第24話 鍋奉行現る

 朔間緑子の部屋に、不釣り合いな黒檀の卓袱台が置かれることになった。

 大の大人が5人がかりで運ぶ、非常にしっかりとし過ぎた黒い家具を、結局緑子一人で運んだ。

 畳の上に置き、緑子はさっそく部屋に似会わない家具がやって来たことに気づいていた。


 波野潤子が選んだのだ。緑子は反対しなかった。

 同種の家具の中で、最も高かったのだ。

 普通なら、緑子も遠慮しただろう。だが、波野は緑子が迷っているのを見て、カードで会計を済ませてしまっていた。

 緑子には、断る時間も与えられなかったのだ。


「困りましたわね」

「やっぱり……」


 さすがにテーブルが部屋に合わないと気づいたのだろうかと、緑子は同意した。篠原美香は黒檀のテーブルを撫でている。気持ちいいのだろうか。


「せっかく御台所があるのに、包丁もまな板も買ってきませんでしたわ」

「えっ……大丈夫だよ」

「どうしてですの?」

「だって……あっ、帰って来た」


 飯塚京子と早房華麗がののしり合う声が近づいて来た。

 けたたましく、玄関の扉が開く。


「飯塚さん、足で蹴り開けるのはお行儀が悪いですわよ」


 扉が開くのと同時に足が伸びていたのを見た波野が苦言を呈する。


「仕方ないだろう。両手が塞がっているんだからよ」


 飯塚も早房も、両手にいっぱいの荷物を抱えていた。


「扉が壊れちゃう。追い出されちゃうよ」

「ここ、警察の寮だろ。追い出されやしねぇよ」


 心配する緑子に、飯塚が笑いかけた。早房が緑子の頭を撫でる。


「壊れる前に、ノブは回しておいた。本当に蹴り開けるとは思わなかったぜ」

「よかった。さすが華麗ちゃん」

「オレが悪いことしたみたいじゃねぇか」


 飯塚が、赤い髪を揺らして頬を膨らめた。


「いいから、早く用意して」


 緑子たちを制したのは、今日はほとんどしゃべっていない、篠原美香だった。

 





 ホットプレートで熱した鍋に水を入れ、飯塚と早房が買ってきた具材をテーブルに並べる。


「……野菜は?」

「ほら」


 緑子の問いに、飯塚が茶色い物体を持ち上げた。


「それ、キノコでしょ」

「同じだろ」

「同じじゃないよぉ」

「茹でれば同じ」


 篠原美香が珍しく飯塚の味方をした。飯塚の手からシイタケを奪い、包装シートを破って鍋の中に入れる。


「いいお出汁がでますわね」

「切らないのか?」


 早房が、鍋の中でぷかぷかと浮いたシイタケを突いた。


「包丁がないけど……大丈夫だよね?」


 緑子が尋ねると、早房が苦笑しながら尻に手を回し、三十センチほどもあるサバイバルナイフを取り出した。


「いつも持ち歩いているんですの?」


 波野が驚いて距離をとる。


「当然。標準装備だぜ」

「銃刀法違反だ」

「お前はいいのか?」


 珍しく常識を持ち出した飯塚に、早房がくってかかる。


「オレ? 何も持っていないぜ」

「両手を前に出してみろよ」

「ほれっ……」


 飯塚が、両手をずいと差し出す。


「ちょうどよかった。京子ちゃん、お願い」


 緑子が、三枚に降ろされた鱈を投げた。


「おし」


 飯塚京子が腕を振るうと、空中で裁断された鱈の切り身がぽたぽたと鍋に落ちた。


「ほらっ……凶器じゃねぇか」

「オレのは、ただの爪だ」

「手、洗った?」


 篠原が厳しく問い正す。


「……まだだな」

「まあ、手も洗っていない手で、素手でわたくしの口に入るものに触れるなんて、下品ですわ」


 波野がテーブルをバンバンと叩く。波野の力で叩かれてはテーブルが痛むといいたいところだが、緑子は我慢した。テーブルを買う金は、波野が出している。


「手、洗ってよ」

「お前が魚を投げたんだろう」


 切らせたのは緑子である。飯塚は愚痴をこぼしながら、手を洗いに台所に向かった。


「じゃあ、今度はあたいの番だ。さっ、投げな」

「うん」


 緑子が肉を掴もうとした。


「朔間さん、まだ駄目」


 篠原が緑子を止めた。


「どうして?」

「こっちが先」


 糸こんにゃくを篠原が示す。


「はいよ」


 早房が糸こんにゃくのパッケージに穴を空けた。


「篠原さん……お鍋大好きですの? さっきから、目が輝いていますわよ」


 波野が呆れたように口にする。緑子も気づいていた。

 普段ほとんど表情を変えない篠原が、煮えたぎる鍋を前に目を輝かせていた。






 煮え立った鍋の中で、肉と魚介とキノコ、何故か購入されていた糸こんにゃくが踊る。

 鍋料理の元を入れ、しばらく待つ。

 蓋は閉じられていた。

 篠原美香が、決して開けることを許さなかった。


「美香ちゃん、時間」


 あらかじめ秒単位で指示されていた時間を緑子が告げる。


「はい」


 篠原が鍋の蓋を掴みあげる。

 鍋から水滴が落ちる。


「さあ、食おうぜ」


 飯塚が箸を伸ばした。


「お待ちなさい」


 波野が別の箸でブロックする。菜箸と呼ばれる調理用の長い箸だ。

 篠原は、持ち上げた鍋の蓋を脇に置いた。


「よくやった」

「当然のことですわ」


 誉めた篠原に、波野が胸を反らせた。


「い、今……何があったの?」

「ふん……ここはオシラスってことさ」


 飯塚が頬を膨らませた。


「ど、どういうこと? 解る? 華麗ちゃん」


 展開についていけなかった緑子が、タバコを始末していたため黙っていた早房に尋ねた。


「つまり……ここは奉行所だ。そういうことだろ?」

「えっ? どうして、皆わかるの? 解らないの、私だけ?」

「つまりね、朔間さん。鍋奉行様の采配が、ここのルールってことですわ」


 言いながら、波野が取り皿を篠原に渡す。

 篠原は、誰にも手を出させず、5人分の取り皿に鍋の中身を盛りつけた。


「お、お代わりは、好きにしていいんだろ?」

「好きになさいな。ただし、菜箸を使うこと。それでよろしいわね? お奉行様」

「……うん」


 必死に食い下がる飯塚に、波野が篠原の了解を取り付けた。


「じゃあ、いただきます」


 緑子の声に、4人の声が重なった。

 ほぼ同時である。


「出動だ」


 中谷警部補が玄関の扉を開け、腹を空かせた成長期の少女たちの視線にたじろいだ。

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