第15話 お互いの誤算
別れたほうが発見しやすいという、朔間緑子と少女達の判断は、間違ってはいなかった。
ただ、篠原美香が、能力上犯人に最も遭遇しやすいという事実を見逃していた。篠原が窮地に陥れば、4人に危険を知らせることはできる。
実際に肉体を駆使して、篠原が戦ったことはない。知らせることができても、他の少女が駆けつける前に、篠原が殺されてしまうこともありうる。
責任者である中谷すら、気づいてはいなかった。朔間緑子は、独りになったとき、そのことに気付いた。
事件は起こった。
朔間緑子の脳裏に、篠原美香から危険を告げる緊急のメッセージが駆け抜けた。飯塚、早房、波野の3人も同様であるはずだ。全員ばらばらになっていたので、メッセージの意味を確認する相手もいない。
メッセージは、たった一言で終わった。
ただ『気をつけて』と。
誰かが明確な対応をしているのかどうかもわからなかった。朔間緑子はただ慌てふためいた。突然、緑子の携帯が鳴った。
「美香ちゃん!」
タイミングからして篠原に違いないと、ディスプレスも確認せず叫んでいた。
『すいません、泉です』
警察官だ。飯塚が気に入っているともっぱらの噂がある。
「どうしたの!」
『声を落として下さい。大きな声を出さなくても聞こえます。篠原さんが、公園の砂場に引きずり込まれました。相手はサソリ男です』
「どこ! 場所は!」
『地図を見てください』
地図上の記号番号を泉が読み上げる。近い。
「わかった! すぐ行く!」
『いえ、その前に、他の皆さんに伝えてください。朔間さんなら、番号はご存知ですよね』
緑子なら全員に連絡がつけやすいと、真っ先に電話をしてきたのだろう。その判断は実に正確ではある。
「うん! でも……京子ちゃんには泉さんからかけてあげて」
『飯塚さんですか?』
「うん! じゃ、よろしく!」
携帯電話を捜査しながら、緑子は駆け出した。
「もしもし! 波野さん!」
「聞こえてますわよ」
壁の向こうから、ひょっこりと顔を出す。すぐ隣にいたらしい。
「急ぎましょ」
「うん! でも、華麗ちゃんにも知らせないと!」
「あなたが騒いでいるうちに、知らせておきましたわよ」
「さすが!」
「静かに喋りましょ」
「う、うん……ごめん」
勢いがつくと、なかなか納まらない性質なのだ。
泉の電話を受けて以来ずっと叫び続けていたことに、緑子自身が気付いていなかった。
2人の向かう先からさらに左手で、聞きなれた声が大声を出していた。緑子と波野は、予想通りの飯塚の大声に思わず顔を見交わし失笑したが、話の内容にすぐ真顔に戻った。
「それで、お前はなにをしていたんだ!」
緑子と波野が耳にした、篠原がさらわれたと聞いた後の、飯塚の第一声だった。緑子と波野が近づいていったこともあり、飯塚が携帯電話を外部スピーカー設定してこともあり、泉の焦った声が鮮明に聞き取れた。
『すいません。側にいたわけではないので。篠原さんが最も遭遇する可能性が高いうえに、直接の攻撃手段をもっていないことに気づいて、後を追ったんです。篠原さんを見つけたときには、ほとんど砂に飲み込まれていたんです。砂の中に引きずり込むのは一瞬でしたから』
「ちっ。しっかりしろよ」
『すいません』
「謝ればすむってもんじゃねぇ。場所を教えろ」
教えられた場所まで、飯塚は直線で移動しようとしたのだろう。壁を越え、緑子と波野の頭上を抜けようとした。空中で視線が交錯した。道路の反対側の屋根に飛び乗った。
「先に行くぞ」
飯塚が拳を振り上げた。緑子が拳を振り上げ替えす。波野叫んだ。
「泉さん、頭よろしいのね」
篠原が危ないと、真っ先に気付いたのは泉なのだ。
「そうだろ」
なぜか飯塚が自慢げだった。波野がさらに口を開いたが、声を出す前に飯塚は背中を見せた。非常に嬉しそうに見えた。
「あれを恋っていうのかしら?」
「京子ちゃんは可愛いね」
緑子の感想に、波野が声を出して笑った。
指定された公園には、飯塚が一番手に到着した。緑子がようやく公園を視界に納めたとき、隣接した家の屋根から、飯塚が飛び降りるのが見えた。公園の砂場のすぐ脇に、泉巡査長がうずくまっていたようだ。
「退けよ! あぶねぇだろ」
飯塚の怒声がよく響いた。
「はい」
緑子の視界に、飯塚と泉が見えた。返事をする泉が左腕を抑えていた。その腕を、飯塚が掴む。
「怪我をしたのか?」
「気をつけてください。毒針を持っています」
「お前は? 刺されたのか! 毒針に?」
抑えた腕の手首が、紫に変色している。
「大丈夫、すぐに血清を打てば」
「じゃあ、早く打てよ。ここは俺に任せろ」
「しかし、篠原さんを助けないと」
緑子と波野も公園に到着した。泉は責任感が強いらしい。全身の汗は、脂汗に見える。よほど苦しいのだ。体に毒が回りつつあるのかもしれない。
「足手まといなんだよ!」
「私に任せて」
現場に到着した緑子が声をかけた。ためらっている泉を片手で抱き上げる。ゴリラの膂力である。人間の男ひとりなど、重くも無い。飯塚は鋭い視線をしたが、抱き上げているのが緑子だったからか、小さくうなずいただけだった。
「すいません。失礼します」
脂汗を流しながら、泉は飯塚に敬礼した。緑子が公園から連れ出すために背を向けた。どこかに警察がいるはずだ。引き渡さなければならない。飯塚は砂場に向き直った。
「よかったのか? 言い方がきつ過ぎるんじゃねえか?」
飯塚が飛び降りた屋根の反対側の垣根から、早房が顔をのぞかせた。
「ちっ。やっぱりいやがった。遅いじゃねぇか。朔間と波野も来ている」
波野は珍しく、言葉も無く真剣な表情をしていた。高校生戦隊結成後、初めての犠牲者が出るかもしれないのだ。
「仕方ねぇだろ。位置が悪かったんだ」
「そうだな。じゃあ、やるか」
飯塚が言った。泉を運んでいる最中の緑子を除いて、すでに全員が揃っている。
「……って、どうするよ。下手に踏み込んだら、篠原の二の舞だぜ」
「だからって、のんびりしていられるか。篠原の奴、もう食われているかもしれねぇ」
渋い顔をして、早房が垣根の向こうから腕を伸ばした。飯塚が言うように、時間がないのだ。
タコの遺伝子を持つ早房は、手足に関わらず、よく体が伸びる。早房が伸ばした腕は、公園のブランコの支柱を掴んだ。掴んだ手はそのままに、腕を戻す。つまり、早房の体が宙を舞う。
ブランコの上に陣取り、さらに腕を飯塚に伸ばした。命綱の代わりである。
「よし。飯塚、行け」
「命令するなよ」
飯塚が砂場に足を踏み入れた。一歩踏み込んだだけで、止まった。
「どうしたよ」
「来るぞ」
早房にも聞こえた。突き上げてくる重たい音は、砂と砂がこすれ合うだけではない。巨大なものが移動している。
「来い!」
来た。飯塚の叫びに誘われるかのように、突出した。
全身を赤黒い甲殻に覆われた、サソリ男である。ほぼ巨大なサソリだった。服は着ていない。
皮膚が変化したとは思えない光沢を放ち、頭部は、肩の間にめり込んでいる。ただ、両肩の間がちょっと盛り上がり、そこに顔だった形跡があるだけだった。
両腕は太く、先端は巨大な鋏と変じている。下肢はまだ砂の中だ。
サソリ男は、両の鋏で飯塚の首を狙った。だが、相手が悪かった。鋏を逆に内側から掴まれ、殻で覆われたわき腹に、飯塚の渾身の蹴りが打ち込まれた。
「ぐがぁ!」
口はまだ機能を残していたらしい。苦鳴を発し、腕を振り回した。飯塚は後方に跳躍する。付いた足に間髪いれずに力を込め、地面を蹴立て、跳んだ。前方に。サソリ男の顔面と思われる場所に、お手本のようなドロップキックをみまう。
おおきく仰け反るサソリ男だったが、代わりに飯塚の両足首を鋏で捕らえた。
「やべぇ!」
サソリ男が砂場にもぐる。飯塚は、足を切り落とされる前にすり抜けた。短いソックスが幸いした。早房が、飯塚を掴んでいた腕を引っ張ったおかげでもある。
「ちっ。またもぐったか」
砂場は、静けさを取り戻していた。巨大なものが沈んだ水面の波紋のような痕が残っていた。ブランコの上から、早房が眉を寄せた。
「どうするよ。警戒して、出てこなくなるかもしれねぇぜ」
「わかってるよ。黙っていろ」
「なんだよ。てめぇが下手に手出ししたんだろうが! このまま篠原が死んだら、責任とれるんだろうな!」
激昂した早房が地面に降りた。飯塚と早房がにらみ合う。額がついた。早房が、タバコをはき捨てた。
「早房、てめぇから殺ってやろうか」
「上等だ。来いよ」
波野は一言も発せず、ただ腕を組んで見つめていた。泉を警察に渡した朔間緑子が戻ってきた。状況は見ていた。声も聞こえていた。
「喧嘩してる場合じゃないよぉ」
「だから言ったじゃありませんか。この二人が揃うと、ろくなことになりませんわよ」
組んでいた腕をわざわざ解き、波野はやれやれと肩をすくめた。
「うるせぇ! 取り込み中だ」
早房が牙を剥く。特に、波野に向かって。
「……美香ちゃん、まだ死んでいないよね?」
緑子の呟きに、飯塚と早房は、思い出したかのように顔を曇らせた。
喧嘩を中断し、少女達はあらためて顔を付き合わせた。
「そういうわけで、下手に踏み込めねぇ。まさか、砂の中で戦うわけにもいかねえしな」
「でも、美香ちゃんが引きずり込まれてから、大分経つよ」
「心配要りませんわ」
心配する緑子に、自信たっぷりに波野が宣言した。
「なんで?」
「篠原さん、イルカですもの。哺乳類のイルカが、海の中にいるあいだ息をどうしているとお思いなの?」
誰も応えない。波野は盛大に肩を竦めた。
「呼吸を止めているんですわ。何一〇分も」
「じゃあ!」
「まだ無事、だといいですわね。肺の機能もイルカ同様かどうか、わたくしは存じませんけど」
「かえって不安になるだろうが」
篠原の能力を正確に把握している者は誰もいない。波野が付け加えたのも無理はないが、苛立った飯塚は牙を見せた。
「なにしろ、あの化物と一緒だからな。楽観はできねぇ、か」
早房も暗い表情で同意した。
「でも、どうするの? ……そうか!」
緑子が手を打った。
「どうした?」
飯塚の問いに、緑子は笑って応えた。
「下手に踏み込めないなら、思いっきり踏み込めばいいんだ」
「そういうことですわね」
怪訝な顔をする飯塚と早房を尻目に、波野が助走距離をとる。緑子が、砂場の縁に立った。
「ああ。そういうことか」
中間に、早房が陣取る。靴と靴下を脱ぎ、生足で地面に張り付いた。手を伸ばし、波野の腰にまわした。
「俺はどうする?」
一人、手持ちぶさたの飯塚が問う。
「出てきたら、仕留めて」
「任せろ」
緑子に笑い返した。
波野がスタートする。
早房が縮む。
緑子が腰を落とす。
波野が緑子に迫る。まるで空中を滑るかのように、黒ぶちの眼鏡が大きくなる。緑子の構えた手に、波野の革靴が乗った。
「くっ」
声が漏れた。ゴリラの腕力をもってしても、楽な作業ではなかった。細い腕が、軋む。
「朔間、踏ん張れ!」
「わかってる! えいっ!」
撥ね上げた。勢いを減殺せず、波野の体が天へ飛ばされた。
「おおーーーっ……上がったなあ」
「ほんと、凄いね」
緑子が両腕を擦る。そんな時間的余裕があるほど、高く上空に舞っていたのだ。
点となった波野が、徐々に大きくなる。
「あっ、落ちてきた」
「あんな高さから落ちて平気なのか?」
早房が歩み寄る。
「たぶん……だって、波野さんだもん」
「朔間って、時々ひどいこと言うよな」
「そうかな」
「ああ」
飯塚と早房が珍しく見解の一致を見た。その傍らで、波野が足から落下した。五トンの衝撃だ。砂場の中央で砂煙が上がり、あたりを包み込む。
「波野さん、大丈夫?」
「そっちに行きましたわよ!」
視界が悪いので、波野がどこを示したのかわからなかった。が、黒い影が砂場から飛び出した。
「おい、篠原!」
まるで、水面から飛び出したイルカよろしく、篠原が飛び跳ね、落ちたところは、飯塚の腕の中だった。
「どう?」
「生きてるぜ」
「……平気」
意識を失ってもいなかった。篠原が飯塚に抱かれたまま、指で自分の足首を示した。まとわり着いていたのだ。一本、昆虫の形状をした、赤く太すぎる足が。
篠原が咳き込む。
「おい!」
砂を吐き出した。
「休んでいろ。後は、俺達で片付ける」
「へっ、優しいこった」
「くだらねぇこと言ってねぇで、こいつを連れてけ。おい、朔間」
「なに?」
ようやく砂埃が晴れた。波野の姿が浮かび上がる。砂場の中央に、クレーターが出来ていた。それを造った少女は、膝下までが埋もれている。目をかたく瞑っているのは、さすがに足がしびれたらしい。
飯塚は、サソリ男の足を捕まえていた。それを、怪力の仲間に渡す。砂が舞っていたのでうす目を開けながら、緑子は言われるままに手を差し出した。
「なにこれ?」
「思いっきり握れ」
「うん……手のひらになんか刺さった」
片手で砂を払いながら、目を大きく開ける。
「キャ」
「放すなよ」
朔間の手から逃れ、砂に潜ろうとする足を、飯塚が捕まえた。
「だってぇ」
体勢を崩した。飯塚の力では捕まえておけない。その間も、波野は足の痛さに耐えていた。
「朔間さん、大丈夫ですわ。今ごろ、砂の下でぺちゃんこですわよ」
「でも、動いていたよ。私、虫嫌いだもん」
「いいから手伝えよ。俺が引き込まれる。触るのが嫌なら、俺の手を掴め」
「うん」
サソリ男の、人間とは思えない器官を握る飯塚の拳を、緑子が両手で包み込む。
「どうするの?」
「引っ張り出すのさ」
「まだ生きてるの?」
「死体を確認するだけかもな」
「やだなぁ」
「俺だって御免だぜ」
「うんしょっと」
軽い掛け声と共に、緑子が力を込めた。波野も、砂場から足を引き出して縁に立つ。砂が盛り上がり、持ち上げられたのは、サソリ男のなれの果てだった。
先程飯塚と戦闘を演じた人間の上半身は、ぺしゃんこになっている。圧死しているのは間違いない。はらわたを飛び出させ、体の厚さは、場所によっては五センチ程しかない。
「うげっ」
篠原を滑り台の上に寝かせ、戻ってきた早房が舌を出した。
飯塚が掴んだのは、足のほうだった。サソリ男の下半身は、全く人間のものではなかった。
足の八本生えた甲殻類の上に、人間の上半身が乗っている、そんな形状をしていた。
飯塚の足を掴もうとしたときより、また形状が変わっているようだ。後部には、その上半身をも上回る、長い尾が生えていた。先端には、恐るべき毒針がある。
「気持ち悪い。ねえ、放していい?」
「俺だって気味悪いんだよ」
「問題ないですわ……」
波野の言葉が途切れたのは、尾が波野に向かって振り下ろされたからだった。
「生きてますわよ!」
「見りゃわかる!」
「どうするの?」
朔間は、情けない声を出した。泣きそうである。実際触れているのは飯塚だが、それでも昆虫の感触を味わっているのだ。
波野が避け、毒針が飯塚と朔間を襲う。素晴らしい速度だったが、飯塚は冷静にそれを掴み取った。
「さっすが」
「まあな」
飯塚の手に、鉤爪が生える。爪が甲殻を滑った
「ちっ、硬てえ……おい、波野、これ握り潰せるか?」
「なんで私が! 嫌ですわ」
「私は手が塞がっているもん」
「こうすればよろしいでしょ」
波野が高々と足を上げる。体が柔らかいのは、ゾウの遺伝子とは関係がないだろう。
お嬢様の波野はバレエでも習っているのかもしれない。その足を振り下ろした。砂場の、サソリ男の尾、その根元に。
千切れた。
「ま、いいけどな」
よくは無かった。毒針を失ったサソリ男は、衝撃で自由になった。飯塚と緑子が掴んでいた足も取れてしまった。
「おい、逃がすなよ」
「しかたねぇだろうが」
早房の苦情に、飯塚は手を上げた。むしり取れた足を放り投げた。
砂に潜ろうとするサソリ男は、もはや残骸にすぎない。それを、不快そうに顔を歪めながら、波野が蹴り上げる。
高々と放物線を描いた。地面に落ち、もがいている。七本となった足で、起き上がる。
人間だったころの上半身は、無残に引き摺っている。その様は、この少女達をしても、不愉快ならしめた。
「へっ、逃がすかよ」
ばたばたと逃げようとした。まだ諦めていない。飯塚がゆっくりと歩み寄った。
「あっ、そっちは!」
篠原が休んでいた。飯塚は緑子を止めた。
「心配すんな。もう、何にもできやしねぇよ」
篠原が体を起こしていた。飯塚が走り出そうとして、足を止める。黄色い髪の少女が跳躍したからだ。イルカが跳ねるように円を描き、頭ごと、突っ込む。篠原の落下による頭突きを受け、サソリ男は完全に動かなくなった。
「……無茶するなぁ」
「美香ちゃんも、怒っているんだよ」
ぐちゃりとつぶれたサソリ男は、痙攣さえしていなかった。
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