第14話 謎の敵と油断

 朔間緑子は、大人たちがのぞきこんでいた地図を、黒い頭越しに眺めていた。

 場所は東京都大田区西蒲田である。閑静な住宅街だ。昼間は人通りも多くなく、いまはゼロだ。戒厳令が敷かれているのである。


 背の低い緑子は、覗き込んでもよく見えなかった。ぴょんぴょんと跳ねていた緑子の肩を、飯塚が叩いた。覗き込むような真似をせず、ヒョウの遺伝子を持つ少女は大人たちから強引に地図を奪い取った。


「どうだ?」


 こめかみを押えて集中している、篠原の前に広げた。


「……やっぱり……弱い」

「死にかけているんですの?」


 並ぶように横合いから、波野も地図を覗き込んだ。篠原は相変わらず、誰とも視線を合わせないまま、口を動かした。

 誰に聞かれても同じように反応するだろう。まるで、自分に人格があることを否定してでもいるかのように。


「……ううん……何かに遮られている感じ」

「建物にでも隠れているのかなぁ」


 緑子が首をかしげる。波野が同意した。


「そうかもしれませんわね。2時間も見つけられていないなんて」


 集中を続けている篠原以外の4人が、しかめっ面を付き合わせた。


「じゃあ、その建物の中に人がいたら……やべぇってことか」


 早房がいらだたしげにタバコを上下させた。もっとも被害者のことを気遣うのが、外見とは裏腹に早房であることは緑子も知っていた。特に、子供のことになると激昂するようだ。


「……普通の建物じゃない……ううん、多分、建物じゃない」


 4人の視線が、一斉に篠原に注がれる。その側で、大勢の大人たちが取り巻いていた。担当の中谷にしても、少女達に任せるほかにやれることはもはや無かった。


「おい、じゃあ、何なんだよ」

「待ってよ華麗ちゃん。美香ちゃんに任せようよ」

「……だってよ。仕方ねぇな……ほれ」


 篠原の、黄色い髪が揺れた。のけぞったのだ。早房が差し出した、乾燥した葉を包んだ小さな紙の棒に。


「一服しろ。落ち着くぜ」

「ちょっとぉ、ふざけてる場合じゃないよぉ」


 タバコを差し出した早房に、緑子が抗議の声を上げる。


「誰もふざけてねぇよ」

「なお更悪いですわよ。ほら、おじさま達も恐い顔してらっしゃるわ」


 その『おじさま達』には、早房は見えていないかのようだ。現に、早房はずっとタバコを口の端にくわえているのだから。


「おい、ちょっと歩かねえか? 近づけばもっとはっきりわかるだろ? いま……ここだな」


 奪い取った住宅の周辺地図を、飯塚は指し示す。篠原がうなずき、5人は散策し始めた。






「……たぶん……寝ているのだと思う。この感じ……始めてだから間違っているかもしれないけど……土の中」


 交差点で信号待ちをしているとき、篠原が呟いた。波野と飯塚が地図から顔を上げ、早房が振り返り、緑子が歓喜して飛び上がった。


「よかった。それなら、まだ被害はそんなに出てないよね」

「この周辺で土にもぐれる場所なんて、限定されていますものね」


 緑子と波野が口々に言い、飯塚はまず中谷の胸倉をつかみ上げた。


「おい、おっさん、最後の目撃場所教えろよ」


 その『おっさん』であるところの中谷警部補も、ようやく得られた手がかりに安堵しているようだった。






 信号機の側から場所を変えることにした。猫の額ほどの児童公園があったので、その地面に地図を敷いた。もちろん、子供の姿は無い。


「どうせ、考えて隠れたんじゃないよね」


 緑子をちらりと見ながら、篠原は小さくうなずいた。声を発したのが緑子でなければ、視線を動かすことはなかっただろう。


「…….うん……変化してからは、動物並の知能しかないと思う」

「なら、土の中に隠れるようなケダモノが相手ですわね」

「目撃された情報や殺され方からすると、哺乳類とは思われないぞ」


 中谷が意見を加える。


「いずれにせよ、大きさは人間だ。そんなのが穴掘っていたら、目立つだろうが」


 飯塚が、珍しく行動を起こす前に考えを語った。どう動いていいかわからなかっただけなのは間違いない。緑子も首をかしげる。


「じゃあ、目立たないところかな?」

「簡単に穴を掘れる場所かもしれませんわ。たとえば……」


 波野が公園の片隅にある、砂場を指で示した。


「うーん。でも、よく見ると結構あるよ」


 緑子が指で地図を追った。東京は日本でも最大の人口を抱えた都市である。小さな都市公園は決して少なくは無い。地図上だけで特定することは難しい。


「公園だけじゃなくて、採掘場とか、藪とか、畑とか……そんなにはねえな。採掘場は戦いの定番なんだが」

「テレビの見すぎですわ」


 さすがに採掘場は近くにはなかった。波野に言われて憮然とする飯塚だが、反論も思いつかなかったのか、頬を膨らませて黙ってしまった。


「どうする? 手分けする?」


 東京都心とは少し外れているとはいえ、地面はほとんどがコンクリートで覆われている。分かれたほうが発見できる可能性は高いのは間違いない。


「あぶねぇかもしれねぇが」

「所詮相手も一人ですわ」


 不安そうな早房とは対照的に、波野は強気だった。


「誰かが遭遇したら、篠原ならわかるだろ?」

「……うん」


 飯塚の問いに、篠原はうなずく。


「では、決まりですわね」


 波野が結論付けた。


「いや、君達、そんな勝手に」


 中谷の言葉は、相変らず無視された。人数分の地図をコピーして持ってくる若い警官に、赤い髪の少女は瞬間的に頬を染めたが、仲間たちは笑って眺めているだけで、このときは何も言わなかった。

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