第25話 アイス泥棒

 5人は警察の護送車両に載せられ、代々木公園に連れてこられた。

 スポーツイベントや集会などで使用される都内の大型公園である。陸上競技場もあり、国際試合も行われている。


「ああ……昼間にこんなに人がいないことなんてあるんだね」


 護送車から降りて、緑子が周囲を見回した。


「人を追い出しているんですわ。さすが国家公務員ですわね。どんな汚い口実でも使うのでしょうね」

「犯罪者が逃げだしたから封鎖をしたというだけだ。人聞きが悪いことを言わんでくれ」


 波野の言葉が刺さったのか、助手席から降りた中谷警部補が汗を拭きながら弁明した。


「くそっ……まだ一杯しか食ってねぇのに……」


 飯塚が牙を剝きだしにして怒る。


「まだ言っているのかよ。一杯は食えただけでも……ちっ、あの親父が、もう十分遅く来ればな……」

「だろ?」


 早房が飯塚をなだめようとして、結局途中から賛同することになった。


「さて……篠原くんはどうした?」


 護送車から降りた4人に、中谷が尋ねる。


「怒って出てこないよ」


 緑子が真実を告げた。


「怒って? 篠原くんが? どうして? 大変じゃないか」


 普段感情表現をしない分、扱いにくいと思われているのかもしれない。中谷が慌てた。


「大変ですわよ。普段からむっつりしていますのに、今ではフグみたいに膨れ上がっていますわ」

「な、なに?」


 中谷が強張った。


「波野さん……フグ、食べたことない」

「そう言えば、今日は買ってこなかったですのね」


 波野が飯塚と早房を睨んだ。


「売っていないだろ」

「毒だもんな。あれは……やばいぞ」

「華麗ちゃんは仲間だもんね」

「朔間! 海の生き物だからって、全部仲間じゃねぇよ」

「ちょっと待て。篠原くんの話はどうした?」


 話がいつものように脱線したため、中谷が止めに入ることになった。


「鍋奉行が鍋を仕切り始めた直後に止めたりしたら、そりゃ怒るだろ」


 仕方なく、飯塚が正解を告げる。


「鍋奉行……篠原君がか?」

「うん。私の部屋で始めたところだったんだよ」

「そりゃ……悪いことしたが……こちらも、それどころでは……」

「これだけヒントを差し上げたのですもの。どうすればいいか、解りますわよね」


 波野がにっこりと笑った。






 中谷警部補は、警察車両から出てこない篠原に呼び掛けた。


「終わったら、好きな鍋を食わせてやる」

「私、フグがいい」


 背後から緑子が声を上げた。


「ふ、フグ? あれは、毒があるぞ」

「大丈夫……調理はプロに任せるから」


 警察車両から、篠原が顔を出した。すでに普段は登校していないが所属だけしている高校の制服に着替えている。






 中谷の話では、動物園から脱走した獣が、代々木公園で行われている集会に踊りこみ、人間を吹っ飛ばされしたとのことだった。

 当初は、動物の逃走事件かと思われていた。

だが、気づいた時には、動物だけの問題ではなくっていた。


「じゃあ、変わったのは動物園の人なの?」

「わからん……動物園から動物が逃走したことだけはわかっているが、逃走したのが動物園で飼育されている動物か、変化した人間がたまたま動物園にいたのか、現在調査中だ」


 集会に集まった人間たちはすでに散っていたが、人間が宙に舞うほどの力で吹き飛ばした何者かは、姿を消していた。

中谷は状況を説明すると、5人に任せて自分は代々木公園周辺の封鎖に出かけていった。






「これまでに戦った奴は……アナコンダにキリン、サソリ、イソギンチャク……格闘系の奴はいなかった。ようやく……手ごたえがありそうな奴が出て来たってところか」


 5人は捜索の中心に篠原美香を据え、適当に歩いていた。

 飯塚が嬉しいそうに指を折って、これまでに戦った、動物に変化した者たちを数えていく。


「そう言えば、そんなに激しく戦っていないよね。見つけるのが大変でも、見つけたら割と簡単だったんじゃない?」

「篠原さんは死にかけましたけどね」

「あっ……そうだった。ごめん、美香ちゃん」

「いいよ……別に死にかけてない。サソリの砂場も苦しくなかったし、イソギンチャクの毒ぐらい平気」


 緑子の謝罪に、篠原は口だけで答えた。意識を集中させている。

 ケダモノになった人間を探しているのだ。篠原の邪魔をしてはいけないと、緑子は自分の口を塞いだ。


「おっ……見ろ朔間、アイス食べ放題だ」


 早房が、放棄された売店を見つけた。店員も公園から追い出されたのだろう。誰にも荒らされた様子はなく、電気も使用中のようだ。


「えっ? いいの?」

「いいわけありませんわ。でも……ケダモノになった男が代々木公園で暴れているんですもの。食料を奪われても仕方ないですわね」

「そうか?」


 飯塚が首を傾げる。波野は笑った。


「だって……保険が下りますでしょ」

「あっ……そうだね。さすが波野さん」


 もちろん、売店が保険に入っているか、保険が野生動物の被害までカバーしているか、少女たちは知る由がない。それ以上に、保険の仕組みを詳しくは知らない。ただ、保険があるから大丈夫だと言われると、そんな気分になってしまうのだ。


「じゃあ……私はこれ」

「おい、朔間、行儀よく食べるなよ。動物が食い荒らしたんだからな」


 早房が、カップアイスの中身を周囲に擦り付けた。


「タコがマーキングしますの?」


 臭いをこすりつける行為は、動物ならマーキングという。縄張りづくりだ。だが、水棲生物がやることは知られていない。


「美香ちゃんはモナカアイス?」


 篠原は、意識を集中させたまま頷いた。


「どうして、篠原の好きな物を知っているんだ?」

「朔間さんだからですわよね?」


 飯塚の問いに、なぜか波野が答える。


「そういうもんか?」

「そうですわ。あなたも、そう思いますでしょ」

「……波野さん……それ、誰?」


 緑子は、波野が話しかけた毛だらけの存在を指さした。


「……篠原、あれじゃないのか?」


 飯塚が、アイスの匙で指す。


「……うん。そうみたい。代々木公園は広いと思っていたから……近すぎて気づかなかった」

「……可愛いじゃねぇか。本当に、人間が変化したケダモノか?」


 頭の高さが人間と変わらない。頭部は小さく、目が大きく、耳が尖っている。

 頭部は完全に獣だ。

 首の向きを変え、隣りにいた波野を見た。


「……ひっ」


 波野は珍しく引きつった顔を見せ、硬直した。


「波野さん、可愛いの苦手?」

「そ、そういう問題じゃありませんわ」


 緑子への返事も強張っていた。

 ケダモノが動いた。

 波野に対し、短く曲がった前足を叩きつけた。


「いやっ!」


 波野が片手で突き飛ばす。

 ゾウの膂力である。毛だらけの獣が地面に転がった。


「なんだ。あっけねぇ。後は任せろ」


 飯塚が飛びつこうとした。


「京子ちゃん。駄目!」

「朔間、どうした?」


 飛びかかるために体勢を下げた飯塚を、緑子が止めた。


「アイス泥棒の犯人になってもらわなくちゃ……だろ?」


 緑子の口調を真似ながら、早房がアイスキャンディーを投げつけた。


「うん! それに……あっちの駄菓子も食べたい」

「朔間……なら、急げ!」

「わかった!」


 緑子は、駄菓子の棚からつかみ取ると、もんどりうったケダモノに対して投げつけた。

 ケダモノが跳び起きる。

 強靭な尻尾を持つらしく、尻尾を使って反動で飛び起きた。

 構える。


「うげっ……」

「だから……言いましたのに……」


 ケダモノの構えは、隙もなく見事だった。実に見事なファイティングポーズは、カンガルーにしておくのは惜しいほどだ。だが、早房が声を漏らし、波野が毒づいたのは構えが見事だったからではない。

 人間だった名残が、カンガルーの腹部にある袋にあった。


 袋から、人間の頭部が出ていた。その頭部が、投げつけられたアイスと駄菓子を食べている。

 カンガルーでも雄に袋はない。そのはずなのに、いかにも脂ぎった中年男性の頭部が、カンガルーの袋から飛び出ていた。

 袋から青白い手を伸ばし、アイスを口に運んでいる。

 中年男性の表情とは全く無関係に、カンガルーは戦う姿勢でいる。


「もういいか?」


 ずっと戦闘体勢だった飯塚が尋ねる。


「うん。やっちゃって!」

「任せろ」


 飯塚が地面を蹴る。距離が詰まった。

 伸ばした飯塚の腕に、カンガルーの腕が絡む。飯塚の腕を跳ね上げ、カンガルーの前足が飯塚の顎に吸い込まれた。

 致命的ともいえる一撃を、飯塚は持ち前の反射神経でかわした。

 ヒョウを宿した少女の体勢が崩れる。


「ひょひょっ」


 笑ったのは、脂ぎった中年男性の頭部である。


「くそっ」


 飯塚は脂ぎった中年男性の頭部をただの飾りと決めたのだろう。相手にせずカンガルー本体に殴りかかった。

 手数で圧倒する。だが、全身が毛皮に覆われたカンガルーは、打撃にも強かった。


「ちっ……きりがねぇ」

「飯塚、油断するな」

「なに?」


 ほんの一瞬、飯塚が動きを止めた。その隙を狙い澄ましたかのように、カンガルーが尻尾を支点に、飯塚に跳び蹴りを加えた。

 飯塚の体が宙を舞う。

 空中で緑子が受け止めた。


「ひょひょひょ」


 男の笑い声を残しながら、カンガルーが逃げる。


「逃がすな!」

「待って……あれ、殺したら可哀想」


 篠原の言葉に、緑子を含む4人が固まった。


「篠原……ああいうのが好きなのか?」


 早房が、信じられないという口調で言った。


「美香ちゃん、人の好みはそれぞれだけど……意思の疎通ができない相手は……美香ちゃんならできるのかな?」

「そうじゃなくて……あれはただのカンガルー……ケダモノに変化したのは……袋の中のおじさんだけ」

「なっ……じゃあオレは……ただのカンガルーにやられたのか?」


 飯塚が茫然と呟く。緑子が肩を叩いた。


「大丈夫。京子ちゃんは負けていないよ」

「まあ……いい勝負でしたわね」


 天然の獣と互角であったことに、飯塚はしばらく落ち込んでいた。

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