第八話 記憶
あかいろの兄は、困っていました。話したいことがたくさんあるのに、どれも断片的なもので、どう話していいかわからなかったのです。
物知り村長さんは、そんなあかいろの兄の様子に気づいているようですが、助け船を出すつもりはないようです。
あかいろの兄は、なんとか話そうとしていますが、考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになっていくようで、すっかり混乱しきっています。
目頭が熱くなってきて、赤い瞳がゆらゆらと揺れてきたころ、見かねた物知り村長さんが声をかけました。
「落ち着いて、無理に話をまとめる必要はないよ。一言一言でもいい。なんでもいいから、話してごらん。そのうちに、だんだん色々なことが頭の中に浮かんできて、自然とたくさん話せるようになるはずだから。さあ、ゆっくり息を吸って、吐いて」
あかいろの兄は、物知り村長さんに言われるまま深呼吸をしました。すると目頭の熱は治まってきて、一滴涙が流れた後、揺れていた赤い瞳は、真っすぐ物知り村長さんをとらえていました。
あかいろの兄は物知り村長さんに言われた言葉で、随分と気持ちが楽になったようです。
そうして、ふと脳裏に浮かんだ光景を話し出しました。
「火が…俺たちを、包んでいたんです…」
あかいろの兄は、たしかに物知り村長さんを見ながら話していますが、もう一つ別の景色を見ているような気分になりました。
「背中が熱くて熱くて、反対に、妹は俺の腕の中で、冷たくなっていて、怖くて…」
村長さんは黙って聞いていました。
「その後のことは、よく覚えていないけれど…気づいたら、白い花畑に、青い空と青い木が周りにあって、意味が分からなくて、たしかに火の中にいたはずなのに、気づいたらこの世界にいて、きつねのこがやってきて…」
あかいろの兄は、混乱しながらも話し続けました。脳裏に浮かぶ、『あの時』の景色を見ているような、青い世界の景色を見ているような、不思議な感覚です。
「妹が、動いている、確かに俺を見ていて、俺のことを呼んでいる…あの時、すっかり冷たくなって、動かなくなったのに…今、確かに動いているんだ…恐ろしいくらい手は冷たいのに…ここにいるんだ…」
あかいろの兄は、本当に不思議な気分になっています。今、兄妹は赤色の色持ちとしてこの青い世界に来たばかりで、それだけのはずなのに、まるでこの世界に来る以前の、『昔』があったかのように話しているのです。
「村長さん、ここは、この青い世界は一体何なんだろう…俺は誰で、どうしてここにいるのだろう…妹は…俺は…」
顔を俯かせ、苦し気に、呻くように話すあかいろの兄を見て、物知り村長さんは再び声をかけてあげました。
「…来たばかりのあやかしはね、皆君のように混乱したりするものだよ。だから安心しなさい。たとえ君に『昔』があったとしても、ここで日々を重ねて行けば、きっとそれが昔になる。記憶になるはずだよ」
「『はず』?」
「必ずしもそうなるとは限らないからね。本当に、忘れられないことだってある」
「ふうん…」
気持ちが落ち着いたのか、あかいろの兄の表情が、幾分か柔らかくなっているようです。
そうして思い出したのか、口を開きました。
「そういえば、皆この赤色のこと、『血の色』だと言って怖がっていたりしていたけれど…」
「そうだね」
物知り村長さんは複雑そうな顔をしました。あかいろの兄は、気づかなかったのか、そのまま続けました。
「『血の色』だとは、思えなかったけど…あの、怖がったり、なにか嫌なものを見るような視線、俺、知っているんだ」
「…どこで知ったんだい?」
「わからないけれど、確かに知っているんだ」
あかいろの兄は、どこか遠いところを見ているようでした。
***
小屋で待っているあかいろの妹ときつねのこは、相変わらず二人で話をしていました。
「それにしても、町のあやかしたちの反応はびっくりだったね」
「そうなの?」
「うん。あんな反応初めてだよ」
きつねのこの知っている青い世界のあやかしたちは、皆気の良いあやかしたちばかりで、新しく来たあやかしにあんな態度を取るのは初めてです。
「私は、ああいう反応、知っているよ」
「え?」
「不思議だね。ここに来たばかりなのに、どうしてか知っているの。この赤色も知っているの。血の色だとは思わないけれど…そもそも、血を見たことがないもん!」
「確かに、僕も血の色なんて知らないや…」
まだかなあ、と言いながら、二人はあかいろの兄を待っていました。
***
話したいことがなくなったのか、あかいろの兄はすっかり落ち着いた様子です。その様子を見た物知り村長さんは、妹ときつねのこが待っている小屋へ戻るように促しました。
あかいろの兄は、お礼を言って階段を上り、回廊をぐるりと回ると梯子を上って小屋へ入りました。
「おかえりなさい!お兄ちゃん」
「いい子にしていたかい」
「うん!」
あかいろの兄は、妹の頭を撫でてやりました。
すると、遅れて物知り村長さんがやってきました。
「ははは、いい妹さんだね。きつねのこも、ありがとうね」
「どういたしまして」
物知り村長さんは、赤色の兄妹に向き直りました。
「さて、君たち兄妹の住むところだけど…」
「…人が少ないところがいい」
静かにあかいろの兄が言いました。
「そうだね」
物知り村長さんは頷いた後、三人を外に誘導しました。階段を下りて、黄色い花畑を横目に見ながら、物知り村長さんは町とは逆の方面の丘の下を指さしました。そこには、小さな青い林があります。
「そこの林の中に、小さな家がある。兄妹で住む分には十分だと思うから、そこに住むと良い」
「ありがとう」
赤色の兄妹は、深々と頭を下げました。
赤色の兄妹は、丘を下っていって林の中へと消えていきました。
残されたきつねのこと物知り村長さんは、しばらく無言で林の方を見ていましたが、きつねのこが話しかけました。
「村長さんは、『血の色』を知っているの?」
「そうだねえ…知っている、としか言えないなあ。どうしてだろうね、見たことはないのに」
「そうなんだ」
「本当に不思議だ。その色を見ていると、怖くて背中がぞわぞわしてくるんだ。多分、町のあやかしたちも同じなのではないかな」
物知り村長さんは決して赤色の兄妹を否定しているわけではありません。それでも物知り村長さんは、赤色を見ていると何故だかわからない恐怖が襲ってきます。頭の中の、どこか奥の方で映像が流れています。赤い液体が、どくどくと流れているのです。それがなにかはわかりませんが、恐ろしいという感覚だけはわかるのです。
これは物知り村長さんの推測ですが、町のあやかしたちも、物知り村長さんと同じように、赤色に関して、ぞわぞわとした嫌な感覚があるのかもしれません。
きつねのこは、物知り村長さんの話を聞いても釈然としないようでした。
「僕は、これほど綺麗な色はないと思うのに」
いつか脳裏に浮かんだ赤い夕日の映像は、未だにきつねのこの中に残っています。
きつねのこは、彼の住む森へ戻りました。何となく町を通る気になれなかったので、町を避けるようにして帰ってきました。
白い日が沈んできて、空の端の方が濃い青色になってきました。きつねのこはそのまま家には帰らずに、真っ黒な世界との境目の、黒い穴のあるところに行きました。いつものように赤い光がゆらゆらと揺れています。
やはり、きつねのこには綺麗な色としか思えません。
しばらく眺めたあと、きつねのこは家に帰って眠りました。
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