第六話 赤色の兄妹とあやかし
きつねのこはぎょっとしました。目の前に、きつねのこによく似た青年が立っているからです。
青年はきつねのこに顔をぐぐっと近づけて目をぱちくりさせていました。どうやら青年も驚いているようです。
「ええと、お兄さん、誰?」
「あ、ごめんね、びっくりしたよね」
青年は顔を遠ざけて、微笑みました。
「何か思い出したの?」
青年はきつねのこの疑問には答えず、問いかけてきました。きつねのこは困惑してしまいました。何かを思い出した覚えはありません。というか、何かを忘れた覚えもありません。
「ごめんなさいお兄さん、よくわからないや」
「そっかあ…」
青年は少し悲し気な顔をしました。それでも気を取り直して、
「何か、色を見たんでしょう?」
と言いました。きつねのこは素直にうなずきました。
「赤色の兄妹だったんだ。二人はね、瞳まで赤かったんだ。それを見た途端、僕、夕焼けが見えたんだ」
青年はそれを聞いて目を見開きました。
「…それで?」
「…うーん、隣に、誰かいたような…」
「そう…」
青年は真面目な顔になりました。
「でも君、赤色を見たのは初めてじゃあないでしょう?」
「うん、赤色はいつも見ていたから知っていたよ。でもね、生きている物が持っている赤色は見たことがなかったんだ」
青年には、なんとなくきつねのこの言っていることがわかりましたが、腑に落ちないような顔をしています。
「生きている、か…」
青年はつぶやくと、空気に溶けていくように消えました。
真っ青に澄みきった空間に、きつねのこは一人取り残されました。くるぶしまである水の、先ほどまで青年がいた場所が、ちゃぷちゃぷと音を立てていました。
***
目を開いたきつねのこの視界は真っ赤でした。
「お兄ちゃん、きつねのこくん起きた!」
その赤色はばっと離れて行って、あかいろの妹の瞳であったことが分かりました。
「おはよう!」
あかいろの妹は元気いっぱいなようです。兄の方は、そんな妹を見て申し訳なさそうにしています。
「ごめん。さっきから、妹が君を起こそうとして君を呼んだり、ゆすったりしていたんだ」
あかいろの兄はきつねのこに謝りました。きつねのこは呼ばれたりゆすられたりしたことに気づいていなかったので、全く気にしていません。
「大丈夫。きっと、早く町に行きたかったんだよね!」
「うん!」
あかいろの妹は勢いよく頷きました。兄の方は申し訳なさそうにしながらも、元気が良い妹を見て微笑ましく思っているようです。
「ふふ、それじゃあ行こうか」
この日初めて、きつねのこはいつもの赤い光の下に行きませんでした。
***
新しいあやかしがやって来たときは、必ず「灰色」の色持ちである「はいいろの物知り村長さん」の元へ連れて行くということになっています。
村長さんは決して青い世界の「村長」というわけではありませんが、なんだかそういう雰囲気だということで周りからそう言われています。
村長さんはその愛称の通り非常に物知りです。何故なら、新しくあやかしがやってくると、彼らの話を聞いて書き留めるからです。
青い世界に初めてやってきたあやかしは、不思議なことに何かを知っているようです。しかし、本人もよくわからないままそのことを知っているため、すぐに忘れてしまいます。
村長さんはその知っていることが忘れられる前に、新しいあやかしを家に呼んでは話しを聞いているのです。
きつねのこは、二人を村長さんの家に連れて行くつもりですが、村長さんの家に行くには、町の大通りをまっすぐ進んで町はずれの丘まで行くか、町を避けて行くかの二通りの道筋があります。きつねのこは、前者を選びました。あかいろの妹が町を見たがっているからです。
町に着くと、あかいろの妹は目を輝かせました。
「人がいっぱい…!」
「ここはあやかしがたくさん集まる場所なんだ!すごいでしょ!」
「うん…!」
あかいろの妹は興奮して今にも走りだしそうです。そんな妹のことをよくわかっているあかいろの兄は、妹の手をしっかり握っています。
「だいたいのあやかしはここに住んでいるんだ。お店もあるんだよ」
「すごーい!」
「特に何かをするってわけでもなくて、みんなでただ集まっておしゃべりをしたりとか!」
「楽しそうー!」
「でしょでしょ!」
きつねのこは、好奇心旺盛でなんでも楽しく話を聞いてくれるこの女の子を、ぜひ町の人に紹介したいと思いました。
そしてふと辺りを見回して、この町のあやかしたちの雰囲気がいつもと違うことに気づきました。
「皆、どうしたの…?」
きつねのこのその言葉で、赤色の兄妹も、なにか雰囲気がおかしいと気づいたようです。
町のあやかしたちは、皆怯えていました。中には憎しんでいるような、激しい感情を持って睨んでいるあやかしもいます。
明らかに様子が変でした。きつねのこの知る青い世界の住人は、皆優しいあやかしばかりでした。いつもほわほわと笑っていて、楽しそうに暮らしているのです。
こんなあやかしたちは初めて見ました。
赤色の兄妹は困惑しています。妹の方は、不安からか兄の着物をぎゅっと握っています。
「血の色だ…」
誰かがつぶやきました。すると、町のあやかしたちは皆、何かを思い出したかのように「血の色だ」と呟き始めました。
その声は次第に大きくなって、騒めきとなっていきました。
きつねのこは、このような眼差しを向けられたことは初めてです。すっかり足がすくんで、動けなくなってしました。その間にも「血の色だ」と怯える声や敵意を剥きだしにした声が聞こえてきます。
遠くの方にももいろのお姉さんが見えました。彼女は口をきゅっと結んで不安そうな目をしていました。
一人のあやかしが、きつねのこに話しかけました。
「おい、おきつねくん、そこから離れなさい」
きつねのこには意味が分かりませんでした。赤色の兄妹は、なにも悪いことはしていません。
それに、いつも「色持ち」がやってきたときの町のあやかしの反応と真反対なのです。いつもなら、色持ちがやってくると「これがこんな色なのか」などと言ってしばらくはたくさんのあやかしに囲まれてしまうものです。
どうして、ときつねのこはつぶやきました。その小さな声が聞こえたのか、きつねのこに話しかけてきたあやかしは言いました。
「どうしてって、そいつらの色は、血の色だからさ!」
その時、きつねのこは強く腕を引かれました。驚いて見てみると、あかいろの兄が妹を抱えていて、今にも走りだそうとしていました。
「走れ!」
きつねのこは、足をもつれさせながら走りだしました。
「ねえ、皆はどうしてしまったんだろう。あんな顔をしているの、僕初めて見たよ」
走りながらきつねのこは言いました。あかいろの兄は、つらそうな顔をして、
「わかってる。わかっているよ」
と言いました。きつねのこは頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいました。
とりあえず三人は、一刻も早くはいいろの物知り村長さんの家を目指すことにしました。
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