ羨むように笑った。早房は黙っていたが、タバコを差し出した。緑子は辞退する。


「……陸上競技場だね」

「篠原……朔間の話を聞いていたか?」

「美香ちゃんは知っているよ」

「篠原にだけ教えた……いや……違うか」


 緑子が教えたのではなくとも、篠原であれば知っているだろう。篠原が、他の3人に緑子が隠していたことを話すはずがない。

 飯塚は肩を竦め、話題を変えた。


「朔間、今回は譲る。人の親を乗っ取る奴なんか、引きずり出して痛い目にあわせてやれ」


 飯塚が緑子の背中を叩いた。


「でも……親を乗っ取ったってわけじゃ……」

「ううん……元々、カンガルーの袋に入っていた子カンガルーを引きずり出して、代わりに中に入ったみたい」

「その子カンガルーはどうなさいましたの?」

「……動物園に聞かないとわからない」

「動物園に確認してみよう」


 緑子はスマホで中谷警部補を呼び出し、動物園で子どものカンガルーが親から逸れていないか、確認するように伝えた。


「よし……行こう」


 電話を終えた緑子が、拳を打ち鳴らした。






 朔間緑子が、観客席からドラミングを行う。

 野生のゴリラは、胸を叩いて音を鳴らし、数キロ先の仲間とコンタクトをとるという。

 野生のカンガルーが一頭、陸上競技場を跳ねていた。

 当然野生のカンガルーが、ゴリラのドラミングに返信はしない。ただ、耳慣れない音に警戒はしているようだ。

 観客席を乗り越え、緑子が競技場に下りた。


「朔間さん、親御さんを傷つけないように頼みますわね」


 緑子の隣で、波野が下りた。地響きがする。ゾウの波野は、ゴリラの緑子とは桁が違う。


「うん。わかってる」

「飯塚なら、殺しちまうからな」


 早房がその隣に下りた。


「さっきは、傷もつけなかっただろ」

「……ただのカンガルーだったけど」


 飯塚、篠原が続く。


「や、野生のカンガルーは、強いんだ。人間が変化した中途半端なケダモノより、野生動物の方が強いに決まっているだろう」

「京子ちゃん」

「どうした?」

「仇はとれないや。ご免ね」


 つまり、野生のカンガルーである親に、緑子は手だしをしない。そう断言したのだ。


「だから、オレは負けてねぇ」


 飯塚の叫びが合図であったかのように、緑子がカンガルーに向かう。

 袋の中から、不気味の中年男性の顔が出ている。

 袋の中が何者であろうが、カンガルーは向かってくるものを待ち受け、前足を体の前で構えた。

 緑子が距離を詰める。


 カンガルーのフックが緑子の鼻をかすめた。

 飛びつく。

 カンガルーの胴体に緑子が抱きついた。

 真正面から抱きつかれ、カンガルーは動けなくなった。ゴリラの怪力だ。しかも、緑子は地面から大根を引き抜くように、軽々とカンガルーを持ち上げた。

 足が宙に浮かび、長く力強い尾も無駄に揺れる。


「よし、捕まえた。朔間、もういいぞ」


 飯塚が、緑子の下から手を伸ばし、カンガルーの袋に入っていた小さな姿を掴み、引きずり出した。


「痛てぇ! 噛みやがった」


 手を振り、投げた。

 飯塚の手を噛んだ中年男性の頭部は、カンガルーの袋から引きずり出され、全身を晒した。

 袋から中年男性を引きずり出されたカンガルーは、ただの野生のカンガルーである。ただし、動物園暮らしである。


 緑子は、カンガルーを傷つけないように注意しながらも、遠くに投げるように、抱えていたカンガルーを地面に置いた。カンガルーは気性が荒く、独特の戦闘スタイルを持つため、取り扱いには注意が必要なのだ。

 飯塚が投げた袋の中の動物は、地面に落ちて転がった。飯塚が近づいて、踏みつける。中年男性の頭部にはあまりにも不釣り合いな、小さな体がついていた。


「……アイアイ」


 篠原が呟いた。


「えっ? 何?」

「アイアイだってよ」


 振り向いた緑子に、早房が怒鳴り返す。


「だから、アイアイってなに?」

「あなたのお仲間ですわよ」

「サルなの?」


 緑子は、飯塚が尻尾を持ってぶら下げていた黒い毛並みの小さなサルに近づいた。


「サルだろ……ほらっ」


 飯塚が中年男性の顔がついたアイアイを投げる。

 体は小さい。だが、顔だけが人間と同じで、しかも脂ぎっている。

 中年男性の頭部がくるくると回って、緑子の方に飛んできた。


「キャッ」


 緑子が腕を振るう。

 叩き落とした。


「自分では、何もできないんだろ。だから……強い動物で……しかも弱い動物を守る習性のある奴に取り入った」

「……そうなのかな?」


 飯塚の吐き捨てるような物言いに、緑子は戸惑った。

 緑子に地面に下ろされたカンガルーは、緑子を警戒するようにポーズを崩さなかった。

 ゴリラの怪力を持つ少女を強敵だと認識したのは間違いない。

 緑子は、落ちたアイアイを拾いあげた。

 真っ黒い体に、鋭い爪をもった腕は、やはり野生動物だと思わせた。


「……これ、貴女のお腹に入っていたんだよ……戻してほしい?」


 緑子がアイアイを差し出した相手は、戦闘体勢のカンガルーだ。

 カンガルーは背中を向けた。軽やかに跳ねて遠ざかる。


「美香ちゃん、わかる?」

「うん……朔間さんの言ったことも、だいだい理解しているよ。構えて」

「えっ? うん」


 緑子がカンガルーに視線を戻すと、力強い後ろ足と尻尾で、すさまじい速さで近づいて来た。

 カンガルーがバックした。緑子はそう思った。

 両足が目の前にある。背後で、長く強靭な尻尾が体を支えていた。

 近づく。


 緑子は、思わず手にしていたもので防ごうとした。

 カンガルーの両足が、アイアイの体だけ変化した中年男性の顔に叩きこまれ、中年男性の顔を捻じ曲げた。


「あっーーーぁ……これ、死んだな」


 中年男性の顔はねじ曲がり、緑子が手を放すと、自然に落下して動かなくなった。


「おおい。ここに居たか」


 競技場の入口で、中谷警部補が叫んでいた。


「あっ! もしかして!」

「そう言えば、朔間さん、事前に警部補に電話していましたわね。何か頼み事でもしていらしたの?」

「鍋に蓋をしてきたの、忘れたとかじゃないのか?」

「違うよ、京子ちゃん。中谷さん、どうだった?」

「この通りだ」


 中谷が、背後にいた作業着の女性を前に出した。その女性の腕には、小さな毛むくじゃらの塊が抱かれていた。


「美香ちゃん……」

「……うん。普通の動物……何かが変わったわけじゃないみたい」

「じゃあ……」

「……このカンガルーの、本当の子どもだね」


 篠原の答えに、緑子が飛び上がって喜んだ。






 中谷警部補は、5人の女子高生を引き連れて、フグ料理の名店を訪れていた。


「ちょ、ちょっと、高くないか?」


 まだ自分では稼ぐことができない年齢の少女たちを前に、公務員である中谷はみっともなく怖気づいた。


「でも……約束でしょ」

「フグを約束した覚えはないんだが……」


 店の前でしり込みした中谷の背中を、緑子が押した。

 店に入り、個室に通された。つまり、予約済みなのだ。


「い、いいのかよ……あたしなんかが……」


 早房が個室に入り、しゃれた内装をぐるぐると見回した。


「指名手配の写真でも張ってあるのか?」

「抜かせ。あたしが、指名手配されるようなへまをするか」


 飯塚の軽口に、早房がどっかりと座った。


「大丈夫ですわ。なにかあっても、もみ消してくださいますもの。ねっ? 中谷さん」


 波野がほほ笑む。店を選んだのも波野だ。すでにテーブルには大きな鍋と取り皿が用意されていた。


「篠原さん、楽しみだね」

「うん」


 心なしか、篠原の反応が早い。緑子の問いに、笑って答えた。篠原は、当然のように鍋の正面に陣取った。篠原が取りやすいよう、菜箸とお玉を緑子がセットした。

 中谷の携帯電話が鳴る。中谷は、少女たちに胡乱な視線を向けられながら耳にあてた。


「ただの呼び出しなら、財布だけ置いていかせればいいよな」


 早房が囁く。


「私たちの任務でしたらどうしますの?」

「朔間、携帯を握り潰せ」


 飯塚が緑子に囁いた。

 中谷が携帯から耳を離す。


「なんだったの?」


 緑子の問いに、中谷が笑った。


「確認がとれた。今日の食事代は、経費でいい」

「つまり……どういうことだ?」


 早房が首を傾げる。


「……食べ放題」


 篠原が言うと、中谷が頷いた。

 5人の少女たちの歓声が上がった。

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