第29話 空中より

 朔間緑子は、副操縦士席に座る篠原美香に、しなだれかかるように寄りかかっていた。

 以前からあこがれだったヘリコプターに乗ったものの、外は延々と闇夜が続き、退屈だったのである。


「……あれだね」


 副操縦席で、髪を黄色く染めた篠原が静かに呟いた。


「どこだ!」


 深紅の髪の飯塚京子が、緑子を押しのけるように後部座席から覗き込んだ。すでに戦闘を想像しているのか、好戦的に目をぎらつかせている。


「……このまま真っ直ぐ。高度を下げて」


 無機的な声で篠原が命じる。目を瞑ったままだ。

 実際に見えているのか、見えているようにはっきりと把握しているのか、篠原自身ですら区別ができないのかもしれない。それほどに、少女の知覚能力は発達している。

 操縦席の自衛官は、自分の子供ほどの年齢の少女の言葉に、問い返すことさえせず従った。


「相手は戦車でしょ。近づきすぎると、打ち落とされるんじゃない?」


 心配そうに言った緑子にさえ、振り向かず篠原は集中を続けていた。目を閉ざしたまま応えた。


「……そんな知恵は残っていないよ。自分が奪ったのが、戦車だという認識もないみたい」

「あっ、そっか……さっき、そう言っていたもんね」

「おい、説得なんかするなよ。俺の出番がなくなるからな」


 再び、目をぎらぎらとさせた飯塚が身を乗り出す。


「……説得に応じる……ような知恵はないよ。もう言ったけど」

「そりゃ楽しみだな。どこにいる。俺にも見せろ」


 黄色い髪の少女が、片手を挙げた。その手を強引に取り、赤い髪が、自分の額に押し当てた。

 視覚に依らないイメージを他人に伝えることができるようになったのは、つい最近だ。外見上はもっとも変化が少ない篠原だったが、能力の成長は計り知れない。


「奴の真上まで、二〇秒か?」

「一五秒」

「ぞくぞくするぜ」


 満面の笑顔を浮かべている。横目で盗み見た緑子には、威嚇する猛獣を想像させた。飯塚は篠原の手を離し、振り返った。


「おい、聞いたか!」

「ああ」

「準備しろ!」

「わかってるよ」


 いかにも面倒くさそうに、早房華麗が応じた。

 波野潤子は飯塚の命令など初めから聞くつもりはないらしく、自らの判断でさっさと準備を始めていた。


「私、先に参りますわね。あなた方は、後からゆっくりいらして」


 黒ぶちの眼鏡をかけた、育ちのよさそうな波野が、にこやかに宣言した。


「えっ、行っちゃうのー」


 突然の宣言に、緑子が驚きの声を上げた。

 波野は、操縦席に顔を出した。


「先に参りますわ。誘導してくださる?」

「……わかった」


 目を閉ざしたままの篠原に礼をいい、緑子の頭を軽くたたいてから、波野は一人、ヘリコプターから身を躍らせた。

 地上までまだ二百メートルある。真っ暗な空に、都会の明かりが美しい。波野は空中で耳を引っ張り、風を受けて滑空し始めた。まるでゾウのように耳が広がっているが、像が耳によって空を飛んだのはおとぎ話の中のことだったはずだ。


「ちっ、いいなあ、あいつ」


 赤髪の少女が羨ましがり、その隣で、特攻服の少女が手足を伸ばす。他の面々が不揃いな学生服なのに、早房だけは、暴走族まがいの特攻服を貫いていた。


「あたしも、準備いいぜ」

「おい、お前らはまだか?」


 飯塚は、操縦席にむかって怒鳴りつけた。


「……もういいよ。私もいく」


 緑子が顔をそろえ、その背後に、副操縦席から黄色い髪の篠原も少女も出てきた。

眼鏡の波野を誘導している最中なのか、額に手をあてて、集中しているままだった。


「じゃあ、誰から行くか決めようぜ」

「……私は最後で」


 篠原が勝手に決めたが、理由のあることである。誰も異論は挟まない。


「早く、ジャンケンでも何でもしろよ」


 特攻服の早房は、すでにヘリコプターの外に身を投げ出していた。重力に逆らい、外壁に張り付いている。

 結局、緑子が波野に続いて二番手となった。

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