第七話 灰色の物知り村長さん
町の喧噪を通り抜けた三人は、丘を登っていました。
町の裏手には、きいろいお兄さんが花を育てている黄色い花畑の丘があります。きいろいお兄さんの家は丘のてっぺんにこぢんまりと建っています。
その横には、大人が何人も腕を広げて手を繋がないと一周できないほどの大木が立っています。その木の少し高いところに、小屋が立っています。ここが、はいいろの物知り村長さんの家です。
小屋までは、階段を使います。きつねのこはこの階段に登るのが好きで、たまにここにのぼりに来ては、隣に見える黄色い花畑を眺めています。
「村長さん、こんにちは」
きつねのこは、扉をとんとんと叩いて声をかけました。中から「入っておいで」としわがれた声が聞こえたので、きつねのこは赤色の兄妹と一緒に中に入りました。
「お邪魔します」
部屋の中は、とても簡素な造りになっていました。物書きができる机と椅子に、近くには布団が畳んであって、その上に枕がぽんと置いてありました。部屋の角には、四角い穴が開いていて、梯子がかかっているようです。
「やあ、よく来たね」
灰色の髪を持つ、老いたあやかしが出迎えてくれました。腰はそれほど曲がっていないようですが、それでも長い時間を過ごしてきた者の落ち着きを感じさせます。
「村長さん、お久しぶり!」
物知り村長さんは、孫を見るような気分できつねのこを見ました。そして後ろに控えている赤色の兄妹を見て、少し驚いたような顔をしました。
「血の色…」
その呟きに、三人はびくりと身を強張らせました。物知り村長さんまでも、町の人のように怯えたり、敵意を剥きだしにしたりするのではないかと思ったのです。
そんな三人を見て村長さんは優しく微笑みました。
「すまないね、三人とも。少し驚いてしまっただけで、悪く思ったわけじゃあない」
その言葉に、三人は安心しました。警戒心の強いあかいろの兄も、物知り村長さんの言っていることが本気であるらしいと伝わったようで、落ち着いて立っています。
「えっとね、村長さん。新しく来た色持ちだよ。赤色の兄妹で、こちらがお兄さん、こっちが妹さんなんだ」
きつねのこは二人のことを紹介しました。物知り村長さんは「そうか、そうか」と頷いて、
「ようこそ、青い世界へ」
と、優しく言ってくれました。
「村長さん、いつものように、お話を聞くんだよね」
「お話?」
あかいろの妹が問いかけてきました。きつねのこが答えてあげました。
「村長さんはね、青い世界に新しいあやかしが来ると、ここに呼んでお話を聞くの」
「どうして?」
きつねのこは答えに詰まってしまいました。理由までは知らないのです。
代わりに物知り村長さんが答えてくれました。
「ここに初めて来たあやかしはね、いろいろと混乱してしまうんだ。だからそんな彼らのお話を聞いて、気持ちを整理してあげるのが私の役目だと思っているんだ」
あかいろの妹はよくわからない、といった様子です。
「君はまだ小さいから、ちょっと難しかったね」
物知り村長さんは、あかいろの兄の方をちらりと見て、
「お兄さんの方は、何か話したいことがあるような顔をしているね」
「……」
あかいろの兄は黙っていました。代わりに瞳に強い光が宿っています。妹ときつねのこは不思議そうな顔をしています。
物知り村長さんは、あかいろの兄を見て言いました。
「よし、妹さんはよくわかっていないようだし、君だけ私のあとについておいで。話を聞こう」
あかいろの兄は黙ってうなずきました。
物知り村長さんは、部屋の角の穴に向かい、そのまま下へ降りて行きました。あかいろの兄の方もそれに従って降りて行きました。降りる途中、ついて行くと言わんばかりの妹を見て、
「お前はきつねのこと待っていなさい。大人しくしているんだよ」
と言いました。兄の言うことに素直にうなずいたあかいろの妹は、きつねのこの側に寄りました。そうして、二人であかいろの兄を見送ったのでした。
***
梯子を下りて、あかいろの兄は思わず声を上げてしまいました。
あの大木の中身をくりぬいて作ったような空間になっていて、壁の部分にはたくさんの本が置いてある本棚になっています。
今、物知り村長さんとあかいろの兄が立っているところは、部屋から降りてきてすぐのところで、回廊のようになっています。回廊の上は、あかいろの兄の倍ほどの高さの本棚があり、それより上は天井になっています。
この回廊をぐるりと回った先に、大きな下り階段があって、その途中途中にもたくさんの本が置かれています。また、梯子もあちこちにかかっています。
「驚いたかい?」
言葉を失っている様子のあかいろの兄を見て、物知り村長さんが声をかけてくれました。
あかいろの兄は素直にうなずいて、こんな大きな本棚を見たのは初めてだと伝えました。
「外から大木が見えただろう。ここはあの木をくりぬいて作っているんだ。初めは、あの回廊の周りの本棚だけだったんだけどね、どんどん足りなくなってしまって、下をくりぬいていったのさ。もう少しで根に届いてしまうところだけど、まあ、まだまだ持つだろう」
物知り村長さんはこの巨大な本棚について説明してくれました。
「ここに並べられている本はね、皆、日記のようなものなんだ」
「日記?」
「そう、毎日何が起こったのか、とか、どう思って過ごしたのか、とか色々書いておくんだ」
その日常の中に、あやかしがやってくる、という出来事もあるというわけです。
「基本は通して書いているんだけどね、新しいあやかしが来たり、色持ちがやってきたりしたものは特にまた別のところへ書き写しているんだ」
「これを、すべて村長さんが…」
「そうだよ。まあ、これくらいしかやることもないし」
物知り村長さんは豪快に笑いました。あかいろの兄は、この本棚のあまりの壮大さに呆然としています。
話ながら階段を下りていると、底が見えてきました。底には、丸い、ちゃぶ台よりも少し大きいくらいの机と、机の上には分厚い無地の本ようなものと、書くことのできる鉛筆のようなものが置いてありました。
そして、対面で話せるように座布団が置かれていました。
「さあ、座って。話を聞こう」
***
小屋の方に残ったきつねのことあかいろの妹は、退屈していました。
「ねえねえ、どうして君は残ってって言われたんだろう」
きつねのこは先ほどから不思議に思っていました。物知り村長さんは、たとえどんなに小さくても、新しく来たあやかしの話を聞くことにしているからです。
「お兄ちゃんと、なにか二人だけで話したいことがあったんじゃないかなあ」
「それってなあに?」
「さあ…私にもわからないや!」
あかいろの妹はさほど気にしている様子はありません。
ほかに話すことが見つからなかったのか、あかいろの妹は兄について話だしました。
「お兄ちゃんは、とっても真面目で、優しくて、私のこといつも考えてくれているの」
「いつも?」
「うん、いつも」
きつねのこは違和感を覚えました。
「『いつも』って言ったって、君たちは昨日ここに来たばかりじゃないのかい?」
あかいろの妹は首をかしげました。
「あれ?でも…」
たしかに兄は「いつも」真面目で優しい兄だった、と、あかいろの妹は思いました。それでも、きつねのこの言うことに違いはないはずです。「いつも」と言うのには、赤色の兄妹が過ごした時間は短すぎるのです。
「不思議だね」
きつねのこが呟きました。
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